ということで感想を少々。コピペができないので引用が少なくなりこれだけでは何が何やらという感じになるかもしれませんがご関心のむきは中央公論誌におあたりください。上記のとおり図書館で読む分にはまったく損はないと思いますし古代史に興味をひかれる方は買っても損はないと思う。
まず特集冒頭、呼び物の大竹×又吉対談ですが、大学教授やお笑い芸人とサラリーマンの働き方の違いから入って、サラリーマンの仕事の質的変化、年功賃金の経済学的な合理性、技能の陳腐化リスクへと話が移り、雇用形態の多様化や転職を含むキャリアの拡大に触れ、最後は職業と幸福度の話で締めています。短い中に多くのトピックがわかりやすく・手際よく収録されていて、論調もバランスが良く、手ごろな読み物になっています。最後の部分は「やりがい搾取」とか言ってる人たちが目を三角にしそうな話ですが、まあ大竹先生や又吉さんのことなら誰も文句は言わないかな。
さて、大竹先生はここで「40歳定年」についてはたとえば20年の有期雇用を可能とする、といった雇用形態の多様化の主張としてとらえておられ、そうした多様な働き方を可能とすることで60歳、65歳以降の高年齢者の就労の機会が増えるのではないか、と述べておられます。そういうことであれば、私も雇用形態の多様化は望ましいと考えますし、5年超の中長期の有期契約も可能としていくべきとの意見ですので、同感できる部分が多い主張だと思います。ただ、60歳の人をあと5年雇おうとする企業は少ないが、40歳の人と25年契約する企業は多いだろうという主張にはにわかには同意できませんが。
次が柳川先生のインタビュー記事なのですが、おそらく編集の能力の差だろうと思いますが文章のクオリティは以前紹介した日経ビジネスオンラインの記事よりはるかに改善しています。改善していますが、内容については申し訳ありませんやはりダメです。冒頭に「40歳定年制は主要なメッセージではない」としていて、言いたいことは雇用の多様化と学び直しのための雇用の有期化だと主張されていて、これは大竹先生の解釈と整合的です。ただし、具体的には「期間の定めのない契約は20年契約と解釈」し、「働き続けなくてもいい、今の会社に十分な働き場所がないとすればそのまま居続けなくてもいい、というオプションを設け、多様な働き方ができるようにすることがこの制度の眼目」であり、「20年を目安にしたのは、そこでいったん学び直してほしい」という意味であり、それにより「全ての国民が75歳まで働ける社会」「人生で2〜3回程度転職することが普通になる社会」をめざすとしています。
そこでダメポイントを再確認(笑)しますと、まずは「今の会社に居続けなくてもいいというオプションを設け」とか言ってる段階でいや現状でも労働者はいつでも退職できますがという話になるわけです。いつでも退職できるわけですから10年だろうが20年だろうが30年だろうが退職したほうが得だと思えば退職するわけで、実際問題そういう転職も多数(とりわけ好況期には)行われています。
あるいは「人生で2〜3回程度転職することが普通になる社会」というわけですが、「人生で」という話になるとすでに「2〜3回程度転職する」というのは現在でもむしろ普通なのではないかと思います。でまあ企業人が転職すれば必ずなんらかの学び直しは発生する(ここは経済学者が大学を移るのとかなり違うところなので柳川先生が実感できないことは理解するところ)わけです。もちろん、企業内の人事異動であっても部門が変われば相当の学び直しが発生します。どうも柳川先生は大学院での学び直しでなければ学び直しではないとお考えのようであり、かつ大学院で学び直せば75歳まで必ず雇用されるともお考えのようで、まあそれって大学関係者には理想郷だよねとは思いますがそんな勝手な理想を語られてもなあ。
あとは例によって循環要因を無視しているという問題があって、現実の労働市場では、不況で労働需要が減退している時期には相当の高スキル保有者でも転職は困難である一方、好況で労働需要が逼迫している時期には特段のスキルがなくても採用されてOJT中心の内部訓練で育成される、という循環が繰り返されているわけです。この現実に目を背けて「学び直しでスキルを身につければ75歳まで働けます、そうしなければ60歳以降は雇われません」とか言われてもなあと思います。
それからこれも例によってなのですが「企業特有のスキル」と「会社を移っても通用するスキル」の二分法は池田信夫先生レベルの議論で、もちろん実際には職業生活を通じてどちらも蓄積されていくものであり、はっきり区別できるものでもなければ、どちらかしか蓄積されないというものでも当然ありません。(単純化していえば)賃金はこの全体に対して払われており、転職すれば前者の分は剥落するので賃金が減少しやすいわけですが、逆にいえば、前者のスキルはそうしたリスクがある分だけ高く支払われるのが合理的であり、実際にそうなっているのではないでしょうか(このあたり実証の問題のような気もするのですがわが国でそういう調査はあるのでしょうか。私が知らないだけできっとあると思いますので、ご承知の方はご教示願えれば幸甚です)。たしかに倒産やらリストラやらで大きく収入が減少する人もあるでしょうが、その分は(平均的には)それ以前に高くもらっていたと考えればいいのだと思います。
だとすれば、大竹・又吉対談にあるように企業が後者重視のオファーを出すケースも今後増えていくでしょうし、労働市場全体でも後者の働き方のウェートが今後高まっていくのだろうという予想は私も持っています。その上で、それを選ぶのか従来型を選ぶのかは労働者というか労使の自由ではないかと思います。私は契約の自由とか職業選択の自由とかいうものを大切に考えていますので、期間の定めのない(?)契約の上限を20年に規制してそれを上回る契約を禁止するという政策には大きな違和感を覚えます。
さて、柳川先生の記事に続いて、hamachan先生こと労働政策研究・研修機構の濱口桂一郎統括研究員と、元リクルートの海老原嗣生氏(いまは(株)ニッチモ代表取締役というポジションらしい)の対談になります。
ここでは、前半部分ではからずも40歳定年説のダメさ加減を議論していて、いやはからずもだと思いますが意図的だったらすごいなあ。具体的にはhamachan先生(本ブログの読者の方にはこれが通りがいいでしょう)から人事管理上の定年制度の意義を理解しての提案とは思えないこと(御意)、定年制だとすれば年金との接続が考慮されていないこと(これについては私は代替的手法での対応を認めるべきとの意見ですが過去繰り返し述べたので省略)、「辞めたくないのに辞めさせられる社会が望ましいとは思えない」(御意)、「リストラの体のいい理屈みたい」(「みたい」が重要で知識不足のせいでそう取られても仕方ないものになっていると思う)などとの指摘があり、海老原氏からはうだつの上がらない人を排除するしくみに見える(同様でそう見られても仕方ない)、各国とも技能が蓄積される40代以降の転職は少ない、学び直しで転職できるとの想定は非現実的(まったくもって御意)などとの指摘がされています。はからずもだと思うのですが柳川先生にはいささかつらい流れになってしまいましたね。
さてここからは40歳定年を離れて別の話になりますので次回に続きます。って次回はいつになるやら、つか本当に次回があるのか(笑)。