鶴光太郎先生から、最近著『雇用システムの再構築に向けて-日本の働き方をいかに変えるか』をご恵投いただきました。ありがとうございます。
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さて鶴先生の編集意図は「オビ」のこの文言に端的に表現されているように思われます。
労働・雇用問題の本質には無限定正社員システムが密接に関わっている。
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日本の雇用システムの根幹にある問題に対して正面から政策提言を行う。
この問題意識を軸に、まず鶴先生の総論があり、続いて歴史(形成過程)、人事管理、賃金、労働時間、教育の各システムについて、プロジェクトに参加した専門家の論文がまとめられているという本になっています。例の大竹ほかによる”地蔵論文”まで掲載されているのには少し驚きましたが。つかこれをこの部・章編成でこの並びでここに置いたというのはなにかええっといやなんでもありません。
さて、鶴先生の結論の一部についてだけ簡単に触れておきたいと思いますが、問題の無限定正社員システムについて鶴先生は「キャリアの途中から、一定の割合の正社員はジョブ型に転換していくことが有効と考えられる。例えば、大卒で入社してから10年前後程、30代前半から半ばあたりで、更に幹部を目指す無限定正社員とジョブ型正社員に分かれていくことが必要だ」と述べておられます。そしてこの転換にあたっては「もちろん本人の希望、同意が必要」としたうえで、「ジョブ型・共働き」をデフォルトにすることが必要であるとし、さらに続けてそうした見直しは「実は予想以上に困難が伴う」だろうと述べられます。
これと類似の議論はhamachan先生が2009年のご著書『新しい労働社会』の中ですでに展開されていて、そこでもこうした見直しは現実には困難であり、少なくとも現状においては大企業の大卒男性は全員メンバーシップ型(無限定正社員)を選ぶだろう、という趣旨のことを述べておられました(すみません記憶で書いているので不正確です)。これは現在に至るまでもおそらくは無理もない話と思われ、元々入社以来幹部を目指してきた人たち(しかもその多くは大学教育やそれ以前の段階から幹部を目指すことを想定していたものと思われる)が、キャリアの途中で「更に幹部を目指す無限定正社員」ではなく、もはや幹部をめざさない「ジョブ型正社員」に転換するかといえば、まあよほどの事情がなければ転換しないでしょう。もちろん、競争を降りてジョブ型に転換したとしても、幹部にはなれないというだけの話で解雇されるとかいうわけでもないので、まあほどほどに働いて私生活を楽しもうという人は現在でもいますし、その中にはけっこう幸福ですという人も多いかもしれません。とはいえ鶴先生も書かれているように「賃金プロファイルの形状はかなりなだらかなものになる」ことは避けがたいので、40代半ばくらいで賃金が年功的にかなり上がっている人ならともかく、鶴先生の想定される30代前半からなかばくらいの賃金水準でほぼ固定ということになるとなかなか選択しにくいでしょう。
その解決策というのもあまりパッとしたものは思い浮かばないわけで、そもそも最初からジョブ型を選びそうな人を一定割合採用しておけばいい、というのは一つの考え方ではあります。ただまあだったら最初からファストトラックとスローキャリアに入口から分けて別々に採用するコース別人事制度にしたほうがなにかとあれこれ明確でいいのではないかと思われるわけで、これはこれでひとつの解決策です。というか、学歴などで労働市場への入口段階で先々のキャリアがはっきり区別されてしまうというのは欧米ではむしろ普通に見られる社会慣行でしょう。
もう一つ考えられるのはある段階で企業の側が従業員を無限定とジョブ型に振り分けるというもので、まあ本人の意思や希望には相当に配慮するとしても、それぞれの必要数に応じて希望どおりでない人も相当数出てくるだろうと思われます。これ自体は今現在でも類似のことは行われていないわけではありません(特に大企業では)。平均的には鶴先生の言われるタイミングよりは10年くらい遅く、まあ40歳台のはじめからなかばくらいの段階ではないかと思われますが、「この人はまあ課長止まり」「この人は部長、さらにその上まである」という選別が行われているのがむしろ普通でしょう。ただ決定的な違いがおそらく2点あり、ひとつは振り分けが行われたとしてもそれが本人なり組織なりに対して明示的に示されることはない。まあ昇進のタイミングや与えられたポストなどを見ればなんとなく見当はつくわけですが、人事発令のような形で明確化されることはなく、したがって振り分けの方法や理由などについても説明されることはありません。もう一つはこれと密接に関係しますが、「まあ課長止まり」は「まあ」であって100%課長止まりではない。中には、少数ではあるけれどあとあともう一段階くらい上がる人というのがいて、そういうチャンスがあるということで意欲の低下を抑制しているという側面もあるでしょう。ただそれが一方で「まだチャンスはあるのなら」ということでわずかなチャンスに賭けて無限定な働き方を続けることにつながっているのも現状だろうと思われます。
それをなくすためにはやはり「課長止まり」の人には「あなたは課長止まり」ということを明示し、かつ「その先の可能性は100%ない」という制度にする必要があります。となると、他の企業に新たなチャンスを求める可能性に配慮するとやはり40代なかばでは遅すぎるというのが労働市場の実態と思われ、鶴先生ご指摘のように30代前半から半ばで、ということになろうかと思います。
問題はそこで「不本意ジョブ型」になった人になんらのご説明もなしでいいのだろうか、という点にあります。なんらのご説明もなしで従業員のキャリアを企業が自由にできるというのは当然ながらそれに対する見返り、すなわち定年までの雇用と生計費を上回る年功賃金、青空の見える人事管理がなければならないわけで、不本意ジョブ型は賃金と人事管理の相当部分を取り上げられる以上はなんらのご説明もありませんというわけにはいかないでしょう。とはいえ、日本型の新卒一括採用で入社した人たちを、10年かそこらの成績をもとに無限定継続とジョブ型に截然と分けることはなかなかに難しいはずで、だれがどういう基準でどういう評価をして決めたのか、その決め方は合理的かどうか、不本意ジョブ型の全員に納得いく形で制度設計するというのは無理というものです。もちろん、現状の実態でも入社10年も経てば極めて有能な人とか相当にイマイチな人というのははっきりしてきて、まあ先々ひっくり返ることもなかろうということで大方の合意を得られるでしょう。問題は(おそらくはボリュームゾーンである)そこそこ優秀からちょっぴりイマイチの層であり、もちろんここでも十数年も経てば昇進タイミングで1年、2年の差がついているのが普通でしょうが、しかし先々、次の昇進とかでは追い付いたり逆転したりする可能性があり、かつそれがかつてから実現しているから、なんとか人事管理として企業組織を運営できてきたという話でしょう。
ということで、不本意ジョブ型の出現は働く人にとって望ましくなかろうと思われるだけではなく、企業の人事管理上も相当の難題であり、かつ不本意ジョブ型を多数輩出する企業とそうでない企業と働く人にとってどちらが魅力的かというと、まあどこに行っても文句のないパフォーマンスを出せる超優秀者であっても「どっちでも同じこと」なわけで、となると企業の人材確保という観点からもなかなかやりにくい話ではあるでしょう。
ということで、現時点でまだしも現実的なのは入口で無制限コースとジョブ型コースを分けるやり方で、企業が途中で振り分ける労力とそのコストは不要になりますし、人材確保という面でも、優秀な人は無制限コースで吸収すればいいという話ではあります。無制限コースは一定のキャリアを約束するような制度を導入すれば、全員無制限の企業より魅力を感じる人もいるかもしれません。
もっともこれは社会的な影響というのがかなりあるはずで、まあそれを国民が喜んで受け入れるかというとまた話は別のような気がします。鶴先生もhamachan先生も、そういったことをご承知の上で、いろいろと問題提起もすれば意見発信もしておられるわけで、まだ当分は環境の変化をみながら議論する段階なのかもしれません。これまた最近いつもの話で「やってもいいけどゆっくりやれ」ということで終わりたいと思います。いつもながらしまらん。