『21世紀の資本』と格差の話

すでに相当程度旧聞に属する話ではありますが、私の手元にある「週刊エコノミスト」2月17日号が「ピケティにもの申す!」という特集を組んでいて、『21世紀の資本』に対する識者のコメントを掲載しています。中には研究者によるデータ、手法に関するものなどもありますが、多くは格差問題に関するもので、論争的なテーマだけあってさまざまな見解が示されています。
「格差上等!」と叫んでいるのが経済評論家にして参議院議員藤巻健史氏とホリエモンこと堀江貴文氏ですが若干のニュアンスの違いはあり、まず藤巻先生ですが、

「ピケティは日本を理想としている」が第一印象だ。…日本では世界に先駆けて格差是正が叫ばれ、それを政府は金科玉条として実行してきた。行き過ぎた格差是正政策の結果が情けないほど低い成長率であり、財政赤字の累積だ。
「働いても働かなくても結果は同じ」では、国民は働く意欲を失い、国際競争力をも失う。…生活を保障するセーフティーネットの構築と、所得の格差を縮めることは全く別の話として捉えなければいけない。…資本家が利益を蓄積するために競争をした結果、世界経済が成長したこともまた事実だ。
世帯年収5000ドル(約60万円)から3万5000ドル(約410万円)が経済産業省などで定義されている世界の中間層なのだから、生活保護も含めると日本に低所得層はいないことになる。…
 富裕層課税は、日本ではすでに十分過ぎると言っていい。2013年の国税庁統計によれば、人口の4・8%に過ぎない給与所得1000万円超の人が、所得税額の49%も負担しており、税引き後は収入格差がさらに縮小される。いわゆる昔の長者は、何代にもわたる過重な相続税の支払いの末、もういないのだ。
(「週刊エコノミスト」2015年2月17日号から、以下同じ)

続いて堀江貴文氏は、

 なぜ日本でこれほどブームになっているのか、私には理解できない。この本をきっかけに格差是正が叫ばれているが、格差がそんなに悪いことなのか。
 多くの意見は、「なんで俺は持ってないんだ」という感情論ではないかと思う。たとえ現実に富が1%と99%に分かれている状況だとしても、多くの人は現に生活できている。格差があることそれ自体によって自分の生活が苦しくなるようなことは考えられない。
 それに1%の資本家は、確実に賢いお金の使い方をするはずだ。行政が税金で集めたお金を再分配する結果、使われないホールが地方で作られるより、グーグルのラリー・ペイジCEOが面白い技術を開発する方がよい。…しかも今は、お金を持っている資産家が権力を持っているわけではない。警察や司法、軍事力を行使して国家を支配しようというわけではない。…
 格差を声高に叫ぶ人は、金銭と所有することに捉われ過ぎだと思う。その古い考え方をやめればいい。…これからもさまざまなものが低価格になるだろう。…お金を持っていなければ高等教育を受けられないと言うが…すでにインターネットのおかげでさまざまな教育の機会がある。
 格差があるとしても、日常に不自由はない。…

「日本を理想」とか「なぜブームになるか理解できない」は趣味の悪い冗談だろうと思いますが、それはそれとして。
藤巻氏は所得の、堀江氏は資本の格差にもっぱら着目し、「所得格差があるから意欲が高まり競争力が高まる」「資本は有能な人材に集中させたほうが効率的」という正論を述べて「格差上等」を主張しています。共通するのは貧困さえないなら格差は拡大してよいという点と生活保護があるんだから貧困はないはずだという点でしょう。
これは一見すると「全体の底上げがはかられているのであれば格差そのものはそれほど問題視する必要はない」という多くの経済学者が支持している(であろう)考え方と似ていますが(そしてピケティは低成長下では全体の底上げと言っても難しかろうと主張するわけですが)、決定的な相違点は格差の固定化=階層化への問題意識がない、つまり生活保護近辺から脱するための方法論がないというところだろうと思います。格差があるから意欲がわくのだ、というのは藤巻氏には該当しても、下位層で固定化してしまった人には意欲を期待することは難しいでしょう。カーンアカデミーがあるからおカネがなくても高等教育は受けられる大丈夫だ、という堀江氏のご意見もまあ極論でしょう。まあそもそも生活保護あるから生活に困らないだろうという主張自体が私を含め多くの人たちには「おいおい」だろうと思うのですが。
まあなんですかね、ホリエモン氏はなかばタレントみたいなものなのでこういう場面でこういうことを言うのがお役目みたいなもんなんでしょう。取材するほうもそれを期待していると思うし、需要があるなら供給するのは立派な経済活動であり、いや議論を活性化するという意味での価値もあるかもしらん。
藤巻氏はモルガンでアメリカにかぶれただけのような気はしますが、「いわゆる昔の長者は、何代にもわたる過重な相続税の支払いの末、もういない」というのは重要なポイントで、たしかに日本の相続税率というのは国際的にみても効率高率かつ累進的なことは事実です。その点でピケティが日本を欧州と同じ箱に入れて21世紀には加速度的に資産格差が拡大するであろうと予測していることには疑問なしとはしません。まあ資産家が資産を相続してから死ぬまでの間に高率の相続税を払ってなおおつりがくるくらいに資産が増加するかどうかという問題になるわけでしょうが。
さて続いてオリックス宮内義彦氏が経営者代表として登場しておられ、いや代表性にかなり疑問はあるような気がしますが…。

…資本の収益率が経済成長率よりも高く、差が拡大していくという現象は、歴史的な検証ではその通りだと思うが、企業を経営してきた経験から言うと、今後もその差が拡大し続けるとは必ずしも言えないのではないか。…投資機会が減少し…資本が余って…いるのが現状だ。デフレが続いた日本では資本の収益性向上はなお難しい。
 一方、生産性の向上によって経済成長率は今後上昇する可能性を十分に秘めている。…資本の収益率が下がり、経済成長率が高まって差が縮小する可能性もあると思う。
 もっとも当社のような個別企業にとっては、日本という国一つでも…成長機会は無限に等しく、企業家は資本を有効に活用して国の成長率を上回る成長を目指すのが当然だ。
社会保障は財政負担を拡大させるため、国全体の活力を損なわないよう配慮すべきだ。それぞれの国でいわば“心地よい格差”を探る必要があるのではないか。…社会によって違うだろうから、国ごとに深く議論するしかない。
…ピケティ氏が主張している資産課税は、一度に高額を徴収するものではなく…一定の実現性があると思う。ただ、日本では…相続税所得税も十分に高い水準にある。…私は個人の所得に対しては50%程度が税率の上限だと思う。努力する人や能力のある人に相応の報酬があるのは決して不公平なことではなく、その人たちの意欲を削いではいけない。
 タックスヘイブン租税回避地)を利用した節税は、…是正すべきだという主張には賛同できる…しかし…有利な制度があるのに自社だけが利用しないというわけにはいかない。…規制するのなら世界中で一斉に実施する必要がある。…国際社会が連携し、長期的な視野で取り組んでほしい。

いや失礼しました、特に根拠はありませんがなんとなく平均的な経営者の見解ではないかという感じはします。
先日も書きましたが最初の「これまでそうだったからこれからもそうだと言われても」というのは経営者に限らず、ビジネスの世界にいる人なら簡単には納得できないところだろうと思います。もちろん『21世紀の資本』は国レベルの長期の話なので、もう少し小さい・短いスパンではあれこれあるという話なのかもしれませんが。さすがに個別企業はそんなこと気にしてられないという気持ちはわかりますが…。
“心地よい格差”については、しかしこの特集をみてもわかるとおり非常に見解の分かれるテーマなので、なかなか合意点を見出すことも難しいのかもしれません。まずは成り行きに任せていたらどうなるのか、それでいいのか、というところが議論の出発点であって、そこが『21世紀の資本』の価値だ、ということなのでしょう。ただまあこの本でも指摘されているとおり資産や所得の多い人が社会的に有力な、影響力の強いポジションを占めることが多いわけですし、中にはホリエモン氏のように(まあどこまで本気かとは思いますが)警察や軍隊を動かすわけじゃないからいいだろうという人もいるわけなので、民主主義のプロセスで動かしていくのも容易ではなさそうですが…。とはいえピケティ自身も来日して民主主義の重要性を訴えたとのことなので、一人一票のもとで多数派工作をするしか手はないのでしょう。そんな悠長なこと言っていられるか、暴力革命だ、というのは『21世紀の資本』で格差拡大のリスクとして示唆されていましたが、さすがにそれをよしとはしないからグローバル累進資産課税だという話になるわけで。
ただ宮内氏はそれに花を持たせつつも高率の相続税所得税が現実的だという意見のようで、しかも日本は十分に高いというご意見のようですが、具体論ではいろいろな意見があるでしょう。まあどちらも最近上げたばかりなのですぐにという話にはなりにくいでしょうが、どうかなあ宮内氏くらいの高額所得の限界税率は67%くらいでもいいんじゃないかなあとそんな税率が来るわけがない私が言い放ってみましょうか。
ここからは研究者のコメントになりますが、まずはわが国格差研究の第一人者とされる橘木俊詔先生が登場されます。アカデミックな評価は割愛させていただいて、

…彼の日本の分析では、戦前は超富裕層の存在によって欧米よりも深刻な格差社会だったが、戦後は突如として平等国家になったという。その後再び格差社会に向かいつつあることが、高所得者の動向で示されている。こうした分析は、1980年代あたりから日本が格差社会に走り始めたと主張した私の分析とも一致している。
 ただ、貧困者に注目すると日本は主要先進国の中で二番目に高い貧困率のため、超格差社会であると判断できる。その一方で、富裕層に注目すると日本はまだ超格差社会とは言えない。本著への批判ではないが、今後より深く格差を論じるために、貧困者と富裕層の双方に注目すべきであると思う。
 また、格差を是正するためには、高所得者と貧困者のそれぞれで異なる政策が必要だ。前者については、ピケティ氏が主張するように累進的な所得・資産課税が柱となるが、後者については、社会保障政策、教育の充実、最低賃金政策、正規・非正規雇用者の労働者間や男女間の処遇における格差の是正などが挙げられよう。
 日本の貧困者削減対策としては、労働時間が短く、年金・医療保険雇用保険に加入できない非正規雇用者が多いなか、それらの人も社会保険制度に加入できる政策が重要だ。最低賃金のさらなる引き上げや、子ども手当の充実、女性差別の撤廃などの施策に加えて、社会保障支出の財源としての税収の確保が必要になる。高所得者と貧困者格差の源をどこと捉えるかで政策の課題が変わることを考えて検討しなければならない。

21世紀の資本』で分析されている所得のデータはhttp://topincomes.parisschoolofeconomics.eu/#Database:で公開されていて見ることができます(資産のほうは私が少し探したかぎりでは見当たらなかったのですが、たぶんどこかにあるのでしょう。ご存知の方、ご教示いただければ幸甚です)。それをみると、日本では所得総額にしめる上位10%のシェアが80年代までは30%そこそこで安定していたのですが、1990年代から上昇して現状では40%くらいになっていることがわかります。これは非正規雇用比率の上昇と概ね平仄が合っているように思われ、たしかに所得の金額では格差が拡大していますが、かなりの部分は非正規雇用は労働時間が短いことで説明できそうな気がします(だから問題ないというつもりはありません。なお気がするだけなので、そうではないという証拠を見せられたら上げる白旗は準備しています)。下位10%(ボトム90%)のシェアは公開されていませんが、その平均所得はやはり90年代以降趨勢的に低下していますので、橘木先生ご指摘のとおりわが国は「富裕層は格差社会とまでは言えないが貧困者は格差社会ということなのだろうと思います(まあ「超」がつくかどうかはともかく)。ただこれは(たぶんインタビュー記事だと思うので)編集の問題だと思いますがきちんと相対的貧困率と書いてほしいなあ。これが高いから格差社会だ、というのは当たっているわけですからね。
ということで橘木先生としては救貧策としての再分配がまず重要であり、その財源を累進的な課税で確保することで結果的に格差も縮小すればいいな、というご意見のようで、具体的な方法論や程度問題についてはいろいろな意見があるでしょうが、方向性としてはそのとおりではないかと思います。
次に登場する研究者は近年存在感の高まっている飯田泰之先生で、こんな指摘をしておられます。

…ピケティ氏が指摘した資産格差問題は、分析した資産の大部分が住宅資本であるため、富裕層と一般層の格差拡大を論証したと結論づけるには問題があるという批判もある。住宅資本だけでは欧米で問題となっている「1%vs 99%」の格差の実証的根拠と言えないという意味で、批判にも一理ある。しかし、日本なら一転、明らかに的確な指摘と言えよう。日本で住宅などの不動産を自分で所有している人たちは基本的に正規雇用者層で、それ以外の非正規雇用を中心とした中低所得層との格差は拡大し続けている。結果的に両者の関係は、「1%vs 99%」ならぬ「60%vs 40%」で弱者の方が少ないが、先進国では特異な構造であるだけに、今後の解決が困難を極めることが予想される。…

ここまで単純な図式かどうかはともかく、住宅保有と雇用形態・所得とはそれなりの対応関係はあるのでしょう。たしかに重要な観点だろうと思います。
問題は60対40(これは正規・非正規の割合だろうと思いますので、ピケティらのデータベースには対応しませんが)と言ったときに、おそらく年間所得300万円くらいで上位60%に入ってしまうだろうという点にありそうです。つまり、再分配を拡大しようとするとそのレベルでも負担増になるということで、もちろんそこは応能負担で累進的にという話にもなるでしょうが、しかし国民の生活実感に合うかどうか。けっこう政治的に困難がありそうにも思えます。現実には、すでに社会保障の負担増と言う形で現実化していますし、よく言われる話ですがわが国の場合は子どもの相対的貧困率が再分配後にむしろ上昇しており、これも子どものいる現役世帯から高年齢者への再分配が大きいからそうなるわけでしょう。やはり67%だな(笑)。
さてこのあとも研究者が続き、福田慎一先生と(ひとり飛ばして)中岡望先生が『21世紀の資本』発表後の批判と議論を紹介されていて、やはり問題提起の書としては非常に重要かつ有意義な仕事だということになりそうです。学問的にも政策的にもこれからさらに深く研究や検討が進むのだろうと思います。ちなみに格差に関しては福田先生は

…資本主義社会では、競争の結果、程度の差こそあれ、格差が生じることは避けられない。生まれてしまった格差を、どの程度で深刻で是正すべきものと考えるかは、社会の価値判断次第と言えよう。資産課税など大胆な再分配政策は投資意欲を削ぐため、社会全体のパイを拡大するうえではマイナスになってしまう。
 財政赤字少子高齢化が深刻化している日本では、社会保障費をどれだけ抑制すべきかが大きな問題だ。何のコストも発生しないなら、社会保障は充実しているに越したことはない。ただし、社会保障費が増大すれば、国の成長にとっては大きな足かせとなる。成長を犠牲にしながらどれだけ格差のない社会を実現すべきなのか、格差の原因を冷静に分析しながら議論を深めていくことが必要だ。

ということで、再分配と成長のトレード・オフに留意する必要があるとの冷静なご見解です。中岡先生はご自身のご見解は特段述べておられませんが、米国について「貧富の格差に対して比較的寛容だった米国民が、放っておけば際限なく拡大し続ける格差を座視できなくなっており、格差縮小を求める「ウォール街占拠」などの社会運動によって、意識が変わりつつある」との見解を示しておられます。
なおこのお二人の間になぜか研究者枠で作家の雨宮処凛氏が登場しておられ、そうは言っても貧しくて困っている人はいますという趣旨のことが書いてあります。このあたり編集部も人選に苦労したところかと推測。
というわけでことほどさように人により立場によって見解が大きく分かれるテーマのようです。なんかまとまりがついていませんが、かなり長くなってきましたので今日はここまでにしてできればもう一回続きます。