我街の誇り

 9月に入ってしまいましたが夏季恒例のスポーツネタです(笑)。真夏のお祭り・都市対抗野球大会が第90回の記念大会を迎え、さらに日本野球連盟も70周年の節目を迎えたということで、社会人野球のテーマソング「我街(われら)の誇り」が新たに作られました。

 社会人野球を統括する日本野球連盟JABA)は6日、東京都内で記者会見を開き、JABA設立70周年と第90回都市対抗野球大会を記念した社会人野球の歌「我街(われら)の誇り」を発表した。作家の伊集院静さんが作詞し、数多くのヒット曲を手掛けた林哲司さんが作曲、編曲。13日正午から東京ドームで行われる都市対抗大会開会式の入場行進曲として使われる。
https://mainichi.jp/ama-baseball/articles/20190706/k00/00m/050/097000c

 フィジカルが大手CD販売店のオンラインショップでお求めになれるほか(タワーレコードHMV)、MP3ファイルはAmazon Musicでお求めになれます(LINEミュージックにも入っているもよう)。残念ながら今のところウェブ上から聴くことはできないようですが、ご関心の向きはYouTubeで検索してみるとなにか引っかかるかもしれません。アマチュア野球の歌といえば高校野球のテーマソング(厳密には全国高校野球選手権夏の甲子園のテーマソングですが)である「栄冠は君に輝く」がたいへん有名ですが、同様に広く親しまれてほしいと思います。
 さてその「栄冠は君に輝く」は周知のとおり競技に臨む若者を賛美する内容となっているわけですが、「我街の誇り」は少し様相が異なっています。JASRACに怒られるような気もしますが(いや本当にまずければ削除しますが)以下全歌詞を掲載します。

社会人野球の歌「我街の誇り」(われらのほこり)


詞 伊集院静
曲 林哲司


陽(ひ)は昇り、雲は光る。
我街(わがまち)に青空が広がる。
聞こえるよ、白球の音。
働く汗、球を追う汗。
まぶしいのは生きている証し。
勇気をくれる野球の神様。
さあ駆けよう、闘いの地へ。
誇りと勇気を胸に抱き
我街(われら)のすべて、チームのすべて。
青空の下へ、いざ集おう。


海は揺れ、風は鳴るよ。
我街(わがまち)は皆(みんな)を抱き寄せる。
聞こえるよ、砂を蹴る音。
働く夢、ひとつのチーム。
かけがえない友情の証し。
素晴らしい人、野球の神様。
さあ見上げよう、光る青空。
誇りと勇気を胸に抱き
我街(われら)のすべて、チームのすべて。
野球の旗へ、いざ集おう。

 社会人野球なので働きながら勤務先の企業チームあるいは地域のクラブチームでプレーするわけで、そういった側面が織り込まれているのに加え、曲名のやや無理のある当て字が示すとおり、地域とのかかわりも強調されています。社会人野球最大の大会である都市対抗野球大会というのは文字通り「都市」(街)の代表が覇を競う大会であり、その代表というのがその街にある企業チーム(やクラブチーム)、ということだったわけです。だから(都市の代表だから)補強選手制度という独特なしくみ(本選進出したチームは同地区で予選敗退したチームから選手をレンタルすることができる。長く5人までだったが現在は3人まで)が存在するわけです。
 とりわけ2番の前半にはそうした背景が色濃く反映されており、「我街は皆を抱き寄せる」という詞はただちに企業城下町が全国から雇用を吸収して来た歴史を想起させますし、「働く夢、ひとつのチーム」は、かつての職場や地域が「ひとつのチーム」であった(企業の発展を通じて地域が振興し人々の暮らしが豊かになるという夢を共有していた)時代を彷彿とさせます。だからこそ、現実には時に気まぐれで時に皮肉な「野球の神様」が「素晴らしい人」ということになるのでしょう。
 もちろんそれは過ぎ去った過去のお話であり、まあ歌の中では社会人野球の原点ということで残しておく意義は大いにあると思いますが、一方で今現在の現実の社会人野球は当時とは大きく変貌しています。かつての社会人野球が意図していた従業員への娯楽の提供、労働者の意欲と職場の一体感の向上、企業と地域の連携関係の醸成といった役割は薄れつつありますが(それが2000年前後の不況期に一気に企業チームが減少した背景にあるわけですが)、一方で近年では人材確保などを意図して企業チームを発足させる例が増えており(チーム数も増加に転じている)、産業的にみてもかつての重厚長大型中心から新設チームはサービス業が目立つようになっていますし、中には都市対抗野球大会本選に進出したり、各地の大会で歴史ある古豪に一泡吹かせるというのはもう当たり前にみられるようになってきました。そうなると従業員としても大いに元気が出るという話でもあるようで、うまく生かせば人事労務管理のツールとしてまだまだ有益なものであるようです。
 さて「我街の誇り」ですが先日開催された日本選手権予選の観戦に行ったところ試合間のインタバルで放送されていて定着がはかられているようです。野球にご関心のある向きにはぜひともプロ野球高校野球だけでなく社会人野球にもぜひ足を運んでいただければと思います。なおすでにDAMJOYSOUNDといった通信カラオケにも搭載されていて自ら歌うこともできます。私が出張先の室蘭市の桶屋でへたくそな「我街を誇り」を歌ったというのはとっても秘密です(笑)。

転勤とキャリア

 野球と出張に明け暮れた7月、8月が終わり、とりあえず一応の平静が戻ったか…ということで本日はtwitterを再開し、今からブログも書きたいと思います。かなりご無沙汰してしまったので、たまには書かないと忘れられそうなので…。
 さて本日の題材は今朝の日経新聞に掲載された出口治明立命館アジア太平洋大学学長の連載エッセイ「ダイバーシティ進化論」です。本日のお題は「日本の転勤問題 世界に倣い希望者のみに」。短いものなので以下引用しましょう。

 転勤は日本特有の制度だ。海外では経営層を除き、希望した人だけが転勤する。ではなぜ、日本は会社都合で転勤させるのか。
 戦後の人口増加や高度成長を前提にした一括採用、終身雇用、年功序列という労働慣行が背景にある。一生雇用するならいろいろな職場を経験させた方が使いやすいというわけだ。その延長線上で、いつでも転勤可能な総合職が出世コースになった。だがこれは2つの点でゆがんでいる。
 ひとつは、会社が「社員は地域社会と関係がない」と考えている点だ。でも実は週末はサッカーチームで子どもに慕われている名コーチかもしれない。人は地域とつながって生きている。
 もう一つはパートナーだ。どうせ相方は専業主婦(夫)で黙ってついてくるしかないと思っている。このゆがんだ考え方の上に転勤という制度が成り立ってきた。
 家族の絆を断ち切る単身赴任も日本独特だ。こんな非人間的な制度を続けていれば、若い優秀な人がどんどん流出して企業は衰退していく。最近は転勤をなくした企業もあるが、当たり前のこと。転勤は希望者だけというグローバルな労働慣行を打ち立てよう。希望しない人に転勤させるのは制度によるパワハラだ。
 次のような反論を述べる人がいる。「札幌や福岡は希望者が殺到するだろうが、過疎地に行きたい人がいますか」。では過疎地は何で困っているのか。仕事がなくて困っているのだ。社内に希望者がいなければ、地元で採用すればいいではないか。その企業は地元で大歓迎されよう。地元の社員は地域のことをよく知っているので企業にもメリットがある。
 だから希望者のみ転勤で全く問題はない。ジョブローテーションは終身雇用が前提だ。しかし今年の新入社員に今の会社で何年働くかを尋ねたら5年以内と答えた人が37%。そもそも自分のいる会社が一生つぶれない保証はどこにもない。希望しない人を強制的に転勤させるのは人権侵害だ。
 世界に目を向けると、有能な人は転勤がなくても出世していく。自分のそばにいる社員しか評価できない経営者は無能だ。地方にいる人が優秀ならトップに据えればいい。実績を重視すればどこにいようと優秀者は数字で分かる。まずは、転勤可能な総合職が一番上だという悪習をとっぱらわないといけない。
(令和元年9月2日付日本経済新聞朝刊から)

 世間でありがちな議論を要領よく組み合わせた感じの文章ではあるのですが、まず「転勤は希望者だけというグローバルな労働慣行」について確認しておきましょう。
 海外では労働契約の一部として勤務地が定められていることが一般的であり、それも「東京都」とか「町田市」とかいった大雑把なものではなく、たとえば「仙台支店泉営業所」くらいのかなりピンポイントに特定されています。これは契約の一部なので変更するためには当然に両当事者の合意が必要であり、たとえば広島支社の営業エリアを分割して高松支社を新設するから支社長が必要だとなれば、一方的に転勤を命じるというわけにはいかず、まあそれなりに適任そうな人が多数いるのであればまずは社内公募するでしょうし、適任者が限られていれば個別に「行ってくれないか」と声をかける、いずれにしても会社のほうからオファーすることになるわけですね。
 そこで公募に応募するかどうか、個別オファーを受けるかどうかは本人次第であり、転勤に応じて得られる利益と、それにともなうさまざまなコストと比較勘案して決めればいいということになっているわけです。たとえば、新規支社の立ち上げ経験が将来のキャリアに大いに有利だろうという実益が転勤の負担を上回ると思えば、応募したりオファーを受けたりすればいいわけです。
 もちろん転勤大変だからしたくありませんというなら応募しない、あるいはオファーを断るのもご自由であり、誰も受け手がいないとなれば企業としてはそれなりに昇格とか昇給とかのインセンティブを乗せてもう一度公募なり個別オファーをするなりすることになるでしょう。本社との関係性とか企業独自のノウハウとかいったものがあまり必要でないのであれば、内部登用はあきらめて外部労働市場から手ごろな人を採用するのが合理的という場面もありそうです。でまあ欧米ではそこそこのインセンティブでは転勤にともなうコストのほうが大きいということで難色を示すケースも間々見られるというのが正味のところのようです。
 つまり、転勤を「希望する」(転勤のオファーを受ける)かどうかはキャリアと密接に結びついているわけです。もちろん「世界に目を向けると、有能な人は転勤がなくても出世していく」というのはそのとおりで、日本企業でも同じことではないかと思いますが、他の条件が同じであれば転勤に柔軟に応じられる人のほうがそうでない人より「出世していく」可能性が高いというのも国を問わないのではないかと思います。つまり「いつでも転勤可能な総合職が出世コースになった」のはそれなりに自然なのであり、「転勤可能な総合職が一番上だという悪習をとっぱらわないといけない」というのも、まあ程度問題でしょうねえということになろうかと思います。
 それでは日本はなぜ現状のような労働慣行になっているかというと、少なくともこうした慣行が成立した時期には、要するに労働者にとって転勤にともなう利益がコストを上回ることが一般的だったから、ということになるでしょう。もちろんそれは企業の側に拠点新設などの転勤ニーズが多かったことの裏返しであり、その背景に高度成長があったことも間違いないと思います。ありていに言えば、転勤も含めて企業の言うとおりのキャリアを歩んでいけばそれなりに昇進して賃金も上がり(これが外から見れば年功賃金に見えるわけだ)、夫婦子二人(程度)の生計費が保障され、まあ郊外のマイホームとマイカーが手に入るということで、それならまあ地縁が切れても単身赴任になっても割のいい取引だったという打算的な話にすぎません。
 だから、昇進や昇給といった果実を割と潤沢に分配できた高度成長期とは異なり、低成長とデフレが続いて昇進も昇給も稀少な資源になっている今日にあっては、転勤に応じることが割の合わない取引になりつつあることも間違いないのだろうと思います。であれば、昇進も昇給もいらない、あるいはほどほどでいいから転勤はしたくありませんという人が出てきても不思議ではありませんし、そういう働き方の選択肢が増えることはたいへん結構なことだと思います(ちなみに勤務地ではなく職種については限定的な新卒採用が増えているという話は最近何度か書いたと思います)。
 あとはそういう人がどのくらい出てくるかという話で、まあ転勤すれば昇進のチャンスが多少なりとも上がるのであれば転勤したいですという人はそれなりに多数ではないかという気がしますし、一方でどんどん確率が低下しているチャンスをインセンティブにして転勤に応じさせるという人事管理が本当にフェアなのかという議論は大いにあるだろうと思います。だからと言って、あなたは転勤しようがしまいが昇進のチャンスはないのだからそれで満足してくださいと言われることを本音ベースでどれだけの人が望んでいるのかという問題でもあって、でもまああれかな職務限定を望む新卒というのも増えているらしいので、転勤についても本音ベースでもスローキャリアでいいからしたくないという人が増えてはいるのかな。まあいずれにしても選択肢が多様化することは非常にいいことだと思いますし、現状では正規・非正規の二極化を緩和するという意味でも重要なことのように思えます。とはいえ意識というのも急には変わらないわけで、制度をいじって無理やりに変えようとしてもうまくいかないだろうというのは企業としても成果主義騒ぎの貴重な教訓であるわけで、例によって「やってもいいけどやるならゆっくりやれ」という最近いつもの結論を繰り返して終わります。

中山慈夫『就業規則モデル条文第4版』

 (一社)経団連事業サービスの讃井暢子さんから、経団連出版の最新刊、中山慈夫『就業規則モデル条文第4版-上手なつくり方、運用の仕方』をお送りいただきました。いつもありがとうございます。

就業規則モデル条文 第4版

就業規則モデル条文 第4版

 働き方改革関連法の成立をふまえた改訂版とのことですが、「モデル就業規則」といえば即座に想起されるのが兼業・副業でしょう。厚生労働省のモデル就業規則は「労働者は、勤務時間外において、他の会社等の業務に従事することができる。/2 労働者は、前項の業務に従事するにあたっては、事前に、会社に所定の届出を行うものとする」と、原則自由・届出制に変更されたわけですが、こちらは「会社の許可なく社外の業務に従事しまたは自ら事業を行ってはならない。」と、従来どおりの原則禁止・許可制を堅持しています。届出制に関しては「労基法38条の改正を視野に入れ、(労働時間把握、割増賃金、労災などの)諸問題を合理的に解決する法制が整備されていない現状では…副業・兼業を原則認めない許可制とすべきである」と明快に解説しています。これに関しては先週発表された厚労省の検討会の報告は軒並み通算する・しないの両論併記となっていてその先は今後の労政審での議論に回されており、まあ以前も繰り返し書いているように相当の割り切りをもって法改正がされない限りは現状の原則禁止・許可制を維持せざるを得ないのではないかと思われます。
 あまり紹介すると営業妨害になりそうですのでやめておきますが(笑)、モデル条文だけではなく、解説も厚労省のそれに比べれば圧倒的に充実しており、就業規則をベースにした人事労務管理の実用書として非常に有益なものではないかと思います。

リクルートワークス研究所『Works Review』

 リクルートワークス研究所様から、『Works Review』をお送りいただきました。いつもありがとうございます。副題に「「働く」の論点2019」とあり、特集は「マルチ化するキャリア。」となっています。
https://www.works-i.com/research/paper/works-review/works-review-vol13/
↑まだウェブサイトにも掲載されていないようなのでとりあえず昨年のものを貼っています。すみません。
 これまでも毎年研究所の紀要として『Works Review』が刊行されていて楽しく勉強させていただいてきましたが、開所20周年を機に研究所のオピニオンペーパーとして新創刊したということのようです。従来とは異なり、冒頭に大久保所長と明大の野田稔先生の対談が置かれており、続いて豊田義博氏による解題的な解説があり、さらに「マルチ化」に関連する論文が4本続いています。その後は「Annual Theme」ということで個別論点に関する論文が6本掲載されていますので昨年までの紀要的な性格も維持されているようですが、全体に論文のボリュームは短くされているように思われ、論文集というよりはたしかにオピニオンペーパーという性格が意識されているように感じました。
 まだ特集をざっと読んだだけなのですが、世の中の趨勢を先取りした議論が特集されているわけなのでボリュームゾーンにいまひとつ食い込んでいない感が残るのは致し方のないところなのでしょうか。現実問題として私自身のキャリアもかなりマルチ化しているのではないかと自分では思うのですが、しかしここでの議論が自分のことだという感じがあまりしませんでした。まあこのあたりは豊田氏が書かれているように「これまでもキャリアはマルチステージだった」という話なのかもしれません。後半部分もあわせてしっかり勉強させていただきたいと思います。

日本労働研究雑誌8月号

 (独)労働政策研究・研修機構様から、日本労働研究雑誌8月号(通巻709号)をお送りいただきました。いつもありがとうございます。

 今回の特集は「変わるワークプレイス・変わる働き方」というもので、改題の冒頭には「職場の机の配置の工夫やフリーアドレス、アクティビティベースドワークプレイス、在宅勤務、サードプレイス等、ワークプレイス(職場)の多様性・柔軟性を高めることで職場の生産性をもっと高めることの(ママ)できるのではないか、そういったワークプレイスの可能性に対する期待が高まっている」との現状認識が述べられています。
 最初にこの分野の第一人者と目される京都工芸繊維大の仲先生の総論と好事例紹介が置かれており、続いて情報通信技術との関係に着目した論文が3本続きます。さらに続いて東大の稲水先生がアクティビティベースドワークプレイスの有効性を検証しつつ、単純なフリーアドレスの導入はかえって逆効果になりかねないことを指摘されていて、ここまで読めばワークプレイスをめぐる学界の動向が概観できるように編集されています。ICTとの関連においては、もちろん富山大の柳原先生や青学大の細川先生が検討されているような課題はあるものの、阪大の中西先生によるテレプレゼンス技術の紹介を読めば、やはり技術の進歩は止まらないし、おそらくは人類に明るい将来をもたらすだろうと思わずにはいられません(ほとんど触れられていませんがこの技術は障害者雇用の拡大ににも大いに寄与しうるポテンシャルを持っているのではないかと感じました)。

倉重公太朗『雇用改革のファンファーレ』

 経営法曹の倉重公太朗先生から、ご著書『雇用改革のファンファーレ-「働き方改革」その先へ』をご恵投いただきました。ありがとうございます。

雇用改革のファンファーレ

雇用改革のファンファーレ

 当然ながら(笑)私としても同感できる内容が多いわけですが、まあ全体的には同感8割、疑問2割という感じでしょうか。おそらくは比較的高学歴で専門性を有する若手~中堅ホワイトカラーが読者として想定されているのだろうと思いますが、そうでない(実はかなりのボリュームゾーンの)労働者にも目配りがあってくれるといいかなと思ったのと、書名が”ファンファーレ”と威勢がいい(笑)のは結構ですが実際のところは労働法政策は一斉にゲートが開いて整備が行き届いた平坦な馬場を一気に走り抜けるようなものではなく、試行錯誤を伴いながら漸進的に進めていくべきものだろうと、まあこのあたりが2割の疑問というところでしょうか。
 なお巻末に著者と労働関係者との対談が6本所載されており、他の5人の専門家の方々が横綱大関のような存在感を発揮しているのに対して不肖わたくしめも6人めとして幕下くらいの感じで(笑)加えていただいております。なお私の対談の見出しは”「同一労働同一賃金」はどこへ行く”となっているのですが内容は転勤の話だけなのであれという感じになっております(笑)。実は本文中にも大フォントで書かれた見出しと続く内容とがあまり一致していないところがあり、このあたり労働調査会の編集の問題かもしれません。

「hamachan先生の知的熟練論批判」批判

 小池和男先生が逝去されました。ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
 それを機にhamachan先生がブログで「日本型雇用システム論と小池理論の評価(再掲)」と題して、かつての「小池ファンは小池理論を全く逆に取り違えている件」というエントリを再ポストされていますので、まあタイトルには批判と書きましたがそこまでのものでもなく、若干の感想を書きたいと思います。小池先生の諸著作に当たり直すほどの時間は現実的にありませんので多分に記憶に頼った議論になることはご容赦願えればと思います。
 さて、小池先生の所論が一貫して(「欧米型は実は日本型と同じなんだ」とまで端的にいえるかどうかは別として)「日本型とされるものは決して日本独自のものではなく欧米でもふつうにみられるもの」というものであったことには私も同感です。それが(hamachan先生も慎重にカギ括弧をつけられているように)「常識はずれ」の理論であったかどうかは別として、当時(多分に現在も)往々にして見られた「日本的雇用慣行は日本独自であり諸外国にはみられない」という意見に対しては通説破壊的ではあったのでしょう。
 一方で、少なくとも90年代の労働研究者の間ではこの小池説は比較的率直に受容されていたようにも見えるわけで、たとえば、八代尚宏先生は1997年の名著『日本的雇用慣行の経済学』でこのように明確に述べておられるわけです。

 一般に、「日本的」と称される雇用慣行の特徴としては、長期的な雇用関係(いわゆる終身雇用)、年齢や勤続年数に比例して高まる賃金体系(年功賃金)、企業別に組織された労働組合、などがあげられる。これら企業とその雇用者の間の固定的な関係は、かつては雇用者の企業への忠誠心を確保するメカニズムとして理解された時期もあった。しかし、欧米の企業でも、雇用の固定性は必ずしもめずらしいわけではなく、日本と欧米諸国との雇用慣行の違いは、質的な違いよりも、それがどの程度まで企業間で普及しているかの量的な違いにすぎない
八代尚宏(1997)『日本的雇用慣行の経済学』p.35、強調引用者)

 この時期の小池説も(おそらく米国における内部昇進制の後退が背景となって)、日本ではブルーカラーにもホワイトカラー的な人事管理が拡大されているといった量的側面に着目していたのではないかと思います。少なくとも私の理解はそういうものなので、hamachan先生の(hamachan先生が想定される)「小池ファン」なるものは無意識に小池説が「いやいや日本型の方が効率的で人間的で素晴らしい、という考え方」に立っているが、実際の小池説は「日本は全然特殊ではない」というものだ、というすぐれて質的な立論にはかなりの違和感を覚えます。
 それに続く知的熟練論批判については、たしかに小池先生がhamachan先生の重視される(政治的な)集団的労使関係によるルール形成についてあまり関心を払ってこなかったことは事実なのだろうと私も一応は思います。ただ、それに対してhamachan先生が(おそらくは仮説段階の)文献をあれこれと引用して小池説は「労使関係論なききわめて純粋経済学的な議論」であり「多くの人は小池氏を実証的労使関係論者だと思っているよう」だがそうではない、と主張されていることにはやはり違和感を禁じえません。小池先生が(集団的関係とは異なる)職場におけるミクロの労使関係(人材育成をふくむ人事管理)に非常に重要な関心を持たれ、多数のていねいな聞き取り調査を重ねておられたことは私は経験的に承知していますし、大半の(笑)労働研究者の共通理解でもありましょう(たとえば、hamachan先生が完全無視しておられる2001年の『もの造りの技能-自動車産業の職場で』を参照ください)。こうした調査をもとに構築された知的熟練論の有用性は私には疑いようのないものに思えます(実証されたといえるかどうかは私には判断のつかない問題です)。
 さてhamachan先生は「リストラ時の企業行動は、中高年の「知的熟練」を幻想だと考えていることを明白に示している」と知的熟練論の無用性を断罪されるわけですが、これについてもきわめて違和感が強いと申し上げざるを得ません。
 まずそもそもの話として、hamachan先生も引かれているように知的熟練の中核的な指標は(a)経験のはばと(b)問題処理のノウハウとされているわけですが、そのレベルはどの程度であるかといえば、上記小池ほか(2001)によれば「トラブルの原因を推理し、解決することができる」あるいは「新しい生産設備の設計を見て、現場における問題点を予想できる」というもの(「ひとつのスイッチを押すにも、機械体系全体の仕組みについての理解が要求され」るというのもそういうことでしょう)であるわけです。さすがにここまでの水準に達した技能者が通常のリストラでそのターゲットになるということは考えにくいように思われるのですがどんなものなのでしょうか。
 もちろん、そこまでハイレベルではないけれどそこそこの知的熟練を持つ中高年、という人は相当数いるわけで、hamachan先生のご所論もそのあたりを念頭に置いておられるのかもしれません。

 正確に言えば、白紙の状態で「入社」してOJTでいろいろな仕事を覚えている時期には、「職務遂行能力」は確かに年々上昇しているけれども、中年期に入ってからは必ずしもそうではない(にもかかわらず、年功的な「能力」評価のために、「職務遂行能力」がなお上がり続けていることになっている)というのが、企業側の本音でしょう。

 たしかに「知的熟練を形成するような賃金制度」(≒職能資格給)が、中高年の賃金が割高なものになりやすい制度でもあることは事実です。そもそも勤続奨励的な後払いになっていることに加えて、中高年になるとポスト詰まりや仕事詰まりが発生して能力≒賃金に見合った仕事を付与できないことが増えてくるという事情があるからです(平均的にみれば、中高年であっても能力は上がり続けている「ことになっている」のではなく、実際に上がってはいるものの、それを発揮できるポストやポジションにつけないために明示的になっていないだけではないかと思います)。いずれにしても、中高年の賃金はその一時点だけで見れば割高であり、かつ人材的にもオーバースペックなので、リストラの対象になりやすいことも自然といえるでしょう。
 これは量的な問題であり、そこそこの知的熟練がある人が今100人いるけれど、今後は80人しか必要ありませんということになれば、今現在賃金が割高な人(多くは中高年)がリストラ対象になるというのは普通の話であり、特段それで知的熟練の価値が落ちるわけではないでしょう。これは別段知的熟練以外の能力と同じだろうと思います。
 これに対して「せっかく育成した人を手放すのはもったいないと思いませんか、また育てるのは大変だと思いませんか、やりすぎると育てられなくなると思いませんか」というのが小池説であるわけですが、これはまあ一時的な不況を乗り切ればその後はまた元に戻ってさらに成長が見込めるということであればそうかもしれませんという話でしょう。これが不可逆的な空洞化のようなケースであれば、もったいなくもなければ当座育てる必要もないということで人員整理に踏み切ることになるでしょうし、今後育ってくることを考えれば足元では必要以上の人数を整理することになるかもしれません。
 とはいえ、それをもって「「リストラ時の企業行動は、中高年の「知的熟練」を幻想だと考えていることを明白に示している」と言い切れるのでしょうか。hamachan先生は「小池理論は中高年の高賃金を知的熟練論で論証」したと書かれていますが、そもそも知的熟練だけが熟練ではないわけですし、熟練とはまた異なる能力というものもあるのであって、企業がすべての中高年が高賃金に見合う知的熟練を有しているなどと考えていたわけはなかろうと思います。知的熟練自体は実体のあるものですが、全員が知的熟練を有する(ようになる)と考えるのはたしかに幻想です。しかし、そんな幻想は本当にあったのでしょうか。あったとしても、せいぜい交渉事の中で労組が持ち出して、経営が一部乗りましたという程度の話ではなかったかという気がします。
 なお、小池説が宇野理論に大幅に依拠・立脚しているとの分析は(偉そうな言い方で申し訳ありませんが)さすがhamachan先生!という感じで非常に興味深く読みました。なるほど、一部の論敵が小池説を執拗に論難・罵倒するのはそういう背景があるからか…などと妙に腑に落ちるものがあります。「大半の」のくだりで笑ってしまったのもその話で、まあ、私がリアルで経験したことまで「それはお前の夢の中の話だ、違うというなら写真を出せ」とか言われてしまうと困るよなあと(もちろん実際に言われているわけではない)。
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