昭和と令和

 あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
 さて新年早々からなんですが(笑)日経新聞ネタをひとつ。元日の1面に大々的に「解き放て」という見出しが躍っていてへえへえと思ったところ案の定人事管理の話であり、なんか日経新聞は毎年元日に雇用の話をしているような気がするのですがそうでもないのかしら。
 今年はいわく、「2024年、日本は停滞から抜け出す好機にある。物価と賃金が上がれば、凝り固まった社会は動き出す。日本を世界第2位の経済大国に成長させた昭和のシステムは、99年目となると時代に合わなくなった。日本を「古き良き」から解き放ち、作り変える。経済の若返りに向け反転する。」とのことで、まあそうだよねという話なのですが、具体的になにを書いているかというとこうです。

 「昭和」をやめ、若い力を引きだそう。
 すべてのプロジェクトは挙手で参加でき、入社2年目からリーダー。建設IT(情報技術)サービス企業の「現場サポート」(鹿児島市)は経営計画も全員でつくる。社員82人の3割が20代。福留進一社長は「伝統的な日本の大企業は、戦略ありきで必要な人を集めてきた。我々は社員が得意なことを生かしたい」と話す。売上高は5年で3倍だ。
(令和6年1月1日付日本経済新聞朝刊から、以下同じ)

 いやそれ昭和そのものだから。高度成長期の日本企業というのは、それこそ「3割が20代」(もっとか?)で、工業高校を卒業した10代の若者が、輸入設備の英文の取扱説明書を辞書片手に読みながら運転し保守していたわけですよ。「伝統的な日本の大企業は、戦略ありきで必要な人を集めてきた」というのは実は真逆で、「この人はこれだけの能力があるからそれが生きる仕事につけたい」(そしてできれば少しストレッチした仕事を付与して成長させたい)というのが「伝統的な日本の大企業の」人事管理であり、どちらかというと「社員が得意なことを生か」す方向だったわけです。ところが平成に入って低成長となり、企業組織の拡大も止まってスト詰まりや仕事詰まりが深刻になったことでそれが難しくなったというのが2000年前後の成果主義騒ぎの背景になっていたわけですね。でまあ最近ではいよいよもう無理ですという話になっていて、人材版伊藤レポートでは「経営戦略と人材戦略の連動」すなわち「戦略ありきで必要な人を集め」ようという話になっているわけですよ。まあこれはこの会社の社長さんが言った話ということなので日経さんには直接の責任はありませんが、日ごろあれだけ伊藤レポートやら人的資本投資とか持ち上げているのだから、しっかりチェックしてほしかったなあと思わなくもない。
 続けてこういうのですが、

 昭和の慣習が邪魔だ。下積みを経て仕事を覚え、社歴とともに責任が増して処遇が上がる人事制度は、全ての人の力を十分に引き出せない。昭和の年功序列は、熟練の労働者ほど高い賃金にすることで、生産性の向上と働き手の定着を図った。経験が重要な製造現場では通じても、技術が急速に進歩するデジタル分野には合わない。

 ここが悩ましいところで、技術進歩に応じて新しいスキルを獲得しなければならないデジタル分野などでは学び直しが重要となるわけですが、学び直すたびに初心者になってしまうので賃金が上がりにくいという構造があるのではないかと思うわけですよ。だったら初心者に高給を払えばいい(まあ最新スキルにそれだけの価値があるなら当然ですが)といいたいのかもしれませんが、しかし実際それって現実的なのかとも思う。さきほどの社長さんは「3割が20代」のみなさんにどれだけの賃金を支払っているのかしら。
 となるとプロジェクト管理とか人材活用とか別の観点から賃金を上げていくことを考えていかなければならないわけで、それは相変わらずそれなりに経験がモノをいう世界になってきてしまうというのが難しいところかなと思います。各企業の実情に応じて考えるしかないわけで、それが「経営戦略と人事戦略の連動」ということでしょう。まあ各社とも日経新聞に言われるまでもなくやっていることだとは思いますが。
 さてそのあとはクールジャパンを世界で売りまくれとか有能な外国人を呼び寄せろとか農地の集約を進めろとか、わりといいことが書いてあります。特に芸能は人的資本で稼げる分野で投資対効果が高いので有望でしょう。高度外国人もいいのですが言語の問題があり、さすがにこのレベルで日本語能力を求めるのは難しい(したがって米国に採り負けるわけで)ので英語が通じるコミュニティと通じないコミュニティの分断が広がる可能性はあります。それがどれほど問題なのかは私には見当もつきませんが格差拡大の道ではあるでしょう。農地の集約はそれ自体も重要ですがもっと重要なのはプロセスだと思うところで、農家が高齢化してそのままでは後継者がいないということで徐々に進んでいるわけですね。毎度書いていることですが、改革はたしかに重要だけど人間がついていけるスピードでやることが大切だと思います。
 続けて例によって「痛みを伴う変化を好まず、停滞をもたらした責任は政治にもある。」ときてあ~あと思うわけで、いや本当に痛みが好きだねえ。ただ続く事例は広域行政で痛みを伴う感じはあまりしないな。やはりなにごとも痛みは少ない方が進みやすいというのは当たり前の話でしょう。最後は冨山和彦氏が登場して「革命的な転換はしないという国民的な選択が安定と停滞を生む」と不満を表明しておられますが、まあ「革命的な転換」とか発言する人もそうはいないから毎度冨山氏になるのでしょうな。
 ということで日経さんは「昭和99年」ということで大々的な新春特集を組むようですが、さてどんなものになりますか。冒頭の例を見るとそもそも昭和と令和の理解に疑問がありそうですが、まあ現在と今後を語るにはそれほど問題ではないでしょうからほどほどに期待して続報を待ちたいと思います。