大内伸哉先生の同一労働同一賃金批判

大内伸哉先生が、先生のブログ「アモーレと労働法」で同一労働同一賃金について論評しておられました。

…職務給制度の設計のためには,職務に関する横断的労働市場が成立することが必要でしょうが,それを政府がやるべきなのでしょうか。賃金は労使の交渉で決められるのが原則ではないでしょうか。横断的な労使関係を政府が構築するというのは,労使の領域への国家の介入というファシズム期の悪夢を想起させるものでしょうか(拙著『雇用改革の真実』を参照)。
 同一労働同一賃金は,まともな法律家なら相手にしない原則です。人事管理上の目標としては望ましいことですが,これと法の規範の問題とを混同してはなりません。政府がグッド・プラクティスを広めるというなら,まだ許容できます(それもちょっと情けないことですが)が,それなら法律家よりも,優秀な経営者を集めて話を進めたほうがよいと思います。
 格差を許容できる指針を設けるという話もあるそうですが,これも危険です。いかにしたらこの指針を充足できるか指南するビジネスが出てくるだけです。
 結局,同一労働同一賃金は,選挙前のポピュリスティックな政策にすぎないように思えます。選挙後は消え去るか,消えなければ,それを回避するビジネスが出てくるだけでしょう。
 同一労働同一賃金は,法の原則にはなりえないのです。とはいえ,同一で労働をしている労働者に,違った賃金を払っていると,フリクションが起きやすいことは事実です。だから,経営上は,それを改善したほうがいいでしょう。また賃金が違っているならその理由を説明して納得させていなければ,本人のモチベーションに影響して,企業にとってもよくないでしょう。その点を考えると,格差についての説明義務を課すことくらいまでなら,法が介入してもOKかもしれません。ただ,この程度のことなら「同一労働同一賃金」と呼ぶのはミスリーディンですね。
http://souchi.cocolog-nifty.com/blog/2016/03/post-3314.html

同一労働同一賃金は,まともな法律家なら相手にしない原則です」というのはかなり思い切った断定で驚きましたが、「人事管理上の目標としては望ましいことですが,これと法の規範の問題とを混同してはなりません」というご指摘はきわめて本質的かつ重要ではないかと思います。
先生はあとの方でも「同一で労働をしている労働者に,違った賃金を払っていると,フリクションが起きやすいことは事実です」「賃金が違っているならその理由を説明して納得させていなければ,本人のモチベーションに影響して,企業にとってもよくないでしょう」とも指摘しておられますが、まさにそのとおりで、これは賃金に限らず労働条件全般についていえることですが、それぞれの従業員にどのような処遇をすれば納得を得られ、やる気につながっていくかということは、企業の人事管理、ひいては企業経営において最大の課題のひとつと言えるでしょう(もちろん納得と言っても渋々ながらであることが多いわけですが)。かつての成果主義騒ぎも、経済不振のもとで賃金原資が限られる中、いかにこれを実現するかという試行錯誤であったともいえると思います(まあおよそうまくいったとは申し上げられないのだろうとも思いますが)。
結局のところ、なにをもって同一の賃金が支払われる「同一労働」とするのかは、企業の人事管理や人材育成といった人材戦略や労使関係によって決まってくるのであり、企業によって異なってくるものでもあるでしょう。そういう意味では、まさに大内先生が指摘されるとおり「同一労働同一賃金」は人事管理上の目標、それもたいへんに実現困難な見果てぬ目標なのであり、それは企業労使が真剣に対峙してアプローチするものであって、政府や法が直接に関与すべきものとは程遠いと考えるべきではないかと思います。
もちろん、「なぜ私と彼の処遇が異なるのか」を問われたときに説明できないのでは、従業員の納得も得られなければ意欲の向上も期待できないでしょうから、きちんと説明することは大切です。それを義務化するというのであれば、もとより必要なことなので企業としてもそれほど抵抗はないでしょう(もちろん、いくら説明しても自分の気に入る結論にならなければ納得しないという人も一定数いるので、納得を得ることまで求められるのは無理ですが)。
ということで、大内先生は「選挙前のポピュリスティックな政策にすぎないように思えます」と断じておられますが、まあ「非正規労働者の処遇を改善したい」というのは、必ずしもポピュリスティックなだけではなく、一定の必要性もあれば正当性もある政策でもあろうと思います(ポピュリスティックでないというつもりはない)。ただ、それを実現するために「同一労働同一賃金」という理屈を担ぎ出すのは、筋悪であるだけではなく、なるほどポピュリスティックであるとも思います。そもそも非正規労働者の処遇は労働市場の需給によって決まる部分が大きく、したがって昨今ではその逼迫にともなって労働条件も改善しているわけですし、正規との働き方や拘束度の違いを考えればその格差にも説明ができることがほとんどでしょう。そのときに同一労働同一賃金を担ぎ出して非正規労働者に対して「あなたの賃金は不当に抑えられているのだ」と言うのはポピュリスティックだ、という大内先生の指摘は、あまり気分のいいものではないかもしれませんが、しかし当たっているようにも思えるからです。