スポーツボランティア

もう8月も終わろうとしているわけですが例年この時期にスポーツネタを書くのがなかば定例化しているので今年も書こうかと思います。なにかというと私のTwitterのタイムライン上に東京2020のボランティアについて「ブラックボランティア」などとdisるツイートが流れてきていてこれがまた多数RTされたりしているのを見てちょっとねえと思ったという話です。ウラ取りしながら書く時間がなく記憶頼りなので間違いもあろうかと思いますのでどうかそのようにお読みいただきたいのですが大筋は外さないだろうと思う。
さてツイートだけではいまひとつどういう趣旨なのかわからないのでウェブ上を探してみたのですがたとえばジャーナリストの本間龍氏が熱心に取り上げておられるようです。このあたりかな。
東京五輪「ブラックボランティア」中身をみたらこんなにヒドかった
ざっと読んでの率直な感想は本間氏はボランティアよりもオリンピックよりも電通が嫌いなんだなあというもので、冒頭でいきなりこう断定しているのですね。

東京オリンピックは巨大な商業イベントだ、ということです。…たとえばプロ野球Jリーグ、アーティストのライブやコンサートは有償スタッフが現場を切り盛りしていますよね。
 同じボランティアといっても、災害ボランティアと五輪ボランティアは…まったく異なるものです。突発的な災害に対し、被災地で多くの手助けが必要なのは当然ですし、それが無償で行われることに対して、私も異義はありません。公共の福祉、公益に貢献していますし、利潤追求を目的としていませんよね。
一方で、五輪は商業イベントです。スポンサーのために利益をどう生み出すか、どう最大化するか、というのが目的です。これで莫大な利潤を上げているのが組織委員会であり、スポンサーを取り仕切る広告代理店…つまり電通です。公共の福祉も公益もほとんどありません。

当然ながら(元)スポーツクラスタとしては五輪が巨大な商業イベントだということはそのとおりだとしても一方で五輪は巨大なスポーツイベントでもあると申し上げたくなるわけですがそれは後に譲るとして、商業イベントだとしても本間氏の論にはかなりの疑問があります。
本間氏はどうやら利益を最大化するためにボランティアで人件費を抑制しようとしているのだ、とお考えになっているようなのですが本当に経費抑制になるのかという疑問は相当にあります。現場の管理や研修などはたぶんシミズオクトとか専門の業者に発注するのだと思いますが、当然ながら有給のアルバイト(これはボランティアより相当大きな人数になるはず)に較べれば管理の面でも研修の面でも多くのコストがかかるでしょう(専門業者のアルバイトはリピーターが大半)。おそらくはトータルではボランティアのほうがコスト高の可能性が高そうで、実際問題、前回2016年のリオデジャネイロ五輪では、財政難のためにボランティアを縮小せざるを得なかったわけですよ…?
加えて、本間氏は「ボランティアですから労働基準法の管轄外となります」と鬼の首を取ったように指摘していますが、それはそのとおりとしてもなぜかといえば労働契約を結んでいないからであり、それが現場でなにを意味するかというとボランティアは活動環境に不満があれば帰ってしまうということであるわけです(たしかアトランタ五輪ではこれが大規模に発生して運営に相当の支障が出た、はず)。これもむしろボランティアのコストアップ要因であり(けっこう大きいかも)、とりあえず本間氏がほのめかしているような過重作業の強制みたいなことはやりようもないだろうと思いますけどねえ(まあ日本人はまじめな人が多いらしいので無理して頑張る人もいるかもしれませんが)。

  • なおこれは本筋とは無関係ですが記事では「労働基準法では一日の労働時間や休憩時間、交通費のルール、最低時給などが細かく定められています」と書かれていますが、「交通費のルール」(?)は労働基準法には「細かく」どころかまったく定められていないですし「最低時給」を定めているのは最低賃金法(に基づく都道府県労働局長の決定)です。まあこのあたりはゲンダイの編集にがんばってほしかったところですが。

ということで、別のところで「11万人のボランティアを有給のアルバイトにしても全体の規模に較べれば追加コストは微々たるもの」と主張している人がいましたがまさにそのとおりであり、電通の経営陣はどうか知らないが少なくとも電通の担当者とかはボランティアなんか募集せずに全部アルバイトで統一的に管理したほうが現場管理の面でも質保証の面でもよほど楽でいい(たぶんコストも安上がり)と考えているんじゃないかなあ。
じゃあなんでボランティア募集するのさというのが最初に書いた五輪はスポーツイベントだ、という話になるわけです。本間氏は見落としているのかあえて認めないのか知りませんが五輪はスポーツイベントではなく商業イベントでしかないとお考えのようなのでそのお立場からは「公共の福祉も公益もほとんどありません」ということになるのかもしれません。しかし、常識的に五輪をスポーツイベントとしてとらえれば、そこには競技力の向上、競技あるいはスポーツ一般の普及・振興やそれを通じた健康や福祉の増進といった「公共の福祉も公益」もふんだんに存在すると申し上げられるでしょう(スポーツが嫌いな人にとっては「自分には関係ないけどなあ」という話でしょうが公益ってそういうもんだよね)。形式的なことをいえば組織委員会もJOCも日本スポーツ協会もNF(競技別団体)もほとんどは公益財団法人ですし。それはそれとしてさすがの本間氏もパラリンピックに「公共の福祉や公益」がないというつもりはないだろうな?
さて公共の福祉がヘチマとか公益が滑った転んだという話はさておいて(実際それほど関係ない)、元に戻ってなぜボランティア募集するのかというとボランティア(スポーツボランティア)はスポーツ文化の大切な一部だからということに尽きるでしょう。
もちろんその源流にはスポーツはボランティア(自発的)であるべきであり、政治や商業などからは独立でなければならないという古くからの理念があり、これはオリンピックムーブメントにも通じています。もちろん現実的には政治とも経済とも無縁ではありえないわけで、このあたりの関係性の現実や在り方などについて問題提起することは重要ですし、すでに多くの議論や調査・研究の積み重ねがあるところです。
そこまで固いことを言わなくても、私の経験談ですが私もかつて地元の体育協会の理事を数年間務めたことがあり(なぜ私)、地元のマラソン大会などの運営にも携わっていましたが当然無償でした(昼過ぎには表彰式も終わっていたので昼食も出なかったな)。地元のマラソン大会といっても参加者は1万人を優に超えていましたし(まあ標準的なサイズの範囲内だとは思うが)、参加費も大人はたしか一人2,000円とか徴収していたのでけっこうな経済規模のイベントであり、1万人も集まるとなればテントを建ててスポーツ用品や焼きそばを売る地元の商店というのもあるわけですが運営は(自治体のスポーツ課の職員さんとか体育協会の事務局の方とかお仕事の人を除けば)すべて無償で、まあ百数十人くらいの話なので仰々しい公募などはせずに、ノウハウの必要な部分の運営は毎年やっている自治体の競技団体の人、沿道整理などは部活動の一環として協力する高校の運動部員という感じだったと思います。まあそれが当たり前のこととしてスポーツ文化の一部になっているわけですね。五輪と同じ話で、百数十人のボランティアを5,000円のアルバイトにしたとしてもコストアップは100万円もいかないわけで、参加料を100円上げれば十分賄えてお釣りがくる計算になりますしそれで参加者が減るという話にもならないでしょう。カネ勘定ではなくて文化ということだと思います。
大規模なものとしてたとえば国民体育大会・全国障害者スポーツ大会を見てみますと、こちらは一気に一声数百億円規模の大イベントになるわけで、残念ながら切符を売って興業できるのは高校野球だけでのようですが会場近辺では用具用品や飲料食品、記念品やら土産物やら盛大に売られて相当の経済効果があります。でまあ今年開催される福井しあわせ元気国体・福井しあわせ元気大会のボランティアは福井県福井市だけで8,000人という規模なので、まあ全体では10,000人とかそんな感じでしょうか。いずれにしても無償でスポーツを支えたいという人が一定数いるということがスポーツの価値観として大切に共有されているわけです(そんな価値観嫌いだという人はいるでしょうがあるものはあるのであり、禁止することもできないでしょう)。
だから、東京2020がこれだけの巨大商業イベントであり、カネで解決したほうがよほど簡単だろうと思われるにもかかわらず、わざわざボランティアを募集するのだ、ということになるのでしょうし、それが高度に商業化された1984年のロサンゼルス大会以降もボランティアが募集されてきた理由だろうと思います。

  • ちなみに本間氏は「プロ野球Jリーグ、アーティストのライブやコンサートは有償スタッフが現場を切り盛りしていますよね」と、あたかもボランティアが存在しないかのように言っておられますが不勉強もいいところで、全球団ではないかもしれませんがプロ野球Jリーグも多くの球団がボランティアを募集し、運営の一部をその活動に委ねています。これまた人件費の節約などという意図はおそらくないはずで、まあチーム活動への参画を通じてよりロイヤリティの高いコアなファンを育成するのが主たる意図だろうとは思いますが、しかしスポーツボランティアの文化にも沿った取り組みだろうとも思います。つか野球の独立リーグとかサッカーのJ3とかだとボランティアが運営している部分が相当大きいのではないかという気もします(よくは知りませんが)。

あとは「こんなにヒドかった」の個別論になります。まずは本間氏も憤っておられる「交通費も宿泊費も自己負担」についてですが、これは過去の五輪においても基本的に同様で、とりあえず東京だけが特別にひどいというわけではありません。ここは激しく自信がないのですがこれについてはおそらくIOCのレギュレーションがそうなっているのではないかと思われまず。五輪の運営についてはIOCが定めた極めて詳細なマニュアルが存在してそれに忠実に実行されることが求められており(欧州ではむしろ当然の話でサッカーW杯なども同様ではないかと思う)、ボランティアの交通費等についてもそうだというような話を聞いた記憶があります(繰り返しますが不確かです)。まあ現実には首都圏在住者でなければ難しかろうという気はしますが、しかし災害救援と同様にスポーツボランティアの世界でも手弁当で全国を回っている人というのもいますので(少数ですが)、そうした人は参加するのではないでしょうか。
次は、本間氏のインタビューでも話題になっていますし私のツイッターのタイムライン上でも多々見られたのですが「学生が動員される」という話です。文科とスポーツ庁が大会期間を休日にするように大学に要請したとか、中高生枠を設けたとかいう報道があったのに対して「さてはこれはボランティアが集まらなさそうだから動員する布石に違いない」という反応があるようです。
まあ確かに集まるかどうかは募集してみなければわからないわけですが、過去の五輪を見ても募集を上回る応募があったようなので「集まらない」と決めつけるのも気の毒なような気はします(ちなみに私は北京五輪では現地に出張したのですがその時聞いた話ではボランティアの応募が100万人で参加は30万人とか言っていて、これはさすがに話半分かつ広範囲の一切合財だろうとは思いましたが)。また、ボランティアを11万人絶対に揃えなければならないと大会運営ができないということでもなく、それこそ各方面が推奨されるようにアルバイトなどで対応することも可能でしょう(なおスポーツイベントでは有償のアルバイトと無償のボランティアが共存しているのがむしろ普通なので人間関係的なフリクションはそれほど心配いらないだろうと思われます)。ただ日本では欧州ほどにはボランティアの歴史がない(のかな?)とか、暑いからやり手も少ないだろうとかいう心配ももっともであり、やはり募集してみないことにはわからないかなとは思います。あまり少ないと、日本はスポーツ文化が未熟だねえとか、やっぱり東洋人にはボランティア文化がないねえとか言い出す海外メディアとかいうのはありそうなので、そういうのが出てくると残念だなあと思うとは思いますが…。
これには実は逆の話もあり、どうやらオリンピックのボランティアというのはかなり大きな国際的ムーヴメントになっているらしく、国境を超えてボランティアに出向く人というのが数万人オーダーでいるという話も聞いたことがあります。なるほど考えてみればボランティアなら観光ビザで入国・活動できるので、五輪観戦や観光も兼ねてボランティア参加しようと考える人というのも全世界ではそのくらいいても不思議でないような気もします。さらに考えてみれば多様な言語のボランティアがいることはありがたい話だろうとも思われるわけですが、さて幸いにして海外からの応募が6万人、国内の応募が7万人とかいう形で定員を超えたときの選考は難しいかもしれません。日本人を優先に…という人も当然いそうですし。まあそうなるかどうかわかりませんし、そうなった段階で考えることでしょうが。
一方で分野や機能という面では不足するボランティアも出てくるだろうと思われ、たとえば私が承知しているのは1998年の長野冬季五輪ですが、この際にも運転とか通訳とかいった技能系のボランティアは充足できませんでした。そこで組織委員会は長野県内の企業に協力を要請し、要請を受けた企業がなにをしたかというと社員に業務としてボランティア活動させる(賃金や交通費等を企業が負担する)という対応が多数行われました。たしか長野県労働局か労働基準監督署かに照会して、企業の指名でボランティア活動をするのは業務であり賃金の支払を要するといった見解を引き出してもいたはずです(不徹底で事後的に指導されたという話もあったと思う)。要するに企業が就労を現物で寄附したような形になったわけで、それってボランティアって言うのかねえとは正直思うわけですが、しかし長野の組織委員会はボランティアにカウントしていたように記憶。こういったことは2020年にも随所で発生するだろうという予感はするわけで(特に根拠もありませんが)、まあこのあたりは本間氏も書いているように「まあ仕事で行ってもいいけどボランティア休暇を使ってみるのもいいか」といった企業人というのも出てくるかもしれませんし、端的に業務命令なのでやりますという人も多いでしょう。
あと考えられるのが「中高生枠」とかでは組織委員会の描くきれいな絵を実現すべく動員が行われるのではないかという心配ですが、実業団のバスケットボールの試合でアリーナのモップ係を地元高校のバスケ部員がお手伝いとかいうのはごく当たり前に行われていますので(善し悪しは意見があるかもしれませんが)抵抗なく受け入れられるような気はします。もちろん微妙な論点はあり、これまた私の身近な話ですが東日本大震災の際には労組の専従役員が被災地ボランティアに多数参加したわけですが、これは労組の理念である連帯や友愛の具現化という部分はあったと思われるわけで、それを動員と言えば言えなくもない。このあたりの評価は人それぞれの価値観や好き嫌いによってさまざまでしょう。
あと本間氏の指摘の中で暑いというのはまったく同感で、ボランティアに限らず適切な対応が必要だろうと思います。周知のとおりこの時期に開催されるのは他の大規模スポーツイベント(かつ大規模商業イベント)とのスケジュールの関係上であり、前述したスポーツの商業化の問題と非常に密接に関連しており、すでに問題提起や議論も多くあります。ただまあここに苦情を申し立てるのであれば組織委員会に対してではなくIOCに対してでしょうが。
ということで、本間氏のご著書は未読ですし、ボランティアそのものについては特段の知見も所論もないのですが、ボランティア全体を見渡せばなにかとブラックな実態というのもあるだろうと思います。ボランティアが嫌いな人たちが「やりがい搾取」と批判するのも一つの意見だろうとも思います(私も「やりがい」とか「感動」とか「絆」とか格別好きでもありませんし、オリンピックボランティアに応募するつもりもありませんし)。ただ、とりあえず元スポーツクラスタの一員としてはスポーツボランティアを人件費コスト削減と決めつけないでほしいとは強く思ったので長々と書いてみました。