正社員の壁

 昨日の日経新聞から。1面トップで大々的に「「正社員の壁」人手不足でも」「非正規から転換7%どまり 格差固定の懸念」となっております。以下見ていきましょう。

 非正規社員から正社員への転換が進まない。…人手不足感は高まっているのに、人材のミスマッチで非正規からの採用は伸び悩む。日本は主要国に比べて正規と非正規の給与の差が大きい。日本全体の賃金が低い要因になっている。
 …リクルートワークス研究所によると正規雇用を望む非正規のうちで2022年に正社員になったのは7.4%だった。調査を始めた16年から横ばいのままだ。
 総務省によれば非正規は22年に2101万人いる。前年より26万人増えた。正社員は1万人の増加にとどまり、雇用者全体に占める非正規の割合は36.9%まで上昇した。シニア雇用の増加もあるが、「派遣切り」が社会問題化したリーマン・ショック直後の09年よりも3.2ポイント高い。
(令和5年1月21日付日本経済新聞朝刊から、以下同じ)
https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20240121&ng=DGKKZO77836590R20C24A1MM8000
↓電子版で無料記事になっていました。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUF012UZ0R01C23A2000000/

 「7.4%」の元ネタはリクルートワークス研究所の「定点観測 日本の働き方」のようで、現状 https://www.works-i.com/sp/teiten/ に掲載されています。
 これを見ると、「不本意正規雇用者の正規転換比率」は2018年から2022年にかけて8.0%→8.4%→7.0%→6.8%→7.4%と「7%前後にとどま」っています。ただ、同じ表を見ると「非正規雇用者に占める不本意非正規の比率」は同期間で12.8%→11.6%→11.5%→10.7%→10.3%と明らかに低下しています。「リーマン・ショック直後の09年よりも3.2ポイント高い」はそのとおりとしても、同じ表の「非正規雇用者の比率」をみると近年は37.9%→38.3%→37.2%→36.7%→36.9%と横這いないし微減なので、どうやら「サチってきた」のではないでしょうか。全体としては改善のしている方向であるとは言えると思います。
 もちろん不本意非正規は解消されることが望ましく、記事によれば「帝国データバンクの23年の調査では正社員不足と答えた企業は52%」「エン・ジャパンの転職サイトを通じた正社員から正社員への転職数も22年は5年前の4倍」とのことで受け皿はあるようです。ではなぜ進まないかというと、記事はこう述べます。

 法政大学の武石恵美子教授は「企業は転職者に即戦力を求める傾向が強い。期待値の高さが正社員になるハードルを上げている」と語る。
 企業にとって正規は非正規よりも待遇が手厚いうえ、長期雇用が前提だ。ビジネススキルの教育も正社員のみに施すことが多い。非正規からの転職者を採用しようにも求める技能と見合った人材が少ないのが現状だ。…
 日本は正規と非正規の給与格差が大きい。…職務内容が同じなら雇用形態にかかわらず待遇も同じにする「同一労働・同一賃金」をまず徹底する必要がある。そのうえで正社員への転換を増やさないと、賃上げが続いても経済格差が埋まらず、社会の階層化が進みかねない。補助金だけでなく、非正規の技能や知識を高める官民一体となった職業教育の仕組みづくりが欠かせない。

 武石先生が指摘されるとおり、企業が正社員を中途採用するのであれば、すでにいる他の正社員と同様のパフォーマンスを求めるのは自然な話でしょう。ここで問題になるのは、同様のスキルだけではなく同様の働き方が求められるということで、時間外労働や勤務場所(転勤を含む)、職務変更などに柔軟に対応することが求められるわけですね(武石先生も転勤に関連してここを強く問題視されていたと思う)。だから、これまでもそうした働き方をしてきた正社員は正社員として転職できる可能性が高く、実際増えてもいる。一方で、不本意非正規の中には、賃金が比較的高く雇用が安定した正社員を希望するものの、転勤や職務変更はできればないほうが…と考える人も多いだろうと想像します(すみません想像なのでそうではないという証拠を見せられれば恐れ入る準備はあります)。省略してしまいましたが日経新聞が挙げた事例(社労士事務所)もおそらくそうではないかと。
 それを考えると、日経新聞が気楽に書くような「職務内容が同じなら雇用形態にかかわらず待遇も同じにする「同一労働・同一賃金」をまず徹底する必要がある」では解決にならないことは明らかでしょう。これも省略してしまいましたが記事では正規非正規賃金格差の欧州主要国との比較も掲載されており、ということは欧州型の同一労働同一賃金を念頭に置いているものと思われます。これがそもそも「職務内容」に多分に働き方やキャリアの要素が入り込んでいるわが国の労使慣行下で現実的なのかということについてはこのブログでも過去繰り返し書いてきましたし、実際いまわが国で推進されている(のか?)いわゆる「同一労働同一賃金」もそういうものにはなっていないわけですね。要するに、同一労働同一賃金を根拠に非正規雇用の賃金水準を正規雇用にあわせていくことはかなり難しい。逆にそれができれば正社員に転換しなくても賃金は上がるわけで(まあ賃金以外の労働条件は異なるにしても一長一短はあるはず)。
 となると、欧州主要国のように正社員の働き方を非正規に近くして同一労働同一賃金を徹底するという話になるのでしょうが、これは明らかに正社員の賃金を下げる方向に働くはずです(実際、近年いわゆる「ジョブ型」を標榜して賃金改革に取り組む企業の多くの問題意識は実際の貢献度に較べて賃金が高すぎることにあるわけで)。でまあこれは正社員を非正社員化して格差を縮小するという話になるわけで、不本意非正規の人がなりたいと思っている正社員ってそういうものなのかしら。というか、そもそも日経新聞ご自身が「日本全体の賃金が低い要因になっている」と言っているのにさらに「日本全体の賃金」が下がる施策を主張してるのは矛盾しているのではないかと。
 ではどうするか、というと私に妙案があるわけではないのですが、これも繰り返し書いているように正社員の多様化ではないかと思っています。記事も(これまた省略部分ですが)有期5年無期転換について触れていますが、これも短時間限定・職種限定の「正社員」と考えることもできるでしょう。このままだと雇用が安定するだけで(大きな改善だと思いますが)賃金が自動的に上がるとはまいらないわけですが、長期の勤続が見込めるということになれば企業としても教育訓練のインセンティブが高まり、その結果より高度な仕事について賃金が上がる可能性もあるかもしれません。他にも、勤務地限定の「正社員」はすでに多くの企業で導入事例があります。これら「限定正社員」は従来型の正社員ほどにはキャリアや労働条件は上昇しないことが多いにしても、非正規雇用からの移行は比較的容易だろうと思うわけです。