城繁幸氏の就職氷河期論

 一昨日久々に長めのエントリを書いたところ読者の方からネタ提供をいただいたので書きたいと思います。いや城繁幸なんですが、就職氷河期世代についての総括(就職氷河期世代とはなんだったのか)がウェブに掲載されているとのことでしたので読んでみました。以下若干のコメントを。
 まず前段の「就職氷河期世代はなぜ生まれたのか」から「就職氷河期世代はなぜ固定されたのか」までについては、概ね業界のコンセンサスになっている事項が要領よくまとめられていて案外まともです。
 ただまあ合格点かというとやや微妙な点もあり、なにかというと城氏の常としてご自身の論旨に好都合な誇張が目立つのですね。たとえば「日本企業はただ新卒採用を抑制することで雇用調整を実施し続けました」と書かれていますが、もちろん企業は「ただ新卒採用を抑制」していただけではなく、他にも早期退職や希望退職、あるいは(これは城氏ご自身が直前に言及しているのですが)有期契約雇用の雇止めなどをやっていたわけですね。あるいは、まあこれはタイポではないかとは思うのですが「2000年には新卒求人倍率は0.99倍と1.00倍を下回ったほどです。学生一人につき0.9口の求人しかなかった」とか書かれていて、いや0.99と0.9はだいぶ違わねえかと思うわけです。あとは結論として「まとめると、就職氷河期世代は終身雇用を守るために人為的に生み出された世代だということです」と書いておられて、まあそう書いた方が都合がいいというのはわかりますが、現実には長期雇用慣行の中で成立した法規を守るためだったことは言うまでもありません。更に後段ではキャリアの問題を「年功序列」と連呼しているのも気にはなりますが、まあこの程度なら許容範囲でしょう。
 いっぽうで後段の「何をすべきだったか」以降になるとまあ相変わらずですねえという話になっていて、まあもはやご自身でもどうしようもなくなって信念と化しておられるのでしょうな。以前書いたことの繰り返しが多くなりますが以下は文章に沿って解説したいと思います。

 では、社会は何をすべきだったのか。答えは、解雇規制を緩和し、特定の世代ではなく幅広い世代で雇用調整を請け負うことです。新卒採用を減らす、停止するのではなく、生産性の低い従業員を解雇することで、組織全体の生産性も上がります。“派遣切り”のように特定の雇用形態の人たちに雇用調整を押し付ける必要もなくなり、格差の是正も進みます。

 「特定の世代ではなく幅広い世代で雇用調整を請け負う」とか「特定の雇用形態の人たちに雇用調整を押し付ける」とか、負担は凡そ全ての人民が等しく分かち合うべきだみたいなことが繰り返されてていてどこのソ連邦かしらと思うわけですが(ぱっと読むとすげえ正論のように見えてしまうのでレトリックとしては巧妙だとも思いますが←ほめている)、本当に幅広い世代で雇用調整を請け負わせるのであれば10歳毎の年齢階層別に失業率が同じレンジに収まるように企業に採用/解雇を行わせるということになるわけでそんなんできるわけないよねえ(適職探しをする年代と生計費負担が重い年代の失業率が同じでいいかどうかは別問題として)。ここ数年のように新卒採用が絶好調の時には逆に「新卒の失業率が他世代を下回らないように企業に採用規制を実施します」とかいう話になるわけでな。
 いやもちろん氷河期世代の人というのはたまたまその時期に当たってしまったわけでその点は不運であり、冒頭紹介されているような重点支援は当然行われてしかるべきものですし、成果は十分ではなかったにせよ従来も行われてきたことでもあります。そしてその財源はわれら人民が負担した税なのであり、そういう形で負担は分かち合われてもいるわけで、まあそれが公共政策というものでしょう。
 「新卒採用を減らす、停止するのではなく、生産性の低い従業員を解雇することで、組織全体の生産性も上がります」というのも、まあそういう状況も想定することは不可能ではないでしょうがかなり無理がありそうです。新卒者は賃金を支払いながら仕事を教えなければいけないので基本的に生産性は高くないわけであり、だから諸外国では若年失業率が高く、インターンシップという名のタダ働きをして仕事を覚えてからでなければお給料をもらえる仕事にはつけないわけだ。城氏は例によって賃金水準が貢献度を上回っている中高年を重視しているのだろうと思いますが、しかし2000年前後の成果主義騒ぎを通じてその乖離は解消されないまでも縮小しているでしょうから、城氏の主張する「中高年を解雇して新卒を採用すれば生産性が上がる」という状況はなかなか考えにくいように思います。さらに、中高年は十数年も経てば定年到達で賃金水準をガッツリと下げられるのに対して、新卒はこの先40年以上雇わなければならたいうえ30年後の生産性については特段の保証もないということになると、ますます「中高年を解雇して新卒」とはなりにくいでしょう(いやまあこれについては新卒が30年後に生産性が高くなかったら解雇するからいいんだという話かもしれませんが、それって新卒にとってうれしい話なのかしら)。
 なお格差についてはよくわかりませんが、派遣労働者正規雇用労働者の格差は縮小するかもしれませんが、すでにemployment at willになっている米国の現状を参考にすれば、労働市場全体での格差は拡大する方向じゃないかなあ。

 くわえて、年功ではなく職務で評価されることになるため、社会に出た後に躓いてしまった人にも、後からいくらでも挽回するチャンスが与えられることになります。

 まあなんとなく書いているんだろうなとは想像するわけですがマジレスすると、ここは整理して議論する必要があるところで、大雑把に分類すると労働市場には年功(キャリア)で評価される人たちと職務で評価される人たちがいるわけです。で、キャリアで評価される人と言うのは基本的に幹部候補生でエリートコース、職務で評価される人は基本的にノンエリートというのがまあ欧米の労働市場の通り相場と言っていいと思います。そこで日本と欧米の労働市場を比較すると、欧米では前者はMBAホルダとかグランゼコール卒とかで全体のせいぜい1割という少数なのに対して、日本では正社員の相当部分が前者(高卒であっても工場長に昇進したりする)であるという量的に大きな差異があるわけですね。さらに、欧米では後者でもparmanent workerが多数を占めて労度市場の主力を形成しているのに対して、日本の後者はほとんどが非正規雇用となっているわけで、まあ日本の現状がすばらしく良好かと言うとそうでもないなという話になっているわけです。
 そこで「年功ではなく職務で評価されることになる」というのがどういうことかというと、まあ前者が減って後者が増えるということになるのでしょう。それにともなって、後者の中に現状の非正規雇用とは異なった、雇用もそれなりに安定してキャリアもそれなりに開発されるという雇用形態が拡大していくことは十分に想定されるところです。実際、有期5年で無期転換した人たちの中には、当面は職務も処遇も従前としても、先々はより高度な職務・処遇になっていく人も出てくるのではないでしょうか。そうした人たちはキャリアで評価される従来型正社員に較べれば雇用保障も強くないだろうと思われるので、城氏が唱道する解雇規制の緩和はそうした形で実現していくのかもしれません。
 ただしこの場合、後者から前者に移動するというのは相当に大変で、大陸欧州ではかなり稀少であり、米国でもMBAを取ってこいという話にはなるようです。したがって「社会に出た後に躓いてしまった人にも、後からいくらでも挽回するチャンスが与えられる」の「挽回」が後者から前者への移動を意味しているのだとすると、それは非常に難しいことに変わりはないということになりそうです。

 ついでに言えば、65歳までの雇用を死守するために賃金抑制する必要もなくなりますから、内部留保は減って昇給もずっと進んだことでしょう。

 これもまあなんとなく書いてるんだろうねえという感じですが、さてこれはなにかな?「昇給もずっと進んだ」というのは個別の労働者の賃金水準が上がるということですよね。でまあ城氏としては城氏のいわゆる「生産性の低い従業員」の「雇用を死守するために賃金抑制する」のではなく、城氏のいわゆる「生産性の低い従業員を解雇することで」その人たちに支払っていた賃金を解雇されない人たちで分けあえば「昇給もずっと進んだ」だろうと言いたいのだろうななどと推測するのではありますが、あれこれって内部留保は減らないよね…。いや私も企業に有効な投資先のない資金が積み上がっているなら従業員に配ってしまったほうがいいのではないかと思いますしその話はつい前回のエントリでも書きましたが、城氏のご所論はどうやらそういう話ではないらしい。

 といった話を筆者は10年以上前から言い続けていますが、しばしばこんな反論を受けてきました。
 「若者は可哀そう論はウソだ。年功序列ではない新興企業や、キャリアを気にしない中小企業はいくらでもある。本人にやる気さえあればなんとでもなるはずだ」
 その言葉、そっくりそのまま世の正社員全員にお返ししたいと思います。解雇規制が緩和されて正社員の地位を失ったとしても、新興企業や中小企業に目を向ければいくらでも就職口は見つかるはず。特定の世代にだけそうした努力を押し付けるのはやはり理不尽というものです。

 まあ実際そういうとんちんかんな反論をする人というのも実際にいたのでしょうからわら人形だと申し上げるつもりはありませんし、普通に考えて人材育成やキャリア開発のしくみが確立した大企業に入社できなかったとしてもそうした仕組みのない新興企業や中小企業で「やる気さえあればなんとでもなる」わけはありません。ただまあ一部の珍妙な人たちがそう言っているからと言って、そんなこと思っても見ない人たちにまで「そっくりそのまま」「お返し」いただいても困るだろうと思うなあ。城氏が例示したような「若者は可哀そう論はウソ」がウソだったとしても、それが「若者は可哀そう論」が正しいことを証明するものではありませんし、「世の正社員全員が努力不足論」の根拠にもなりません。これもぱっと読むともっともらしく見えるのですが、ここまで来るともはやレトリックではなく詭弁の域かも知らん。「特定の世代にだけ」云々は上で書いたのと同じレトリックなので(ry
 さてこれ以降は「過去の支援策より効果が期待できる理由」が述べられていて、これについては前半部分と同様で都合のいい誇張などは見られるものの大筋では間違ったことは言っていないという評価でいいと思います。ただまあ大筋で間違っていないということはたとえば

 新社会人の数が団塊ジュニア世代と比べて5割程度まで落ち込む現在の状況では、“ぴちぴちの新人”にこだわると人材レベルで大幅な妥協を求められることになります。
 そうした影響もあって、現在では“転職35歳限界説”のような年齢をベースとした区切りは影が薄まりつつあります。

 おいちょっと待てよあんた新卒は生産性が高くて中高年は生産性が低いとかさんざん言ってなかったっけ。なんかねえ、まともなことを書くと自爆になるってのはもう円熟の芸だねえと思うところ。
 最後の締めも、けっこういいこと書いてるんですよ。

 一言でいうなら社会全体が緩やかに、“年功”から“職務”に軸足を移しつつあるということです。そうした状況であれば、職業訓練や雇用助成金には一定の効果が期待できるでしょう。
 くわえて政府には、解雇規制緩和による採用ハードルの引き下げも期待したいところです。

 城氏がどういう意図で書いているかはわかりませんが、前半は私が上で書いた変化に通じるものですよね。で、ここでやめてとけばいいのに、最後結局は解雇規制にこだわっちゃうんだなあ。いや実際それさえ諦めれば残りはけっこうまともになりそうなので惜しいなあと本気で思う(だから今回はネタタグではなく雇用政策タグにした)。
 ということで特定世代云々とか言いながら結局は中高年が痛い目にあうのを見たいという本音がいまだに透けて見えるように感じるのは私の心がヨコシマだからかしら。別にもう城氏が暴露本書いた当時の中高年はほとんどリタイヤして逃げ切ってんだからいつまでも根に持たなくてもと思うのですが、まああれだないまさら引っ込めるわけにもいかないかな期待してる人もいるだろうし。ということで相変わらずですねえというこなみかんを述べて終わります。いやはや。