「労基旬報」第1430号に寄稿したエッセイを転載します。
http://www.jade.dti.ne.jp/~roki/backnumber2010.html
厚生労働省の「有期労働契約研究会」が2009年2月に設置され、現在検討が進められています。これは直接には2003年の労基法改正の際に附則第3条でウ有期労働契約の期間の上限について施行三年後以降に再検討することとされたことや、2006年の労働契約法などに関する労働政策審議会の答申の中で「就業構造全体に及ぼす影響も考慮し、有期労働契約が良好な雇用形態として活用されるようにするという観点も踏まえつつ、引き続き検討することが適当」とされていることを受けたものとされていますが、昨今の非正規労働問題に関する議論の高まりを踏まえたものであろうことは想像に難くありません。実際、今回の不況においては、当初は派遣労働の問題がクローズアップされ、2008年末には「派遣村」も登場したわけですが、現在では非正規労働の問題の多くは「有期契約」にともなうものであるとの見方が有力になっています。
とはいえ、一口に有期雇用といってもその内容は多様であり、研究会でもまずは有期契約労働者の就業の実態の調査が行われました。9月にはその結果も公表され、それも踏まえつついよいよ有期契約労働者に関する今後の施策の方向性に関する検討が始まったわけです。
さて、当然ながら非正規雇用がすべて有期雇用だというわけではありません。リクルートワークス研究所の「雇用のあり方に関する研究会」が、5年毎に実施されている総務省の「就業構造基本調査」を特別集計した結果をみると、2007年で「常用・非正規雇用」(雇用契約期間に定めがないもしくは雇用契約期間が1年以上の非正規社員)が21.7%、「臨時・非正規雇用」(雇用契約期間が1年未満(日雇を含む)の非正規雇用者)が10.9%となっています。ほかに派遣労働者(これは派遣会社の正社員である派遣労働者も含みます)が3.0%となっています。20年前の1987と比較してみると、順にそれぞれ12.6、6.9、0.2%となっていて、実は1年以下の短期・臨時的なニーズに応じて就労している有期契約労働者の割合は20年前から大きく変化していません。非正規労働の増加はもっぱら常用・非正規の増加、つまり「くりかえし労働契約が更新され、結果的に勤続年数が長期にわたる常用・非正規雇用者が増加したためである」というのが「雇用のあり方に関する研究会」の解釈です。
そこで、なぜこのような変化が起きたのかというと、これはおそらくわが国で有期雇用が必要とされる理由と深くかかわっていそうです。もちろん、一時的・季節的な需要に対応するために相応の期間を限って雇用するという有期雇用(上記「臨時・非正規雇用」にほぼ相当)は古くからあり、現在もありますが、それだけでは有期雇用、特に「常用・非正規雇用」の増加は説明しにくいと思われます。
これについても、かつては「賃金が安いから」という一面的な解釈が多くなされていました。もちろんそういう側面もあるでしょうが、現在では主な理由は賃金水準ではなく「雇用数の調節」にあるというのが一般的な理解でしょう。わが国では長期雇用慣行が広く定着しており、効果的な人材育成や安定した労使関係のもとでの生産性向上などを通じてわが国産業の発展に大きく寄与してきました。その一方、長期雇用は企業としては定年まで何らかの形で働く場を提供することを事実上約束するものでもありますから、途中でその約束を反故にして解雇することはかなり厳しく制約されるのも当然のことです。いっぽう、企業にとっては景気の循環にともなう必要人員の変動は避けられません。もちろん時間外労働の増減などによる対応は行われるわけですが、それを上回って余剰人員が発生した場合には、人員削減を迫られることもありえます。そのときに、長期雇用の社員を解雇するのは法律で規制されているだけではなく、せっかく育成してきた社員を失うことは企業にとって損失ですし、労使関係の悪化にもつながりかねません。そこで、最初から雇用期間が満了したら雇い止めとなる可能性があることが前提となる有期雇用を一定程度確保し、人員が余剰となった際には期間満了とともに雇い止めすることで人員の適正化をはかろうという考え方が取り入れられたわけです。
このとき、かつてのように、経済が全体として成長しており、企業組織も中長期的には拡大する状況にあれば、人員の余剰が発生しても長い目でみれば企業の成長の中で吸収できることが期待できましたが、日本経済が高度成長から安定成長、そして近年の低成長へと移行していく中にあってはそうした期待も難しくなり、したがって有期雇用による人員調整の幅もより大きく確保せざるを得なくなったことは見やすい理屈でしょう。これがおそらく「常用・非正規雇用」の増加の背後にある事情だと思われます。
したがって、有期雇用のあり方は長期雇用慣行のあり方と密接に関係しており、その検討にあたってはまさに「就業構造全体に及ぼす影響」を十分に考慮する必要があるでしょう。たとえば、現状の「常用・非正規雇用」は反復更新されてかなり長期にわたって就労している例もみられ、こうした例においては使用者もできれば長期の勤続をと期待しているという実態もあります。このような有期雇用については解雇規制を潜脱するものであって有期労働契約の濫用であるという主張もあり、したがって有期労働契約の締結は客観的な理由がある場合に制限(いわゆる「入り口規制」)すべきだとの意見もあります(欧州などには現にそうした法規制が行われている国が多くあります)。しかし、わが国において有期雇用の多くが景気変動などに対応した人員調整を目的としていることを考えれば、このような入り口規制は就業構造全体に及ぼす影響は甚大であり、慎重に考える必要があります。厳格な入り口規制を行った場合、不況期においては非正規労働のみならず正規労働においても多数の解雇が発生する可能性があり、これは社会的に大きなダメージとなるにとどまらず、長期雇用を前提とした人材育成、生産性向上といったわが国産業を支える基盤が弱体化し、崩壊することにもつながりかねないからです。
雇い止めの可能性があって雇用が不安定なこと、求められるスキルの水準が比較的高くないため処遇があまり高くないこと、勤続が短い傾向があるため教育訓練等の機会が得にくいことなど、有期雇用の課題はいろいろ指摘されています。とはいえ、有期雇用の相当割合はいわゆる「主婦パート」や「学生アルバイト」などで占められていることも事実であり、こうした人たちに関しては有期雇用のこうした課題も社会的にそれほど大きな問題ではないでしょう。社会的に問題となるのは生計維持者の雇用が不安定で処遇が不安定な場合や、若年者が十分な教育訓練の機会が得られない場合などであり、こうした人たちに対して効果的な政策が求められます。
こうして考えると、有期雇用の問題点はつきつめればキャリアの問題だといえるでしょう。職業能力が伸びて付加価値の高い仕事につけば有期雇用であっても雇用はより安定し、処遇も改善されるであろうことは明らかです。有期雇用であってもこうしたキャリアが形成できるようなしくみをつくり、そのための支援を行っていくことが有期雇用に対する政策として最重要だろうと思われます。厚生労働省の研究会においても、こうした方向で検討が進められることを期待したいと思います。