宮本・勝間対談(その2)

金曜日のエントリの続きです。行きがかり上、明日くらいまでかけて最後まで行ってしまおうかと。今日は(その2)です。
http://mainichi.jp/select/biz/katsuma/k-info/2009/06/post-31.html

−−介護の担い手不足や学校の部活の指導者不足など、地域活動の人材不足が目立っています。
 
 勝間 東京都杉並区の土曜寺子屋は地域の人が運営しています。
 
 宮本 ただ、余剰になった人がすんなり地域に入っていけるかというと、なかなかうまくいっていない部分もあって…終身雇用企業の中にいた男性稼ぎ主が、地域社会に入る難しさがあります。千葉県我孫子市の前市長が高齢者のNPOを作ろうとしてミーティングを持ったのですが、みんな地味な仕事をやらない。幹部の選出になるとみんな「私がやる」というんですが。これまでは、「宮本さん」と言われていたのが、地域に入っていくと「(妻の)宮本さんのだんなよ」と匿名性になっちゃう。匿名化してしまうことでショックを受けて、結局元の職場の近くに、戻って飲んでいる。そこをどうやって、肩ひじ張らず、一メンバーとして、楽しめるかというのは、大きな課題ですよね。
 
 勝間 それはもう、若いうちから入っていかないといけない。リタイアしてから、というのでは難しい。経済的成功とか、社会的成功とか以外の軸を入れないと、みんな不幸になるんですよね。

http://mainichi.jp/select/biz/katsuma/k-info/2009/06/post-31.html、以下同じ

まあこの手の記事だとどうしても誇張が入ってしまうのでしょうが、これもあまり一律に考えないほうがいいようにも思われます。もちろん、仕事しかない人生を送っていると定年後の人生が貧弱なものになってしまいますよ、そうならないためには定年前、もっと若い頃から仕事以外のこととも関わっていないとダメですよ、というのは一般論としてはまったくそのとおりなので、これはこれでたいへん重要な観点だと思います。ただ、それでは仕事だけではない人生が唯一すばらしいものかというとそうでもないのではないかという気はするのであって、仕事一筋で頑張ってきて定年後は生彩を失っている人に対して、ほら言わんこっちゃない、仕事しかしてないからそうなるんだ、以前はあんなに威張っていたのにいい気味だザマーミロみたいな扱いをする社会がいい社会かというとそうでもないような気もするわけでして。
あと、これはどうでもいいことなのですが、「千葉県我孫子市の前市長が高齢者のNPOを作ろうとしてミーティングを持ったのですが、みんな地味な仕事をやらない。幹部の選出になるとみんな「私がやる」というんですが。」というのも、額面どおりに受け止めるのはちょっと現実から離れる可能性があるように思われます。地味な仕事をやりたがる人はそうでない人に較べて少ないだろうということは容易に想像できますし、そもそもこういうNPO設立のミーティングに出てくる人というのは、出てくるだけマシなわけであって、それだけの積極性を持った人たちであれば幹部を引き受けようという人も多いでしょう。長期雇用の中で黙々と、地道に技能を積み上げて、それこそ企業内の地味な仕事で経営を支えてきたような人は、市長がミーティングを持っても出て行こうと考えない人が多いでしょう。だから長期雇用がダメだとか長期雇用をぶっこわせみたいな話に持っていくのではなく、そういう人をこうした社会活動にいかにうまく引き出すかに行政の知恵が求められるのではないかと思うのですが。どうしても長期雇用に責任を取らせたいのであれば、企業に課税してそのための費用を徴収すればよろしい。
あと、これはますますどうでもいいことなのですが勝間さんの「みんな不幸」というのも、たしかに「経済的成功とか、社会的成功とか以外の軸を入れないと」結果的に成功しなかった人は不幸になるでしょうし、成功しない人の方が多い(これは成功の定義によりますが)わけですから非常に重要な観点だと思うのですが、しかし「みんな」と言われますとねぇ…。中には成功する人もいるわけですし、勝間さんからみれば成功していなくても、ご本人はまあまあ成功だったと思ってそこそこ幸福な人だっているわけですしねぇ…。

 宮本 終身雇用の社会というのは男性の稼ぎ主から、地域社会で活動する能力(ソーシャル・リテラシー)を奪ってしまった。セーフティーネットもないし、リテラシーもないところで、「もっと自由な生き方があるから」といっても、なかなかうまくいかないところがあって、具体的にはどっからどう手をつけるのかというのが大変だなあと。そういう意味では私はどちらかというと終身雇用の問題点は認識しつつも、これまで会社が支えていた生活を、社会全体で支えるという方向にもっていくこと、それから、一人一人がソーシャル・リテラシーを身につけていけば、もう少し、会社の出入りが自由になって風通しがよくなるという変化を漸進的に進めていくしかないのかなと思っています。

この宮本先生のご発言は私のような部外者にはなかなか理解が難しいものがありますが、私なりに読み解いてみますと、まず宮本先生は「終身雇用」に対して「もっと自由な生き方」というものを持ち込まれるのですが、これがなにかがわかりにくい。とりあえずアンチ長期雇用で、セーフティーネットとソーシャル・リテラシーがなければならないらしいので、会社をやめて転職しやすい、やめている間のセーフティーネットがあり、しかも地域社会での活動がある、こういう生き方が「もっと自由な生き方」ということなのでしょうか。そういう選択肢があることは悪いことではないでしょう。
もっとも、宮本先生は長期雇用だから地域社会で活動する時間がとりにくい、したがってその能力もつきにくいと考えておられるようですが、それがそのとおりかは微妙なところです。記事では「部活の指導者不足」があげられていますが、とはいえたとえばリトルリーグやシニアリーグの指導者はかなりの割合で長期雇用・フルタイムで働いているのも事実です。まあ、長期雇用と両立するのは楽ではないでしょうから、もっと拘束度が低いけれどキャリアや処遇もそれなりといった働き方など、多様な働き方、柔軟な働き方の選択肢を増やすような微修正を行うことは望ましいことでしょう。ことが部活動の指導者くらいの話であればそれでかなりの程度対応できると思われます。
また、自治会やPTAなどの地域活動に参加している人たちが本当に「自由に」参加しているかというと、だいたいは役員なども持ち回りで抽選で決めたりしているわけで、全く自由だとは思っていない人も少なくないかもしれない。宮本先生はそれは長期雇用で時間がとれないから押し付け合いになるのだとお考えなのかもしれませんが、本当にそれだけなのか。前のエントリにも書きましたが、かつての日本には前近代的で不自由な地域活動がおそらくあって、それはもちろんいいところもたくさんあったのでしょうが、全体としてみればやはりそんな鬱陶しいものはイヤだ、というのが趨勢であった結果、現在のような地域活動があるのではないかと思うわけです。
いずれにしても、宮本先生はやはり、現状うまくいっていないことを認めつつも、北欧型の労働市場と地域活動が好ましいとお考えなのでしょう。要するに賃金を受ける労働のほかに地域での奉仕活動が組み合わされているわけですが、その地域活動が純粋にヴォランタリーに行われていると考えるのはいささかナイーブに過ぎるように私には思われます。やはりそこには、リテラシー以前の問題として、地域での奉仕活動はしなければならないものであるという社会的規範?が存在しているのではないか、そうでなければ誰がタダ働きなど…と心根の醜い日本人である私は考えるわけです。それを成立させるには幼児段階から相当強くインプリンティングする必要もあるのでは…ああ醜い醜い。ただ、本気でこの部分で日本を北欧のような国にしたいのであれば、セーフティーネットとソーシャル・リテラシーという表層の施策だけでなく、国民の心のあり様に深く手を入れていかなければ無理ではないかというのが私の根拠のない感想です。
なお、「これまで会社が支えていた生活を、社会全体で支えるという方向にもっていくこと、それから、一人一人がソーシャル・リテラシーを身につけていけば、もう少し、会社の出入りが自由になって風通しがよくなる」というのも、会社の出入りが不自由と感じられるのはソーシャル・リテラシーの問題よりははるかに経済的な問題なわけで、長期雇用慣行下では企業特殊的熟練にも賃金が支払われる賃金制度、長期勤続奨励的な賃金制度に設計されていることが多く、したがって転職すると賃金が下がることが多いでしょう。そこで宮本先生はそういう賃金制度をやめて「会社の出入りが自由」な世の中にして、「これまで会社が支えていた生活を、社会全体で支えるという方向にもっていく」という構想なのでしょう。まあ、ここはすれ違うしかない議論ではあるのですが、「会社が生活を支える」とはいっても、それは人材の確保や意欲・生産性の向上のためにやっていることであって、社会福祉を直接的に意図したものではありません。要するに打算でやっていることなのですから、政府からもっとやれとかやめろとか言われても困るでしょうし、経営が傾けば思うにまかせなくなるのも当たり前のことです。ですから、「社会全体で支える」というのもそのレベルでは従来からやってきていることであって、なにをどの程度だれの負担でやるのか、という制度設計の部分については大いに議論があるでしょうが、「社会全体で支える」支え方のほうを先に決めて、それに企業の賃金や人事管理を合わせろという社会主義的な発想がわが国の現状に適合するとは思えません。

 勝間 具体的には何が必要ですか。
 
 宮本 一つはセーフティーネット作り。セーフティーネットは、サーカスの綱渡りの下に網が張ってあって、いざという時、支えてくれる、あるいは網があった方がみなのびのびとプレーできる。という例えですよね。職業訓練とか、失業保険の改革とか、セーフティーネットをいわゆるトランポリンにしていく。
 
 勝間 戻れるようにする。

 宮本 それが職業訓練であり、保育サービスもこれに入ると思うし、生涯教育などだと思う。
 2番目がピョーンとトランポリンで戻ったはいいものの、綱が細くなりすぎていて体重を支えきれなくなっている。特に非正規の仕事がそうですけど、戻ってもまた落ちてしまう。だから、最低賃金の引き上げとか、働いているのに一定水準まで所得が満たない人に対して、税金をとる代わりにお金を給付する「給付付き税額控除」導入で、働けば働くほど手取りが上がる形にしていく低所得者保障の仕組みで、綱を太くしていく。3番目に、跳び戻ったはいいものの、細いどころか綱がないということがある。ここに綱を張っていくことが、新たに求められます。グリーンニューディールみたいな言い方もされていますけれども、いかに環境融和的な仕事で、生産性効率を上げて、エースストライカーにならないかもしれないけれども、決して補助金漬けではなく、地域に根付き、地域を活性化していくという機能を果たせる雇用をどう作っていくのか。この三つに、まず手をつけなければいけない。
 
 勝間 今まで低賃金でつらい仕事と思われていた、典型的には介護とか農業と言われていますが、そういうところをもっともっと上手な形で再生していく。
 
 宮本 できると思います。介護労働は、非常に低賃金でニーズがあるにもかかわらず、離職率が非常に高い。今、80万人ぐらいいる介護労働者の賃金を、、2、3万円程度引き上げるのに必要な資金は2000億円くらいです。そういう手は打たれていい。

うーん。「決して補助金漬けではなく」と言った直後に「介護労働者の賃金を、2、3万円程度引き上げるのに必要な資金は2000億円くらいです」って、それって要するに補助金漬けじゃないんですかと思うわけですが、それはそれとして。
セーフティーネット、トランポリン型福祉、勤労所得税額控除など、ワークフェア的な政策の方向性については私も同意するところです(最低賃金の引き上げはいただけませんが)。ただ、セーフティーネットの水準をどうするか、といった問題はさっき書いたように大いに議論があるわけで、働いている頃と同じかそれに近い水準のセーフティーネットがあって、心置きなく無償の地域活動に打ち込めるようにしようということだと、はたしてそれが適切なのかとか、財源は誰が負担するんだとかいった議論が当然出てくるわけですが。
で、そのあとグリーンニューディールとか雇用創出の話になるわけですが、ここでまたわざわざ「エースストライカーにならない」と断っているわけですね。要するにセーフティーネットも雇用対策もディフェンダーを確保するものであって、エースストライカーのような良好な雇用を増やすわけではないと。
それに続けて、勝間さんが「低賃金でつらい仕事と思われていた、典型的には介護とか農業…をもっともっと上手な形で再生していく」と水を向けたのに対して、宮本先生は介護の話だけしておられます。農業はどうなのか、それこそ戸別所得補償制度に関する宮本先生のご意見なども承ってみたいわけではありますが、しかし「補助金漬けではなく」となるとなかなか意見を述べるのも難しいのかもしれません。いっぽう、介護についていえば、賃金を2、3万円程度引き上げれば介護労働は低賃金でつらい仕事ではなくなるんですか先生。まあ、当面補助金を2,000億円入れて賃金を月2万円上げるといった手はたしかに打たれていいかもしれません(3万円上げるには2,880億円必要になりますが)。ただ、それで介護労働をどうしていくのかという非常に大きな問題が解決に近づくかというとそうではないでしょう。


 宮本 これまでの日本の政治家にとって、介護とか保育は「女子供」の世界であって、天下国家の問題ではなかった。欧州ではまさにこれが天下国家の問題で、就学前教育などにたいへん力を入れている。これから労働市場がどんどん流動化していくわけですから、成人してある会社に入って仕込んでもらう時代ではなくなります。市民が、生まれた家庭が貧しくてもその影響をこうむることなく、多様な仕事に適応できる力を身につけていくのは、国家戦略の基本なんです。
 
 勝間 職業訓練で本当に救えるのかというのは常々疑問に思っているのですが。絵に描いた餅ということで、実際に運用されていない予算がたくさんあること、行ったからといって、実際に職業につけないとか、さまざまな問題がありますよね。
 
 宮本 これまでは企業がある種の徒弟制度で新卒を鍛えてきました。うっとうしいから大学で余計なことを教えるなと僕らは企業の人事担当者に言われたことすらありますから。だから、どうしてもこれまでの日本の公的職業訓練は、極めて補完的な役割にとどまっていました。だから、何をしていたかというと、雇用保険の積立金でリゾート施設を造ったり、「私のしごと館」(京都府精華町)というわけのわからないものを造ったりして、見限られたわけですね。ところが今役に立っていないことと、必要ないこととは全然違う。
 
 勝間 (公的職業訓練制度を)役に立つようにしなくてはいけない。
 
 宮本 役に立っていないから切ろうということは、話としてはまったく逆転しています。確かに今、職業訓練に力を入れたとしても、成果を上げるのは非常に難しくなっている。これまでのようにきちっと技術を身につければいい仕事が待っているという時代が終わっちゃったからです。これからはむしろ対人サービスのようなところにどんどん入ってもらわなければいけないし、そのためにもいろいろな社会的スキルがいる。今すごく問題になっているのは長い間雇用から遠ざかっている失業者や、そもそも正規の仕事につけなかった若者たちが、朝起きれない、時間を守れない、相手の目を見てしゃべれないなど、基本的なスキルを身につけないままでいて、最初の雇用にありつけない。だから、もうちょっと社会的教育の基礎の基礎を、公的にトレーニングするという話になっているわけですね。こういう状況の中で、職業訓練をどう再構築していくのか、というのは非常に大きな課題です。ただでさえ、日本の職業訓練の予算は少なくて、経済協力開発機構OECD)の06年調査の平均がギリシャとかポルトガルを含めて国内総生産(GDP)比0.17%なのに、日本は0.04%。
 
 勝間 ないも同然です。
 
 宮本 あいさつ教育から手がけていくとなると大事業ですね。ですからちょっと視角を変えて、さきほど生きる場といったんですが、基本の基本みたいなものは、いろんなところにみなが生きる場を確保して、人と人との関係の中で見につけていくしかないんですね。そういう手立ても並行してやっていくという含みで、再構築が求められるんだろうと思います。

ずいぶんギリシャポルトガルに失礼ですねというのはおいといて、まず、「市民が、…多様な仕事に適応できる力を身につけていくのは、国家戦略の基本」というのは、まことにそのとおりだと思います(省略した部分には若干の留保がつきます)。これはつまりアダプタビリティを高めるということでしょう。宮本先生は触れておられませんが、実はアダプタビリティが高くなると転職の必要性が低くなる。現在の仕事が「余剰人員」になった場合にも、企業内で異なる仕事、異なる職種で働くことが可能になるからです(これは企業の規模にかなり依存しますが)。つまりこれは長期雇用と非常に神話的であって、むしろ職務給・職種別労働市場になじみにくい考え方です。まあ宮本先生は公的職業訓練を施して職種転換、といったことを考えておられるのかもしれませんが、なにもわざわざ退職させて公的職業訓練をやって職種転換して再就職させるよりは、企業内の人事異動と企業内訓練で職種転換したほうがかなり効率的ではないかと思うのですが。
「うっとうしいから大学で余計なことを教えるなと僕らは企業の人事担当者に言われたことすらありますから。」というのもおそらく同じことで、企業の人事担当者が大学の先生から「この人は○○を学んで優秀な成績を収めたのだから、これこれの部署に配属すべきだ、この仕事以外はさせてはいけない、賃金はこのくらいは払うべきだ」みたいなことを言われても困るわけで。まあ、宮本先生に面と向かって「うっとうしい」などと暴言を吐くというのは失礼このうえなく、ご不快はよくわかりますが。
それから、宮本先生は「これまでのようにきちっと技術を身につければいい仕事が待っているという時代が終わっちゃった」と言われるのですが、いまでもそれなりに「きちっと技術を身につければいい仕事が待っている」のではないかと思うのですが。というか、むしろ逆で、過去も現在も日本企業は人手が足りなくなれば技術がなくてもとりあえず採用して内部で技術を身につけさせるということをずっとやってきたのだと思います。それをある種の徒弟制度と表現されたいのであればそれは先生のご自由ですが、いずれにしても企業は公的職業訓練で必要な技術を持つ人が輩出されるのを口を開けて待っているようなことはしてきませんでした。それはたしかに宮本先生ご指摘のように公共職業訓練がなってなかったという事情もあるでしょうが、外部にやってもらうより自分でやったほうがよほど自分のニーズにあった訓練ができるからという構造的な要因もあります。
そういう意味で、勝間さんが「職業訓練で本当に救えるのかというのは常々疑問に思っているのですが…行ったからといって、実際に職業につけない」と述べておられるのはまことにもっともな疑問と申せましょう。外部の訓練では、企業の実際の技能ニーズとはどうしても乖離がある。それは致し方ないとしても、外部でいくら訓練したところで、企業がそもそも余剰人員を抱えていて人員ニーズそのものがなければ、いくら訓練してもすぐには就職に結びつきません。
たしかに長期雇用と企業内育成とは非常に密接に関連していますので、宮本先生が長期雇用をやめさせたいのであれば企業内訓練もやめさせたい、職業訓練は公的にやるものにしたいというのは理屈は合っています。ただ、企業内訓練のほうが公的職業訓練よりメリットがあるのであれば、企業はそれを続けるでしょう。
宮本先生は「あいさつ教育から手がけていくとなると大事業ですね。」とおっしゃられます。実際、派遣会社の人などに聞くと、新規登録の人にはあいさつ教育からやっているといいます。あいさつができないのは教えられていないからであって、教えればたいていの人はできる(もちろん、どうしてもあいさつが苦痛だという人も少数はいるわけで、それはやむを得ないことです)。たしかに、公共職業訓練機関で公務員の職業訓練指導員があいさつ教育をするのでは「大事業」になるでしょう。しかし、それに代わるのが「いろんなところにみなが生きる場を確保して、人と人との関係の中で見につけていく」だというのも…。もちろんそれはそれで大切なことですし、それに打ち込んでいるのは立派なことだとも思うのですが、宮本先生の考えるようなものにするためにはおそらくセーフティーネットNPOへの助成金で大金をつぎ込む必要があり、やはり「大事業」になるのではないでしょうか。そこまでしてまで派遣会社にあいさつ教育をさせないというのも不思議な感じがします。

 勝間 雇用に関する解決策がプアなんですよね。非正規社員日雇い派遣を認めるとか。
 
 宮本 もう一つは、雇用調整助成金、これは厚生労働省が得意とする雇用維持政策なんですけど、これは恐らく勝間さんとしては承諾できないような中身で、なぜならば、補助金なんですけども、要らなくなった人を無理に抱え込んでもらう。そこで産業構造の転換が起きるかというと起きない。そういう古いスタイルの雇用維持政策、これまでのような景気循環を一時的にしのぐやり方としてはあり得たのでしょうが、構造変化の状況ではあまり意味のない政策です。
 
 勝間 政策当局者の問題意識がかなり低い。20、30年前の意識のままですよね。
 
 宮本 政治家頼みにならないで、経営者や労組、市民が、どうきちっと声を上げていくのかということだと思います。
 
 勝間 82年、オランダの政労使が、賃金抑制と雇用確保に取り組む「ワッセナー合意」を結びました。あのような形でどうしたら、労働者側と経営者側と政府側が合意を作って動けるのかを考えていかないと。
 
 宮本 ワッセナー合意をベースにした社会のモデルというのが、フレキシビリティー(柔軟性)とセキュリティー(安全性)を融合させた「フレクシキュリティー」。非常に流動的な労働市場と、基本的なセキュリティーとを両立させています。デンマーク前首相で、社民党党首だったラスムセンさんを呼んだことがあるんです。スピーチの開口一番、デンマークほど労働者の首を切りやすい国はないと、社民党の党首が言って、ぼくらはずっこけたんですけど、その分今デンマークでは、以前は8年間、現在も4年半、失業保険給付が続くんですね。その間、さまざまな職業訓練を受けながら、じっくり仕事を探す。毎年3人に1人が仕事を変わっているという恐るべき社会ですよね。中小企業中心のデンマークモデルをそのままもってこれるかというと、難しい面もあるのですが、一つの社会イメージとしては大いにいけてると思いますね。

勝間さんの「非正規社員日雇い派遣を認めるとか。」は「禁止するとか。」の間違いではないかと思うのですが、どうなんでしょうか。申し訳ありませんが勝間さんの所論をよく存じ上げていないのでわからないのですが…。
それはそれとして、宮本先生の雇用調整助成金に対する「補助金なんですけども、要らなくなった人を無理に抱え込んでもらう。」というのは、端的に申し上げて間違いです。雇調金は「今は要らないけれどいずれまた要るようになる」人のクビを飛ばさずに企業内にとどめてもらうための補助金であって、「将来的にも要らない人を抱え込んでもらう」ためのものではありません。まあ、宮本先生がこんな間違いをするとも思えません(あとで正しく「景気循環を一時的にしのぐ」と言われていますし)ので、これは編集者の不勉強なのでしょう。で、今は仕事のない彼らが雇調金を貰いながら遊んでいるかというとそんなことはなくて、多くは教育をやっている。雇調金をもらっていたかどうかは別として、こうした教育を通じて新規分野に職種転換したという例もたくさんあります。景気回復して仕事が戻ればそれでよし、しかも教育などを通じて職種転換の可能性もあるわけで、「構造変化の状況ではあまり意味のない政策」とまではいえないように思います。
デンマークについては、付加価値税が25%で所得税は低賃金者でも限界所得税率が44%なわけで、これを含めてトータルで考えると私は一つの社会イメージとしてはあまりいけてないと思いますが、ここは人によりいろいろな意見があるところでしょう。まあ、日本でも消費税率はそれほど遠くない将来に20%くらいまでは上がらざるを得ないような気もしますが…。
(その3)はまた明日以降に書きます。