正社員の壁

 昨日の日経新聞から。1面トップで大々的に「「正社員の壁」人手不足でも」「非正規から転換7%どまり 格差固定の懸念」となっております。以下見ていきましょう。

 非正規社員から正社員への転換が進まない。…人手不足感は高まっているのに、人材のミスマッチで非正規からの採用は伸び悩む。日本は主要国に比べて正規と非正規の給与の差が大きい。日本全体の賃金が低い要因になっている。
 …リクルートワークス研究所によると正規雇用を望む非正規のうちで2022年に正社員になったのは7.4%だった。調査を始めた16年から横ばいのままだ。
 総務省によれば非正規は22年に2101万人いる。前年より26万人増えた。正社員は1万人の増加にとどまり、雇用者全体に占める非正規の割合は36.9%まで上昇した。シニア雇用の増加もあるが、「派遣切り」が社会問題化したリーマン・ショック直後の09年よりも3.2ポイント高い。
(令和5年1月21日付日本経済新聞朝刊から、以下同じ)
https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20240121&ng=DGKKZO77836590R20C24A1MM8000
↓電子版で無料記事になっていました。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUF012UZ0R01C23A2000000/

 「7.4%」の元ネタはリクルートワークス研究所の「定点観測 日本の働き方」のようで、現状 https://www.works-i.com/sp/teiten/ に掲載されています。
 これを見ると、「不本意正規雇用者の正規転換比率」は2018年から2022年にかけて8.0%→8.4%→7.0%→6.8%→7.4%と「7%前後にとどま」っています。ただ、同じ表を見ると「非正規雇用者に占める不本意非正規の比率」は同期間で12.8%→11.6%→11.5%→10.7%→10.3%と明らかに低下しています。「リーマン・ショック直後の09年よりも3.2ポイント高い」はそのとおりとしても、同じ表の「非正規雇用者の比率」をみると近年は37.9%→38.3%→37.2%→36.7%→36.9%と横這いないし微減なので、どうやら「サチってきた」のではないでしょうか。全体としては改善のしている方向であるとは言えると思います。
 もちろん不本意非正規は解消されることが望ましく、記事によれば「帝国データバンクの23年の調査では正社員不足と答えた企業は52%」「エン・ジャパンの転職サイトを通じた正社員から正社員への転職数も22年は5年前の4倍」とのことで受け皿はあるようです。ではなぜ進まないかというと、記事はこう述べます。

 法政大学の武石恵美子教授は「企業は転職者に即戦力を求める傾向が強い。期待値の高さが正社員になるハードルを上げている」と語る。
 企業にとって正規は非正規よりも待遇が手厚いうえ、長期雇用が前提だ。ビジネススキルの教育も正社員のみに施すことが多い。非正規からの転職者を採用しようにも求める技能と見合った人材が少ないのが現状だ。…
 日本は正規と非正規の給与格差が大きい。…職務内容が同じなら雇用形態にかかわらず待遇も同じにする「同一労働・同一賃金」をまず徹底する必要がある。そのうえで正社員への転換を増やさないと、賃上げが続いても経済格差が埋まらず、社会の階層化が進みかねない。補助金だけでなく、非正規の技能や知識を高める官民一体となった職業教育の仕組みづくりが欠かせない。

 武石先生が指摘されるとおり、企業が正社員を中途採用するのであれば、すでにいる他の正社員と同様のパフォーマンスを求めるのは自然な話でしょう。ここで問題になるのは、同様のスキルだけではなく同様の働き方が求められるということで、時間外労働や勤務場所(転勤を含む)、職務変更などに柔軟に対応することが求められるわけですね(武石先生も転勤に関連してここを強く問題視されていたと思う)。だから、これまでもそうした働き方をしてきた正社員は正社員として転職できる可能性が高く、実際増えてもいる。一方で、不本意非正規の中には、賃金が比較的高く雇用が安定した正社員を希望するものの、転勤や職務変更はできればないほうが…と考える人も多いだろうと想像します(すみません想像なのでそうではないという証拠を見せられれば恐れ入る準備はあります)。省略してしまいましたが日経新聞が挙げた事例(社労士事務所)もおそらくそうではないかと。
 それを考えると、日経新聞が気楽に書くような「職務内容が同じなら雇用形態にかかわらず待遇も同じにする「同一労働・同一賃金」をまず徹底する必要がある」では解決にならないことは明らかでしょう。これも省略してしまいましたが記事では正規非正規賃金格差の欧州主要国との比較も掲載されており、ということは欧州型の同一労働同一賃金を念頭に置いているものと思われます。これがそもそも「職務内容」に多分に働き方やキャリアの要素が入り込んでいるわが国の労使慣行下で現実的なのかということについてはこのブログでも過去繰り返し書いてきましたし、実際いまわが国で推進されている(のか?)いわゆる「同一労働同一賃金」もそういうものにはなっていないわけですね。要するに、同一労働同一賃金を根拠に非正規雇用の賃金水準を正規雇用にあわせていくことはかなり難しい。逆にそれができれば正社員に転換しなくても賃金は上がるわけで(まあ賃金以外の労働条件は異なるにしても一長一短はあるはず)。
 となると、欧州主要国のように正社員の働き方を非正規に近くして同一労働同一賃金を徹底するという話になるのでしょうが、これは明らかに正社員の賃金を下げる方向に働くはずです(実際、近年いわゆる「ジョブ型」を標榜して賃金改革に取り組む企業の多くの問題意識は実際の貢献度に較べて賃金が高すぎることにあるわけで)。でまあこれは正社員を非正社員化して格差を縮小するという話になるわけで、不本意非正規の人がなりたいと思っている正社員ってそういうものなのかしら。というか、そもそも日経新聞ご自身が「日本全体の賃金が低い要因になっている」と言っているのにさらに「日本全体の賃金」が下がる施策を主張してるのは矛盾しているのではないかと。
 ではどうするか、というと私に妙案があるわけではないのですが、これも繰り返し書いているように正社員の多様化ではないかと思っています。記事も(これまた省略部分ですが)有期5年無期転換について触れていますが、これも短時間限定・職種限定の「正社員」と考えることもできるでしょう。このままだと雇用が安定するだけで(大きな改善だと思いますが)賃金が自動的に上がるとはまいらないわけですが、長期の勤続が見込めるということになれば企業としても教育訓練のインセンティブが高まり、その結果より高度な仕事について賃金が上がる可能性もあるかもしれません。他にも、勤務地限定の「正社員」はすでに多くの企業で導入事例があります。これら「限定正社員」は従来型の正社員ほどにはキャリアや労働条件は上昇しないことが多いにしても、非正規雇用からの移行は比較的容易だろうと思うわけです。

解雇保険?

 今年はグローバルに金融政策の大きな転換があるだろうとのことで、わが国でも日銀の動向が注目を集めています。これを背景に、金利上昇にともなう倒産増に備えた政策が必要であると日経電子版の記事が訴えています。お題は「「金利ある世界」が迫る労働改革 倒産2割増への備え」となっており、水野裕司編集委員の署名がありますね。

 日銀が異例の金融緩和策を転換して「金利ある世界」が戻ってきたときに、懸念されるのは企業倒産の増加だ。人手不足による人件費上昇も背景に、経営破綻の件数は2割増えるとの試算がある。従業員が突然失業という事態に直面するのを防ぐには、成長力を失った企業に人材が抱え込まれた現状を改めなければならない。労働政策の見直しが必要になる。
 日本総合研究所が、人件費増と借入金利上昇が企業に及ぼす影響を試算した。
…全国の月間の企業倒産件数は、3%の人件費増、2%の借入金利上昇で23年10月(793件)に比べ、17%増(928件)となる見込みだ。中小企業、零細企業を中心に増加する。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA01CBP0R01C23A2000000/、以下同じ)

 続けてこの試算の概要が紹介されているのですが、残念ながら情弱な私がざっと調べた限りでは元ネタには到達できませんでした。ただ、日経電子版の別の記事(https://www.nikkei.com/article/DGKKZO77225830T21C23A2EA2000/)に「日本総合研究所井上肇氏」の試算とあり、同所調査部マクロ経済研究センターが昨年11月30日に公表した「日本経済見通し」(https://www.jri.co.jp/MediaLibrary/file/report/researchreport/pdf/14648.pdf、【ご照会先】に国内経済グループ長井上肇とあります)に同旨の記載がありました。このレポートはまたあとで参照します。
 ただまあ月間793件の倒産が928件に増えるということで、135件の増加ですね。12倍して年間1,620件の増加になりますか。記事にも「中小企業、零細企業を中心に増加」とあるように、これで失業者がどれほど増えるかというと、それほど大騒ぎするほどの数字かという気がしなくもありません。高めに見積もって1社平均50人としても約80,000人というところで、それで完全失業率を0.1%押し上げるくらいの影響でしょうか。
 「2%の金利上昇」というのもいつの話なのさとは思うわけで、日経電子版のほうも「「借入金利の2%上昇はだいぶ先になる」と日本総研の西岡慎一・上席主任研究員はみる」との見解を紹介していますね。そのうえで「とはいえ、企業破綻の増加にいまから備え始める必要はある。最も重要なのは従業員の雇用と収入の安定だ」と主張しています。収入の安定にアタマが回るようになったのはなかなかの進歩と申せましょう。
 さて具体策でとしてはまず雇調金をやり玉に上げます。

 まず、業績不振の企業でも従業員を抱え込みがちになる構造を変える必要がある。従業員を休ませて雇用を守ろうとする企業に対し、休業手当の費用を助成する雇用調整助成金は、雇用を維持するだけの収益力や成長力のない企業もいたずらに支援する側面がある。
 従業員にとっても、待遇改善が期待薄の企業で雇用が確保されるのは、決して歓迎できることではない。人手不足の度合いが強まっている業種は企業が採用に積極的で、賃金も上昇中だ。雇調金制度は結果として従業員保護につながっていない面がある。被災した企業が雇用を維持する場合などを除き、制度の見直しが求められる。

 雇調金は本来一時的な過剰雇用(それこそ被災した企業が復興までの間従業員を休業させるとか)を対象とした助成であるわけですが、東日本大震災の際にも雇調金を受給したものの結局倒産しましたという例もあったようなので、ご指摘のように「いたずらに支援する」(いたずらに、ねえ)結果となることはあるのだろうと思いますし、そこに改善の余地があることは否定しません。一方で「従業員にとっても、待遇改善が期待薄の企業で雇用が確保されるのは、決して歓迎できることではない」というのは余計なお世話もいいところで、子育てが終わってリタイヤが近づいてきた労働者などでは、いやいやもう待遇改善なんか期待してません雇用の安定を望んでいますという人もいるはずです。逆に待遇改善を期待して「採用に積極的で、賃金も上昇中」の企業に移動する人は別に企業が雇調金を受給していようがいまいが移動するでしょう。「結果として従業員保護につながっていない面がある」といいますが、「いやー私は勤務先が雇調金を受給しているせいで保護に欠けていて困ってるんですよどうにかなりませんかねえ」と自分から言う人、どのくらいいるのかしら。100人くらい連れてきてくれれば納得しますが。
 そして出ましたお得意の日経節。

 成長力を取り戻すのが難しいと自ら判断する企業が増えるなら、早めに従業員の雇用を打ち切って再就職を促す動きが広がることも考えられる。
 労働者保護の観点からは、企業が従業員に一定の算定方法のもとで金銭を支払って、雇用契約を解消する「解雇の金銭解決」の制度化が欠かせない。中小企業は退職金制度が整っていないケースも多い。従業員への補償の充実に向けて、欧州諸国では一般的なこの制度の導入を急ぐべきだ。

 金利が上昇して倒産増が不可避という局面(の話をしてるんだよな?)で「成長力を取り戻すのが難しいと自ら判断する」のであれば「早めに従業員の雇用を打ち切って」人員整理に踏み切るというのはまことにそのとおりであり、実際問題として現に多々行われているところでもあります。倒産回避のための人員整理は(人選の合理性などの要件はあるものの)まったく正当な解雇であって解決金の支払を要するものではありません。もちろん労働者保護の観点からなんらかの救済が行われることは必要でしょうが、それを「成長力を取り戻すのが難しいと自ら判断する」ような支払能力のない企業に負担させることは無理でしょう。雇用の金銭解決が労働者保護のために必要との論は、hamachan先生が『日本の雇用終了』でまとめられているような、中小企業などを中心に解雇権濫用法理などお構いなしに恣意的に解雇が行われている実態を踏まえたもので、解雇時にまとまった金銭を得られるという観点と、高額の解決金を設定することで恣意的な解雇を抑止するという観点から主張されているものだろうと思います。
 もっとも日経も支払能力のことは承知しているようで、こう主張します。

 企業にとって補償額の負担が重くなる場合に備え、「解雇保険」の制度化という案も出ている。労働者災害補償保険労災保険)のように企業から保険料を徴収して補償金に充て、企業負担をなるべく均等にしようというものだ。一考に値する。

 いや、そんな案出てるんですか?私は不勉強にして初耳でしたが…。とりあえず情弱な私がウェブ上をあれこれ検索した限りではそれらしきものは見当たらないのですが…。
 それはそれとして、この「解雇保険」なるものが意味するのは事実上の解雇の自由化ということになるでしょう。一定のカネを支払うことで不当解雇が不当でなくなる(解雇の金銭解決というのは実質そういうものでしょう)、そしてそのカネは「解雇保険」という他人の財布から出てくるわけですから、企業はなんら負担なく解雇を正当に行えるということになります。だったらいっそのこと解雇を自由化すると同時に雇用保険を大幅に拡張して失業一時金の創設とか求職者給付の拡充とかやればよい。それはそれで「一考に値する」かもしれませんが、「解雇保険」とか担ぎ出すのは欺瞞的だと思わなくもない。
 さて記事は続けて職業紹介機能の強化を訴えているのですが、一般論は格別、

 国は「jobtag(ジョブタグ)」という職業情報提供サイトを開設しているが、職業ごとに必要なスキル(技能)をもっと具体的に説明し、どんなレベルのスキルがあれば年収がいくら見込めるかといった情報も丁寧に伝える必要がある。求職者の立場に立った提供情報の充実が望まれる。

 これはさすがにないものねだりも過ぎるような気がします。まあ職業によって多様だろうとは思うのですが、職能給中心の賃金体系においては「どんなレベルのスキルがあれば年収がいくら見込めるか」を示すのは無理でしょう。それこそ日経が推奨する「ジョブ型の職務給」が普及してこないと難しいだろうと思います。
 最後は中小企業保護の在り方について苦情を申し立てておられるのですが、これについては私もよくわかりません。ただまあつぶせ、つぶせというよりは合併などを通じて効率を上げていくという方向性は望ましいのだろうと思います。
 そこで最後に日本総研の「日本経済見通し」に戻りますと、このレポートは最後に「労働力の確保と生産性の向上による供給力強化」「外国人労働者の受け入れ拡大」「中小企業の省力化投資の支援」「企業の新陳代謝促進」を提言しています。倒産2割増は「企業の新陳代謝促進」の部分で引かれているのですが、「政府や金融機関においては、経営不振企業の早期の事業再生や廃業からの再挑戦へ支援をしていくことが求められる」と述べるにとどまっていて、さすがに解雇の金銭解決とか「解雇保険」とかは書いてありませんね。まあ日経としてはその具体策を親切に提案・解説したというところでしょうが、ここは日本総研の名誉のためにひとつ。

OECD、日本に定年制廃止提言

 一昨日(11日)OECDが、本年版のEconomic Survey of Japanを発表したということで、昨日の日経新聞が記事にしています。見出しは表題の「OECD、日本に定年制廃止提言」と「働き手確保へ女性活躍を」となっておりますな。

…定年の廃止や就労控えを招く税制の見直しで、高齢者や女性の雇用を促すよう訴えた。成長維持に向け、現実を直視した対応が求められる。
OECDは高齢者や女性、外国人の就労底上げなどの改革案を実現すれば出生率が1.3でも2100年に4100万人の働き手を確保できると見込む。…
 高齢者向けの具体策では、定年の廃止や同一労働・同一賃金の徹底、年金の受給開始年齢の引き上げを提示した。
 OECD加盟38カ国のうち、日本と韓国だけが60歳での定年を企業に容認している。米国や欧州の一部は定年を年齢差別として認めていない。
(令和6年1月11日付日本経済新聞朝刊から)

 ということで、記事中の表で「OECDの日本への主な提言」がまとめられていて、「働き手の確保」に関するものとして以下5点が示されています。

  • 定年制廃止による高齢者就労底上げ
  • 年功序列賃金からの脱却
  • 年収の壁など就労控え招く制度の廃止
  • 同一労働・同一賃金の徹底
  • 非正規労働者の被用者保険の適用拡大

 さてこの提言ですが、OECDのウェブサイト(https://www.oecd.org/economy/japan-economic-snapshot/)でサマリーを読むことができますので、さっそく見てみますと、全12ページのサマリーのうち8・9ページが「人口動態の逆風を抑えるには多角的な改革が必要」というテーマにあてられており、11ページには人口動態の逆風への対応に関する主な提言として以下が掲載されています。ボールドで強調された6点をご紹介しましょう。

  • すべての親への(育児休業)給付を引き上げ、企業に対象従業員の休暇取得率の開示を義務付けることで、父親の育児休暇の取得と期間を増やすべき。
  • 正規労働者の雇用保護を緩和し、透明性を高めることで、二元的労働市場を打破すべき。
  • 社会保障の適用拡大や訓練を非正規雇用労働者に拡充すべき。
  • 定年廃止を念頭にさらに定年を引き上げ、働き方改革における同一労働同一賃金規定の全労働者への適用を図るべき。
  • 平均余命の上昇に合わせて年金支給開始年齢を65歳の目標を超えて引き上げることで、就労インセンティブを強化し、年金給付を増やし、財政コストを削減すべき。
  • 差別を防止し、教育や住宅へのアクセスを改善することなど、移民を統合するための包括的な戦略を実施し、日本の外国人労働者誘致能力を向上させるべき。

 日本語訳がぎこちないのはまあ致し方ないところでしょうがずいぶん違わないかこれ。もちろん読者のために簡潔にまとめましたと言うのであればそうすること自体は十分ありうるでしょうが、しかし内容が大きく変わるようなまとめはいかがなものか(お、久々に使ってしまった)とは思います。たとえば最初の「定年制廃止による高齢者就労底上げ」ですが、OECDは「定年廃止を念頭にさらに定年を引き上げ」と段階的な移行を提言しているわけですよ。ところが、そのニュアンスは表だけではなく記事本文でも「高齢者向けの具体策では、定年の廃止や同一労働・同一賃金の徹底、年金の受給開始年齢の引き上げを提示した。」捨象されてしまっている。これはまずいでしょう。
 2番めの「年功序列賃金からの脱却」も終身雇用や定年制(ほぼ同じですが)とセットで上げられるにとどまり、次の「年収の壁」に至ってはサマリー中では使われていない用語です(社会保障の適用拡大の記載のみ)。「同一労働・同一賃金の徹底」についてもサマリーには「徹底」の語はなく、まあ「同一労働同一賃金をふくむ働き方改革の継続」と「同一労働同一賃金規定の全労働者への適用」を「徹底」と表現したのだと言われればそうかねえと思わなくもありませんが。ということでOECDのオリジナルのサマリーと一致しているのは最後の「非正規労働者の被用者保険の適用拡大」だけということになり、しかも父親の育児休暇とか外国人労働とか二元的労働市場の打破とかOECDが強く記載しているものが落ちてしまっている。さすがに恣意的すぎるのではないかと思うのですが違うのかしら。ちなみにこれはさほど強調されていないので悪いたあ言いませんが「正規労働者の雇用保護の緩和」など日経新聞が好きそうなものも記事化されていないのも不思議な感じです。
 もちろん記者の方はサマリーではなく全文を読んで書かれているはずなので、いやサマリーには出てこないけど本文ではしっかり議論され指摘され提案されているのだということであれば上記の評価は撤回しますが、しかし本文とサマリーがそこまで大きく異なることもなさそうな気がしますが…。
 さてOECDの提言についてですが、年金支給開始年齢の引き上げはおそらく避けられないでしょうし、そうなると雇用と年金の接続を考えなければいけないというのももっともでしょう。方法論として定年の廃止がいいのかどうかは議論がありそうですが、正規労働者の雇用保障の緩和がセットにすればいいというのはOECDらしいと言えそうです。大事なことはまさに「定年廃止を念頭にさらに定年を引き上げ」とあるように漸進的に取り組むということの方ではないかと思います。実際、わが国でもすでに70歳継続就労努力義務化が始まっているわけで、これで67歳、68歳まで就労する人が一定程度増えてきたら年金支給開始年齢の引き上げに取り組む。それも65歳引き上げの時と同様に移行期間を十分にとって漸進的に進めることが肝要でしょう。OECDも2100年の議論をしているのですからこれでゆっくりすぎるということもないのでは。
 その上で注目すべきなのは「高齢労働者のリ・スキリング施策を伴うべき」との指摘であり、すでにわが国でも60歳以降の定年後再雇用では賃金水準が相当に引き下げられ、職務給に近い運用も拡大しているので、それほど高度なリスキリングでなくても賃金に相応の仕事ができるのではないかと思うわけです。能力に見合った仕事やポストにあぶれた中高年をリスキリングしても高い賃金水準に見合うスキルを獲得することは難しいでしょうが、賃金を下げてしまった高年齢者であればいけるでしょう。で、おそらくはそういう「新技術を持った低賃金の労働者」というのが実は不足しているのではないかと思うわけですね。
 労働市場の二元化の打破についても重要な課題ですが、対応の方向性はサマリーでは詳細に述べられていないため不明です。「働き方改革における同一労働同一賃金規定の全労働者への適用を図る」ということで、まあ正規労働者についても職務給的な賃金というのが想定されているのかもしれません。ただまあいきなり米英のような労働市場にするのも無理というもので、やはりプロセスが重要ではないでしょうか。こちらも現実に各労使の努力で徐々にそちらの方向に進んでいることも事実である一方、伝統的な正社員もすぐにはなくならないでしょうから、多様化を通じて徐々に変革が進むというのが現実的だろうと思います。

日本労働研究雑誌1月号

 (独)労働政策研究・研修機構様から、『日本労働研究雑誌』1月号(通巻762号)をお送りいただきました。いつもありがとうございます。

 今年の表紙は何色というのでしょうか?
 さて今号の特集は「健康経営」です。政策投資銀行が「健康経営融資」を始めたのが2012年、その後電通事件や一連の働き方改革、新型コロナ禍などを経て、近年では専任の推進組織を設置する例もあるなどかなり定着した感があり、効果測定なども可能になってきているようです。勉強させていただきます。

昭和と令和

 あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
 さて新年早々からなんですが(笑)日経新聞ネタをひとつ。元日の1面に大々的に「解き放て」という見出しが躍っていてへえへえと思ったところ案の定人事管理の話であり、なんか日経新聞は毎年元日に雇用の話をしているような気がするのですがそうでもないのかしら。
 今年はいわく、「2024年、日本は停滞から抜け出す好機にある。物価と賃金が上がれば、凝り固まった社会は動き出す。日本を世界第2位の経済大国に成長させた昭和のシステムは、99年目となると時代に合わなくなった。日本を「古き良き」から解き放ち、作り変える。経済の若返りに向け反転する。」とのことで、まあそうだよねという話なのですが、具体的になにを書いているかというとこうです。

 「昭和」をやめ、若い力を引きだそう。
 すべてのプロジェクトは挙手で参加でき、入社2年目からリーダー。建設IT(情報技術)サービス企業の「現場サポート」(鹿児島市)は経営計画も全員でつくる。社員82人の3割が20代。福留進一社長は「伝統的な日本の大企業は、戦略ありきで必要な人を集めてきた。我々は社員が得意なことを生かしたい」と話す。売上高は5年で3倍だ。
(令和6年1月1日付日本経済新聞朝刊から、以下同じ)

 いやそれ昭和そのものだから。高度成長期の日本企業というのは、それこそ「3割が20代」(もっとか?)で、工業高校を卒業した10代の若者が、輸入設備の英文の取扱説明書を辞書片手に読みながら運転し保守していたわけですよ。「伝統的な日本の大企業は、戦略ありきで必要な人を集めてきた」というのは実は真逆で、「この人はこれだけの能力があるからそれが生きる仕事につけたい」(そしてできれば少しストレッチした仕事を付与して成長させたい)というのが「伝統的な日本の大企業の」人事管理であり、どちらかというと「社員が得意なことを生か」す方向だったわけです。ところが平成に入って低成長となり、企業組織の拡大も止まってスト詰まりや仕事詰まりが深刻になったことでそれが難しくなったというのが2000年前後の成果主義騒ぎの背景になっていたわけですね。でまあ最近ではいよいよもう無理ですという話になっていて、人材版伊藤レポートでは「経営戦略と人材戦略の連動」すなわち「戦略ありきで必要な人を集め」ようという話になっているわけですよ。まあこれはこの会社の社長さんが言った話ということなので日経さんには直接の責任はありませんが、日ごろあれだけ伊藤レポートやら人的資本投資とか持ち上げているのだから、しっかりチェックしてほしかったなあと思わなくもない。
 続けてこういうのですが、

 昭和の慣習が邪魔だ。下積みを経て仕事を覚え、社歴とともに責任が増して処遇が上がる人事制度は、全ての人の力を十分に引き出せない。昭和の年功序列は、熟練の労働者ほど高い賃金にすることで、生産性の向上と働き手の定着を図った。経験が重要な製造現場では通じても、技術が急速に進歩するデジタル分野には合わない。

 ここが悩ましいところで、技術進歩に応じて新しいスキルを獲得しなければならないデジタル分野などでは学び直しが重要となるわけですが、学び直すたびに初心者になってしまうので賃金が上がりにくいという構造があるのではないかと思うわけですよ。だったら初心者に高給を払えばいい(まあ最新スキルにそれだけの価値があるなら当然ですが)といいたいのかもしれませんが、しかし実際それって現実的なのかとも思う。さきほどの社長さんは「3割が20代」のみなさんにどれだけの賃金を支払っているのかしら。
 となるとプロジェクト管理とか人材活用とか別の観点から賃金を上げていくことを考えていかなければならないわけで、それは相変わらずそれなりに経験がモノをいう世界になってきてしまうというのが難しいところかなと思います。各企業の実情に応じて考えるしかないわけで、それが「経営戦略と人事戦略の連動」ということでしょう。まあ各社とも日経新聞に言われるまでもなくやっていることだとは思いますが。
 さてそのあとはクールジャパンを世界で売りまくれとか有能な外国人を呼び寄せろとか農地の集約を進めろとか、わりといいことが書いてあります。特に芸能は人的資本で稼げる分野で投資対効果が高いので有望でしょう。高度外国人もいいのですが言語の問題があり、さすがにこのレベルで日本語能力を求めるのは難しい(したがって米国に採り負けるわけで)ので英語が通じるコミュニティと通じないコミュニティの分断が広がる可能性はあります。それがどれほど問題なのかは私には見当もつきませんが格差拡大の道ではあるでしょう。農地の集約はそれ自体も重要ですがもっと重要なのはプロセスだと思うところで、農家が高齢化してそのままでは後継者がいないということで徐々に進んでいるわけですね。毎度書いていることですが、改革はたしかに重要だけど人間がついていけるスピードでやることが大切だと思います。
 続けて例によって「痛みを伴う変化を好まず、停滞をもたらした責任は政治にもある。」ときてあ~あと思うわけで、いや本当に痛みが好きだねえ。ただ続く事例は広域行政で痛みを伴う感じはあまりしないな。やはりなにごとも痛みは少ない方が進みやすいというのは当たり前の話でしょう。最後は冨山和彦氏が登場して「革命的な転換はしないという国民的な選択が安定と停滞を生む」と不満を表明しておられますが、まあ「革命的な転換」とか発言する人もそうはいないから毎度冨山氏になるのでしょうな。
 ということで日経さんは「昭和99年」ということで大々的な新春特集を組むようですが、さてどんなものになりますか。冒頭の例を見るとそもそも昭和と令和の理解に疑問がありそうですが、まあ現在と今後を語るにはそれほど問題ではないでしょうからほどほどに期待して続報を待ちたいと思います。

今年の10冊

 某財閥系シンクタンクの案件で年末締切の報告書原稿があって少々難儀していたのですがなんとか無事入稿しました。分担執筆なので年明けに泊まり込みで袋叩きにあう予定なのですがとりあえず一息。ということで年末恒例のこれを。例によって1著者1冊・著者五十音順です。

上野善久『成熟産業の連続M&A戦略:ロールアップ型産業再編の手引き』

書評はこちらです。
上野善久『成熟産業の連続M&A戦略』書評 - 労務屋ブログ(旧「吐息の日々」)

清水俊史『ブッダという男ー初期仏典を読みとく』

 お察しのとおり(笑)本書のあとがきにある経緯がX(旧Twitter)のタイムラインに流れてきたので野次馬根性を起こして読んでみたのですがたいへん面白かった。私のようなまったくの部外者・初心者でも楽しく読める一冊です。

高崎美佐『就活からの学習-大学生のキャリア探索と初期キャリア形成の実証研究』

ご紹介はこちらにあります。
高崎美佐『就活からの学習』 - 労務屋ブログ(旧「吐息の日々」)

鶴光太郎『日本の会社のための人事の経済学』

ご紹介はこちらにあります。
鶴光太郎『日本の会社のための人事の経済学』 - 労務屋ブログ(旧「吐息の日々」)

中村秀生『韓国貯蓄銀行再建日記』

仕事の関係で(なぜだ)愛知県の某名門公立高の同窓会報を読んだところ著者の講演録が掲載されており、それで興味を惹かれて買って読んでみたのですが非常に面白く、思わず一気読みしました。著者は元SBIホールディングスの方で(明記はされていませんがすぐわかるので書いてもいいでしょう)、大幅に経営が悪化していた出資先の韓国の貯蓄銀行の再建に携わったドキュメンタリーです。法制度や国情の異なる中での企業再編や人事などに苦闘する姿が臨場感たっぷりに描かれています。

藤原成暁・八代克彦『図解 世界遺産ル・コルビュジェの小屋ができるまでーカップ・マルタンの休暇小屋、現地実測図面集』

埼玉県にものつくり大学という面白い大学があり、そこで取り組まれた「世界一小さい世界遺産カップ・マルタンの休暇小屋のレプリカ作成のプロジェクトの経緯をまとめた本です。現地に赴き、徹底的な実測を行い(「カメラを過信しない」との記述あり)、図面に落とし込んで、それをもとにして、工法や素材などもなるべくオリジナルに近いもので大学構内に再現したというもので、その勤勉さには感服するよりありません。この本ではそのプロセスを図版をふんだんに用いて紹介し、さらにそこから得られる多くの考察が論じられています。見て楽しく読んで興味深い一冊です。

守島基博・初見康行・山尾佐智子・木内康裕『人材投資のジレンマー形骸化した「人材立国」を立て直す』

日本生産性本部が実施した大規模調査(人材育成に関する日米企業ヒアリング調査およびアンケート調査)をもとに、日本企業が抱える人材育成の課題・問題点と今後の方向性を論じた本です。調査結果は興味深いものですが、取り組むべき課題が大変な難題である(だから「ジレンマ」なのであり)ことも明らかになっており、解決法も決して単純でも明確でもないわけですが、各企業・各人事担当者が事実に基づいて自社の人事施策を考える際には非常に参考になる本だと思います。

佐藤博樹・藤村博之・八代充史『新しい人事労務管理』第7版

 佐藤博樹先生・藤村博之先生・八代充史先生から、ご共著『新しい人事労務管理』第7版をご恵投いただきました。ありがとうございます。

 言わずと知れたわが国を代表する人事管理論のテキストで、「新しい」ということで4年毎に改訂が行われ今回第7版ということになります。私が今回もっとも目を引かれたのは実は「新しい」話題ではなく、「ベースアップと定期昇給」のコラムが追加されていたところで、あれこれまでこの話書かれていなかったのかと今さら気づきました。企業人事で賃金担当になると真っ先に研修などで学ぶ話なのですが、たしかに学部の教科書であればなくてもいいのかもしれません。
 もちろん新しい話題も追加されており、これまで処遇的専門職が解説されていた部分が丸ごと外資系企業の人事管理の例に置き換わっているのが目を引くほか、職務特性理論やアルムナイ制度のコラムが追加されるなどされています。構成面では各章の最初におかれていたサマリーがなくなり、代わって最後に置かれていたキーワードが最初に移動しているのは、あるいはページ数を抑制するという意味もあるのかもしれません。今後も継続的な改訂を期待したいところです。