今年はグローバルに金融政策の大きな転換があるだろうとのことで、わが国でも日銀の動向が注目を集めています。これを背景に、金利上昇にともなう倒産増に備えた政策が必要であると日経電子版の記事が訴えています。お題は「「金利ある世界」が迫る労働改革 倒産2割増への備え」となっており、水野裕司編集委員の署名がありますね。
日銀が異例の金融緩和策を転換して「金利ある世界」が戻ってきたときに、懸念されるのは企業倒産の増加だ。人手不足による人件費上昇も背景に、経営破綻の件数は2割増えるとの試算がある。従業員が突然失業という事態に直面するのを防ぐには、成長力を失った企業に人材が抱え込まれた現状を改めなければならない。労働政策の見直しが必要になる。
日本総合研究所が、人件費増と借入金利上昇が企業に及ぼす影響を試算した。
…全国の月間の企業倒産件数は、3%の人件費増、2%の借入金利上昇で23年10月(793件)に比べ、17%増(928件)となる見込みだ。中小企業、零細企業を中心に増加する。
(https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA01CBP0R01C23A2000000/、以下同じ)
続けてこの試算の概要が紹介されているのですが、残念ながら情弱な私がざっと調べた限りでは元ネタには到達できませんでした。ただ、日経電子版の別の記事(https://www.nikkei.com/article/DGKKZO77225830T21C23A2EA2000/)に「日本総合研究所の井上肇氏」の試算とあり、同所調査部マクロ経済研究センターが昨年11月30日に公表した「日本経済見通し」(https://www.jri.co.jp/MediaLibrary/file/report/researchreport/pdf/14648.pdf、【ご照会先】に国内経済グループ長井上肇とあります)に同旨の記載がありました。このレポートはまたあとで参照します。
ただまあ月間793件の倒産が928件に増えるということで、135件の増加ですね。12倍して年間1,620件の増加になりますか。記事にも「中小企業、零細企業を中心に増加」とあるように、これで失業者がどれほど増えるかというと、それほど大騒ぎするほどの数字かという気がしなくもありません。高めに見積もって1社平均50人としても約80,000人というところで、それで完全失業率を0.1%押し上げるくらいの影響でしょうか。
「2%の金利上昇」というのもいつの話なのさとは思うわけで、日経電子版のほうも「「借入金利の2%上昇はだいぶ先になる」と日本総研の西岡慎一・上席主任研究員はみる」との見解を紹介していますね。そのうえで「とはいえ、企業破綻の増加にいまから備え始める必要はある。最も重要なのは従業員の雇用と収入の安定だ」と主張しています。収入の安定にアタマが回るようになったのはなかなかの進歩と申せましょう。
さて具体策でとしてはまず雇調金をやり玉に上げます。
まず、業績不振の企業でも従業員を抱え込みがちになる構造を変える必要がある。従業員を休ませて雇用を守ろうとする企業に対し、休業手当の費用を助成する雇用調整助成金は、雇用を維持するだけの収益力や成長力のない企業もいたずらに支援する側面がある。
従業員にとっても、待遇改善が期待薄の企業で雇用が確保されるのは、決して歓迎できることではない。人手不足の度合いが強まっている業種は企業が採用に積極的で、賃金も上昇中だ。雇調金制度は結果として従業員保護につながっていない面がある。被災した企業が雇用を維持する場合などを除き、制度の見直しが求められる。
雇調金は本来一時的な過剰雇用(それこそ被災した企業が復興までの間従業員を休業させるとか)を対象とした助成であるわけですが、東日本大震災の際にも雇調金を受給したものの結局倒産しましたという例もあったようなので、ご指摘のように「いたずらに支援する」(いたずらに、ねえ)結果となることはあるのだろうと思いますし、そこに改善の余地があることは否定しません。一方で「従業員にとっても、待遇改善が期待薄の企業で雇用が確保されるのは、決して歓迎できることではない」というのは余計なお世話もいいところで、子育てが終わってリタイヤが近づいてきた労働者などでは、いやいやもう待遇改善なんか期待してません雇用の安定を望んでいますという人もいるはずです。逆に待遇改善を期待して「採用に積極的で、賃金も上昇中」の企業に移動する人は別に企業が雇調金を受給していようがいまいが移動するでしょう。「結果として従業員保護につながっていない面がある」といいますが、「いやー私は勤務先が雇調金を受給しているせいで保護に欠けていて困ってるんですよどうにかなりませんかねえ」と自分から言う人、どのくらいいるのかしら。100人くらい連れてきてくれれば納得しますが。
そして出ましたお得意の日経節。
成長力を取り戻すのが難しいと自ら判断する企業が増えるなら、早めに従業員の雇用を打ち切って再就職を促す動きが広がることも考えられる。
労働者保護の観点からは、企業が従業員に一定の算定方法のもとで金銭を支払って、雇用契約を解消する「解雇の金銭解決」の制度化が欠かせない。中小企業は退職金制度が整っていないケースも多い。従業員への補償の充実に向けて、欧州諸国では一般的なこの制度の導入を急ぐべきだ。
金利が上昇して倒産増が不可避という局面(の話をしてるんだよな?)で「成長力を取り戻すのが難しいと自ら判断する」のであれば「早めに従業員の雇用を打ち切って」人員整理に踏み切るというのはまことにそのとおりであり、実際問題として現に多々行われているところでもあります。倒産回避のための人員整理は(人選の合理性などの要件はあるものの)まったく正当な解雇であって解決金の支払を要するものではありません。もちろん労働者保護の観点からなんらかの救済が行われることは必要でしょうが、それを「成長力を取り戻すのが難しいと自ら判断する」ような支払能力のない企業に負担させることは無理でしょう。雇用の金銭解決が労働者保護のために必要との論は、hamachan先生が『日本の雇用終了』でまとめられているような、中小企業などを中心に解雇権濫用法理などお構いなしに恣意的に解雇が行われている実態を踏まえたもので、解雇時にまとまった金銭を得られるという観点と、高額の解決金を設定することで恣意的な解雇を抑止するという観点から主張されているものだろうと思います。
もっとも日経も支払能力のことは承知しているようで、こう主張します。
企業にとって補償額の負担が重くなる場合に備え、「解雇保険」の制度化という案も出ている。労働者災害補償保険(労災保険)のように企業から保険料を徴収して補償金に充て、企業負担をなるべく均等にしようというものだ。一考に値する。
いや、そんな案出てるんですか?私は不勉強にして初耳でしたが…。とりあえず情弱な私がウェブ上をあれこれ検索した限りではそれらしきものは見当たらないのですが…。
それはそれとして、この「解雇保険」なるものが意味するのは事実上の解雇の自由化ということになるでしょう。一定のカネを支払うことで不当解雇が不当でなくなる(解雇の金銭解決というのは実質そういうものでしょう)、そしてそのカネは「解雇保険」という他人の財布から出てくるわけですから、企業はなんら負担なく解雇を正当に行えるということになります。だったらいっそのこと解雇を自由化すると同時に雇用保険を大幅に拡張して失業一時金の創設とか求職者給付の拡充とかやればよい。それはそれで「一考に値する」かもしれませんが、「解雇保険」とか担ぎ出すのは欺瞞的だと思わなくもない。
さて記事は続けて職業紹介機能の強化を訴えているのですが、一般論は格別、
国は「jobtag(ジョブタグ)」という職業情報提供サイトを開設しているが、職業ごとに必要なスキル(技能)をもっと具体的に説明し、どんなレベルのスキルがあれば年収がいくら見込めるかといった情報も丁寧に伝える必要がある。求職者の立場に立った提供情報の充実が望まれる。
これはさすがにないものねだりも過ぎるような気がします。まあ職業によって多様だろうとは思うのですが、職能給中心の賃金体系においては「どんなレベルのスキルがあれば年収がいくら見込めるか」を示すのは無理でしょう。それこそ日経が推奨する「ジョブ型の職務給」が普及してこないと難しいだろうと思います。
最後は中小企業保護の在り方について苦情を申し立てておられるのですが、これについては私もよくわかりません。ただまあつぶせ、つぶせというよりは合併などを通じて効率を上げていくという方向性は望ましいのだろうと思います。
そこで最後に日本総研の「日本経済見通し」に戻りますと、このレポートは最後に「労働力の確保と生産性の向上による供給力強化」「外国人労働者の受け入れ拡大」「中小企業の省力化投資の支援」「企業の新陳代謝促進」を提言しています。倒産2割増は「企業の新陳代謝促進」の部分で引かれているのですが、「政府や金融機関においては、経営不振企業の早期の事業再生や廃業からの再挑戦へ支援をしていくことが求められる」と述べるにとどまっていて、さすがに解雇の金銭解決とか「解雇保険」とかは書いてありませんね。まあ日経としてはその具体策を親切に提案・解説したというところでしょうが、ここは日本総研の名誉のためにひとつ。