ナショナルミニマム研究会中間報告

厚生労働省が昨年末から開催している「ナショナルミニマム研究会」が中間報告を発表しました。
http://www.mhlw.go.jp/shingi/2010/06/dl/s0623-12a.pdf
テーマがテーマだけに、社会福祉社会保障の専門家が多く、社民色の強いメンバーになっている(委員名簿はこちらhttp://www.mhlw.go.jp/shingi/2009/12/dl/s1211-11a.pdf)のは致し方のないところでしょうが、反貧困ネットワークの湯浅氏と雨宮氏が加わっているのをみると政権交代したのだなあと実感します。ちなみに労働分野は橘木先生で、やはり財政の専門家は必要だろうということで貝塚先生が加わっているのは厚労省のバランス感覚か、財務省から押し込まれたのか…(邪推)。
さて、私は福祉のことはほとんど知りませんので内容にコメントする能力も乏しいのですが、つまみ食い的に感想を少し。

0-2 ナショナルミニマムとは、国が憲法25条に基づき全国民に対し保障する「健康で文化的な最低限度の生活」水準である。これまではややもすると、所得や資産等の経済的な指標だけで語られることが多かったが、これらと人間関係や社会活動への参加等の社会的な指標との関連を見ることが重要であり、国民生活を多面的・複合的に捉える中で、ナショナルミニマムを確定していく必要がある。
0-3 本研究会で議論してきたナショナルミニマムの考え方は、世界に例を見ない少子高齢社会を迎えている日本において、貧困や格差を縮小し、地域で安心して暮らせる豊かな社会を目指して、今後の社会保障や雇用のあり方を論じる際には、生活保護だけでなくあらゆる社会保障制度や雇用政策の設計の根幹となるべきものである。
0-4 ナショナルミニマムの保障は、生活保護のみならず、最低保障年金等の所得保障制度、最低賃金子ども手当や住宅手当、様々な雇用政策、負担の応能性の強化、低所得者の負担軽減等の包括的・整合的・重層的な仕組みを通じて、実質的に有効なセーフティネットを構築することにより、実現が図られる。

「人間関係や社会活動への参加等の社会的な指標との関連を見ることが重要」というのは、要するに生計費を配って終わりということではなくて、たとえば医療機関の受診とか、「親戚の葬儀には礼服を着てそれなりの香典を包んで出席することができる」とかいったことも確保できるようにしたい、ということでしょうか。これは成熟した福祉国家としては大切な考え方なのかもしれません。
たとえばどういうことかというと、NHKの「ワーキングプア」で、過疎で人がいなくなって月数千円しか仕事がないのに、老妻の葬儀費用として100万円の貯蓄があるために生活保護が受給できない仕立屋さん(うろ覚えなので細部は自信なし)が紹介されていたと思います。この人について、生活保護の要件を緩和して葬儀代を貯蓄していても生活保護給付の対象としよう、というのも一つの解決策でしょうが、必ずしもそれだけが方策ではない。私としては、この人に必要な施策はまずは腕のいい仕立職人の需要がある都市部への広域移動支援(住居のあっせんとか旅費の貸与とか)ではないかと思います*1。もし移動が難しい事情があるのであれば、次に必要なのは100万円の費用を要する配偶者の葬儀を現物給付できる制度かもしれません*2。実際、医療などについては費用を金銭給付するより無償化して現物給付したほうが望ましい*3という意見も有力なわけです。
ということで「今後の社会保障や雇用のあり方を論じる際には、生活保護だけでなくあらゆる社会保障制度や雇用政策の設計の根幹となるべきものである」というのも、ワークフェアの考え方を重視するぞという意味であればそれはそうかなと思うところはあります。「ナショナルミニマムの保障は、…最低賃金、…様々な雇用政策」と、労働政策も動員されているわけですが、まあ上で書いた広域移動支援のような政策は有意義だろうと思います。いっぽう、このブログでも繰り返し書いていますが、最賃の引き上げは救貧政策としてはかなり筋悪であるにもかかわらず、わざわざこれだけ個別に取り出して明記しているというのは・・・orzまあこれも政権の意向で致し方なしでしょうか。メイク・ワーク・ペイという観点では、勤労所得税額控除のほうがはるかに勝るのではないかと思いますが…。
続いて、

0-6 近年、人々の生活に密着した領域でのナショナルミニマムを不要とする議論があるが、これは、国がナショナルミニマムの維持に対して、これまで必ずしも十分な役割を果たしてこなかったことへの不信感があるものと考えられる。国として、これまでの経緯の中で反省すべき点は十分に反省する必要がある。国民に納得され、安心感を与えるナショナルミニマムを確立することが、生活保護に対する正しい理解などにもつながる。

「生活に密着した領域でのナショナルミニマムを不要とする議論」というのは、たとえばベーシック・インカム(BI)みたいな議論を指しているのでしょうか?違うかな?私もBIにはかなり懐疑的、というか「5万円のBIで生活保護・失業給付・老齢年金は廃止」という議論であれば明確に反対ですが、とはいえ「これまでが不十分だったから不要といわれるのだ、したがって十分にやるのだ」という理屈もいささか詭弁の匂いがしてヤバいのではないかという気がします。いや気がするだけですが。
さてずっと飛びまして、生活保護と就労について述べられた部分です。

4-5 …いったん生活保護を受給する状態になっても、就労を阻害する要因が除去されれば、就労促進などを通じて最低限度の生活を超えて自立できるよう、生活保護にはトランポリンとしての役割も期待されている。トランポリン型の生活保護制度にするためには、まずは丁寧に就労阻害要因を除去することが必要である。
 一方、従来、ともすれば「就労自立」という成果を出そうと焦りすぎた結果、目につかない疾患を見落とす、不安定就労に無理やり押し込めるなどといった「指導」がなされ、本人の抑うつ状態を悪化させ、かえって自立から遠ざけるなどの事例が散見され、本末転倒と言わざるを得ない。…
 就労阻害要因が除去された後には、生活保護受給者について経済的自立や生活保護からの脱却を促す必要があるが、有効求人倍率が低迷する中で、必ずしも就労促進が進んでいない状況にある。特に、稼得能力を有する方が多いと考えられる「その他世帯」が急増する中で、福祉事務所とハローワークとの連携や就労支援員を通じたサポート等により就労促進の強化を図る必要がある。…

うーん、しかし「有効求人倍率が低迷する中で、必ずしも就労促進が進んでいない状況」において「福祉事務所とハローワークとの連携や就労支援員を通じたサポート等により就労促進の強化」といわれると、いつもながら違和感があるんですよねえ。いや、有効求人倍率が高い…とはいわないまでも、「有効求人倍率がそこそこなのに就労促進が進んでいない」のであれば、それは福祉事務所とハローワークとの連携とか就労支援員を通じたサポートとかが重要だろうと思うのです。しかし、「有効求人倍率が低迷する中」では、福祉事務所とハローワークとの連携といわれても、福祉事務所「就労阻害要因が除去された生活保護受給者を就労させたいのですが」ハローワーク「申し訳ないんですがいま求人がないんですよ」ということになってしまうのではないかと。もちろん双方が努力することは必要ですが、やはり不況で求人が少ない時期には生活保護が増えるのはある程度致し方ないという考え方でいくしかないのではないかと思います。まあ研究会もそういう考え方だろうとは思いますが。
それから、

4-7 …勤労権の保障に関して、就労支援の要素を組み込んだ生活支援をナショナルミニマムの基礎に置くべきとの指摘がある。さらに、憲法25条の生存権の基準は、13条の個人の尊厳や14条の平等の原則により規定されるとともに、27条の勤労権を踏まえれば、最低限度の生活が労働によって維持されるよう、保障すべきであるという考え方もある。

勤労権があるのだから勤労だけで最低限度の生活の維持を保障すべきというのはいかにも妙な考え方のように思いますが。まあそういう考え方もあるのかもしれません。だとしても、やるなら公務でやってくださいねと申し上げざるを得ないわけではあります。というか民間でどうやってやるんだという話になるわけですが。まあ、「労働によって維持」が、社会保障や福祉施策などと共同で、その一部が労働によっていれば足りるというのであれば、もちろん完全雇用をめざすのは国家として最重要の課題だろうとは思うのですが、そうはいっても民間企業に対して仕事がなくても人を雇えというのは無理筋と申し上げるしかないわけで。
かと思ったら、

4-8 「雇用融解」とも「雇用壊滅」とも言われる状況の下、生活しうるに足る最低賃金の確保など、雇用分野におけるナショナルミニマムを充実させる必要がある。また雇用保険や最低保障年金といった社会保険制度や、いわゆる「第二のセーフティネット」の充実などを通じて、生活保護の手前で生活崩壊を食い止め、生活保護に至らなくても生活の維持・再建が可能になるような各種制度の整備を早急に行う必要もある。また、国民の居住の権利に基づく住宅保障もナショナルミニマムの重要な一要素と考えられる。
 具体的には、現在実施している無料の職業訓練と訓練期間中の生活費を支給する事業の恒久化に取り組むとともに、住居を失った又は失う恐れのある失業者等に家賃を支給しながら就労支援を行う住宅手当の拡充や審査期間の短縮化、手続きの簡素化、そして個別的な生活支援体制の整備などが課題に挙げられる。

そうですかやはり「生活しうるに足る最低賃金の確保」とくるわけですか。住居を保有するか否かや、配偶者の収入如何によって「生活しうるに足る最低賃金」というのもずいぶん違ってくると思うのですが…。いや最低賃金を上げるなということではなくて、生産性が向上することで最低賃金はじめ労働条件を改善することは非常に大切だとは思うのです。800円も1,000円も生産性の裏付けがあるならけっこうな話だと思います。ただ「生活しうるに足る」という判断基準はよくない、というか不可能だと思うのですが。ナショナルミニマム研究会だから仕方ないのかなあ。ただ、政策に関わる行政の公的な研究会の報告書で「雇用融解」とか「雇用壊滅」とかいう情緒的な表現が安易に繰り出されることにけっこう違和感があって、この「生活しうるに足る」も大衆ウケのいいエモーショナルな表現を使ってみただけ、という印象を禁じ得ないのですよねえ。「雇用融解」だの「雇用壊滅」だのは書いてみても後で困ることはそれほどないと思いますが、「生活しうるに足る」は禍根を残しかねないと心配ですが…。
第二セーフティネットの必要性は認めますが、しかし就労促進的なものにしないと、「職業訓練受講能力保有者用生活保護」になってしまいますよ。もちろん重々ご承知のこととは思いますが…。

4-10 ナショナルミニマムの保障に係る施策には、現金給付とサービス給付、国民全体を対象とするユニバーサルな給付と低所得者等に対象を限定した給付といった分類がある。貧しい人々に限って現金給付を行うと、かえって格差が拡大してしまう「再分配のパラドックス」が存在し、サービス給付には不正受給が生じにくいというメリットもあるため、現金給付だけでなくサービス給付を重視すべきという意見もある。…

7-2 ただし、貧困や格差の問題を是正するためには、社会保障関係支出の増加が不可欠であるが、前述のとおり、貧しい人々に限定した現金給付が大きいほど格差が拡大する「再分配のパラドックス」が存在するという意見もある。
貧困や格差を是正し、かつ経済成長を実現させるためには、現金給付だけでなく現役世代に対する社会サービス給付を充実させることも必要である。特に産業構造における知識集約型産業やサービス産業へのシフトが今後より一層進展することを考慮すれば、労働市場の弾力性を確保した上で、再教育や再訓練によって失業者を成長産業へと移行させる積極的労働市場政策を推進することが重要である。

「再分配のパラドックス」という不勉強にして耳慣れない用語が出てくるのですが、これは神野先生が提唱されている概念のようで、救貧政策として生活保護のような対象者を限定したものを中心としている国、具体的にはアメリカやイギリスでは格差が拡大しており、医療や教育などをあまねく無料化するようなユニバーサルサービスを行っている国、具体的には北欧などでは格差が拡大していない、ということを指しているようです。これってパラドックスなんですか?どうしてそうなるのか、というメカニズムが大切だと思うのですが、web上をざっとみた限りでは見当たらず、当面私のような素人は対象を限った前者に較べて限らない後者のほうがはるかに巨額の費用を要し、したがって再分配の規模も格段に大きく、当然に格差も小さくなる、という理解をするよりなさそうなんですが、それでいいんでしょうか?だとすればこれはまことに当たり前の話であって、逆説とはいえないと思うのですが…。
なお「特に産業構造における知識集約型産業やサービス産業へのシフトが今後より一層進展することを考慮すれば、労働市場の弾力性を確保した上で、再教育や再訓練によって失業者を成長産業へと移行させる積極的労働市場政策を推進することが重要である」については、現に失業している失業者を成長産業へと移行させるのは重要だと思います。逆に、現に就労している人を強引に失業させてまで成長産業へ移行させようというのは筋も通らないですし、そもそもうまくいきっこないのでやめておいたほうがいいと思いますが。
あと、こういう一節もあるのですが、

5-3 「地域のことは地域の住民が責任を持って決めることができる」という地域主権の実現は積極的に図られるべきであるが、あくまでもナショナルミニマムに上乗せされる形で地方の独自性が発揮されなければならない。
例えば、住民の立場から地方自治体を競わせ、底上げを図ることで標準レベルを上げていくことが考えられる。…

しかし、現に生計費は地域によって異なるという現実はどうするのかと私などは心配に思うわけです。あるものをないというわけにもいかないでしょうから、この理屈でいくと国の定めるナショナルミニマムは生計費が最小の地域にあわせ、あとは各地域がその地域における生計費に応じた上乗せをはかるという図式になってしまうと思うのですが…。
いずれにしても、ナショナルミニマムについてはその考え方に加えて、「現実にどの水準に設定されるのか」も決定的に重要でしょう。これについては中間報告でもあり、今後の課題とされています。ということで、考え方だけがあって結果の数字などのない現段階では全体としての評価は不可能としか申し上げようがありません。ただ、考え方を見ても委員の顔ぶれをみても、かなり再分配が強化された大きな政府の方向に進みそうなことは確実で、はたして大丈夫なのかなあという印象はあります。実は中間報告は「負担の応能性の強化」や「社会保険料体系を応能負担型に」などともうたっていて、高所得者や資産家からの徴税の強化を意図しているようです。私もこれには基本的に賛成で、所得税はもう少し累進的にしてもいいと思いますし、社会保障負担のない資産性所得に対してもさらに負担を求める余地があると思います*4。ただ、それだけで賄えるとは考えにくく、実際北欧諸国などは高率の付加価値税を課しています。消費税率10%でこれだけ大騒ぎしているわが国で、はたしてどこまでやれるものやら…と率直に心配せざるを得ません。いやいずれ10%、15%くらいは必要だろうとは私も思いますが、それ以上となると…。

*1:冷たいことを言うようで気はさすのですが、この仕立屋さんは仕事がないわけですから、厳密には「ワーキングプア」ではなく「ノンワーキングプア」でしょう。まあ、店を開けていれば働いているのだ、と考えることもできるかも知れませんが…。いずれにしても腕はあるのですから、仕事のあるところに転居して働いて生計を立てることを支援するのがワークフェアの考え方にもかなうと思います。

*2:「100万円の費用を要する配偶者の葬儀」がミニマムであるとすれば。

*3:当然ながらこの提案は日本医師会などには非常にウケが良いようです。余談ですが。

*4:これに対しては「投資を抑制する」とのお叱りがくることは承知しておりますが。