「新しい資本主義のグランドデザイン及び実行計画」の実施についての総合経済対策の重点事項

 10月4日に開催された「新しい資本主義実現会議」で、10月末にまとめる総合経済対策にむけた重点施策の取りまとめが行われたようです。

 政府は4日、「新しい資本主義実現会議」(議長・岸田文雄首相)を開き、10月末にまとめる総合経済対策にむけた重点施策を取りまとめた。人への投資を重視し、リスキリング(学び直し)や労働移動を円滑にする支援策を並べた。来春の賃金交渉にむけて首相は「物価上昇をカバーする賃上げを目標にし、個々の企業の実情に応じ労使で議論いただきたい」と求めた。
 総合経済対策をめぐり首相は「新しい資本主義」の実現が柱になるとの意向を表明していた。

 成長分野への労働移動をめぐっては23年6月までに具体策をまとめた指針をつくる。一般の転職希望者に対し、民間の専門家が転職実現まで丁寧に支援する仕組みの整備や、年功序列的な賃金体系からジョブ型の職務給への移行促進を盛り込む。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA03CUN0T01C22A0000000/

 「成長分野への労働移動をめぐっては23年6月までに具体策をまとめた指針をつくる」とのことなのでこれについては具体的な話はこれからということのようですが、内閣官房のウェブサイトで資料が公開されていたので見てみました。
https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/atarashii_sihonsyugi/pdf/juutenjikou_set.pdf
 基本的には6月に発表された「新しい資本主義のグランドデザイン及び実行計画」を踏襲しているようですが、まず目についたのが具体論の最初に書かれているこれです。

1.現下のコストプッシュ型の物価上昇をカバーする賃金引上げ
・来春の賃金交渉においては、物価上昇をカバーする賃上げを目標にして、価格転嫁や生産性向上策の強化や補助制度の拡充を図るとともに、非正規労働者の賃金改善のため、同一労働同一賃金制の遵守を徹底する。
○来春の賃金交渉において、政府としては、物価上昇率をカバーする賃上げを目標にして、労使で議論いただきたい。
○今年10月1日からの過去最高(31円)の上げ幅となる最低賃金の引上げを実施するため、労働基準監督署の監督指導を通じ確実な履行を確保する。
(中略)
○非正規雇用労働者の待遇の根本的改善を図るため、同一企業内における正規と非正規との不合理な待遇差を禁止する同一労働同一賃金(パートタイム・有期雇用労働法第8条・第9条、労働者派遣法第30条の3、第30条の4等)の施行に関し、47都道府県321箇所に設置された労働基準監督署においても、新たに、同一労働同一賃金の遵守を徹底する。
最低賃金をできる限り早期に1,000円以上に引き上げることを目指す。
(後略)

 「物価上昇率をカバーする賃上げを目標にして、労使で議論いただきたい。」というのは、後段はまあ労働条件は労使交渉を通じて決定するという原則は外していませんよということでいいと思うのですが、「物価上昇率をカバーする賃上げを目標」というのは少々力強さを欠くような気がします。民間企業の発想としては目標と言えば残念ながら達成できませんでしたということも普通にあり得るものなので(もちろん大幅に達成することもあり得るしそれが好ましいわけですが)、現下の情勢を考えれば「物価上昇率を上回る」とか「最低限の目標」とか、実質賃金を確保しつつ向上を目指すという姿勢が欲しいように思いました。まあ行政が民間に要請する文書としてはこのくらいが適切なのかもしれませんが。
 同一労働同一賃金に関しては「同一企業内における正規と非正規との不合理な待遇差を禁止する同一労働同一賃金」と特殊な定義をていねいに書いているのはいいのですが、その前段には「同一労働同一賃金制」というのが出てきて、さらに6月のグランドデザインでは「同一労働同一賃金制度」となっているという不統一ぶりはなんとかならないものかしら。細かい話ではありますが。
 そこでいわゆる「同一労働同一賃金」については労働契約法からパート有期法に移ったことで労働基準監督署の指導監督が可能になったわけで(こちらには厚生労働大臣が報告を求め、又は助言、指導若しくは勧告をすることができるとの定めがある)、さっそく「47都道府県321箇所に設置された労働基準監督署においても、新たに、同一労働同一賃金の遵守を徹底する」とやる気満々です(罰則は労働条件文書の不交付と行政官庁への不報告・虚偽報告に過料が定められているのみで若干迫力不足の感はありますが)。でまあ不思議なのは、これまた細かい話ではありますが最低賃金に関しては「引上げを実施するため、労働基準監督署の監督指導を通じ確実な履行を確保」と普通に書いているのに、こちらはわざわざ「47都道府県321箇所に設置された労働基準監督署」と数を書いているところで、いや実際労基署は全国に321箇所あるのですがどういう意図なのでしょうか。全署を上げて取り組むという意気込みを示したということなのかなあ。まさか321の労基署がやるだけで全国に4か所ある支署ではやりませんということではあるまいな?

 続いて日経さんが熱心に報じられた成長産業への労働移動の話が来るのですが…。

2.労働者に転職の機会を与える企業間・産業間の労働移動の円滑化
・リスキリング、すなわち、成長分野に移動するための支援策の整備や、年功制の職能給から日本に合った職務給への移行を個々の企業の実情に応じて進めるなど、企業間・産業間での失業なき労働移動円滑化に向けた指針を来年6月までに取りまとめる。
○一般の方がキャリアアップのための転職について民間の専門家に相談し、転職するまでを一気通貫で支援する仕組みを整備する。
○リスキリング(リスキリング中の生活保障、セーフティネットを含む)や賃金の在り方(年功賃金から個々の企業の実情に応じた日本に合った職務給への移行等)を含め、官民で来年6月までに「労働移動円滑化のための指針」を策定する。
(後略)

 ここは一見して目を疑ったところで、リスキリングがすなわち成長分野に移動するための支援策ってのはさすがに無茶でしょう。これについては連合の芳野会長が提出資料で反論されていますね。

・「リスキリング、すなわち、成長分野に移動するための支援策の整備」との記載があるが、リスキリングとは本来、社会環境や働き方の変化等により、新たな業務をこなす上で必要となる知識やスキルを習得するために行うものであり、成長分野に労働移動するためだけの手段では決してない。リスキリングと労働移動を直接的に結びつける記載を修正したうえで、労働者による自主的なリスキリングを推進すべきである。
https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/atarashii_sihonsyugi/kaigi/dai10/shiryou8.pdf

 おっしゃるとおりでしょうねえ。昨日紹介した安藤至大先生の「経済教室」でも指摘されていたように、労働移動(転職)を伴わない成長分野への移動というのも十分ありうるし重要な観点だと思います。ただ「自主的なリスキリング」が好ましいことは同感ですが、日本企業の場合は企業の人事権でリスキリングが行われるケースも多いはずで(これまでも多かったはずで)、これはこれで有力な手法だろうと思います。もちろん労使間の十分な協議の上で行われることが望まれるわけですが。
 さて重点事項に戻りますと人事賃金制度に関しては「年功制の職能給から日本に合った職務給への移行を個々の企業の実情に応じて進める」「賃金の在り方(年功賃金から個々の企業の実情に応じた日本に合った職務給への移行等)」といささか歯切れが悪いですね。まあここはこれからの検討ということのようですが、「日本に合った」と言われても、今の日本社会のかなりの部分、たとえば教育費負担の重さとか住宅ローンとか社会保障とかいったものは相当程度長期雇用を前提にできているわけですよ。さらに言えば、「個々の企業の実情に応じ」た職務給となると、同一職務でも企業によって賃金が異なることが十分に想定されるわけで、それって労働移動をやりたいという趣旨とはかなりずれてくるんじゃないかなあ。まあこのあたりこれからの検討だということでしょうが、しかし社会のあり方が変わらないのに「労働移動円滑化のための指針」を策定してくださいと言われても頼まれた方が困るんじゃないかなあ。しかも1年弱しか時間がないようですし。
 次は「人への投資」で、労働に直接関係するのはここまでかな。

3.人への投資
・個人のリスキリングに対する公的支援について、人への投資策を5年間で1兆円の施策パッケージに拡充する。
○現在3年間で4,000億円規模で実施している人への投資強化策について、施策パッケージを5年間で1兆円へと抜本強化する。
○デジタル人材育成を強化し、現在100万人のところ2026年度までに330万人に拡大する。年末までに、デジタルスキル標準を策定し、見える化を図る。
○企業によるスキル向上のためのサバティカル休暇の導入を促進する。

 「3年間で4,000億円」にはキャリアアップ助成金の上積みのように必ずしもリスキリングをともなわないものも含まれていたと思いますし、「成長産業に移動するための支援策」ではないものもかなりあるように思うわけですが、まあ非正規から正規になれば芳野会長資料にあるような普通の意味でのリスキリングは発生しそうですし、こちらのほうがまだしもかなという感じです。デジタル人材についても「デジタル田園都市構想」では2026年に230万人と言っているので、さらに100万人を上積みするということでしょうか。まあこのあたりはデジタル人材の定義が異なる可能性もありそうです。デジタルスキル標準については経産省がそれらしきものを作っていたと思いますし、そもそもなんらかのスキル標準で定義しないと「デジタル人材が100万人」というカウントもできないだろうと思うのですが、このあたりどうなっているのでしょうか。
 ということで、とりあえず労働関係はひととおり見たと思いますので今日はここまでということで。これからどのように具体化していくのか注視したいところです。