かなりマシな北欧マンセー厨

hamachan先生のブログで拾ったネタです。西野弘さんという方が、日経ビジネスオンラインで「教育費をタダにせよ 親の所得格差が生み出す教育格差は亡国への道」という主張を展開しておられます。内容の大半は、スウェーデンの事例紹介で、北欧キター(笑)のひとつの典型と申せましょう。

1. 幼児教育を大切にしており、就学前教育が手厚い。
2. 日本の感覚では信じられないが、中学2年生まで成績表がない。さらに、塾や家庭教師というものは国のどこにも存在していない。それでも、教育全体のレベルは世界でもトップクラスである。
3. 英語をはじめとした外国語能力が全体的に高い。小学生や中学生でも普通に話せる。
4. 残業や部活動に忙殺される先生はほとんどいない。スポーツや趣味に参加したい生徒は、後述する地域の学習サークルに参加している。
5. 1クラスの生徒数が少ない。就学前教育では先生1人につき生徒は6人。小学校から高校を見ても、1クラス20人前後である。
6. 高校卒業後、すぐに大学に進学する学生はそれほど多くない。徴兵制度があるため、徴兵を済ませた後に、または企業に勤めた後、社会活動などを経験した後に大学に進学する人が多い。25歳以上で4年以上就職をして税金を支払った人だと、医学部のような特別な学部を除いて無条件(行く大学は高校の成績で決まる)で入学できる。
7. 教科書は個人の所有物ではない。数年間は先輩から後輩に引き継がれ、毎年配布されることはない。ちなみに、日本は2008年度、教科書だけで395億円の予算を計上している。
8. ICT(情報通信技術)の活用がとても盛ん。家でもほとんどパソコンを使用している。教員に対するICT教育も重点的に行っている。
9. 900万人の国民のうち、300万人が何らかの学習サークルなどの成人学習機関に参加している。学習サークルの運営は、約75%が税金で補助されている。(http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20090407/191216/?P=1
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20090407/191216/?P=4から、以下同じ)

とまあ、滑り出しはありふれた北欧マンセー厨の主張かと思われるのですが、この人がなかなか立派だと思うのは、次に引用するような理解を明確に示していることです。その後はスウェーデン賛美一色になってしまう感はあるのですが、たとえばICT活用など、なるほどと思う話もあり、典型的な?(ってどんなのだろう)北欧マンセー厨ではない感じです。

…この10年、スウェーデンモデルは様々な形で日本に紹介されてきた。だが、国民負担率を上げ、同様の制度を導入すれば、同じように安心感のある国になるのだろうか――。恐らく、そうはならないだろう。
 スウェーデンモデルとは、単なる高福祉高負担の社会システムではない。スウェーデン国民は、国家は父であり、大地は母と捉えている。国家と大地に暮らす国民は学習し、様々な義務を果たし、協力して社会を構築していく。私の理解では、スウェーデンモデルとはこのシステム全体のことを指している。
 このモデルを機能させるには、政府と国民の間の信頼とチェック・アンド・バランスが不可欠だ。だからだろう。スウェーデンには高度に発達した民主主義があり、19世紀の昔からオンブズマン制度が存在する。制度を入れたところで、この社会全体のシステムなくして機能はしない。
 世界が注目するこのモデルを、スウェーデンはどのように進化させてきたのだろうか。政治が要因なのか、宗教なのか、それとも産業力なのか――。そのことを自問してきた。そして、私なりに1つの結論に到達した。それは、教育である。

私はスウェーデンに行ったこともありませんので、以下は私のまったくの推論に過ぎません。ただ、私はどうにも北欧諸国を無批判に賞賛する一部の人たちの論調についていけないというか、疑問を感じていますので、この際ここで少し書いてみたいと思います。変なことをいろいろ書くと思います。
さてスウェーデンのきわめて高い国民負担を国民が受け入れていることについては、「オンブズマンの監視のもと適正に使われ、国民すべてがその使途に納得しているから」というキレイゴトの説明がされることが多いわけですが、ヒネクレ者の私にはそれではおよそ納得できません。やはり「国家は父であり、大地は母と捉えている」からこそ高負担をはじめとする「様々な義務を果たし、協力して社会を構築していく」のでしょう。「国家は父」と全国民に信じさせるには、高度に発達した民主主義も役立つでしょうが、やはり普通に考えて「教育を通じて洗脳する」ことが必要ではないでしょうか(「洗脳」ということばは刺激的で不快かもしれませんが、他に適当な言葉が思いつかないので…ご容赦ください)。だからこそ「幼児教育を大切にしており、就学前教育が手厚い。」幼児期からの洗脳が効果的なことは言うまでもありません(もちろん幼児教育の負担を大幅に低減することは出産奨励策としてもおおいに有効なことは容易に想像できます)。社民党が長年政権を担当する時期が長かったにもかかわらずスウェーデンでは国民の王室に対する敬意が並々ならぬことはよく知られていますが、これも幼少時から家庭の内外で強力に刷り込まれるのだとか(聞いただけの話なのでウソかもしれません)。「日本の感覚では信じられないが、中学2年生まで成績表がない」というのも、そのくらいの年頃までは共通の価値観を植え付けることが優先されるからでしょうか?もちろん到達度を測定せずに効果的な指導ができるとは思えませんので、アチーブメント・テストのようなものは実施して指導に生かしているだろうと想像するのですが(そうでなければ「教育全体のレベルは世界でもトップクラス」は無理でしょう)、その結果を開示していないということなのでしょう。なるほど「国家は父」を植え付けるには、あまり早い段階から到達度格差をビジブルにして競争意識を持たせることは好ましくないに違いありません。そう考えると、「国民は父」と異なる意識が出てきかねない「塾や家庭教師というものは国のどこにも存在していない」こともまことに納得がいきます。当然、それで「教育全体のレベルは世界でもトップクラス」が達成できるのでなければ国民は納得しないでしょうから、教育に国家予算が大幅に注ぎ込まれているのも当然といえます。非常に失礼な比喩で諸氏の猛反発を喰らいそうですが、覚悟の上であえて申し上げれば、スウェーデン政府の教育支出は北朝鮮政府の軍事支出と類似の性格を持っているのではないでしょうか。西野氏が正しく指摘するように、スウェーデンの国家統治を支えているのは「それは、教育である。」ということになりましょう。なんかかなりひどい陰謀論めいた議論で、だいぶ気はさすのですが、しかしこういう側面も無視できないのではないかと。
 世間によくいる北欧マンセー厨の方々は、こうしたことには触れずに、北欧をあたかも理想郷のように語り、日本との格差を言い立てて、日本がいかにひどい国かということを強調します。しかし、西野氏も指摘するとおり、北欧マンセー厨の方々が語るところだけを真似したところで日本がスウェーデンのようになれるわけがありません。彼女ら・彼らはかなり知的水準が高いはずなので、それを知らないとは思えず、ということは彼ら・彼女らは本当に日本をスウェーデンのようにしようと考えて発言しているというよりは、日本がひどいということを主張するために発言しているかのように見えてしまいます。そんなことをしてなにか利益や得があるとも私には思えませんので、実際にはそうではないのでしょうが、しかしそのように見えることも現実でしょう。それやこれやで、どうも私は北欧を無批判に引き合いに出す論者を信用する気になりません。とりわけ、「日の丸・君が代」に血道をあげている共和主義者の?教育関係者が北欧の教育を賞賛しているのをみると何だこいつらは、という感を禁じ得ません。もちろん、日本人信奉者がどういう言い方をするかは別として、北欧の政策に参考になる部分はたくさんあるだろうとは思うのですが…。
さて、ずいぶん無礼なことを書き散らかしましたがそれはそれとして、西野氏の「日本はもっと教育投資に予算を費やすべきだ」という主張には私もまったく同感です。これに関する感想も少し書いておこうかと思います。もちろん、私はありがちなニワカ教育評論家と同程度もしくはそれ以下の水準ですので、これまた感想の域を出るものではありません。
ということで問題は、「どこまでやるか」でしょう。正直言って、私はこれにはどうも違和感を禁じ得ません。

 親の所得や環境によって、教育格差が生まれることは許されない。教育は国家の投資としては最も重要なもの。スウェーデンで見たように、意志ある者は無償で教育を受けられるようにすべきだ。そして、落ちこぼれが生まれないように、きめ細かい対応ができる体制にすべきだ。

なるほど、「教育は国家の投資としては最も重要なもの」、これはそのとおりだろうと思います(正確には「最も重要なもののひとつ」だろうと思いますが)。義務教育段階においては、極力(100%は明らかに無理なので)「落ちこぼれが生まれないように、きめ細かい対応ができる体制にすべき」というのももっともでしょう。実際、わが国の現状をみれば、義務教育段階ですら正常な学校教育が成り立っていない状況が一部に存在します。転居するか私学で学ぶかしなければまともな義務教育が受けられない、という現状は明らかに改める必要があります。また、高校進学率の実態や中卒者・高校中退者がおかれている労働市場での厳しい現実を考えれば、公立高校の無償化といったことも考えられていいのかもしれません。
ただ、それではおよそ「親の所得や環境によって、教育格差が生まれることは許されない」というまでには至らないわけで、それではスウェーデンのようにまでやりますか、というと、そこは議論があっていいと思います。本当にやろうとすれば、スウェーデンがどうなっているのか知りませんが、たとえばアメリカのビジネススクールに留学したい、という人についても、授業料は全額補助、滞在費も奨学金でカバー、といったところまでやる必要が出てくるでしょう。どれほどの財源を要するのか想像もつきません。それは結局は国民が可処分所得を減らして負担するわけです。それで民主的に合意ができれば、やればいいわけです。それで合意ができないから日本の民主主義は程度が低いと嘆くのは自由ですが、しかしスウェーデンが唯一絶対の正解というわけでもないでしょう。程度は低くとも洗脳されてない分だけ自然だという考え方もできると思います。
私は、上に書いたような現行義務教育の正常化と公立高校の無償化、プラス奨学金制度の強化充実くらいが適当なところではないかという感想(したがって根拠はありません)を持っています。これでも相当の財源を要するでしょうが、たしかにこのくらいは必要ではないかと思います。
それ以上については、基本的には対価を支払ってサービスを受けるという考え方でよいのではないかと思います。なにも全面無償でなくても高度な教育水準を達成している国はいくつもあります(文部科学省は日本もその一つにカウントするでしょう)。たしかにわが国では学習塾が発達していて、経済的な理由で塾に通えないという子どももいるでしょう。義務教育段階の補習のために塾に行く必要があり、しかも経済的理由でそれができないというのはなくさなければならず、それには義務教育を立て直す必要があります(西野氏のいわゆる「(極力)落ちこぼれが生まれないように、きめ細かい対応ができる体制」です)。いっぽう、アドバンスした学習をするための塾に親の負担で通うことまで否定すべきでもないでしょう。逆の見方をすれば、塾に通っている子どもがたくさんいるということは、それはまずまずそれなりに多くの家計が負担可能な範囲内でサービスが供給されているということでもあります。これは教育産業が競争と効率向上を通じて実現したものだといえるでしょう。
「親の所得や環境によって、教育格差が生まれることは許されない」といいますが、親が勤勉に働いて得た所得から、その一部を子どもの教育にあてることは自由であるべきとの考え方もあると思います。それが進歩への動機づけとなることもあるでしょう。
西野氏もまた、北欧マンセー厨にありがちな視野狭窄があるように思われます。次の記述は、レトリックであるだけになおさら、たくまずしてそれを如実に示しています。

 大きな駅の前には必ずと言っていいほど、学習塾や予備校の看板、消費者金融の事務所がある。現実の日本では、進学をしたくても、金銭的な問題で塾や予備校に通えない子どもたちは進学をあきらめ、低所得の不安定な職に就くことになる。そして、消費者金融のお世話になっていく。駅前には、日本の歪みの構図が象徴的に表れている、と感じるのは私だけではないだろう。

駅前に立つと学習塾とサラ金の看板しか見えない、という人もいるのでしょう(悪いというつもりはありません)。私には駅前にはもっといろいろなものが見えます、というか、居酒屋の看板やラーメン屋の店舗ばかり目に入って困りますが(笑)。
ただ、再掲しますがこの文章も、

 親の所得や環境によって、教育格差が生まれることは許されない。教育は国家の投資としては最も重要なもの。スウェーデンで見たように、意志ある者は無償で教育を受けられるようにすべきだ。そして、落ちこぼれが生まれないように、きめ細かい対応ができる体制にすべきだ。

たとえばこんなふうに、

親の所得や環境によって、義務教育すらまともに受けられないことは許されない。教育は国家の投資としては最も重要なもののひとつ。スウェーデンで見たように、意志ある者は無償で教育を受けられるような国もある。そして、極力落ちこぼれが生まれないように、きめ細かい対応ができる体制にすべきだ。

こんな感じなら、ずいぶん対話も成り立ちやすくなるのではないかな…と、そんな印象を持つわけです。