「民主党の経済政策どう評価 「安心確保」の財源見えず」橘木俊詔同志社大学教授

さらに続いて、最近の「経済教室」への感想シリーズです。本日は5月12日に掲載された橘木先生の論考で、「増税の手段、消費税で 雇用問題への対処が急務」という見出しがつけられています。

 日本では、「教育費は家計が負担し、福祉などセーフティーネットは家族と企業が担当する」との慣習が支配的だった。これを反映して、国家による教育や社会保障の支出額は先進国の中で最低レベルに近い状況が続いてきた。…
 だが教育と福祉を家計、家族、企業に押しつけてきたことで、日本には今や様々な歪みが生じている。教育でいえば、豊かな家庭の子弟がよい教育を受けられる一方で、貧困家庭の子弟はその機会に浴せない教育格差が深刻である。
 福祉に関しても、家族と企業はもはやその役割を果たせない。…年金、医療、介護、子育てなどを社会全体で支え合うしかない。
 その点で、民主党が示した政策の方向性は様々な歪みを是正するものであった。高校の授業料無償化策で、貧困家庭の子弟でも高校に通うことが可能になる。子ども手当支給は、若い夫婦が所得が低いので子どもを産めないという事態をなくすのに役立つし、子育てを社会で行うという精神の高揚につながるだろう。出生率の向上にも寄与する。

 一方残念なのは、「国民の生活が第一」といいながら、年金、医療や介護といった、国民の最大の関心事について、民主党が目指す全体像がまだ見えないことである。年金制度については、…民主党が提案してきた最低保障年金制度…医療では、…医療保険制度の統合が検討され、民主党もその案に賛成していたはずだが、現時点では何の声も聞こえてこない。後期高齢者医療制度の行方も不明である。
(平成22年5月12日付日本経済新聞朝刊「経済教室」から、以下同じ)
http://www.nikkei.com/paper/article/g=96959996889DE2E5E3E5E3E7E6E2E3E3E2E7E0E2E3E29997EAE2E2E2;b=20100512

橘木先生は(省略してしまいましたが)大陸欧州型の福祉国家を指向しておられるようですので、民主党のこれら政策には共感されるのでしょう。私もいまのわが国では再分配の強化が必要(ただし程度については別途の議論)だという点には同感です。
社会保障への無策ぶりを嘆かれるのもまことにもっともで、後期高齢者医療制度は2013年まで先送りしたようですが、どうするつもりなんでしょうね?

 雇用保険制度については、加入要件である雇用見込み期間を短縮して非正規労働者が新たに保険に入れる道を開いた点は望ましい。問題は生活保護制度である。不況によって大量の生活保護受給者が出ているが、財政難の中、できるだけこの制度に頼らない貧困対策が必要である。高齢者への年金給付額引き上げ、母子家庭の母親や若者の働く場所を確保する施策、最低賃金の引き上げ、非正規労働者の労働条件改善などを積極的に推進する必要がある。

うーん、しかし福祉国家で救貧政策を政府がやらなくてどうするんですか、という気がするんですけどね…。
「高齢者への年金給付額引き上げ」の意味するところがいま一つ不明なのですが、年金受給者は生活保護の対象者とは一桁違うはずで、生活保護に頼らないために年金を引き上げたらかえって多額の財源が必要になりそうな気がするのですがどんなもんなんでしょう。「母子家庭の母親や若者の働く場所を確保する施策」というのもたしかに大切でしょうが具体策が不明です。まあ、政府がなんらかの形で仕事をあてがうということかもしれませんが、それだって財源が必要ですが…。もちろん財源の話自体は後から出てくるわけですが、財源確保して社会保障を整備するのはよくて、財政難だから生活保護はダメ、という理屈はちょっと変じゃないかと思うのですが。
そして、またまた出ました「最低賃金の引き上げ」。もちろん最低賃金が上がることは好ましいことです(生産性向上→業績向上→労働条件向上→最低賃金上昇という正常なプロセスをたどるのであれば)。ただ、これは救貧政策としてはかなりの欠陥があるわけで、それについてはこのブログでも繰り返し書いてきました(たとえばhttp://d.hatena.ne.jp/roumuya/20091126)ので繰り返しませんが、最賃引き上げで恩恵を被る人の過半(50.5%)は世帯年収500万円以上の世帯の非世帯主ですから、生活保護のほうがよほど救貧政策として合目的的であることは明らかです。そして「非正規労働者の労働条件改善」。もちろんこれも大事ですから、教育訓練や雇用期間の長期化などを通じてスキルを伸ばし、仕事の付加価値を高めることで労働条件を改善するということであれば大賛成です。ただ、残念ながら橘木先生はおそらく均等処遇とか同一労働同一賃金といったことをお考えなのでしょう。最低賃金を大きく上げれば上げるほど、同じ賃金水準に幅広いスキルの人が含まれることになり、同一労働同一賃金からは離れていくはずなのですが…。
まあ、橘木先生としては、救貧対策というよりは現行の最低賃金非正規労働者の処遇が低きに失して社会正義に反する、企業が不当な低賃金労働を強要して非正規労働者を収奪している、といった義憤が先に立っておられるのでしょう。しかし、義憤で社内外の労働市場を歪めることにも慎重であるべきではないでしょうか。救貧対策を本当に考えるのであれば、賃金に手を突っ込んで不自然な操作をするのではなく、勤労所得税額控除のような就労促進的な再分配強化を考えたほうがいいと思います。

民主党の掲げる経済政策の方向性自体は、全体として評価できる点が多い。ところが…「期待外れ」の観が否めないのは以下の2つの理由がある。
 第一は、増加する公共支出額への財源の手当てがきわめて不十分な点である。…政府はまずムダな公共支出削減を優先し、その後に増税策を考えると主張。…消費税を争点として選挙に臨んだ過去の政権が敗北を喫したトラウマに、首相もとらわれている。
 確かに公共事業支出を実際に削減している点は評価できるが、それだけでは到底間に合わない。…
 新古典派に忠実な経済学者の多くは、レーガンサッチャー流の「小さな政府論」もあって増税策は経済活性化にマイナスという評価が強い。だが…国が確固たる社会保障制度を準備すれば、国民は安心を感じて消費支出を抑制しない。多くの統計が示すとおり、現在、国民が感じる最大の将来不安は、年金、医療、介護などに向けられている。その解消には、財政赤字を削減する目的も含めて、増税はやむをえないのである。国民の中でも、社会保障の充実で安心を確保し、すべてが平等に教育を受けるようにすべく、ある程度の税負担で賄う必要があると考える人は多い。
 増税の手段としては、所得税社会保険料ではなく、消費税を充てるのが望ましいと考える。労働供給や資本蓄積に中立的な間接税に頼ることが、経済成長率を高めるのに寄与するからだ。

増税が必要だということは明らかで、問題は上げ幅でしょう。省略しましたが、付された図表(国民負担率の国際比較)によれば日本の国民負担率は38.9%と、米国よりは高率ですが、英国や大陸欧州諸国よりは低くなっています。まあ、50%くらいには上げないといけないのでしょう(根拠なし。なんとなく)。四公六民*1から五公五民に変えた享保の改革ですな(笑)。労働供給や資本蓄積に中立的なことに加えて、課税ベースが広く、所得捕捉の問題のない(ただし益税の問題はある)消費税が好ましいというのも同感です。となると、逆進性緩和のためにも勤労所得税額控除の出番かと思うのですが。ただ、資産保有や資産所得への課税は投資を阻害するから好ましくないという理屈はよくわかるのですが、それにしても資産性所得は勤労所得と異なり社会保障の負担はないわけなので、もう少し負担を求めてもいいのではないでしょうか。生産設備に重課税するのはたしかにバカげていると思いますが、配当にはもう少し課税しても大きな問題にはならないと思うのですがどんなものなのでしょうか。

 財源確保の一方で、経済成長の見取り図を描くことが重要だ。「コンクリートから人へ」の政策転換による公共事業削減に伴う成長鈍化を何で補うかである。ただ民主党の経済政策には成長戦略がないと批判されるが、民主党政権の福祉充実策は十分に経済活性化に寄与する。鍵を握るのは新産業を積極的にどう育成していくかである。環境、サービス、観光、福祉、医療、教育などの産業で、規制を緩和しながら産業を効率化することが不可欠である。そしてその産業で働けるよう人が円滑に職を移ることができ、かつ生産性が上がるよう、徹底した教育・訓練が望まれる。

橘木先生は「民主党政権の福祉充実策は十分に経済活性化に寄与する」と言われるのですが、こうした考え方(民主党の「福祉経済」など)に関しては一昨日(5月17日)の「経済教室」で学習院鈴木亘先生が「「社会保障で成長」は誤り」という論考を寄せておられ*2、「ポイント」として「社会保障費拡大は潜在成長率を高めない」「民主党の政策、一時的「財政政策」にすぎず」「低所得者への再分配も消費拡大はわずか」と主張しておられます。これは実証にもとづく議論でかなり説得力があります。もちろん、鈴木先生が批判しておられるのは「借金による社会保障費再膨張」であって、橘木先生は消費増税による財源確保を主張しておられるわけですから橘木先生の所論が否定されているわけではないのですが、しかし「福祉充実策は十分に経済活性化に寄与する」に疑念を抱かせるには十分です。まあ、橘木先生からみれば、鈴木先生は「新古典派に忠実な経済学者*3」で片付けられてしまうのかもしれませんが。
それはそれとして、「規制を緩和しながら産業を効率化することが不可欠」なのに最低賃金を引き上げたらまずいでしょう、おっと揚げ足取り失礼。もちろん、「生産性が上がるよう、徹底した教育・訓練」を実施して、その成果が現れることで賃金が上がるのは好ましいわけですが。

 期待外れのもう一つは、閣僚や党幹部の発言がバラバラで、司令塔が存在しないことだ。…
 今後の経済政策を占う上で、深刻な雇用問題へどう対応するかに注目したい。今回の世界同時不況は、リーマン・ショックという対外要因が発端だっただけに、日本がとりうる政策手段はそう多くない。伝統的な公共事業に期待できない中、先述の産業育成が試金石であり、これらの産業の雇用吸収力に期待がかかる。
 ワークシェアリングについても再度、提唱したい。欧州各国での成功例と異なり、日本ではこの政策はなかなか市民権を得ない。仕事の分かち合いは、失業者を減少させるだけでなく、一部の長時間労働者が社会問題化するわが国では大きなメリットがある。
 ワークシェアリングをうまく機能させるには、「同一価値労働・同一賃金」を担保する政策を導入することが重要だ。これは正規・非正規間の賃金格差の是正にもつながる。昨年の失業率が5.1%という深刻な雇用情勢を踏まえた、非常事態としての政策対応が急務である。

いや「産業育成が試金石であり、これらの産業の雇用吸収力に期待がかかる」というのはまことにそのとおりです。なかなか、簡単ではないでしょうが…。
さて、ワークシェアリングについては「欧州各国での成功例」と言われるわけですが、成功例ってどの国でしょうか?後の記述をみるとオランダかなという感じはありますが、「欧州各国」というほどにたくさんの成功例は見当たらないような気がするのですが…。フランスはワークシェアリングで雇用は増えなかったという評価が定まっていたと思いますし(まだ異論はあるのでしょうが)、どうも橘木先生の議論はとにかく先に「同一価値労働・同一賃金」や「正規・非正規間の賃金格差の是正」ありきのような感じがあり、理解しにくいものがあります。非常事態だからといって社会主義国家の公定賃金のようなものを強行したら禍根を残す、というか取り返しのつかないことになりかねないと思うのですが…。

*1:当時の政府の徴税力は低かったため、実際の負担は三割弱程度だったそうです。

*2:ちなみに日経のつけた見出しは「負担先送りは不可能 景気対策の効果も疑問」となっています。

*3:ちなみに鈴木先生は学部時代に八代尚宏先生に師事したそうです。