本年の賃上げ

 本年の春季労使交渉も最初の山場を越え、各社ともおおむね円満な解決がはかられているようでまずはご同慶です。連合の1次集計結果によればまずまずの健闘ぶりのようで、週末の日経新聞から。

 連合は15日、2019年春季労使交渉の第1回回答集計の結果を発表した。定期昇給と基本給の底上げ部分を示すベースアップ(ベア)を合わせた賃上げ率は平均2.16%で、18年交渉の1次集計と横ばいだった。定期昇給が伸びに寄与した一方、世界経済の先行き不透明感が増し、ベアの伸び率は前年を下回った。
 労組が経営側から受けた回答を15日午前10時時点で集計した。対象は626組合。6月下旬に最終集計をまとめる。賃上げ額は前年より138円多く、6653円だった。
 賃上げのうちベアと定昇を区別できる405組合をみると、ベアの引き上げ率は0.62%で18年交渉を0.15ポイント下回った。米中貿易摩擦の激化など世界経済の先行きが読みにくく、経営者はベアに慎重になったようだ。
 企業別の回答を見ると電機や自動車などの製造業大手は6年連続でベアを実施するものの、多くが18年実績を下回った。電機大手は統一交渉で月額3000円以上のベアを求めたが、18年より500円低い1000円で妥結した。自動車ではホンダやスズキなどのベアの妥結額が18年より下がった。自動運転や電動化への対応には巨額の投資が必要で、固定費の増額となるベアには「慎重にならざるを得ない」(ホンダ)。
 一方、福山通運がトラック運転手1万3500人を対象にベアを18年比3倍の7500円に引き上げた。「餃子の王将」を展開する王将フードサービスは労組の要求(9500円)を大きく上回る1万2677円で妥結した。
平成31年3月16日付日本経済新聞朝刊から)

 記事にもあるように金属労協各社をはじめとする製造業が昨年を下回る一方、運輸やサービスでは高額回答も目立ち、業種などによる違いが大きくなったのが今のところ今年の特徴といえそうです。
 そこでこの結果の評価ですが、とにもかくにも6年連続で有額のベースアップが実現したことは労使の努力の成果として高く評価すべきでしょう。2002年から2011年まで10年にわたって有額のベアがほとんどなかったわけなので、とにかくいくらかでもベアを毎年続けて、ベースが上がる、1歳1年上の人より賃金は高くなるのが当たり前という感覚を取り戻していくことが大切でしょう。
 日経新聞などは金属労協のベアが縮小したといって騒ぎ立てているようですが、しかし過去のベアが当たり前だった時代においても景気循環に応じてベアは拡大したり縮小したりしてきたわけで、今回も中国経済の減速などの要因でベアが縮小したのはまあ自然な成り行きではないでしょうか。日経は例によって生産性ガーと言い立てているようですが循環要因を軽視しすぎだと思うなあ。
 それに対して、まあ記事になっている福山通運王将フードサービスは最高額の事例だろうとは思いますが、人手不足の業界で正社員の賃金が力強く上がりはじめたのだとすれば歓迎すべき動きでしょう。人手不足下になったとしても、まずは時間外労働が増加することで残業代が増え(これが案外大事)、労働市場の需給が引き締まることで非正規の時給が上がり、企業業績が好転することで正社員の賞与が上がり、といった段階を踏んで、しかるのちに正社員の賃金が上がりはじめるわけで、なんとか現状のような人手不足状態を持続していくことが大切だろうというのは過去繰り返し書いたとおりです。前回の景気回復時においても、非正規の正社員転換や正社員の賃金上昇が始まったあたりでサブプライムリーマンショックが来ておじゃんになってしまったわけで。
 一方で、福山運輸はおそらく賃上げ分をそれなりに価格転嫁する目処があるのでしょうが、王将フードサービスについてはその点やや不安が残るところではあります。まあ王将の大幅ベアは正社員対象なので、価格に大きく影響するようなコスト増にはならないのかもしれませんが…。
 というのも、生産性が大好きな日経新聞が今朝の朝刊でこんな記事を載せているわけですよ。

…なぜ生産性が上がらないのか。逆説的だが、日本の企業が賃上げに慎重な姿勢を続けてきたことが生産性の低迷を招いたとの見方がある。
 「賃上げショックで生産性を一気に引き上げるべきだ」。国宝・重要文化財の修復を手がける小西美術工芸社のデービッド・アトキンソン社長はこう訴えている。
 ゴールドマン・サックスの名物アナリストだった同氏による主張の根拠はこうだ。低賃金を温存するから生産性の低い仕事の自動化・効率化が実施されず、付加価値の高い仕事へのシフトが進まない。その結果、生産性が上がらずに賃金も上がらない。いわば貧者のサイクルに日本は陥っているというわけだ。
 アトキンソン氏は最賃の毎年の上げ率を現在の3%台から5%台に加速させるべきだという。低生産性の象徴とされる中小企業に、省力化の設備投資や事業の変革を迫る起爆剤になるとみる。英国は99年に最賃を復活させて18年までに2倍超に上げた。低い失業率のまま生産性が高まった。
平成31年3月19日付日本経済新聞朝刊から)

 「低生産性の象徴とされる中小企業」ってえのがどんなものをイメージしているのかはいまひとつ明らかでないのですが、まあ中小企業の7割はサービス業であり、製造業のようには自動化投資が進みにくいことは念頭に置いておく必要があるでしょう。そうした中でも、昨年もいくつか紹介しましたが(https://roumuya.hatenablog.com/entry/2018/10/09/162719https://roumuya.hatenablog.com/entry/2018/10/11/171659)省力化投資、自動化投資もそれなりに進められているわけですよ。その省力化投資の成果のほとんどが消費者(低価格)に分配されていることが問題なのではないかと思うわけです。消費者に安くなければ買いませんといわれたらそういう経営努力をするしかないわけであってね。逆にいえば、賃金を上げて、投資もして、それを価格転嫁して値上げして、一方で政府が国債をジャンジャン発行して期限付き・換金不可の金券をバリバリとばら撒いて値上がりした商品を国民こぞって従来以上に消費すれば生産性はぐんぐん上がるだろうという話でもあります。
 いやもちろん企業としては高値でも売れる魅力的な新商品・新サービスを提供すべく努力すべきなわけですが、続けて日経が上げている事例はといえば、

 賃金の変革に動き出す企業も出てきた。
 フリマアプリのメルカリ。16年からエンジニアらの新卒採用を本格的に始めた。面接で候補者のインターン経験や学術論文などを含めて能力・技能を見極める。具体的な金額を役員に諮り、初任給を決める。最大で数百万円の差がつく。18年は70人あまりが入社した。
 「賃上げなくして成長はない。ただしもうかるビジネスモデルがあってこそだ」。「いきなり!ステーキ」を展開するペッパーフードサービス一瀬邦夫社長は断言する。1月にベアと定昇で平均6.18%を賃上げした。18年は230店を純増。賃上げで事業を拡大する好循環につなげる。
(上と同じ)

 これだもんなあ。セコハンと低価格外食チェーンというデフレ的なご商売を担ぎ出されてもなかなか、ねえ。なおメルカリについては従業員数百人の企業が新卒を70人採用するということなので、まあ処遇を個別判断するというのは特段不思議でもないですし、「学術論文」というからには博士号持ちも採用するのでしょうから専門学校卒のSEとかと「最大で」数百万円の差がつくのはむしろ当然でしょう(200万円でも数百万円だしな)。ペッパーフードサービスの社長さんの「賃上げなくして成長はない。ただしもうかるビジネスモデルがあってこそだ」というのは全力で同意するところですが、しかし同社の2月の既存店売上高は2割を超える大幅減であり、海外の不採算店舗の閉鎖などもあって最終黒字は確保する見通しとのことですが大丈夫なのかしら、とまあこれは余計なお世話。まあ賃上げは正社員の話で店舗の現場はおそらく別物という、これは王将と同じような話かもしらん。
 ということで、まずは賃上げを価格転嫁できる産業・企業は値上げすることがまずは第一と思われ、実際問題この年度末は引っ越し料金が大いに上昇したりもしているわけだ。しかしそれが適正価格だということではないでしょうか。ところが、日経新聞と来た日には運送業者が悪いことをしているように書くんだからなあ。

…「いつからこんなに高くなったのか。妻に言えない」。北九州市の会社員、塚本智也さん(31)は2月末、転職に合わせて三重県四日市市から単身で引っ越しした。インターネットの見積もりサイトを通じて複数社と交渉。単身で荷物量が少ないため料金は数万円と思いきや、回答はいずれも30万円前後と高かった。
 ある大手には「作業員が足りず受けられない」と断られた。結局、一部の家財を宅配便で送ることで荷物を減らし、14万5000円で別の大手に決めた。「レンタカーを借りて自分で運べばよかった」と憤る。
 4月に妻と2人で横浜市から川崎市への転居を予定する会社員(27)の場合、業界大手から示された見積額は30万円。「時期をずらせば15万円でできる」と言われたが納得できず、8社ほど探しようやく11万円で請け負う中堅で折り合った。
平成31年3月17日付日本経済新聞から)

 これではデフレマインドは払拭できないし生産性も上がらないよねえ。なに考えてるんだか。
 サービス業の方はなかなか直接的な価格転嫁は難しいのかもしれませんが、まずは営業時間の短縮とか休日の増加とか、実質的な値上げから取り組むということなのかなあ。これは用役費などでコストダウン効果も大きいのですが、ある程度地域や業界で足並みを揃える必要もありそうなので、そのための仕組みづくりに知恵が要るかもしれません。
 なおそれに関連する話としてこんなニュースも流れていたわけですが、

 コンビニエンスストアの加盟店主(オーナー)について、厚生労働省の労働紛争処理機関である中央労働委員会は15日、オーナーを独立した事業者と判断し、本部がオーナーとの団体交渉に応じないのは「不当労働行為には当たらない」と認定した。中労委は「オーナーは労働組合法上の労働者に当たる」として本部に団体交渉に応じるよう求めた都道府県労働委員会の救済命令を取り消した。コンビニのオーナーの立場について、中労委が判断を示すのは初めて。
平成31年3月15日付日本経済新聞朝刊から)

 妥当な決定だと思います(中労委は三者構成なので労働者代表の意見も反映されている)。ただ、これも過去繰り返し書いているように、労働者にはあたらないとしても力関係の差は歴然としているので対等性確保のしくみは別途必要だろうと思います。上でも書いたように営業時間や営業日を見直すとなるとセブンイレブンだけでやっても効果は限定的で(ローソンやファミリーマートを利するだけに終わる可能性あり)、フランチャイズオーナーの中間団体が業界団体と協議できる場が必要ではないかと思います。
 なお最低賃金つながりではさらにこんな話も世間を賑わせていたわけで、

 厚生労働省都道府県ごとに異なっている最低賃金について、一部の業種は全国一律とする検討に入った。7日の自民党議員連盟会合で説明した。4月に新たな在留資格が創設され、外国人材の受け入れが拡大するなか人材を定着させる狙いがある。早ければ年内にもルールを整備する。
 厚労省は介護など新たな在留資格の対象となる14業種に限り、全国一律の最低賃金導入を検討する。関係する省庁と連携し、各業界団体からも意見を聞く。都道府県ごとに最低賃金を決める現在の仕組みだと、外国人材は最低賃金の高い都市部に集中し、地方の人手不足対策にならないとの指摘があった。このほか厚労省は全国一律化を議論する有識者会議を設置する方向で検討している。
平成31年3月7日付日本経済新聞夕刊から)

 私としては都道府県別最賃が確立定着した中では産別最賃は屋上屋を架すものであって不要という立場であり、かつ各地の経済の実情を踏まえて公労使三者で決定することが望ましいとも考えているので「職種別全国一律最賃」というのはいかにも筋が悪いと思いますし、なんか新在留資格の労働者が都市部に集中しないように最賃を調整するというのも妙な話だとは思ったわけですが、まあ地方選出の先生方には地元の商工業者から「そうしてくれ」という陳情もあるのかなあなどと思っていたわけです。
 ところがこれを見た中小企業団体のロビーは逆方向の「最賃引き上げ困ります」であったらしく、いやしかし賃金は上げたくありません高い賃金のところに行ってしまうのも困りますってのはどういう了見なのさと思うわけですが、それはそれとして菅官房長官が記者会見で「現時点においては検討していない」と回答したところ、こんなニュースが流れてきて目を疑いました。

 厚生労働省は8日、全国一律の産業別最低賃金を検討しているとした同省賃金課長の発言について、「混乱を生じさせていることについて、おわび申し上げる」とのコメントを発表した。「発言はあくまで課長の個人的な見解」とした上で、「厚労省として具体的な検討や調整を行っている事実はない」と改めて否定した。
 コメントは労働基準局総務課名で発表された。賃金課長は7日、自民党議員連盟の会合で、外国人の受け入れを拡大する業種に関し、全国一律の最低賃金の設定を検討する考えを表明した。菅義偉官房長官は7日午後の記者会見で「現時点においては検討していない」と否定していた。
JIJI.com「最低賃金で混乱、おわび=課長の個人的見解-厚労省コメント」
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019030800892

 まあ厚生労働省としてみればただでさえ信頼が失墜していて国会やらマスコミやらで連日叩かれている中なのでなにごとにも敏感になるのは致し方なかろうとは思うので同情しなくもないのですが、それにしても課長が所管の政策について「今後検討したい」と発言するのはまあまあ常識的な話であろうと思われ、それについてわざわざ「あれは課長の個人的見解であって(今現在)具体的な検討や調整はしていない」と文書で発表するというのもいかにも過剰反応のように思います。普通に考えれば今後検討して組織としては「やはりやめましょう」ということになるのが自然な成り行きでしょう。それをわざわざ「個人的な見解」と発言者ひとりを切り捨てるかのような対応が取られるということになると、まあなかなか闊達な議論は望めないでしょう。不祥事の再発防止であれこれ過剰反応するあまりますます組織の風通しが悪くなってしまうという悪循環に陥ってしまうとすると最終的に迷惑を被るのはわれら国民であるわけで。いや叩かれるのは自業自得だと言えばそれはそのとおりなのですが、しかし叩き方もいかがなものか(お、使ってしまった)とは思うので、多少の同情は感じなくもありません。
 ということで話があれこれ右往左往して最後は思わぬところに到達してしまったわけですが、とりあえずこの間の主要なトピックスについてひととおりは言及できたのではないでしょうかと開き直って終わります。なんだかしまらないなあ。