労政審信仰?

朝日新聞の澤路毅彦さんがこんなことをつぶやいておられるのですが…。

澤路 毅彦@sawaji1965
労働畑の人に、妙な「労政審信仰」みたいなものを感じることがある。労政審だって、官僚が大きな絵を描いて、その中で労使の調整に動いていることに変わりはないと思いますが。別に労使が政策を考えているわけじゃあないし、公益委員だって役所や大臣の意向に逆らうことはできないわけで。
15:18 - 2017年6月26日
https://twitter.com/sawaji1965/status/879222206114353152

澤路さんといえば問題意識も深く鋭く、掘り下げた取材をされる方という印象があり、このつぶやきも私が受け止めるのとは異なる意味があるのかもしれません。ただ、私が文字どおり受け止めると相当の違和感のあるご発言ですので、以下コメントしていきたいと思います。
まず「労政審だって、官僚が大きな絵を描いて、その中で労使の調整に動いていることに変わりはない」ことは概ねそのとおりなのだろうと思います。官僚が大きな絵を描くのも、それを持って様々な関係者と調整するというのは全省庁に共通なのだろうと思います。少なくとも、表面的にはそうです。
いっぽうで「別に労使が政策を考えているわけじゃあないし」と言われるのはおそらく労使双方に異論があるところでしょう。少なくとも連合も経団連もそれぞれ多くの政策提言を出しているわけですし、審議会にかかるような具体的な案件であれば官僚を介さずに直接折衝して落としどころを探っているであろうことは容易に想像できる話ではないかと思います。
そして、これが労政審というか労働行政の最大の特徴ではないかと思うのですが、労働官僚には、それが仮に彼らの描いた「大きな絵」とは異なるものではあっても、労使が合意できるならそれは最大限尊重するという規範が存在するように私には思われます。当然ながら労働官僚も多様なので労使の合意なんかお構いなしで自分の描いた絵のように進めるのだという人もいるかもしれませんが、少数だろうと思います。少なくとも私はお目にかかったことはありませんし、やりようもないのではないかと思う。いやもちろん労使の間を公益委員や官僚が取り持ってまとめるというパターンも多いでしょうし、官僚も落としどころを念頭に現実的な(「大きな」かどうかは知らないが)絵を描いて仕事をすることも多いでしょうが、しかしそれでも労使双方と相当程度の折衝が必要になるわけであり、そこが他の一部のいわゆる「形骸化した」審議会とは異なるとは度々指摘されるところでしょう。労政審が仮に他省庁の審議会と表面的には同じように見えても、内実はかなり異なっているように私には思えるのですが違うのでしょうか。
たとえば今般の労働時間の上限規制にしても、古くから議論は重ねられており、官僚も「大きな絵」を描き続け、労使に働きかけ続けてきた案件ではないかと思います。公益委員にもその必要性を主張する人もいたと思います(すみませんいまウラ取りしてませんがそう記憶しています)。しかし、以前も書きましたが「経営サイドが”ごくまれにあるかもしれない例外的非常事態”を想定して反対し」、「労働サイドもこと個別労使レベルでは非常事態下での企業存続・雇用維持を念頭にそれを容認してきた」ということで、その労使の合意を官僚も公益委員も尊重してきたので、実現に至らなかったわけです。だからこそ、官邸が労使の合意にかかわらずそれをやりたいと思えば、労政審とは別に・厚労省の外に「働き方改革実現会議」なる別会議を設けざるを得なかったわけで(なおこれまた以前書いたように、私は今回のケースはあと一息で規制導入で新たな合意が可能なところに来ており、それに対して政府が背中を押したということで、政労使三者構成の枠組みに収まるものだったと評価しています)。逆に言えば、労使の合意のない中で官僚の描いた同一労働同一賃金の大きな絵を具体化しようとすればやはり労政審以外の場が必要でしたという話であり、その結果があの体たらくだということになるわけです。
「公益委員だって役所や大臣の意向に逆らうことはできない」というのは、これはさすがに公益委員のみなさんにはご異論があるでしょう。まあ確かに他省庁も含めた多くの審議会では「役所や大臣の意向に逆らう」委員は排除されるとかそもそも任命されないとかいうウワサ話を聞くわけではありますし(真偽のほどは知らない)、労政審だってそういう傾向はあるのかもしれません(繰り返しますが真偽のほどは知りません)。とはいえ、件の働き方改革実現会議においても、岩村正彦先生は明らかに「役所や大臣の意向に逆らう」発言を繰り返しておられましたし(特に同一労働同一賃金関係)、労政審やその分科会・部会においても、公益委員が役所の資料や議論の進め方などについて異論をさしはさむというのは別段珍しいことではないはずです。というか、少なくとも私の経験的な感触としては、公益委員のみなさまは労使の話し合いと互いの譲歩をうながし、合意をまとめることを第一義に尽力されており(だから公使会議とか公労会議とかもやるわけで)、「役所や大臣の意向」に配慮している感じはしません。まあそれらの意向が自身のお考えと一致している場合にはそれを推進しようとされることはあるのかもしれませんが、一方で一致していない部分については同調しようとしない公益委員というのも見たことがあるわけで…。
ということであれこれと書いてきましたが、考えてみればこれらは澤路さんならすでに私以上にご存知のことではないかとも思います。ということは、労政審にはほとんど官僚の手は入らないとか、役所やら大臣やらとは独立に労使が政策を決定しているとか、信じ込んでいる人がいるのかなあ。それならたしかに”妙な「労政審信仰」”というのもわかります。とはいえ、「労働畑の人」といえるくらいに労働政策に通じた人にそんなことを思い込む人がいるとも思えず、まああれかな、「みたいなものを感じることがある」とのことなので、誰か一人からそれに近いものを感じたということであれば文章上はそのとおりとは言えるのでしょう。ただまあ澤路さんのような影響力の大きい人がこうしたつぶやきをされると「労働畑」以外の人があらぬ誤解をしかねないとも思いましたので、まあ私がここでなにを書いても特段の影響はないものとは思いますが、一言書かせていただきました。