採用と大学教育の未来に関する産学協議会中間とりまとめ

 これに関しては先週から日経新聞大騒ぎ熱意をもって報じておられ、昨日はついに社説でもこれを取り上げておりますな。

 新卒一括採用が企業の成長を阻んでいる

 経団連と大学側が専門性を重視した通年採用の拡大など、人材採用の多様化を進めることで合意した。現在の「新卒一括」方式に偏った採用は学生の能力の見極めが甘くなりがちな問題があり、その見直しが前進し始めたことを歓迎したい。企業は採用改革を推し進めてほしい。
 経団連と大学関係者らから成る「採用と大学教育の未来に関する産学協議会」が中間報告をまとめた。企業の採用活動について、専門的なスキル(技能)をみる通年型の「ジョブ型採用」を取り入れるなど、「複線的で多様な採用形態」への移行を提言した。
平成31年4月24日付日本経済新聞朝刊から)

 まあ先週の段階では実物を見てみないとなんともわからないなあと思っていたところ、こちらに全文が掲載されましたので読んでみたのですが、全体的な感想としては無難だねえというところでしょうか。たぶん経団連会長のご発言がなにかとミスリーディングなんじゃないかと思う。
 まず気を付けなければいけない(というか嫌でも目に入る)のが、この文書の1丁目1番地(1.Society5.0時代に求められる人材と大学教育の(1)Society5.0時代に求められる能力と教育)にこう書かれていることでしょう。

 Society5.0時代の人材には、最終的な専門分野が文系・理であることを問わず、リテラシー(数理的推論・データ分析力、論理的文章表現力、外国語コミケーション力など)、論理的思考力と規範的判断力、課題発見・解決能力、未来社会の構想・設計力、高度専門職に必要な知識・能力が求められ、これらを身につけるためには、基盤となるリベラルアーツ教育が重要である。

 いやそれってどういうハイスペック人材なのさと思うわけで、いかにSociety5.0の世の中とは言えども、大卒者に限ったとしても全員がそんな人材になれるわけもなければなる必要だってないでしょう。大学だって入学者全員をそのように育てられるとか育てなければいけないとか、考えていないと思うなあ(いやそれはなるべく多いに越したことはないのでしょうが)。
 要するにそういうかなり限られた人材について議論された文書であり、そう考えると記述内容もかなり常識的とまでは言わないまでもすでに先行事例の存在する現状追認的なもので、だから無難だねえと思ったわけだ。
 でまあ中西会長というお方はこの限られた人材にしかご関心がないらしく、それがすべてであるかのように語られるものだから日経が真に受けて舞い上がってしまったのだなたぶん。なおこれについてはどうやら事務局から水がかけられたらしく、中間とりまとめが発表された日の定例記者会見ではこのように軌道修正しておられます。

…報道にあるような、大学と経団連が通年採用に移行することで合意したという事実はない。複線的で多様な採用形態に秩序をもって移行していくべきであるという共通認識を確認したという趣旨である。

 ということで、ジョブ型雇用についてはこう書かれているわけですが、

 今後は、日本の長期にわたる雇用慣行となってきた新卒一括採用(メンバーシップ型採用)に加え、ジョブ型雇用を念頭に置いた採用(以下、ジョブ型採用)も含め、学生個人の意志に応じた複線的で多様な採用形態に秩序をって移行すべきである。

 まあ要するに従来の事業分野においては従来型のメンバーシップ雇用が継続されているのに対して、AIとかビッグデータとかサイバーセキュリティとかいった新規分野についてはその分野・職種に限定したジョブ型雇用もやっていきましょう(いくしかない)というわけですね。これはすでに多くの企業で取り組まれていることだろうと思います。ひとつご紹介しますと明大の永野仁先生がJIL雑誌に書かれた「企業の人材採用の変化-景気回復後の採用行動」という論文があるのですが、そこにはこういう記載があります。

 ⑤職種別採用
 新卒一括採用の場合には, 事務系・技術系というような大きな括りはあったものの, 特に事務系では採用後の職種や部門を決めずに採用が行われていた。 それに対し, 職種別採用とは, 採用時に採用後の職種や部門を決めて採用する方法である。
 このような職種別採用を導入する企業は増加傾向にあるが, 導入企業における大卒総合職採用者に占める職種別採用者は多くない。 例えば,A3社では数字上は半数近くが職種別採用ではあるが, そのほとんどは金融再編で新たに加わった事業領域の担当者として採用された新卒者で, 従来からの事業領域での職種別採用は30人に過ぎない。

 これ2007年の論文ですよ。すでに10年以上前に新規分野での職種別採用(まあこちらは分野別か)は増加傾向にあったというわけですから、まあそれほど目新しい話ではない。目新しいとしたら一部で採用時からかなり刺激的な労働条件が提示される例があるところでしょうか。
 というか、高度専門職のジョブ型雇用って日経連の自社型雇用ポートフォリオの「高度専門能力活用型」そのものじゃん。そうか二十数年の時を経てついに日経連の予言が実現する時が来たのかその先見性たるやまあまあまあまあそれはそれとして、これ自体は雇用形態の多様化、しかもそれなりに良好な雇用機会が増える形での多様化なので望ましい方向だろうとは私も思います。いっぽうでこの文書ではそれは労働市場のかなりの上澄み部分が想定されているわけで、だから長期雇用慣行やメンバーシップ型雇用や新卒一括採用がなくなるだろうとかなくなるべきだとかいう話でもないわけですね。
 ちなみに中西会長は上述の記者会見でこう持論を展開しておられるのですが、

 人生100年時代において、一つの企業に勤め続けるということは難しくなる。リカレント教育は、テクノロジーの再教育だけでなく、新しい人生の再設計もターゲットとしている。社会を多面的なものにしていく必要がある。

 中間とりまとめにはこの「一つの企業に勤め続けるということは難しくなる」という趣旨の記載はないことにも注意が必要でしょう。中西会長は近年欧米の現地法人のトップを長く務められたらしいので、まあICTビジネスの最前線での人材争奪戦を目の当たりにしてこられたのでしょうか。いささかアメリカかぶれしておられるのかも知らん。
 さてこれに関しては、私はさまざまな場面でかの池田信夫先生も絶賛しておられたhttp://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51301281.html、なお他のおすすめにはダメなのも多い)八代尚宏先生の名著『日本型雇用慣行の経済学』(日本経済新聞社、1997)にある次の一節を紹介しているのですが、

 一般に、「日本的」と称される雇用慣行の特徴としては、長期的な雇用関係(いわゆる終身雇用)、年齢や勤続年数に比例して高まる賃金体系(年功賃金)、企業別に組織された労働組合、などがあげられる。これら企業とその雇用者の間の固定的な関係は、かつては雇用者の企業への忠誠心を確保するメカニズムとして理解された時期もあった。しかし、欧米の企業でも、雇用の固定性は必ずしもめずらしいわけではなく、日本と欧米諸国との雇用慣行の違いは、質的な違いよりも、それがどの程度まで企業間で普及しているかの量的な違いにすぎない。
八代尚宏(1997)『日本的雇用慣行の経済学』p.35)

 まさにそのとおりで、日経新聞などが唱道するような質的な違いではなく、量的な違いにすぎないのですね。でまあ実際問題としてメンバーシップ型の比率は(主として非正規雇用の増加という形で)傾向的に縮小しているのであり、それが今後はさらに専門職のジョブ型が増えることによってさらに縮小するのだろうという話でしょう。繰り返しになりますがそれは好ましい変化ではないかと思います(非正規の拡大まで好ましいと言っているわけではないので為念)。
 したがってこの中間とりまとめをみてもメンバーシップ型がなくなるというような記述はありませんし、それこそ解雇規制がどうこうという話には一切言及がないわけであってやはり無難なものといえそうです。実はこれについても八代先生の上掲書でこう記述されていて、

 本書は、日本の雇用慣行を含む企業システムが全体として戦略的な補完性をもつため、大幅な革新なしには変わらないという見方に対して、より漸進的な変化の可能性を指摘する。それは、従来の日本的雇用慣行の対象である企業活動のコア的な雇用者の比率が低下し、それを取り巻く流動的な雇用形態の労働者が徐々に高まる「雇用のポートフォリオ」選択の変化である。これは従来の固定的な雇用慣行が不要となるのではなく、むしろその逆を意味する。すなわち、流動的な形態の雇用者の比率が高まるほど、固定的な雇用慣行の対象となるコア労働者の責任は高まるという「労働分業」の進展でもある。
八代尚宏(1997)『日本的雇用慣行の経済学』p.252)

 多様性が進展する中で従来型雇用の役割も重くなるという指摘であり、おおむね実際そのとおりにもなっているわけで、日経連とは違ってさすがの先見性というべきではないかと思います。
 なお中間とりまとめにはこの他にも多数の提言が記載されていますが、それらについても比較的無難かなあという印象です。私は客員でお客さんなのでなかの人と言っていいかは微妙ですが、それでもここで記載された取り組みの多くはCBSの内部に入り込んで眺めればすでに見える光景だなあとは思います。