小峰先生の微妙なる流動化論

法政大学の小峰隆夫先生が、日系ビジネスオンラインの連載コラムで「日本型雇用慣行について考える」という記事を書かれています。きのう、その第2回が掲載されましたので、ここまでの感想を簡単に書いてみたいと思います。
主眼は今回掲載された第2回ですが、まず初回(10月17日掲載)についても簡単にみていきたいと思います。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20121014/238028/
小峰氏の問題意識は冒頭に示されていて、「今後必要な政策方向と国民が支持する政策方向が食い違っている」というものです。なるほどそれは国民は消費税増税を支持しないかもしれないが現実にはやらないといずれ破滅するよねえとか、国民は原発ゼロを望んでいるかもしれないけど現実には再稼動しないと経済、雇用ひいては国民生活が持たないよねえとか、在日米軍はいなくなってほしいと思ってる国民も多いだろうけど本当にそれをやって喜ぶのは数千万の国民が飢えている中で核武装を進めているどこかの国だよなあとか、別に珍しい話でもなんでもないわけで、小峰氏は「そんな類の問題として、以下では、日本型雇用慣行の問題を取り上げてみたい」と述べておられるわけです。
まず今後必要な政策方向として(ツカミで「40歳定年」をとりあげて内輪褒めをしておられますがそれは割愛させていただいて)、最初にこう主張しておられます。

…人口に占める労働力の割合が低下するという人口オーナス時代においては、限られた労働力をできるだけ有効に活用していくことが必要となる。そのためには、産業・企業を超えて労働力の再配置を行っていくことが必要となる。この時障害となるのが、終身雇用的な日本の雇用慣行だ。…
…現実に行われていることは、年金給付支給年齢の引き上げと関連してむしろ定年を延長したり、パート労働者の待遇改善のために、積極的に有期雇用を無期雇用(いわゆる正社員)に切り替えようとしたりしている。要するに、労働力の流動化どころか、固定化に向かっているのだ。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20121014/238028/

「人口オーナス時代においては、限られた労働力をできるだけ有効に活用していくことが必要」ということについては次回解説されるとのことですが、まあ「限られた労働力をできるだけ有効に活用していくことが必要」ということについては、それ自体はそのとおりだと私も思います(まあ労働力を「有効」とか「活用」とかいうのはけしからんという考え方の人もいるのでしょうが)。
で、最後に「国民が支持する政策方向」として、JILPTの調査結果をひいてこう述べられています。

…日本型の雇用慣行は、多くの人の支持を得ているようだ。この点について、私が最近目にした調査としては、労働政策研究・研修機構の「第6回勤労生活に関する調査」(2012年5月)がある。
 この調査によると、「終身雇用」(一つの企業に定年まで勤める日本的な終身雇用)を支持する割合(これを「良いことだと思う」「どちらかといえばよいことだと思う」の合計、以下同じ)は、87.5%となった。これは1999年にこの調査が始まって以来の最高値である(99年は72.3%だった)。
 さらにこれを年齢別に見ると、若者の「終身雇用」支持率が上昇している。…
 日本の労働者は、終身雇用、年功賃金、一企業内でのキャリア形成という雇用慣行を支持する割合が高く、その支持は近年さらに高まっている。特に若年層の変化が激しい。

ということで前回は終わっているのですが、引用した最初と最後の間では「日本型雇用慣行がいかにして日本に強固に組み込まれたものとなっているか」について「相互補完性」と「履歴効果」の観点から解説されています。小峰先生はかつて連合総研の研究主査を務められたこともある方であり、さすがに要領のよいまとめになっています。長期雇用と年功賃金、あるいは企業内訓練の相互補完性についてはご指摘のとおりであり、履歴効果のところで言及されている定年制もそこで指摘されているとおり長期雇用や年功賃金とワンセットでしょうし、あるいはよく言われる企業内組合といったものもそうだろうと思います。もちろん、このブログでも繰り返し書いているように、このシステムは外部労働市場における非正規労働の存在とも相互補完的であるわけですし、さらには、多くの中小企業では終身雇用や年功賃金は無縁という労働市場の二重性を指摘することもできるわけですが、とりあえずここでは小峰先生はこれらにはご関心がないようです。なおこれが長年にわたって受け入れられ定着してきたことで履歴効果が働いているというのもそのとおりだろうと思います。
そこで昨日掲載の第2回となるわけですが、前回を受けてこのように始まります。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20121029/238715/

 日本型雇用慣行の議論を続けよう。日本経済の再生を考えていくと、いろいろなところで日本型雇用慣行が障害になっていることに気づく。したがってこれを変えていくことが必要なのだが、多くの人はこれを変えるつもりはない。むしろ続けてほしいと思っている。このギャップが非常に大きいというのが私の言いたいことだ。
 このギャップを埋めるのは大変難しく、私自身はやや諦めかけているのだが、地道に説いていくしかないのであろう。…
http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20121029/238715/

ということで国民をバカ扱いして始まるわけですが、それではバカな国民の一人である私としては小峰氏がどのように地道に説いてくださるのか興味をひかれるわけです。

…私の見るところ、(少なくとも私の身の回りの)経済学者の間では、日本型雇用慣行、特に正社員の身分保障が強い長期雇用(いわゆる終身雇用)の評判は芳しくない。どうしてだろうか。私から見ると、これは極めて自然なことである。
 経済学の基本は市場メカニズムに沿った自由な行動が、資源の最適配分をもたらすということだ。雇用についても、労働が不足している分野では求人が増えて賃金が上がり、逆に余っている分野では失職者が出たり、賃金が引き下げられたりする。こうした中で、経済主体が自由に行動すれば、足りない分野(成長分野)に人が集まり、余った分野(衰退分野)からは人が出ていくことになる。こうして労働の需要と供給がスムーズに調節されることによって、労働力の最適配分が実現する。
 こういう言い方をすると、経済的効率だけを考えているように聞こえるかもしれないが、これは働く側にとっても望ましいことである。労働力の最適配分が実現することによって、働く人々は自分の能力に見合って最大限の報酬を得られるようになる。また、長期雇用が支配的だと、たまたま入った企業で職業生活を送り続けなければならない。その企業が自分にフィットしていれば理想的だが、「こんなはずではなかった。他の企業の方が良かった」と考えている人も多いはずだ。それでも同じ企業にとどまるのは、そうしないと失業してしまうからだ。つまり、「雇用の安定」を得るために日々の不満を抑えているということである。

なるほど「(少なくとも私の身の回りの)」40歳定年とか大真面目に言ってしまうような「経済学者の間」ではそうなんでしょうねえ。それはそれとして、「長期雇用(いわゆる終身雇用)」と書いているあたりはさすがに連合総研の研究主査という感じです。
そこで、「労働が不足している分野では求人が増えて賃金が上がり、逆に余っている分野では失職者が出たり、賃金が引き下げられたりする。こうした中で、経済主体が自由に行動すれば、足りない分野(成長分野)に人が集まり、余った分野(衰退分野)からは人が出ていくことになる」というのはたぶんそのとおりで、おそらくは日本の労働市場でもそうなっていると私は思います。終身雇用だろうが定年制だろうが労働者の退職や転職が禁止されているわけでは一切なく(ただし損得はありますが後述)、実際問題としてよりよい条件を求めての転職というのは当たり前に行われているわけです(たとえば米国と比べて転職率が低いとかいう話はあるにしても)。問題は労働が不足していて労働者がそちらに移ろうかと思うくらいに賃金が上がっている成長分野というのがあまり見当たらない(あるというなら見せてください)ということだろうと思います。これはもちろん第一に供給サイドの需要創出の失敗、イノベーションや商品開発の問題であるわけですが、マクロ経済政策や金融政策(これを言うからリフレ派といわれるわけだ)の問題でもあり、雇用システムの問題があるにしても小さなものだと思うわけです。
もちろん小峰先生や先生の身の回りの先生方がご指摘になるように「余っている分野では失職者が出たり、賃金が引き下げられたりする」ことが先生方の期待ほどに起きていないことも事実かもしれません。いや現実には失職者も相当に出ていますし賃金の引き下げも(特に残業手当や賞与の減少という形で)起きてはいるわけですが、まあ先生方が僕たちの期待ほどじゃないぞと思われるのは仕方ないと思いますし、賃金についてはもっと柔軟性があってもいいかもしれませんが、まあどれほどのものかというと大したことはないのではないかと。
さて「これは働く側にとっても望ましいことである。労働力の最適配分が実現することによって、働く人々は自分の能力に見合って最大限の報酬を得られるようになる」というのは、まあ最適配分の定義上そうなるということなのでしょうが、しかしかなりミスリーディングな表現だとも思います。わが国の労働市場の現状をみると、小峰先生ご指摘のとおり「余っている分野」はありそうであり、いっぽうで「労働が不足していて十分に賃金が上がっている成長分野」というのがそれに見合うほどには見当たらないという状況でしょう。こうした中で「余っている分野では失職者が出」ると、ミクロではあなたは失業しているのが労働力の最適配分ですという人が続々と出てきかねない、というか確実に出てくるでしょう。もちろんそれが定義上は現時点で「自分の能力に見合って最大限の報酬を得られるようになる」状態だということになるわけで、そのために雇用保険とかセーフティネットを拡充しますという話になるのでしょうが、それが「働く側にとっても望ましいことである」といくら地道に説いてもなかなか納得は得られないでしょう。いや成長分野に人を集めるのは大事なことでしょうが、それにはまずここに人を集めるんですよという成長分野を見せることが効果的ではないですかという手順の問題なわけです。
いっぽう、長期雇用では途中で退職すると損になることが多い、という指摘はそのとおりだろうと思います。成長分野でその損を取り返せるくらいの労働条件を提示しなければならないとなるとハードルは高いかもしれません。ただ、これもたびたび指摘されるとおり、人が余るような産業・企業では将来的に損を取り返せるかどうかは不確実であり、現に当初「このように取り返せます」と約束したはずのものを取り返せなくなりましたが失業するよりいいでしょうということで実質的な労働条件の切り下げを行ったというのが2000年前後の成果主義騒ぎの一つの側面でもあったわけです。すでに強度に足止め的な年功賃金というのもほぼ姿を消しており(だから技術者の引き抜きなどが問題になるわけですが)、繰り返しになりますが大騒ぎするほどの問題なのかと。
また、小峰先生は「働く側にとっても望ましいこと」として「長期雇用が支配的だと、たまたま入った企業で職業生活を送り続けなければならない。その企業が自分にフィットしていれば理想的だが、「こんなはずではなかった。他の企業の方が良かった」と考えている人も多いはずだ。それでも同じ企業にとどまるのは、そうしないと失業してしまうからだ。つまり、「雇用の安定」を得るために日々の不満を抑えているということである。」という説明もされていますが、まあ当たり前というか、とりあえず余計なお世話というところでしょうか。「「雇用の安定」を得るために日々の不満を抑えている」ということは雇用の安定を捨てれば日々の不満を解消できる(少なくともその可能性はある)ということであり、そちらのほうがいいと思えばそうすればいいだけの話です。
これについては、小峰氏はこう書いています。

 専門的なスキルを持っており、そのスキルの評価に応じて、複数の企業を移動していくということによっても雇用は安定する。日本的慣行では、「企業に沿って仕事の内容を変えながらキャリアアップしていく」のだが、「専門的スキルに沿って企業を変えながらキャリアアップしていく」というやり方で雇用の安定を図ることも可能なのだ。

ここでおそらく最重要のポイントは日本的慣行では企業特殊的熟練に対しても賃金が支払われているというところではないかと思います。これはまさに企業特殊的熟練を競争力にするという雇用戦略と整合的な、まさに相互補完的なものです。で、「専門的スキルの評価に応じて複数の企業を移動」する場合には、企業特殊的熟練が剥落する分だけは賃金が下がらざるを得ない。これは実際にはすでに当たり前に起きていることで、日本的慣行のもどでは専門的なスキルが得られないかといえば当然そんなことはないわけで、むしろOJTにより相当のスキルが得られるでしょう。それを売りに転職するというケースも多々あるわけで、好況期にはそれで大幅な増収を勝ち取ったケースも珍しくなかったわけです。それでも平均的にはたぶんそれほど増収にはなっていない(実現した転職だけをみれば健闘はしているだろうとも思いますが)はずで、それはやはり企業特殊的熟練に支払われていた分がなくなるという事情があり、それでも転職によって「他の企業の方が良かった」という「日々の不満」が解消されたほうがいいと思う人はそれを受け入れて転職するわけです。
これについては小峰先生もこうは書いておられます。

 どちらも雇用は安定するので、どちらがいいとは言えないのだが、前者の日本型雇用安定システムは、特定の企業に強く依存している分だけリスクが大きいとも言える。当の企業の業績が悪化すると、リストラされる可能性があるし、倒産してしまったら一巻の終わりである。ましてや、産業・企業の浮沈が急テンポで進行する現代の経済では、後者の「専門スキル」依存型の方が雇用は安定するかもしれない。

そうなのですがこれも一面的な評価で、裏返せばこうもいえるわけです。

 どちらも雇用は安定するので、どちらがいいとは言えないのだが、後者の「専門スキル」依存型雇用安定システムは、特定のスキルに強く依存している分だけリスクが大きいとも言える。当のスキルが需要が縮小すると、リストラされる可能性があるし、陳腐化してしまったら一巻の終わりである。ましてや、技術・技能の浮沈が急テンポで進行する現代の経済では、前者の日本型の方が雇用は安定するかもしれない。

つまり、日本型は企業内で必要とされるスキルの訓練が(主にOJTで)行われるので失業を経ずに新たなスキルを習得できるし、日本型でも一定の専門スキルは形成されるので、経営者の無能で倒産した場合などスキルが陳腐化していない場合は一定の減収を受け入れれば転職は可能だという考え方もあるわけです。要するにどちらがいいとは言えないのでしょう。ただいずれにしてもスキルが陳腐化した場合の再教育は必要であるに違いはありません。
続いて、

企業依存型の雇用の安定は、「企業内の正社員」だけについての雇用の安定だということだ。雇用調整を迫られた時、日本では「新規採用を抑制する」という手段を取りがちだが、この場合は、企業内の雇用を守るため、若年層の雇用を不安定化させていることになる。

これはそのとおりで、まあこれも繰り返し書いているとおりスキルや労働条件で比較するといかに低賃金でも未熟練な若年になかなか勝ち目はないよねという話でもあるのですが、もちろんすべてがそうではないですし「勝ち目があるように職業訓練するのだ」と風車に突っ込む意見もあるわけで、全部でないにしてもご指摘のような問題もあると思います。でまあ、小峰先生の引用されたJILPTの調査などをみるにつけ、多くの若年の意識は「ジョブ型もいいし他の人がジョブ型で働いてくれればいいとも思うけど私は日本型の正社員になりたい」というものではないかなあと私などは想像するわけで、この点ジョブ型論者の方々と小峰先生は同じ悩みを共有されているというところでしょうか。
さてこのあと小峰先生は日本型雇用を変えるための提案を述べられるわけですが、まず

 もちろん長期雇用がすべて悪いというわけではない。企業の核として働き続けてほしい人材は長期雇用で一企業に特化して働き続けた方がいいかもしれない。要はバランスであり、日本では長期雇用か非正規かという二つの選択肢しかなく、長期雇用で守られている人々がそうでない人々に比べて守られ過ぎていることが問題なのだ。

まあ私も「長期雇用が日本の伝統」とか「日本文化に合っている」とかいうのはナンセンスだと思いますし、長期雇用をあたかも天然記念物か文化財のように守ろうとする発想はいかがなものか(あ、使ってしまった)と思います。ただ「長期雇用で守られている人々がそうでない人々に比べて守られ過ぎている」とは必ずしも思いません。もちろん個別にみれば守られすぎている人、守られなさ過ぎている人(文法が変かな?)がいるとは思いますが、大方の正社員は現状程度の保護に見合う働き方をしていると思いますし、むしろhamachan先生などが指摘されるように働き方に見合う保護が得られていない正社員というのもいるだろうと思います(いやもちろん城繁幸氏とかが仮想?敵として目の仇にしているような保護されすぎの正社員もいるかもしれませんが)。制度の話と個別の保護の話は一応区別したほうがいいと思います。
でこのあと小峰先生は一生懸命40歳定年制をプッシュされるのですが、これについては提唱者?である柳川先生の解説記事もあるらしいのでそれも読みながら別途書きたいと思います。ここではその続きを紹介したいと思います。

 二極化した正社員と非正社員の間に中間的な雇用形態を広げるという提案もある。玄田有史東京大学教授は、正社員と非正社員の間に「准正社員」(別途、準社員という概念があるため「准」という言葉を使っている)という雇用形態を設けることを提案している(2010年2月18日、日本経済新聞、経済教室)。これは、異常時には柔軟な雇用調整の対象となるが、平常時には安定的な処遇が保障されるというものだ。これによって、働きながら能力・経験を積んだ非正社員は、「准正社員」→「正社員」とステップ・アップしていく道が開ける。企業の側も優秀な非正規の社員に長く働いてもらうことができる。
 同じような考え方で、特定の仕事がある限りは雇用が保障され、転勤はなく、労働時間も自分で決められる「専門職正社員」を設けるという案もある(八代尚宏「整理解雇の論点(上) 金銭保証ルールの明確化を」日本経済新聞、経済教室、2010年11月29日)。
 整理解雇についての条件が厳し過ぎることが雇用の流動性を妨げているという観点から、適切な金銭保証を軸として解雇規制を見直すべきだとする考えも多くの専門家が提唱している(例えば、前掲、八代論文)。 …
…ここまでで述べてきたことはそれほど目新しいことではなく、おそらく経済学者の間では「常識的で何の変哲もない考えだ」と受け取られそうな気がする。

他の話(40歳定年とか)はともかく、引用した部分については私も同感であり、これが労働研究者でない「経済学者の間では「常識的で何の変哲もない考えだ」と受け取られ」るようになっているのであればまことに喜ばしい話だろうと思います。いや労働研究者は、たしかたとえば上でもしきりに引かれている八代尚宏先生などは20年くらい前から多様化を通じた流動化を論じておられたわけで。
さてこのあと小峰先生は日本型雇用慣行の問題点として三点主張しておられ、これは八代先生や玄田先生のアイデアではない小峰先生オリジナルを主張しておられます。これについても古くならないうちに書く機会があれば(40歳定年ともども)ご紹介できればと思いますが、本日はここまでということで。