2020年版経営労働政策特別委員会報告

 ということで21日に発表された上記報告ですが、翌日の日経新聞ではこんな調子で報じられております。

 経団連は21日、春季労使交渉の経営側の指針となる経営労働政策特別委員会報告を公表した。年功序列賃金など日本型雇用制度の見直しに重点を置いた。海外で一般的な職務を明確にして働く「ジョブ型」雇用も広げるべきだと訴えた。海外との人材獲得競争に負けないよう、雇用にも世界標準の仕組みを取り入れるなど時代に即した労使交渉への変革を求めた。…
…従来の経団連指針は、経営側が賃金交渉にどう臨むべきかという点に関心が集まっていた。ただ経済のグローバル化やデジタル化が進み、収益環境は企業ごとに異なる。中西宏明会長は「経済界の代表が詳細な賃上げ手法を示すことは現実的ではない」と語る。指針は「各社一律でなく、自社の実情に応じて前向きに検討していくことが基本」との指摘にとどめた。
 代わりに重点を置いたのが、新卒一括採用と終身雇用、年功序列を柱とする日本型雇用制度の見直しだ。「現状の制度では企業の魅力を十分に示せず、意欲があり優秀な若年層や高度人材、海外人材の獲得が難しくなっている」と指摘。さらに「海外への人材流出リスクが非常に高まっている」と危機感を示した。
 指針はジョブ型雇用が高度人材の確保に「効果的な手法」と提起した。外国企業では、ジョブ型による採用が広く浸透。高額な給与を提示して、事業計画に必要な人材を確保している。…
 経団連の経営労働政策特別委員長を務める大橋徹二コマツ会長は21日の記者会見で「(従来型とジョブ型双方の利点を踏まえて)労使で自社に適した雇用制度を追求すべきだ」と述べた。
(令和2年1月22日付日本経済新聞朝刊から)
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO54640500R20C20A1EE8000/

 さらに社説でもこれを取り上げるという熱の入れようで、いわく

 雇用の制度や慣行をめぐる突っ込んだ議論をしないと日本の将来は危うい。そんな危機感からだろう。2020年の春季労使交渉に向け経団連がまとめた経営側の指針は、年功賃金など日本型雇用の見直しを訴える内容となった。
 目先の賃上げだけでなく、持続的に企業が成長するための本質的な議論をすべきだという経団連の考え方は理解できる。継続的な賃上げの基盤づくりにもつながる。労働組合経団連の問題意識を真摯に受け止めるべきだ。
 経団連が示したのは、企業向けの交渉指針である「経営労働政策特別委員会(経労委)報告」である。終身雇用を前提に新卒者を採用し、様々な仕事を経験させながら年功賃金で処遇する日本型雇用は、問題が顕著になってきた、と強調する。背景にあるのはデジタル化とグローバル化の進展だ。
 職務で報酬を決めたり評価で昇給に差をつけたりする仕組みを広げ、社員の意欲を高める必要があるとした。メンバーシップ型と呼ばれる日本型雇用の比重を下げ、職務を明確にした「ジョブ型雇用」を導入するよう促している。
 全体として妥当な認識といえよう。年功賃金や終身雇用は、経済が右肩上がりで伸び、長い目で人を育てればよかったときのシステムだ。競争環境が激しく変わるなかでイノベーションを起こせる人材を輩出し続けなければならない今は、基本的にそぐわない。…
 ジョブ型雇用は専門性や成果による処遇が基本になる。業種や国境を越えて有能な人材を獲得するためにも、企業はこの雇用形態を積極的に取り入れてはどうか。…
(令和2年1月22日付日本経済新聞「社説」から)
https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20200122&ng=DGKKZO54662040R20C20A1EA1000

 いや「労働組合経団連の問題意識を真摯に受け止めるべきだ」というのには思わず茶を吹きました(失礼)。いやそこまでプッシュするほどのものなのかどうか、報告書を読んでみたいと思います。
 まず日経のいう「年功序列賃金など日本型雇用制度の見直しに重点を置いた」についていえば、昨年版ではたしかに「日本型雇用制度の見直し」にはまったく言及されていませんでしたので新しいといえば新しいとは言えます(まあ過去装いを変えつつたびたび繰り返されてきた議論だという感も関係者間では共有されているわけですが)。全3章12項のうち1項を当てているのでまあ「重点を置いた」とも言えなくはない。
 いっぽうで「従来の経団連指針は、経営側が賃金交渉にどう臨むべきかという点に関心が集まっていた」というのはそのとおりとして、「指針は「各社一律でなく、自社の実情に応じて前向きに検討していくことが基本」との指摘にとどめた」「代わりに(日本型雇用の見直しに)重点を置いた」というのはかなり怪しく、とりあえず「賃金交渉にどう臨むべきか」についての報告書の記載を2019年版と比較してみると、まず賃金決定の基本方針についてはほとんど変わっていません。賃上げは支払能力と総額人件費管理というのはもちろん不変ですし、賃金、諸手当、一時金、さらには総合的な処遇改善という構図も変わっておらず、やはり昨年同様連合の方針への見解も示されていますし、ページ数で比較しても昨年が23/97なのに対して今年が24/101なのでまあほぼ同じです。中西会長がどう発言されたかはよく知りませんが、日経新聞があたかも経労委報告が昨年に較べて賃金交渉を軽視しているとの印象を与えるような書き方をしているのは不適切といえましょう。
 続いて日経の言う「代わりに重点を置いたのが、新卒一括採用と終身雇用、年功序列を柱とする日本型雇用制度の見直しだ」ですが、報告書を読むと、たしかに日経の引用したような文章もありますが、該当部分にはこのように記載されているのですね。

 わが国は、外部労働市場が十分に発達しておらず、労働法をはじめとする様々な制度や慣習もジョブ型を前提としていない。また、メンバーシップ型は既述のようなメリットがあり、現在も多くの企業で採用されていることから、ただちに自社の制度全般や全社員を対象としてジョブ型への移行を検討することは現実的ではない。
 こうしたことを踏まえ、各企業が自社の置かれている現状と見通しに基づき、まずは、「メンバーシップ型社員」を中心に据えながら、「ジョブ型社員」が一層活躍できるような複線型の制度を構築・拡充していくことが、今後の方向性となろう。
 第一に、採用面においては、…従来型の新卒一括採用に加え、特にジョブ型の人材に対して、中途・経験者採用や通年採用をより積極的に組み合わせるなど、採用方法の多様化・複線化を図っていく。…最先端のデジタル技術などの分野で優れた能力・スキルを有する…高度人材に対して、市場価値も勘案し、通常とは異なる処遇を提示してジョブ型の採用を行うことは効果的な手法となり得る。
 第二に、雇用面では引き続き、長期・終身雇用を維持しつつも、企業と社員双方のニーズを踏まえ、雇用の柔軟化・多様化を検討していくことが考えられる。…
(『2020年版経営労働政策特別委員会報告』から、以下同じ)

 おや。これを読むときわめて明快で引き続きメンバーシップ型を主流としつつジョブ型を補助的に組み合わせるという方向性が明確になっているように思われます。ジョブ型高度人材拡大やその処遇に関してもすでに世間で動き始めている取り組みを追認的に記載しているという感じで、とても斬新な提案という印象は受けません。たしかに日経社説が書くように「日本型雇用の比重を下げ」るということではありますが、比重を下げたとしても相変わらず主流ではあり、それが「基本的にそぐわない」という認識は経団連にはなさそうです。これまた誤解を招きかねない不適切な表現と申せましょう。

  • なお経団連はさすがというべきか「長期・終身雇用」と慎重な、というか苦心の用語ですね。まあ会長があれだけ「終身雇用」を連呼しておられるので無視するわけにもいかなかったというところでしょうか。

 さてここからは日経新聞から離れて、日経の関心事より(笑)ヨリ重要なポイントを見ていきたいと思うのですが、なにかというとジョブ型雇用の位置づけなのですね。一般的にジョブ型雇用といえば欧米の現業部門などに典型的に見られるような、職務・勤務地・労働時間・賃金等は労働契約や職務記述書などに明確に記載されていて変更には労使の合意が必要であり、団交等による昇給などを除けば基本的に勤続を重ねても不変という形態だろうと思うのですが、報告書のいう「ジョブ型」はこれとは相当に異なっていて、こう記載されています。

 ここでいう「ジョブ型」は、当該業務等の遂行に必要な知識や能力を有する社員を配置・異動して活躍してもらう専門業務型・プロフェッショナル型に近い雇用区分をイメージしている。「欧米型」のように、特定の仕事・業務やポストが不要となった場合に雇用自体がなくなるものではない。

 これは実は脚注でさらっと書かれているのですがおおっと声が出たところで、「特定の仕事・業務やポストが不要となった場合に雇用自体がなくなるものではない」というのはかなり思い切って踏み込んだものだと思います。「ここでいう」との断り付きではありますが文脈からして報告書内では一般的な定義と思われます。
 となるとこれは欧米などで一般的なジョブ型とはだいぶ異なる概念のはずで、実際、報告書にはこうした記述もあります。

…キャリア面では、メンバーシップ型とジョブ型社員の双方から、経営トップ層へ登用していく実績をつくり、自社における複線型のキャリア発展空間を感じてもらうことで、定着率向上を図ることが考えられる。

 ということは従来型のメンバーシップ正社員と同様の経営トップ層まで射程に入れた内部昇進制に乗せていくということになるわけですね。まあ有期契約で賃金体系はまったく異なるし、昇進にしても勤務地変更にしても本人同意で行うということであれば、それなりに可能かもしれません。
 こうなると俄然あれ(笑)を思い出さざるを得ないわけですが、案の定上記の記述に続いて「「自社型」雇用システムの確立を目指して」と来るわけだ。いやこの「ジョブ型」って1995年の『新時代の「日本的経営」』に記載された自社型雇用ポートフォリオの高度専門能力活用型そのものジャン。なるほど、高度専門能力活用型は「有期で転職を重ねてもいいし、一企業に定着してもいい」という位置づけでしたし、したがって「特定の仕事・業務やポストが不要となった場合に雇用自体がなくなるものではない」というものであったわけですね。しかもこの三類型は大いに重なり合っていてその間の移行が行われることが想定されていたわけで、すなわちある段階からメンバーシップ型≒長期蓄積能力活用型に移行して経営トップ層に昇進していくという可能性もありうるということになります。
 一方で、こう考えれば、自社型雇用ポートフォリオには別途ジョブ型の雇用柔軟型があるので、今回の報告書の「ジョブ型」はそういうジョブ型ではない「ジョブ型」ですよと、まあそういう話なのかも知らん。こちらもなるほどという話。
 ということで今回の経労委報告は1995年の『新時代の「日本的経営」』に立ち返ったのだな、というのが私のこの部分に関する感想です。まああれ自体はよく考えられていたものですし、結果的にはこの高度専門能力活用型が十分に成長しなかった(その主たる原因は90年代末の金融危機と2008年のリーマンショックなどにともなう深刻な経済の停滞だろうと思いますが)ことが労働市場の二極化とキャリアの分断に結び付いてしまったことを考えれば、ここでもう一度自社型雇用ポートフォリオの本来の理念に立ち返るのはいいことなのではないかと思います。
 あとまあこれは余談になりますが日経によれば経労委の大橋委員長は「労使で自社に適した雇用制度を追求すべきだ」と述べられたそうで、まあこれも邪推すれば「おやりになりたい労使がおやりになればいい」ということではないでしょうかねえ。まあ実際それでいいと思いますし。
 なお当然ながら報告書はほかにも様々なテーマを論じていて重要なポイントも多く、個別には申し上げたいこともなくはありませんが(笑)全体としてはよくまとまっていると思います。前エントリで『春季労使交渉・労使協議の手引き』を実務家向けの優れたテキストとして紹介しましたが、本報告もエグゼクティブ向けの良い解説書であるように思われます。いやもちろん異論のある向きは当然あるわけですが(笑)、これに関しては例年同様別途書ければ書くということで(笑)。