佐藤博樹・小泉静子『不安定雇用という虚像』

「キャリアデザインマガジン」第72号のために書いた書評を転載します。

不安定雇用という虚像―パート・フリーター・派遣の実像

不安定雇用という虚像―パート・フリーター・派遣の実像

 きわめて刺激的なタイトルの本だが、内容はそれと裏腹に、データの分析を中心としたまことに堅実な研究書という感がある。その手法たるや、共著者のひとりである佐藤博樹氏が心血を注いでいる東京大学社会科学研究所附属日本社会研究情報センターのデータアーカイブ(SSJDA)経由で、リクルートワークス研究所が実施したアンケート調査の個票データを再集計したという地道きわまりないものだ。佐藤氏はこの本の版元である勁草書房のウェブサイトで「著者らの意図は副題にある」と書き、続けて「パート、フリーター、派遣などに代表される雇用機会には、不安定なものも含まれているが、そのすべてが不安定な雇用ではない。同時に、正社員の雇用機会のすべてが安定した雇用というわけでもない。そうした単純な2元論でなく、それぞれ(の)雇用機会の実像を働き方の視点から明らかにしようとしたのが本書の目的である」と述べている。そのとおり、第1章から第3章までは、主婦パート、フリーター、派遣スタッフのそれぞれについて「どんな人たちか」「どこから(前職など)きたのか」「なぜ(その働き方で)働いているのか」「どのような仕事をしているのか」「どのように働いているか」「働き方に満足しているのか」「これからどこへ向かうか(今後の希望)」について、約6,000件の個票をシンプルに再集計することで得られた結果を紹介している。事実をベースにした議論という意味では、まさに副題にあるとおり「パート・フリーター・派遣の実像」というべきであろう。再集計ということもあり、本書の中でも言及されているようにデータはやや古いが、ほぼ現状を表しているとみてよいだろう(ただし、読みやすさへの配慮として割愛したのだろうが、統計的検証についてはもう少し言及があってよかったように思う)。
 データが示した「実像」は、昨今の政治的局面の中で語られる「パート・フリーター・派遣」の姿とは異なる。世間では、パート・フリーター・派遣などを一括りに「非正規雇用」などと呼び、その就労動機の不本意さ、雇用の不安定さ、労働条件の低さ、能力開発の機会の乏しさなどを強調し、「格差をもたらす悪い働き方」と決め付けるような論調が往々にしてみられるが、現実には、これらの相当程度(すべてではない)は自分のライフスタイルにあった働き方として現状の働き方を選択しており、満足度の高い人も多い。長期にわたって勤続している人も多く(特に主婦パート)、世間の一部で言われているような頻繁に解雇や雇い止めが行われる「不安定雇用」ばかりというわけでもない。教育訓練なども相当程度に行われている。
 もちろん、世間で喧伝されているような望ましくない実態もあることも間違いない事実であり、それもまたひとつの「実像」であろう。現実は一律ではなく多様なのだ。続く結章では「増大する非正社員と人材活用上の課題」として再分析をもとにしたインプリケーションが述べられる。その方向性は、もう一度版元のウェブサイトにある佐藤氏の記事から引用すると「正社員として働いている人の志向やその働き方を基準として、非正社員の働き方を評価するのではなく、それぞれを異なる働き方として位置づけ、非正社員の働き方に関しては、それらに従事している人々の志向に即してその働き方の特徴や課題などを明らかにすることが重要なのである。こうした視点からすると、非正社員の働き方の問題点をその働きからに即して理解すると共に、その改善もその働き方の特徴を生かす形で行うことが求められる」ということになる。実際、本書の中では「正社員は転勤もあり、残業も非正社員の比ではない。非正社員に比べれば雇用が安定しているというだけで、みんながそういう働き方を望むわけではない」と、正社員の働き方の問題点も指摘されている。一律に非正社員の正社員化や正社員の非正社員化を行うのではなく、それを希望する人にはその可能性を拡大しつつも、いっぽうで多様な働き方を認め、それぞれの働き方をよりよいものに改善していこうということだろうか。キャリアデザインという観点からも選択肢を増やすものであり、政策論としてまことに妥当な考え方といえるのではないか。
 それにしても、なんとしても残念なのはこの「不安定雇用という虚像」という不適切きわまりない書名である。この書名は内容をほとんど表していないし、この書名から想像されるような扇情的な内容を期待する読者には失望を与えるだけであろう。実際、この本の指摘が政治的に「不都合な真実」となる論者からは、書名をもとに「虚像」「実像」の言葉遊びめいた批判が寄せられているようだ。せっかくの好著なのに、まことにもったいない話だが、書名を見ずに読めば現実を知るうえで貴重な一冊と言えると思う。