雇用再興・正社員ゼロ

池田信夫先生再来(謎)。リクルートワークス研究所の機関誌「Works」の最新号が刊行されました。私はワークス研究所については組織・研究員ともに非常にリスペクトしており、シンポジウムなども開催されれば楽しみに聴講していて(面白いという意味では役所とかのやるシンポジウムより相当に面白いですしね)、「Works]も無料で公開されていることもあり興味深く拝読しています。今号では一昨年秋にスタートして思い出したように続いていたシリーズ特集「雇用再興」が4回めにして最終回を迎えたとのことで、まあなんにしても完結したというのはご同慶です。こちらから全文がお読みになれます。
シリーズ 雇用再興4 正社員ゼロという選択
ちなみにこれまでのシリーズも以下から全文が参照できます。
シリーズ 雇用再興1 日本型雇用によって失われたもの
シリーズ 雇用再興2 人事は日本型雇用を守りたいのか
シリーズ 雇用再興3 働く人の新しい“安心”を求めて
とりあえずシリーズ1〜3の成り行きをざっと振り返ってみますと、まずはシリーズ1の冒頭で無限定正社員を中軸とする日本的雇用の行き詰まりが簡単に解説され、続けて各分野の専門家数人が無限定正社員によって自分たちがいかに迷惑を被っているのかを訴えて無限定正社員をdisっているわけですが、まあそれぞれのお立場からみればそうでしょうねえという話ではあります。その後、シリーズ1の残りとシリーズ2では若手〜中堅・一部ベテランの「働く人50人」と「人事担当者30人」による「フューチャーセッションズ」という、ざっと言えばグループ討議と全体発表・討議の組み合わせみたいなイベントの結果であり、そもそもリクルートが把握しているような・意識高い人たちが柳川範之先生や中野円佳氏などのキーノートでやったイベントなのでまあそうなるだろうなというものになっています。これからは多様な価値観や意識の尊重のもと個性を生かして自分らしい仕事とキャリアで働き生きたいという、まあ強欲な話であって、そういう人たちが生き生きと働きキャリア形成できる人事管理ができるといいよねえという、それ自体はまことにごもっとな話です。シリーズ3はデンマークとオランダの無批判な礼賛で正直気持ち悪い。自由が好きな私としてはデンマーク社会の不自由さはむしろディストピアなのですが、まあこのあたりは人それぞれだろうとは思います。私みたいなのが少数派なのかも知らん。
ということで、かなりキツイ言い方ではありますが、ここまでで読むに値するのは(内容に同意するわけではない)シリーズ1のhamachan先生と八代尚宏先生のインタビューで構成された日本的雇用の行き詰まりを概観した4ページと、シリーズ3で限定正社員を論じた鶴光太郎先生と今野浩一郎先生のインタビュー記事4ページの合計8ページかなと思っていたところ、今回シリーズ4を読んでも結論は変わりませんでしたという仕儀となりました。合計100ページを優に超えるボリュームでこれでは少々せつないかなあ。
さてここで主張されている「正社員ゼロ」というのは「現在、多くの企業で「総合職」「基幹職」と呼ばれる勤務地、勤務日数・時間、雇用契約期間、職務のすべてが「無限定」の正社員をなくそう、と言っているのだ」ということだそうです。具体的には以下の9点を提言しています。

  1. 雇用契約の期間は最長20年とせよ
  2. すべての人を職務限定とせよ
  3. 採用はローカルから始めよ
  4. 転勤を廃止せよ
  5. 副業禁止を禁止せよ
  6. 職業能力を可視化せよ
  7. テクノロジーの力で人をつまらない仕事から解放せよ
  8. ベーシックインカムを導入せよ
  9. プロフェッショナル教育機関を充実させよ

雇用契約の期間は最長20年とせよ」というのは期間の定めのない雇用を禁止してすべてを有期雇用化し、その上限を20年とせよ、という主張のようで、まあよくある正社員の非正社員ですな。「すべての人を職務限定とせよ」というのは、無限定正社員の「なんでもやります」ではなくて「その道の専門家」になれば、最長20年で無理やり転職させるときにも容易に転職できて労働市場が流動化するという意図のようです(が本末転倒のような気がしなくはない)。
かなりドラスティックな提案のように見える一方で既視感がひしひしと漂う内容でもあって、基調としては20〜30年くらい前に米国を中心に流行した「エンプロイヤビリティ」論を思い出しました。米国企業がダウンサイジングを迫られる中で従来のようには雇用の維持安定を確保できなくなり、その結果として人材獲得や意欲向上に支障をきたしたことから、「いつでも解雇するかわりに、解雇後に再就職できるような力=エンプロイヤビリティを身につけさせる」ことを売りにしようとしたわけです。これは単に箔のつく職歴だけにとどまらず、職業大学院などに通学するための費用や時間も支援するというもので、それで雇用の不安定さをカバーしようという発想でした。特集では「このとき、企業は「いかに人を育てられるか」を示すことで、優秀な人材を惹き付けることになろう」とか得意げに書いているのですが何十年前の話だ
さてそれがうまくいったかというと、まあ最近では人事コンサルタントでエンプロイヤビリティがどうこうと言う人もそれほど多くはないようで、流行り廃りでいえば廃れたねえという感はあります。米国の今の政治状況なんかも、判断の参考にはなるんじゃないかなあ。
「最長20年」というのはもちろん「40歳定年」の焼き直しでしょうが、こちらもほぼ忘れられていることを思うと筋の悪いものを担ぎ出したもんだという感は否めません。既視感という意味ではこれはよく知られていますがお隣の韓国に類似の状況があり、一流大卒(でなければ入社できない)で大手財閥系に就職した人であっても、40歳くらいで決定的な選抜が行われてそれ以降は事実上退職するよりないような人事管理が見られるわけです。でまあ当然ながら大手財閥系のブランドで再就職しても労働条件が改善するわけもなくという状況で、それでうまくいっているかというとやはり韓国の今の政治状況(ryそういえばどこかで日本の大学進学率が韓国に負けているとかいうことも書いてあったけど大卒の就職状況の違いとか考えて書いているのかしら。
「採用はローカルから始めよ」というのは、全国採用だと地方勤務の人が勤務地無限定になってしまうからということのようですが、しかしそのために地方の高等教育や職業訓練を充実させろというのはいかにも本末転倒のような。地方創生とかの観点から「アメリカでは地方都市にも大企業の本社があるのに日本では」という筋の話で、優遇税制とかと並んで「人材供給の充実」を議論するなら話はわかるんですけどねえ。「転勤を廃止せよ」というのも同じような趣旨でしょう。こちらは無限定正社員を禁止するならまあ当然のことではありますが、しかし「本人合意ならいい」ってのは無限定正社員となにが違うのさ
「副業禁止を禁止せよ」は、過去繰り返し書いたように制度的・技術的な問題が大半なのでそこを解決できるならよろしいのではないでしょうかとは思うのですが、ここでは「副業すばらしいよねっ!」と叫んだだけで終わっているので無責任だなあとは思うなあ。
「職業能力を可視化せよ」についても基本的に技術的な問題で、とりあえず現在はこれ以上できませんという話です。だから労働市場の需給調整とかで代用しているわけで、それが今後ビッグデータとAIで可能になるならまあけっこうな話かもしれません。
「テクノロジーの力で人をつまらない仕事から解放せよ」これはまさに方法論、やり方次第ですね。今は夢を語るのもいいでしょうが、現実化していく際には激変を避けながら漸進的に対応することが必要でしょう。以前も書きましたが今のところ私はそれほど悲観していません(まあ確たる根拠があるわけではないのだが)。
ベーシックインカムを導入せよ」については私は決して否定的なわけではなく、とりわけ消費増税の逆進性対策としての活用は十分検討に値すると思います(まあ就労促進的な勤労所得税額控除の方が好ましいと現時点では思っていますが)。ただ、起業や転職の促進についてはあまり期待しすぎないほうがいいとは思います。まあそりゃないよりはマシでしょうが、しかし大幅な減収になることは間違いないわけなので。
「プロフェッショナル教育機関を充実させよ」も、正社員の非正社員化をやれば企業による人材育成は相当に後退するでしょうから、必要不可欠になるだろうと思います。財源が課題と書いていますが、企業の人材育成を肩代わりするのだからその費用は企業に負担させるという議論も可能かもしれません。しかしまあせっかくすでに企業が有している人材育成機能を失うことが本当に得なのかということは考えたほうがいいような気もしますが。もちろん専門職業教育の充実自体は企業がどうこうとは関係なく重要でしょうが。
ということで以上を全体的にみれば実は目新しい話はそれほど多くはなく、20年前の米国の労働市場に韓国の事実上の若年定年制と北欧型フレクシキュリティを接ぎ木したような話で、まあ相当にグロテスクな代物こらこらこら、それなりにまとまってはいると思います。
もちろん目新しい話もあって、まず従来にない(現実化していない)話としてテクノロジーベーシックインカムがあります。あともう一つ目新しいのはやはり従来型無限定正社員を全面禁止しているところで、諸外国の例をみても(記事中でもたびたび指摘されていますが)、割合の大小は異なるにしてもやはり経営幹部、グローバルリーダーをめざすエリートはやはり無限定に働いているわけで国際的にもありふれたものであり、ただその割合が特に高いことが日本の特色だとされているわけです。それを全面禁止するというのはかなり目新しい話のように思われます。まあ転勤のところで「本人合意なら」という話になっているように選ばれたごく少数の人については無限定も想定されているようではありますが…。
なぜ無限定正社員を「ゼロ」とまで言うのか?まずは「無限定で働く人々を「正」と呼び続ける以上、…「身分」の差が残るのは避けられないからだ。…すべての人をそれぞれの生き方、価値観に合わせて、勤務地、勤務日数・時間、雇用契約期間、職務をカスタマイズして働く「社員」とすることが、身分の差をなくし、全員が自律的に働き続けられる社会の礎だと考える」という主張が出てきて、要するに「フェアでない」ということらしいのですが、しかしイデオロギーだよねえとも思う。「正」という呼称は格別、無限定な働き方をもって「生き方・価値観に合わせ」た働き方だと考えるのも自由だし、それも容認されるのがフェアではないかと私は思うのですが違うのでしょうか。少なくとも選択肢は一つ多いと思う。もちろん「誰もが無限定に働けるのではない以上は全員限定するのがフェアな競争」という意見もあり得るとは思いますので、まあ大げさに言えば国民の選択でしょうが。
もう一つの理由は「雇用を保障された個人は学び続けること、自らの能力を磨き続けることに真剣に向き合わず、結果的に今勤めている企業以外に働ける場を見つけられないでいる」というもので、学び直しを重視する柳川説と整合的になっています。しかしこれに対しては、そのような弊害が仮にあるとしても、「弊害をもたらさない規模にとどめればよい」ということになるはずで、それが「ゼロ」である証拠は見せてもらってないねえという気にはなります。さらに、かつて米国で流行していたエンプロヤビリティ論をコンサルさんたちが日本に輸入した際には、かつての日経連はそれとは異なる「日本型エンプロイアビリティ」を唱えました。これは「外部労働市場で有用なエンプロイアビリティもおおいにけっこうだが、内部労働市場で雇われ続けられ得るエンプロイアビリティも重要」というアダプタビリティ重視の概念ですが、要するに同じ企業で雇い続けられるためには従来とは異なる・新たな仕事やポジションに対応できることが必要であり、それはすなわち「学び続けること」「自らの能力を磨き続けること」に他ならないでしょう。ただこれは企業内部での営みであるため、外部からだと見えない人には見えないんでしょうね。1970年代じゃあるまいし、いまどき「座って新聞読んでいてくれればいいです」なんて窓際族をおける余裕のある企業なんてあるわけないのであって。
もう一点、これは書かれたことではなく書かれていないことが興味深いのですが、なにかというと集団的労使関係の端的な不在です。労働問題についてこれだけの分量を費やして多くの人の参加を求めて幅広く議論しているにもかかわらず、「労働組合」という語が出現するのはわずか2回だけ(シリーズ3で、オランダのワッセナー合意の話とデンマーク職業訓練プログラム作成に労組が関与しているという話で出てくる)です。いっぽうで今後の姿として労働条件は上司と部下の交渉で決まるとかいう話は出てくるわけですがそれが多数になるわけもなく、大多数の労働者は使用者に対して圧倒的に力関係が弱く、なんらかの集団的プロセスで労働条件が決まることに変わりはないでしょう。オランダにしてもデンマークにしても労組の果たしている役割はきわめて大きいわけです。また、これにも通じる話ですが、現業部門の不在というのもやや不可解です。まあ現業部門については勤務地や職種が限定されていることが多いわけですが、現実の運用をみると転勤も職種転換もかなり行われていますし、監督職や初級管理職への昇進というのは諸外国ではあまり見られない職種無限定な人事であるわけですが…。まあこれはあれかな、ワークス研究所は労組とか現業部門とか興味ありませんということかな。それはそれでわからなくもない。
ということで冒頭にあるように池田信夫先生だねえとは相当に思いました(なんのことかわからない人はhamachan先生のブログの検索窓に「池田信夫」と入力して検索ボタンを押してみましょう。このブログの上にある検索窓でも同様にしていただくとよりわかりやすいかも)。当時のNHKにはいたかもしれない「ノンワーキング・リッチ」を一般化して無限定正社員を拒絶し、彼らが解雇されるために北欧型の職業訓練や生活扶助を称賛するという図式は既視感ありありです。まあそれが悪いたあ言いませんが、しかし私の印象は悪い(笑)。
ただ、従来型の無限定正社員を中軸とした人事管理は行き詰まっているという問題意識は正しいものだと思いますので、いずれなんらかの見直しが進むことは間違いなかろうと思います。この提案はわが国の現状からあまりにかけはなれているので正直移行コストが高すぎて実現するわけねえという印象もあるのですが、そのあたりは承知の上で議論の材料として呈されているという部分もあるでしょう。もちろん絶対そうならないかというと相当の長期間をかけながら自然進行的に実現する可能性もあるとは思います。ただ政策的に誘導するのは難しいだろうとも思われ、私としては以前から書いているように当面は従来型の無限定正社員も存続しつつ漸進的にその比率を下げ、スローキャリアではあるものの欧米に較べれば昇進の可能性があるジョブ型の限定正社員を拡大して正社員を多様化していく方向ではないかと思います。