労働政策を考える(24)高年齢者雇用

「賃金事情」2603号(2011年3月5日号)に寄稿したエッセイを転載します。


 昨年11月、厚生労働省の「今後の高年齢者雇用に関する研究会」がスタートしました。開催要綱によれば、主たる問題意識は「公的年金支給開始年齢(報酬比例部分)の65歳への引上げが開始される平成25年度を目前に控え…高年齢者が…働くことができ、生活の安定を図ることができる」ということのようです。検討事項としては「希望者全員の65歳までの雇用確保策」「年齢に関わりなく働ける環境の整備」の2点があげられています。ただ、第2回の研究会に提示された「議論のためのメモ」には、後者については「将来的には」とされており、現時点での関心の中心は前者にありそうです。
 現状すでに、高年齢者の65歳までの安定した雇用を確保すべく、事業主は「定年の延長」「継続雇用制度(現に雇用している高年齢者が希望するときは、当該高年齢者をその定年後も引き続いて雇用する制度)の導入」「定年の廃止」のいずれかの措置を取ることが高年齢者雇用安定法で義務づけられています。ただし、継続雇用制度については、過半数代表者との協定によって対象となる高年齢者に係る基準を定める、つまり基準を満たさない労働者は希望しても継続雇用することを要しないとされています。
 そして実態はというと、2010年6月1日の高年齢者雇用状況報告の集計をみると、全体の8割以上の企業は継続雇用制度の導入で対応しており、うち約6割が労使協定で基準を設定しています。したがって、希望者全員が65歳まで雇用されるのは全体の約半分ということになります。もっとも、希望したにもかかわらず継続雇用されなかった人は希望者の数%に過ぎず、少数にとどまっていますが、これは基準に満たない人はそもそも希望しないからだという指摘もあります。
 こうした中で、2013年には老齢厚生年金の支給開始年齢の引き上げが始まるため、継続雇用を希望する人は増加するものと見込まれますが、現状のままでは労使で協定した基準に満たなかった人が継続雇用されず、無年金、無収入になってしまうことが懸念されています。それをふまえて「希望者全員の65歳までの雇用確保策」を検討しようということでしょう。前述の「議論のためのメモ」にはより具体的に「定年年齢の引上げについて」と「継続雇用制度の対象となる高年齢者に係る基準制度について」の2項目があげられています。後者は要するに基準制度の廃止ということでしょう。
 もちろん、60歳の定年まで誠実に勤務した人が、定年後にいきなり仕事も収入もなくなってしまうということは望ましいことではありませんし、定年後の生活に重大な不安がある中では、意欲も生産性も高まらないでしょう。また、傾向的に労働力人口の減少が見込まれる中にあっては、労働力確保という意味でも高年齢者の雇用拡大は重要であり、政労使でその取り組みを進める必要があります。これについては、一昨年(2009年)末に閣議決定された「新成長戦略」においても、高齢者の就業率向上がうたわれています。
 とはいえ、その具体的な方向性が「定年延長」と「継続雇用制度の基準制度の廃止」だけかといえば、必ずしもそうではないように思われます。
 そもそも、現行法制下でも継続雇用制度の基準を設けるには労使協定が必要であり、労働サイドが本当に「希望者全員が継続雇用されるべきだ」と考えるのであれば、それは現在でも実現可能です(協定を拒めばよい)。それにもかかわらず多くの企業で協定が行われているのは、働く人たちの間にも「ある基準に達することのできない人は継続雇用されないことが公正だ」との考えがあることの現れという一面もあるのではないかと思われます。
 加えて、継続雇用の基準が、60歳以降も健康で、付加価値の高い仕事に従事する人を増やす上で一定の貢献を行っていることも重要です。基準を設けた企業の中には、たとえば50歳といった早い段階から基準を意識して、定年時に基準を満たすために健康面、体力面の取り組みが必要だとか、技能レベルが低下しないよう努力しなければならないとかいった話し合いを行っている例もみられます。こうした企業では、基準が60歳以降も生き生きと働き続けるための労使共通の目標として機能しているわけです。逆に、それにもかかわらず基準に達しなかった人は、その結果に納得したうえで継続雇用を希望しないことになるという意味でも、基準の存在は働く人にとっても有意義であるわけです。
 その一方、2013年以降は労働サイドがまさにそう考えることによって無年金・無収入になってしまう人が出てしまうわけで、これが社会全体の観点から公正かどうかはまた別問題という見方もありそうです。企業労使が自らの考える「公正」を犠牲にしても、社会全体の公正に奉仕すべきだとの議論は可能かもしれません。
 ただ、無年金・無収入を防ぐ方法が本当にすべて「就労・賃金」でなければならないのか、という論点はありうるでしょう。もちろん、「新成長戦略」が「「出番」と「居場所」のある国」をうたっているように、就労を通じて実現されることが望ましいことは言うまでもなく、そうした人を増やしていく取り組みも必要です。とりあえず直接的な公的支出が不要という点で政治的に魅力的だという事情もあるでしょう。しかし、加齢にともなうさまざまな変化は個人差が非常に大きく、高齢者の実態は多様ですから、「雇用を継続する」ことだけを「出番」と考えることには慎重であるべきではないでしょうか。
 現在でもすでに、定年前の55歳、56歳といった段階で能力の減退が顕著になり、配置転換などで対応している人も一定数います。希望者全員を65歳まで継続雇用するとなると、そうした人の大幅に増えるでしょう。その際に配置転換先を十分に確保できるかどうか、もちろん企業として適職の確保に努力するわけですが、疑問は残ります。仮に確保できたとしても、60歳以降は賃金水準も外部労働市場の世間相場を意識した職務給的なものになりますので、相当に大幅な賃金減は避けられないでしょう。それでもなお、継続雇用が最善の「出番」といえるのでしょうか。
 「出番」を「社会との有意義な関わり」と考えれば、継続雇用以外にもさまざまなあり方が考えられます。収入をともなうものとしても、たとえば近年注目されている社会的企業に転じるとか、NPOなどで有償ボランティアに取り組むといったものは、立派な「出番」と申せましょう。もちろん、収入は定年前より大きく減少することは避けられないでしょうが、それについては政府が福祉的な補填を行うことも考えられていいでしょうし、労使の話し合いを通じて、企業が福利厚生としてつなぎ年金や割増退職金を支給することで、働く人がこうした選択肢を選びやすくすることも考えられるでしょう。
 たしかに、継続雇用を通じて「出番」と65歳までの収入とが確保されることが望ましいことは間違いありません。しかし、高齢者の多様性を考えればそれを一律に実現しようというのにも無理があるでしょう。雇用にしても「出番」にしても、より多様なあり方を、多様な選択肢を考えていく必要があります。その上で、一人でも多くの人が65歳まで働き続けることができるようになるための労使の自主的な取り組みを促すような政策が求められているのではないでしょうか。