宮本・勝間対談

半年くらい前の記事なのですが、毎日新聞のサイトで宮本太郎先生と勝間和代さんという面白い顔ぶれの対談が掲載されているのをみつけました。お題は「対談 終身雇用制度」。っておいいつも言ってるけどそれは終身でもなければ制度でもなく(ry
お約束はさておき、中身を見てまいりますと、まずは日本は企業福祉が充実していたので国はあまりやらなくてよかったとか、正社員と非正社員の格差とかいったお決まりの前振りがあって、こう続きます。

 宮本 勝間さんのおっしゃっていることは、僕が勉強してきたスウェーデンモデルと似ています。スウェーデンは、非常に流動的な労働市場です。同一労働、同一賃金が、かなり実現されています。そうすると、生産性の低い、利潤率の低い企業でも、生産性の高い、利潤率の高い企業と同じ職種は同じ賃金になり、生産性の低い企業は、労働コストが利潤を上回ることすらあります。当然、経営難に陥るのですが、国は救わず、つぶしてしまいます。その代わり、職業訓練で、生産性の高いところに人を移し、完全雇用を達成します。日本なら、たとえばトヨタ自動車労働組合の要求に応じて、利潤率の高さに見合った賃金を払わなければなりません。それに対してスウェーデンボルボは、2次、3次下請けの中小企業と同じ労働コストで済んでしまい、その分、余剰が出ます。余剰を生かして国際競争力を高めてもらうのと、もう一つはこの余剰から一定の負担金をお支払いいただいて、それを福祉に生かしていく。ただ、残念ながらスウェーデンモデルは今、うまくいかなくなっています。つまり、生産性の高い部分があまり人を吸収してくれなくなっているのです。
 
 勝間 ITとかグローバリゼーションによって、企業が雇用を必要としなくなっていると考えられます。
 
 宮本 省人化が進んでいます。そうなると、そこに人を移していくといっても、限界が出てくる。スウェーデンはだんだん、80年代ぐらいからその現実に直面してきていて、公共部門で余剰労働力を吸収してきました。その結果、労働人口の3人に1人が公務員という社会ができてしまいました。
 
 勝間 ゆがみですよね。
 
 宮本 限界です。それでいっぱいいっぱいになってしまっていて、今、地方などでは、潜在的失業率が高まっていて、今までスウェーデンは一般にイメージされているのと違って、働かなくてはいけない社会でした。そうじゃないと、あんな大きな国家が維持できるはずがないのであって、国家はみんなが働ける条件を作ってきました。でも、今、先端部門に人を送り込むのが難しくなってきて、特に地方に過剰な労働力が生まれてきています。その結果、福祉に頼るようになり、国民の中に、「あいつらちゃんとやっていないのに、たくさんもらっている」という不協和音を生んでいます。福祉国家でこういう疑惑が生まれるのは相当やばい*1ことで、これが大きな揺らぎの要因になっている。これは今、どこの国でも起きており、ここを勝間モデルでどう解決していくのかなということに関心があります。

http://mainichi.jp/select/biz/katsuma/k-info/2009/06/post-30.html、以下同じ

えーと「勝間さんのおっしゃっていること」とか「勝間モデル」とかいうのはなんですかという疑問があるわけですが、まああとから少しずつ出て来るのではありますが。
それはそれとして、宮本先生が良心的だなあと感心するのは、自分が研究してきたスウェーデンについて「スウェーデンモデルは限界がきてうまくいかなくなっている」ということを率直に認めておられるところです。しかもそれは「今、どこの(福祉)国(家)でも起きており」というわけで、はたしてこのあたり北欧マンセー厨のみなさんはどうお考えなのでしょうか。ノルウェーはうまくいっている、とかいうのはダメですぜ(なにせ世界第三位の産油国なんですから)。
そこで勝間モデルなんですが、

 勝間 生産性が高く、国を支えるような産業と、それ以外の私たちの生活を支える産業に分けて、余剰人員は生活を支える産業の方に吸収して、なおかつ残ったものは福祉で対応するという構造にならざるを得ないと思います。
 
 宮本 同時にどういうふうに人を動かしていくのか。その場合、生産性の高いところは基本的に労働条件が良くなることが確約できたから、これまではスウェーデンでもみんな、職場は変わりたくないけれども、良くなるからということでむしろ、労組が率先してお尻をたたいてきたんですね。
 
 勝間 そうですね。こちらに移りましょうと。
 
 宮本 ところが、今、その条件が崩れてきて、場合によっては雇用の条件が給料を含めて下がっていくと。派遣の問題なんか典型ですけども、生産性の高いところから低いところへ移らなくてはいけないという場面が生じてくる。ここをどう納得してもらうのか、というのが難しい問題です。

「生産性が高く、国を支えるような産業と、それ以外の私たちの生活を支える産業に分けて、余剰人員は生活を支える産業の方に吸収して、なおかつ残ったものは福祉で対応するという構造にならざるを得ないと思います」というわけなんですが、「国を支えるような産業」「私たちの生活を支える産業」というのは具体的には何なんでしょうか?経済産業省が決めるのかな?
で、「余剰人員」というのは「国を支えるような産業」で余っちゃった人たち、ということなんでしょうが、「私たちの生活を支える産業」だって余剰人員は必要ないですよね。となると、産業にかかわらず余剰人員は全部福祉に行く。あるいは、「私たちの生活を支える産業」については、手厚く支えてもらうには文句はないだろうから、賃金をどんどん切り下げて「国を支えるような産業」の「余剰人員」を受け入れるということでしょうか。なるほど、そうなると宮本先生のいうように「高いところから低いところへ移らなくてはいけない」ということになる。先生は上品に「生産性が」とおっしゃっておられますが、露骨にいえば賃金が低いところということでしょう。
さて、宮本先生のこの問題提起に勝間さんがどう答えたかというと、

 勝間 終身雇用を定義すると、新卒一括採用の比率が非常に高くて流動性がない。その中で一回採用されてしまうと生産性にかかわらず、かなり長期的な身分が保障される一方、非正規雇用の人たちは生産性がどんなに高くても、そのコミュニティーに入れないという不公平が一番いけないと申し上げています。
 
 宮本 今、4年制の大学で教えていますが、学生たちは、二度と交わらない二つの道を選択することを迫られています。一方は超過労働を強いられる。他方では、働く場がない。どちらもまったく不合理ですよね。これを交わらせないといけません。
 
 勝間 一つの軸として考えていますのが、地域コミュニティーの活性化でして、たとえ、生産性の低い賃金の少ない仕事に移ったとしても、別な形での生きがいをコミュニティーで得ることによって、本人はより短い労働時間で、生活は多少きつくなるかもしれないけど、人生の充実があるというモデルが望ましいのではと考えています。

なぜか終身雇用の定義だの交わらない道だのいう話の筋と無関係な発言が挿入されていて議論がわかりにくくなっていますが、宮本先生の(賃金が)「高いところから低いところへ移らなくてはいけない」「ここをどう納得してもらうのか」という問いに対する勝間さんの答は「生産性の低い賃金の少ない仕事に移ったとしても、別な形での生きがいをコミュニティーで得る」ということで、要するにこれは賃金は下がって貧乏になるけど地域でなにか楽しいことを見つけて文句を言わずに生きてねということですな(でしょ?違います?)。まあ、そういう考え方もあるでしょうから悪いわけではない、というか、そもそもワーク・ライフ・バランスってそういうものですよね。ただ、なにもコミュニティとかわざわざ持ち出すまでもないでしょうし、ワーク・ライフ・バランスのあり方は個人が選択するものであって、政府からあなたは生産性が低い余剰人員だから低賃金で働いてコミュニティで生きがいを得るというワーク・ライフ・バランスにしなさいと指定されるようなものではないとは思いますが。しかし、「国を支えるような産業」で働いているうちは高い賃金を受け取れるけれど、そこで余剰人員になって「私たちの生活を支える産業」に移ったとたんに生活はきついけどコミュニティーに生きがいがあるでしょ、ってそんな社会がいい社会なのか、というかそんなことホントにうまくいくのか。
たいへん不思議なのは、いやそうでもないのか、宮本先生もそれに同調するかのような発言をしておられます。

 宮本 一つは、終身雇用から囲い込み的な性格をとっていくことが大事ですよね。もう一つは、勝間さんのおっしゃったコミュニティーでの活動ということですけれども、英国のコリン・ウィリアムズという社会経済学者が「完全雇用から完全参加へ」ということを言っています。
 
 勝間 いい考え方ですね。
 
 宮本 おそらく、すべていい条件の仕事に移っていくことは難しい。労働時間が短くなるなどということがあっても、その分地域社会に溶け込むとか、新しい活動の場を広げて、みんながみんな高効率のエースストライカーになるんじゃなくて、地域を守るディフェンダーがいて、そこをある程度、公的な資金が支えていたりする。米国のように「小さな政府、大きな監獄」では困るわけですね。米国には200万人ぐらいの収監者がいて、そこに投入されているコストはすごいもの。日本はまだ9万人ぐらい。多少非効率な部分があっても、ディフェンダーとして地域社会のニーズに応える雇用をつくりだすことが大事です。終身雇用に代えて、働く場を社会全体で守っていくかたちが必要なのです。

うーん、理念は美しいのではありますが、どうも私はこういうのが好きになれないのですね。いや、結果としてはいずれ少数のエースストライカーと多数のディフェンダーになるのだろうとは思うのです。ただ、誰もがエースストライカーを目指す自由はあってほしいし、エースストライカーをなるべく増やす、その割合を高めるという観点をぜひ持ってほしいと思うのです。はっきりそう言っておられるわけではありませんが、宮本先生のご発言からは限られたエリートを選んで、ほかの普通の人たちはディフェンダー公的支援、という印象を受けます。「働く場を社会全体で守っていく」というのも、結局は政府が守る(公的な資金で支えるのですからそういうことでしょう)、悪い表現で申し訳ないのですが大きな政府で国全体が半ば監獄というイメージを受けます(印象論ですから言いがかりの可能性は高いですが)。宮本先生は「囲い込み的な性格をとっていく」とネガティブタームを使っておられますが、企業にしてみれば生産性の高い優秀な人は囲い込みたい。ということは、企業が囲い込みたくなるような生産性の高い人が多いほうが実はいいのではないか。それが育つ仕組みとして長期雇用は優れているのではないでしょうか。いっぽう、勝間さんはたぶん企業内競争で負けた人がどんどん解雇されることを念頭においておられるのでしょうが、こちらはこちらでやはり人材育成という観点がきわめて希薄なように思えます。

 勝間 さほど難しくない、と思っています。たとえば、学校を中心とした地方分権の試みは進められていますし、その視点がまさに子供たちに必要なのかなと。少子化の解決と実は両輪なんですね。結局、子供を育てるリソースがあまりに足りないので、子供を産もうとしない。だったらその時、余剰リソースがあった場合には、子供を育てる方に振り向ける仕組みを作って、それは学校や地域が起点になるんじゃないかという発想なんです。
 
 宮本 そうですね。ちょうど、待機児童が4万人を超えて、それがまさに全員参加型社会の足を引っ張っています。たとえばおそらく勝間さんがイメージされているのは、高齢者が保育のサポートに回るなど、少し手厚くすることで好循環が生まれてくるということですよね。その場合の担い手というのは、具体的にどこを想定していますか。
 
 勝間 地方公共団体、地方政府が一番いいと思います。
 
 宮本 公益を志向しながら事業性の高い「社会的企業」を、公共性と営利性を両立させながら地域にどう根付かせるのか。公的なサポートはどこまでやるべきかがポイントになるのでは。
 
 勝間 そこは循環する仕組みを作らないといけないと思っていまして、単に終身雇用を崩すだけじゃなくて、そこでより生産性の高いところに行ってエースストライカーでがんばる人と、より低いところに行ったんだけど、時間的な余裕が出たので、その分を違うリソースに振り向ける方という循環になっていくと思うんですよ。

勝間さんが社会主義者みたいなことを言っているのが意外といえば意外なのですが、それはそれとして、ここも文面をさらっと撫でるととてもキレイな絵にみえるのですが、決定的な問題点は「循環する仕組みを作らないといけない」ってどうやって循環するんだよ、というところです。長期雇用を崩して、より高いところへ行く人と低いところに落ちる人が出てくる。これはまさしく格差の拡大ですが、それはまあ再分配とかで解決するとしましょう。で、低いところに落ちた人は余剰リソースであって育児をサポートするとか、「社会的企業」で働くとかいうことで、まあ労働時間は短くなると。で、こういう人たちはどこへどうやって「循環」していくんですか?一度「低い」ところに落ちてしまうと、高いところに登るのはなかなか大変だと思いますが…。政府が教育訓練して能力を高めれば行けますよってもんでもないと思うのですが、そうでもないのでしょうか?

 宮本 今、ワールドバリューサーベイなどさまざまな国際的調査を見ても、各国の幸福度(と比べて)、日本は、低いんですね。
 
 勝間 地域とのかかわりが低い。
 
 宮本 幸福度の高い国を見ていると、地域参加がすごく大きいんですね。
 
 勝間 地域に友達がたくさんいる。話し相手がたくさんいる。
 
 宮本 そこは、幸福度を上げる一つの方向かもしれない。
 
 勝間 実際、やってみたら面白い、やってみたらできた、ということで変わりますし、難しいことを言っているわけではないですから。

これもよほど考えませんとねぇ。たしかに幸福度の高さと地域参加との相関はあるのでしょうし、宮本先生のお好きな議論だろうと思うのですが、しかしこれまでの日本人というのは、地域とのつきあいなんていう面倒で鬱陶しいことはしたくない、という意識があって、それで長年やってきたからこういう社会になったんじゃないのか、という疑問も拭えないものがあると思うのですが。コミュニティがあるから低賃金でもいいだろ、と言われても、コミュニティなんてややこしいものは嫌いだという人はどうすればいいんですか。けっこういると思うんですけどね。というか、エースストライカーたる宮本先生や勝間さんは、地域のディフェンダーたち、余剰人員で低賃金で労働時間が短くて時間はあるけどカネはないから公民館で碁を打ったり公園で噂話をしていたりする人たちを、多忙を極める中のたまの休日に自宅に招いてガーデンパーティをやったりするんでしょうか。いや、ディフェンダーディフェンダーだけでやってろということか。なんとすばらしき階級社会。
いや失礼かつ下品なあてこすりでさすがの私もかなり気がさすのではありますが、しかしこのエースストライカー・ディフェンダー論というのは、一歩間違うとこういう階級社会になってしまいかねませんよというのは真剣に心配したほうがいいと思うのですが。宮本先生はもちろんそんなことはないと思うのですが、勝間さんは案外階級社会でいいじゃないのと思っておられるかもしれませんが…そんなことはありませんかね。
で、ここまで書いてきて気付いたのですが、最後に(その2)に続くとありました…。そうか、その1だけ読んで書いているので、その2以降まで読めばまた違うのかもしれません。だとしたらまことに申し訳ない話であらかじめお詫び申し上げます。とりあえず今日はここまでにして、その2以降はまた日をあらためて…っていつになるやら。ひとまずお詫びで終わっておきます。

*1:「やばい」なんて宮本先生の口から出るとなんだかお茶目ですね。いやこれは失礼。