相対的貧困率

少し古いネタですが、厚生労働省は先週、独自に算出したわが国の相対的貧困率を公表しました。NIKKEI NETから。

 妻昭厚生労働相20日、国民の経済格差を表す指標の一つとなる「貧困率」が2006年は15.7%で1997年以降で最悪の水準だったと発表した。子供の貧困率は14.2%だった。政府が貧困率を算出して公表するのは初めて。長妻厚労相は「子ども手当の支給を含めて改善策を打ち出したい」としている。

 今回算出した貧困率は全世帯の可処分所得を1人当たりに換算して高い順から低い順に並べた場合に中央となる人の所得(中央値)の半分に満たない人の割合。子供(17歳以下)の貧困率は全体の中央値の半分に満たない子供の割合となる。3年に1度実施している国民生活基礎調査結果から算出。全体の貧困率は97年が14.6%、00年が15.3%、03年が14.9%。子供の貧困率は97年が13.4%、00年が14.5%、03年が13.7%だった。

 経済協力開発機構OECD)公表の貧困率では00年代半ばの比較で、日本(14.9%)は加盟30カ国平均(10.6%)を上回り、メキシコ(18.4%)、トルコ(17.5%)、米国(17.1%)に次いで4番目に高かった。(20日 14:25)
http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20091020AT1G2001P20102009.html

いきさつはこういうことのようです。やはりNIKKEI NETから。宇都宮弁護士は、例の「派遣村」の名誉村長を務められた方ですね。

 長妻昭厚生労働相は4日、国民の経済格差を表す指標とされる「貧困率」を測定する方針を固めた。5日にも厚労省の担当者に指示し、削減する目標の指標とする。米国などでは経済格差の指標として貧困率を公表しているが、日本政府は公表していなかった。貧困問題に取り組む「反貧困ネットワーク」(代表・宇都宮健児弁護士)が測定を求めていた。
http://www.nikkei.co.jp/news/keizai/20091005AT1G0401404102009.html

この数字をみて、鳩山首相は「ひどい数字」だと述べられたとか。こちらは時事ドットコムから。

 鳩山由紀夫首相は20日夜の横浜駅前での街頭演説で、2006年の相対的貧困率が15.7%だったことについて、「大変ひどい数字だ。何でこんな日本にしてしまったとの思いの方も多いだろう」と述べ、改善の必要性を訴えた。
 首相は、相対的貧困率が初めて公表されたことに関しては、「正しいこと、間違っていることを全部国民の皆さんにお知らせしたい。新しい制度を作り上げたい」と情報公開に努める方針を強調した。(2009/10/20-21:27)
http://www.jiji.com/jc/zc?k=200910/2009102001029

うーむ。鳩山氏はおそらく「貧困率」という用語を短絡的に解釈し、「国民の15.7%が貧困である」と考えられたのでしょう(ご承知のうえだったのかもしれませんが)。で、日本人がこんなにも貧困になってしまったのは小泉改革のせいだとか、自民党政権が悪いとかいうことを言いたいのでしょう。長妻厚労相の指示で「初めて公表された」ことについては、「自民党はこういう数字を隠していた」くらいにあてこすっているのかもしれません。
さて、これを公表した厚労省のリリースはこうなっています。

相対的貧困率の公表について

厚生労働大臣のご指示により、OECDが発表しているものと同様の計算方法で、我が国の相対的貧困率及び子どもの相対的貧困率を算出しました。

最新の相対的貧困率は、2007年の調査で15.7%、子どもの相対的貧困率は14.2%。
http://www.mhlw.go.jp/houdou/2009/10/h1020-3.html

こりゃまた、いかにも冷淡なリリースですねぇ。添付された参考資料(http://www.mhlw.go.jp/houdou/2009/10/dl/h1020-3a.pdf)をみても、役所としてはこの数字を極力客観視しようとしている姿勢がうかがわれます。
実際、「相対的貧困率」というのは「貧困者の割合」でもなんでもなくて、役所の資料にあるとおり「等価可処分所得の中央値の半分に満たない世帯員の割合」なんですね。

  • 用語の注を入れておきますと、役所の資料によれば「可処分所得」というのは所得から所得税、住民税、社会保険料、固定資産税を除いたもののことです。所得には就労所得、財産所得、仕送り等、公的年金、その他の現金給付が含まれています。「等価」というのは、たとえば住居関連費用などは4人家族は単身世帯の4倍になるかというとそうでもない。単身世帯の相当割合が自家用車を保有しているのに対して、4人家族で自家用車1台ということも多いでしょう。そこで、世帯の可処分所得を家族人数の平方根で割り算して、その世帯の世帯員の等価可処分所得とするわけです。

実際、「相対的」に対して「絶対的貧困率」というのもあって、世銀の定義ではこれは「年間所得370ドル以下(1日1ドル相当)の国民の割合」と定義されています(ちなみに相対的貧困率の定義はOECDによるものです)。現行のレートだと年収33,000円〜34,000円といったところです。これはたしかに貧困ですが、わが国における絶対的貧困率は極めて低いだろうことは容易に想像できます。
これに対して、相対的貧困率はあくまで「相対的」なので、国際比較をしようとするのなら、「等価可処分所得の中央値」が国によって大きく異なるということを十分に考慮する必要があります。今回の算出では、等価可処分所得の中央値は228万円だそうです。ということは、等価可処分所得がその半分の114万円に満たない世帯員が「相対的に貧困」であり、これが全体の15.7%ということになります。夫婦二人の世帯だと161万円です。
この「相対的貧困」が国際比較上どの程度貧困かというと、worldmapper.orgのサイトに各国の所得下位10%、20%の国際比較が掲載されています。
http://www.worldmapper.org/display.php?selected=149(10%)
http://www.worldmapper.org/display.php?selected=151(20%)
10%のほうには"Japan is disproportionately large because Japan is the territory where the poorest have the highest average incomes."、20%のほうにも"Japan is the region with the richest poor people in the world. The average income of the poorest fifth of the population in Japan is at least 7 times more than that of the equivalent group in 8 other regions."との注釈があります。もちろん単純に比較することはできませんが、「日本の相対的貧困層=全体の15.7%」が国際比較上はかなり富裕?な部類に入るということはいえそうです。
つまるところ、相対的貧困率というのはもっぱら格差の指標であって貧困の指標ではないということなのですね(実際、日経新聞はわざわざ「経済格差を表す指標」と書いているわけで)。実際の貧困の指標としては、たとえばこんなものがあります。The Pew Global Attitudes Projectによる調査の、(独)労働政策研究・研修機構『データブック国際労働比較2009』からの孫引きです。
http://www.jil.go.jp/kokunai/statistics/databook/2009/09/p271_t9-4_t9-5.pdf

  • (12月4日追記)id:rascalさんにTB(http://d.hatena.ne.jp/kuma_asset/20091201)をいただきました。そのエントリの注で、上の「格差の指標であって貧困の指標ではない」という記述について平家さんが批判されている(http://takamasa.at.webry.info/200911/article_8.html)と書いてありました。ここでの平家さんの議論はまことにもっともなもので、私も裸の文で「相対的貧困率は格差の指標であって貧困の指標ではない」と述べる度胸はありません。ここで私が申し上げているのは「相対的貧困率もっぱら格差の指標であって(もっぱら)貧困の指標ではない」ということであり、また、この「貧困」が「絶対的貧困に近い貧困」を念頭においていることも前後の文脈から容易に読み取れるものと思います。なお、rascalさんのエントリは子どもの貧困に関するものですが、私も11月6日のエントリ(http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20091106)で取り上げているように、英国で相対的貧困率が子育て家庭の救貧政策の指標の一つとして用いられたことは意義があったと考えています。

十分な所得がないために生活必需品を買うことができなかった回答者の割合(%)

食料 医療 被服
日本 4 4 5
アメリ 15 26 19
カナダ 10 13 16
イギリス 11 11 20
ドイツ 5 8 10
フランス 8 5 12
イタリア 11 12 16
ロシア 50 54 68
中国 18 45 23
韓国 18 15 21
インド 44 52 44

The Pew Global Attitudes Project(2002.12)"What the World Thinks in 2002"によるもので、「過去1年に十分なお金がないために食料を買えなかったことがあったかどうか」という質問に対して、買えなかったことがあったと回答した人の割合(医療, 被服についても同様)とのことです。この『データブック国際労働比較』は毎年刊行されていて、興味深い内容を多く含んでいるのでおすすめです。買わなくてもネットで見られるしコピペもできるし(笑)
それはそれとしてこれは2002年の調査なので、鳩山首相としてみれば「これは小泉改革による生活破壊を十分反映していない」と言いたいところかもしれませんが、現在でもそれほど大きく違っているということもないでしょう。もし、この数字が15.7%だったとしたら、それはたしかに「大変ひどい数字だ。何でこんな日本にしてしまったとの思いの方も多いだろう」ということになるでしょうが、しかしそうじゃないんですから。
さて、そうはいっても単身世帯で年114万円、夫婦二人の世帯で年161万円の可処分所得では、かなり生活は厳しいだろうという印象もあるでしょう。たしかに、単身者で月95,000円、夫婦で月134,000円で生活しようとすると相当に質素な暮らしを強いられそうです。実際、これだけ(以下)で生活している人もおそらくいて、そういう人たちが上の表にある「十分な所得がないために食料を買うことができなかったことがある」、俗に言えば「喰うに困っている」4%ということでしょう。これはもちろんゼロにすることが望ましく、そのための政策対応も必要でしょう。
いっぽう、この「可処分所得」においては、ここは役所の資料でもアンダーラインで強調されていますが、「資産」の多寡については考慮していないということです。どういうことかというと、貯蓄を取り崩して生活費などにあてている分は含まれていないということです。つまり、退職金などでそれなりの貯蓄があり、それを取り崩しながら年金生活をしている人などは、所得水準では「相対的貧困」に入るとしても、その生活実態は(贅沢ではなく、それなりにつつましいものではあるとしても)「貧困」ではない、ということになるわけです。これまた当然ながら単純な比較は無理ですが、しかし相対的貧困率の15.7%と「喰うに困っている」4〜5%の差の約1割という数字は、こうした人たちの存在を考えると感覚的にそれなりに納得できるものではないかという印象はあります。であれば、世界で最も高齢化が進んでいる国の一つであり、かつ世界でも民生部門の貯蓄が多い国の一つでもあるわが国において、相対的貧困率が高いことはむしろ当たり前のことでしょうし、それが上昇しているのもかなりの程度高齢化によって説明できるのではないでしょうか。
まあ、鳩山首相としてみれば、「貧困率」という言葉と、「先進国ではアメリカに次ぐ高さ」という見た目に惚れたのでしょう。それをもとに、いかに日本に貧困が多く、したがって最低賃金の引き上げとか子ども手当とかの政策を実行すべきだ、ということを言いたかったのかもしれませんが、どうも「相対的貧困率」という指標はそれに適したものではなさそうです。このあたり、「労働分配率が低下しているのはけしからんから賃上げせよ」と主張していた自民党政権とあまり違わないようですな。
なお為念申し上げておきますが、私は貧困がないと主張しているわけではなく、また等価可処分所得の中央値228万円という水準が満足できるものだと考えているわけではありません。貧困はたしかに存在しますし、それを撲滅するための政策対応は必要です。経済を活性化して国民所得を引き上げることが望ましいことは言うまでもないでしょう。このエントリではただ、経済指標を使って政策を議論するときには、適切な指標を正しい理解のもとに使うことが大切(というか当然)ではないかと申し上げたいわけです。
なお、これはこのブログでも繰り返し書いていますが、貧困への政策的対応として民主党の政策がいいかどうかは別問題ですし、経済成長に向けた戦略が見えにくいことには不満を感じてもいます。これまた念のため。