日経につけるクスリ

ということで昨日めでたく第1回の働き方改革実現会議が開催されたようでさっそく資料などもウェブ上に掲載されておりますが、まあ見るかぎり人数も多かったようですし各自言いたいことをひとことずつ発言したというところでしょうか。最後に首相から総括の発言があって、検討事項が9項目示されたそうです。

  1. 同一労働同一賃金など非正規雇用の処遇改善
  • 賃金引き上げと労働生産性の向上
  • 時間外労働の上限規制の在り方など長時間労働の是正
  • 雇用吸収力の高い産業への転職・再就職支援、人材育成、格差を固定化させない教育
  • テレワーク、副業・兼業といった柔軟な働き方
  • 働き方に中立的な社会保障制度・税制など女性・若者が活躍しやすい環境整備
  • 高齢者の就業促進
  • 病気の治療、子育て・介護と仕事の両立
  • 外国人材の受入れ

ずいぶん欲張ったもんだというか、これ本当に全部やり切れるのかねとあらためて心配になるわけですがそれはそれとして。
今朝の日経新聞、とりわけ総合面の記事を読むと、どうにもこの9項目にご不満なようすがありありです。なにせ見出しが「労働条件の改善優先 働き方改革 生産性置き去り」「痛み伴う改革を 成長持続へ規制緩和必要」と来たもんだ。

 政府の働き方改革の議論が本格的に始まった。同一労働同一賃金の実現や長時間労働の是正など、雇われている側が望む労働条件の改善に軸足を置いたのが特徴だ。解雇規制の緩和といった企業が求める政策の多くはメニューから漏れた。安倍政権は政労使のあつれきを避けようとするあまり、当初めざした生産性の向上を置き去りにしたようにみえる。

 政府は痛みを伴う働き方改革を回避するのだろうか。働き方改革実現会議の検討課題は、弱者に配慮した政策が並んだ。内閣官房幹部は「雇用改善で非正規社員が増えた。その対応が優先だ」と明かす。だが、安倍晋三首相がかつて話した「世界で一番企業が活動しやすい国にする」という意気込みはかすみがちだ。
 人口減の日本が成長を続けるには、低迷する潜在成長率や生産性の底上げが欠かせない。労働時間の長さではなく成果に賃金を払う「脱時間給制度」は無駄な残業の撲滅や労働者の生産性の向上につながる。解雇規制の緩和は、成長産業へ労働力を移す後押しになる。こうした個人や産業の競争力を高める雇用改革は避けて通れない。だが国会審議や政府内の議論が停滞し、実現のメドは見えないままだ。
平成28年9月28日付日本経済新聞朝刊から)

いやなんで痛みを伴わなければいかんのかね。まず理解の誤っているところから書きますと「解雇規制の緩和といった企業が求める政策」というわけですが、とりあえず経団連などが求めているのは解雇規制の緩和ではなく解雇の金銭解決制度の導入でしょう。これは特段従来以上に解雇がしやすくなるといった性質のものではなく、不当解雇はこれからも不当ですが、その場合の救済方法を多様してより迅速な解決・救済をはかるというものです。「脱時間給制度」もごく限られた一部の専門職を対象に労働時間にかかわらず定額の賃金を支払うというものですから、別に対象にならない人は従来どおりに残業を行い得るのであって「無駄な残業の撲滅」につながるものではありません。
いっぽうで日経も書くようにそれは技術革新や生産性向上によってしか達成できないことも、それはそれで間違いありません。ただ問題は日経さんはそこで人員削減や賃金抑制で生産性を上げることばかりを考えてしまうわけです。解雇規制を緩和すれば成長産業へ労働力が移るという発想はその典型で、そもそも成長産業に魅力的な雇用がたくさんあれば解雇規制を緩和するまでもなく労働力は移動するはずです。そこで解雇規制の緩和を持ち出すのは転職を通じて賃金が下がることで「成長産業」なるものが低賃金雇用を活用できるようになるということでしょう。まさに絵に描いたようなデフレマインドの塊であって、アベノミクスの両足をつかんでひきずりおろすような記事と言わざるを得ません。
いま切実に求められているのはそういう生産性向上ではなく、技術革新などを通じて付加価値が高まることで生産性が向上するという方向のものでしょう。脱時間給にしても、そうしたイノベーションやブレークスルーを生み出す・支える人材が思う存分仕事に没頭できるためのものだと考えるべきだと思います(まあ政府がどこまでそう考えているかは別問題ですが)。そして、雇用や所得が安定していたほうが、イノベーションを生むような困難な課題に安心してチャレンジすることができ、結果的にも良好な成果を生むだろうというのも想像しやすいのではないかと思います。
そもそも為政者が労働条件の改善を志向するのは、それが国民を富ませることである以上は当然すぎるくらい当然であり、また「弱者に配慮する」というのもそれが政治である以上はまあ当たり前でしょう。とりわけ将来不安が個人消費を抑制していると目される現状においては特に考慮すべきことであって、まあこれは程度問題もあるので一概には言えないにしても、それにしてもそこまで憤るというのは妙な気がします。
「痛み伴う改革を」が見出しの記事には中島裕介という署名があり、今年に入ってからたびたびお見かけする名前なのですが、どうも昔ながらの日経脳の方のようですね。まあネタを投下してくれるのはありがたいといえばありがたいのですが。