労働政策を考える(5)ワークシェアリングの可能性

「賃金事情」誌に掲載したエッセイを転載します。


ワークシェアリングの可能性

 雇用失業情勢の悪化にともない、「ワークシェアリング」があらためて注目を集めています。この3月23日には政府と経団連などの経済団体、および連合との間で「雇用安定・創出の実現に向けた政労使合意」が成立しましたが、それに附属する「雇用安定・創出の実現に向けた5つの取組み」においても、「日本型ワークシェアリング」が主要な内容のひとつに位置付けられています。いっぽうで、ワークシェアリングは日本の労働慣行にはなじみにくく、普及しないだろうとの意見もあります。
 もっとも、一口にワークシェアリングと言っても、その定義や類型は多様であることには注意が必要でしょう。前回の雇用調整期(90年代後半以降の金融危機・デフレ不況期)にもワークシェアリングは注目され、2002年3月にはやはり政府と当時の日経連、連合の三者による「ワークシェアリングに関する政労使合意」が成立しています。さらにそれに先立つ2001年4月には厚生労働省が「ワークシェアリングに関する調査研究報告書」を発表しており、そこではワークシェアリングを「雇用機会、労働時間、賃金という3つの要素の組み合わせを変化させることを通じて、一定の雇用量を、より多くの労働者の間で分かち合うことを意味する」と定義しています。その類型としては「雇用維持型(緊急避難型)」「雇用維持型(中高年対策型)」「雇用創出型」「多様就業対応型」の4つが提示されました。
 そこでこんにちの現状を見ると、今年の政労使合意の文書では「日本型ワークシェアリング」について「残業の削減、休業、教育訓練、出向などにより雇用維持を図る、いわゆる「日本型ワークシェアリング」」と記載されています。「雇用維持を図る」と明記されているように、一見すると「日本型ワークシェアリング」は2001年当時の4類型の中では「雇用維持型(緊急避難型)」に近いものとみることができそうです。実際、「残業」については、この5月1日に発表された厚生労働省の「毎月勤労統計調査平成21年3月分結果速報」によれば、総実労働時間は前年同月比4.5%減、うち所定外労働時間は22.7%減、さらに製造業の所定外労働時間は49.5%減とほぼ半減となっています。これはもともと所定外労働があまり行われないことが多い非正規労働も含む数字ですので、いわゆる正社員においてはさらに大きな減少が起きていると思われます。所定外労働時間の減少は当然割増賃金の減少に直結するわけですし、理屈の上では所定外労働の減少ではなく雇用の削減で対応することも可能だったわけですから、この定義を広く解釈すれば、すでにわが国ではかなりの規模でワークシェアリングが行われていると考えることもできそうです。平常時においても一定の残業を前提に人員配置や生産計画を行い、繁忙期には残業をさらに増やし、閑散期にはそれを減らすことで対応する日本的な労務管理には、ある種のワークシェアリングを一定規模で可能とするしくみがすでにビルトインされているわけです。
 ただ、「日本型ワークシェアリング」が本当に「雇用維持型(緊急避難型)」に該当するのかというと、厳密にはそうともいえません。2001年の報告書はその定義を「一時的な景況の悪化を乗り越えるため、緊急避難措置として、従業員1人あたりの所定内労働時間を短縮し、社内でより多くの雇用を維持する」としているのに対し、今回の「日本型」は「残業の削減、休業、教育訓練、出向などにより」と、「所定内労働時間を短縮」までは明記していないからです。もちろん、「など」にはそれを含むという含意があるという読み方もできますが、2002年の政労使合意が「当面の緊急的な措置として、労使の合意により、生産性の維持・向上を図りつつ、雇用を維持するため、所定労働時間の短縮とそれに伴う収入の減額を行う緊急対応型ワークシェアリング」と明確に踏み込み、その際に「時間当たり賃金は、減少させないものとする」とまで述べているのと較べると、かなり慎重な感はあります。
 現状をみても、本年5月4日付の産経新聞によれば、同新聞社が主要業種の大手企業を中心に4月下旬に実施した「主要企業102社アンケート」では「1人当たりの労働時間を減らし、仕事を分かち合う「ワークシェアリング」を実施した企業も3%あった」とのことです(この表現だとすべてが所定労働時間の短縮を含むのかどうかは不明ですが、数字からみてそう判断してかまわないでしょう。また、必ずしも賃金の減額をともなうとは限らないようです)。残業減がどのくらいの規模で行われているのかは調査されていないようですが、記事によれば「(新卒などの)採用抑制」は25%、「非正規社員の削減」は17%、「一時帰休の実施」は11%の企業が実施しており、ぐっと下がるものの「正社員の削減」も5%で実施されているとのことです。主要業種の大手企業で「正社員の削減」といえばまずは希望退職の募集でしょうが、それよりも所定労働時間短縮をともなうワークシェアリングのほうが実施が難しい、ということのようです。
 その理由はいくつかありそうです。2002年の政労使合意の当時、経済界では統合前の旧日経連(合意の当事者)はワークシェアリングに前向きでしたが、経団連は当時の今井敬会長が「生産性が低下する」と発言するなど消極的な姿勢を隠しませんでした。たしかに、6人で8時間働くより、8人で6時間働くほうが生産性が低下しそうなことは直観的に理解できます。人数が増えるほどコミュニケーションのコストがかかりますし、短時間就労だと仕事によっては「調子が出ないうちに終わってしまう」という危険性もあります。また、2002年の合意のように「時間当たり賃金は、減少させない」ということになると、所定労働時間の長短と無関係に発生する人件費、たとえば社宅などの現物を含む住宅関連費用や通勤手当などが存在する分、時間あたりコストでみた生産性は低下してしまいます。
 最近では一橋大学川口大司准教授が、国内外の実証研究の結果をもとに、所定内賃金の引き下げは労働意欲を大きく低下させることから、ワークシェアリングは拡がらない可能性が高いと指摘しています。これは今回の政労使合意が「日本型ワークシェアリング」促進のために「雇用調整助成金の支給の迅速化、内容の拡充」を求め、収入減の緩和を意図していることと整合的です。いっぽう、時間外手当や賞与の低下が意欲を低下させる効果はさほどでもないようで、事実、今年の春季労使交渉では大半の企業が賞与の大幅減少で妥結しています。わが国では他国と較べて一般労働者においても賞与が年収に占める割合が大きいので、実はここでも(かなり広義の解釈になりますが)すでに一種のワークシェアリングが行われているといえるかもしれません。
 このように、いろいろと難しい条件も多いワークシェアリングですが、今後さらに企業業績と雇用失業情勢が悪化し、希望退職募集などでも対応が困難になった場合には、一段と踏み込んだ雇用維持策として検討が必要となる可能性もあります。雇用と意欲を維持し、業績回復につながるような取り組みを政労使に期待したいと思います。