賃上げの春はこれから

さてこの間恒例の春季労使交渉も進行しており昨日はいよいよ金属労協の集中回答日を迎えました。正式決着は労働サイドの機関決定を待ってということになるのでしょうが、事実上各社円満な解決がはかられたようでまずはご同慶であります(すげえ他人事モード)。
そこでこれをどう評価するかですが、例によって(笑)新聞各紙の社説を見てみますと、こうなっております。

 デフレから抜け出すには力不足の感が否めない。自動車、電機などの主要企業の賃上げ回答は、毎月の基本給を上げるベースアップ(ベア)が多くの企業で昨春の半分以下にとどまった。
 賃金増をテコに消費が伸び、企業収益が拡大し、それがまた賃金を増やし雇用を生むという好循環が遠のく心配も出てこよう。
 求められているのは世界経済が不安定ななかでも継続的に安定した賃上げができるように、企業が成長力を高めることだ。経営者は事業構造の思い切った改革や新たなビジネスモデルづくりへの投資に、より力を入れてもらいたい。
平成28年3月17日付日本経済新聞朝刊「社説」から)

 春闘はきのう大手企業が賃上げ回答を労働組合に伝える一斉回答日を迎えた。賃金体系を底上げするベースアップ(ベア)では、鉄鋼大手のように前回より積み上げたところもあったが、総じて多くの企業が慎重だった。自動車や電機は3年連続のベア実施とはいえ、水準は昨年より低かった。
 やむをえない面もある。世界経済の低迷で経営の先行きが楽観できないからだ。…問題はこうした控えめなベアの結果生みだされた原資が、大きな構造問題を解決する力に振り向けられるかどうかだろう。
平成28年3月17日付朝日新聞朝刊「社説」から)

 力不足との印象は否めない。自動車や電機など主要企業の経営側が組合側に一斉回答した春闘交渉のことだ。3年連続で月給を一律に引き上げるベースアップ(ベア)の実施で決着したが、過去2年と比べ、その水準は低く抑えられた。
 新興国経済の失速や、円高傾向など景気の先行き不透明感が強まる中で、組合の要求は控えめだった。経営側も慎重な姿勢を崩さなかった。
 労使とも、今後の収益が安定して伸びる確信を持てなかったということだろう。…だがこれで、官民がそろってデフレ脱却を目指す機運をしぼませてはならない。
平成28年3月17日付産経新聞朝刊「主張」から)

今日のところは社説で取り上げたのはこの3紙でした。例年、1日遅れとかで取り上げる紙もあるので、今年も明日以降出てくるかもしれません。
ということで日経と産経は「力不足」との評価で足並みを揃えました。朝日も同日の記事では「デフレ脱却へ遠い水準」という見出しを打っていますし、社説では取り上げなかった毎日新聞も「ベアによる賃金改善の流れが止まり、消費者心理が悪化すれば、「賃上げ→個人消費拡大→デフレ脱却」というシナリオを描くアベノミクスには逆風だ」と記事化しており(平成28年3月17日付朝刊)、「デフレ脱却には力不足」という認識はどうやら一致していると見ていいようです。
これに対して政労使の評価はどうなっているかというと、まず経団連の榊原会長はこのようなコメントを出しています。

 本日、多くの企業が、3年連続となるベースアップの実施と、昨年以上の賞与・一時金の支給を回答したことは、デフレからの脱却と持続的な経済成長の実現という社会的要請も重視しながら、自主的な経営判断の結果として、自社の収益に見合った積極的な対応をとったものであり、率直に歓迎したい。
 また、1年前と比べて先行き不透明感が高まっているなか、ここ2年間続いてきた賃金引上げのモメンタムが継続されたことは、今後の日本経済を明るくするものといえる。経済の好循環の輪が加速・拡大することで、わが国経済のファンダメンタルズがより堅調になっていくと考える。
 これから回答を示す企業においても、自社の実情に適った形での前向きな検討が望まれる。引き続き、賃金引上げの好調な流れが、より多くの業種・企業へと拡がっていくことを期待したい。
http://www.keidanren.or.jp/speech/comment/2016/0316.html

連合も毎年事務局長談話を出しているのですが今のところ報道にもウェブサイト上にも見当たらず、とりあえず本日の新聞各紙朝刊の記事から神津会長のコメントを拾うとこんな感じです。

 連合の神津里季生会長も「物価上昇率がほぼゼロのなかで1500円を中心にした水準を引き出せたのはこれまでなかった」と評価した。(日本経済新聞
 「物価上昇がゼロに等しいなかで、1500円を中心としたベア回答を引き出したことに、大きな意味がある」。連合の神津里季生会長は、16日の会見でこう評価してみせた。(朝日新聞
 連合の神津里季生会長も記者会見で「過年度物価上昇がない中でのベアは初めて。賃上げの持続性につながる大きな成果だ」と述べ、各労組の健闘をたたえた。(産経新聞

政府はどうかというと、やはり本日の朝刊で石原経財相のコメントがいくつか報じられています。

 政権側は今のところ、「過去2年の賃上げの流れは続いている」(石原伸晃経済財政・再生相)と静観姿勢を決め込む。(日本経済新聞
 石原伸晃経済再生相は16日、「過去2年の賃上げの流れは続いている」と述べつつ、こうもらした。「今回はまだ3巡目。20年間のデフレであることを考えると、4巡、5巡目といかないと、なかなか(デフレ)マインドを払拭するのは難しい」(朝日新聞
 石原伸晃・経済再生担当相は16日、「一時金は積み増しされ、全体の流れは過去2年と変わらない」と述べたが、官製春闘の不発は政権の新たな懸念材料となった。(毎日新聞

ということで、新聞各紙に較べると冷静というか積極的な評価が目立つようです。
ポイントはいくつかあるように思われますが、ひとつは金額はともかく企業業績が減速する中でも有額回答が出たことの評価だろうと思います。2000年代のなかばには企業業績が良好でもベアゼロが続いた時期があり、それが勤労者のデフレマインドを強めてきたのであれば、今回この環境下でもベアが行われたことの意義は小さくないでしょう。それが榊原会長の「賃金引上げのモメンタムが継続された」、神津会長の「賃上げの持続性につながる」、石原大臣の「賃上げの流れは続いている」とのコメントに現れていると見ることができそうです。
ふたつめは経団連がかねてから主張してきた賞与と合算しての年収アップであり、日経新聞によれば「「年収ベースでは相当な賃上げだ。消費拡大へ大きな力になる」。経団連榊原定征会長は16日、交渉をこう総括した」とのことです。今回ベアは昨年より少なかったにしても賞与が増額されたことで年収ベースでのアップ率は昨年を上回る企業が多いということでしょう。ただしこれについては評価が分かれるところではあり、やはり日経新聞が報じたように「大和総研の試算によると、同じ2%の賃上げでも、消費の押し上げ効果はベアが5.3兆円に上るのに対し、ボーナスでは7千億円にとどまる」という効果の違いがあるわけです。ただまあこれは結局のところこの賃上げを受け取った労働者≒消費者が今回どれだけ消費するかという話であり、経営サイドとしてみれば出すもの出したんだからしっかり使ってくださいねという話ではありましょう。ということで今やボールは労働サイドにあるのであり、労使交渉が一段落したら連合はじめ労働団体にはぜひ「(少なくとも)上がった分は使おうよ」キャンペーンを強力に展開していただければと思います。実際それがお互いのためになるのであり来年のベアにも結び付くわけですからねえ。しかしあれだな、連合などはベアゼロの当時はしきりに合成の誤謬と叫んでいたわけですが、今度は労働者≒消費者のほうが「そうですそうですみんなどんどんおカネを使いましょう私だけは節約するけどさあ」というまあこれも一種の合成の誤謬に陥るのではないかと、嫌な予感がひしひしとしなくもない。だからもっとベアをやれという話かもしれませんがしかしどれだけやればという気もするわけで、そういう意味では繰り返しになりますが石原大臣が言われるように額の多寡よりこの先も毎年続くということのほうが大事なのかもしれません。
もうひとつはまだ終わっていないということで、神津会長は「底上げ春闘のスタートはこれから」と述べたそうですが(朝日新聞)、いかに中小企業に波及させるかがきわめて重要だろうと思います。厚生労働省が毎年実施している「賃金引上げ等の実態に関する調査」を簡単にさかのぼれる範囲で見てみると、1992年以降の大企業・中小企業の賃上げ率はこうなっています。
年  大企業 中小企業
1992 5.0 5.0
1993 3.9 3.9
1994 3.2 3.1
1995 2.8 2.6
1996 2.6 2.6
1997 2.5 2.6
1998 2.5 1.9
1999 1.9 1.4
2000 1.7 1.0
2001 1.6 1.1
2002 1.5 0.8
2003 1.2 0.7
2004 1.4 1.1
2005 1.3 1.3
2006 1.4 1.5
2007 1.6 1.6
2008 1.6 1.3
2009 1.2 0.8
2010 1.5 1.2
2011 1.5 1.0
2012 1.5 1.4
2013 1.5 1.5
2014 1.9 1.6
2015 2.2 1.6
これを見てわかるとおり90年代なかばまでは大企業と中小企業の賃上げ率はほとんど違わず、相場形成力があったことが伺われますが、金融危機後の不況下で中小が追いつかなくなり、その後2000年代なかばの景気回復期に大企業がベアゼロを続けている間にまた追いついてきたものの、リーマンショック後の不況でまたまた追いつけなくなった、という展開が見てとれるわけです。そしてアベノミクスのもとで大企業の賃上げがはじまり、昨年まではまだ中小が十分にはついてきていないという状況にあるわけです。したがって、追いつかせるためにベアを抑制するというのは本末転倒にしても、少なくとも大企業のベアが朝日新聞のいわゆる「控え目」なものになっている今年は追いついてくるチャンスであるとは言えるでしょう。中小企業への波及は個人消費への効果も大きいだろうことは容易に想像できますので、神津会長が言われるように「スタートはこれから」かもしれません。
ということで、中小企業にどれだけ波及していけるか、そしてその波及した分を労働者≒消費者がどれだけ個人消費に回すのか、今年に関しては春季労使交渉はまだまだこれからだ、ということになりそうですし、来年以降も重要だ、ということでもありそうです。