ホワイトカラー・エグゼンプションの議論はなぜダメなのか(2)

なんか日経新聞裁量労働制拡大先送りにいたくご不満なようで、本日朝刊でも総合面(3ページ)で大きく記事化したうえに社説でも取り上げていて、若干評価を改めたところもありますがうーんやはりダメかなあ。
なにがダメかというと生産性生産性と連呼しているところで、いやもちろん中長期的にはホワイトカラー・エグゼンプションは生産性向上に寄与することが期待されることはもちろんなのですが、それはこうした自由度の高い働き方が技術革新をもたらすことで社会全体の生産性が上がるという形でもたらされるものでしょう。実際、働き方改革実現会議の議事録を見ても、生産性については繰り返し議論されていますがそのほとんどは賃上げ・労働時間短縮・非正規の処遇改善には生産性向上が必要という話であり、具体的な方法論としてはテレワークの普及や情報通信技術の活用といったものが中心で、裁量労働制高プロが労働時間を短縮して時間生産性が上がるという議論がされている形跡はありません。労政審の建議を見ても高プロは「労働者の一層の能力発揮と生産性の向上を通じた企業の競争力とわが国経済の持続的発展に繋がることが期待でき」るという、中長期の技術革新が想定される書きぶりになっていますし(ちなみにこれは使用者代表委員の意見)、経団連の『2017年版経営労働政策委員会報告』を見ても、ホワイトカラーの生産性向上の項にはホワイトカラー・エグゼンプションの話は出てきませんし、働き方改革の項でもテレワークその他とあわせて「生産性向上に向けた働き方改革」と書いています(まあここは少々混乱している感もなきにしもあらずですが)。
ところが、日経新聞の今朝の社説をみると

 時間をかけて働くほど賃金が増える現在の制度には、働き手自身の生産性向上への意識が高まりにくいという問題がある。戦後、長く続いてきた仕組みだが、国際的にみて低い日本のホワイトカラーの生産性を上げるには制度の見直しが不可欠だ。
 グローバル競争がさらに激しくなり、人工知能(AI)が普及すれば、生産性の低いホワイトカラーは失職する恐れもあるだろう。
 社会のこうした変化に備える改革が、裁量労働拡大であり、成果をもとに賃金を払う「脱時間給」制度の創設である。
(平成30年3月2日付日本経済新聞朝刊「社説」から)
https://www.nikkei.com/article/DGXKZO27594050S8A300C1EA1000/

ということでまあ残業代ドロボー対策モード全開であり、まったくもってダメと申し上げざるを得ません。
もちろん、「てきぱきと働いて定時で帰った人より、ゆっくり(「だらだらと」)働いて残業した人のほうが賃金が高くなるのはおかしい、不公平」という理屈は古くからありそれなりにもっともですし、「だからホワイトカラーの生産性は低いのだ」という説もあるわけですが、これについては長期雇用慣行のもとでは賞与や昇進昇格で差をつけるという形で調整されてきたわけですね。さらに2000年前後の成果主義騒ぎの中では「時間ではなく成果」というスローガンのもと、1998年の富士通の「SPIRIT」を嚆矢として「一定時間分の残業代相当の手当を支給し、一定時間を下回っても減額しないが、一定時間を超えたら割増賃金を追加的に支払う」という形で「早く帰っても損しない」という制度も電機各社を中心に広がりました。これは「早く帰っても損しない」という制度であって「てきぱき働く」ことを促す一方で、残業すればしただけは残業代が出るわけで、残業代ドロボー対策ではないわけです(「一定時間」が事実上の上限規制になるという面はあるにしてもそれに対するペナルティは人事評価であることに注意)。民間企業はそういう人事管理を苦労してやってきたわけですよ。もちろん、裁量労働にすればそういう不公平はなくなるだろうという期待を持つ人というのもいただろうと思いますが、少なくとも現行の裁量労働は昨日書いたようにそういう制度にはなっていないわけで、それには理由があるわけです。全国紙の社説がこれではいささかせつないかなあ。
経済同友会の小林代表幹事については「せめてそれぐらいやらないと世界標準から遅れる」と指摘されたそうですが、「世界標準」というのが実はなかなかに難しく、ホワイトカラー・エグゼンプションが各国でどのくらい適用されているのかについてはあまりいい資料がないのですが、たとえばアメリカについては2012年のJILPTの「労働時間規制に係る諸外国の制度についての調査」(http://www.jil.go.jp/institute/siryo/2012/documents/0104_05.pdf)によれば16%程度と推定されるとのことです。ヨーロッパについてはHRmicsの21号(http://www.nitchmo.biz/hrmics_21/_SWF_Window.html)でフランスの例が紹介されていますが、カードル(エグゼンプトになるエリート層)の比率は10%程度のようです(別途事業場外的な人がいる可能性はあり)。これに対して、日本では裁量労働制の対象者はたしかに少なく、厚労省の「平成29年就労条件総合調査」によれば専門型1.4%、企画型0.4%ですが、事業場外みなしも合わせると8.5%がみなし労働時間制を適用されています。さらに管理監督者として労働時間規制が適用されていない人が相当いるはずで、たとえば2017年の連合の「賃金レポート」(https://www.jtuc-rengo.or.jp/activity/roudou/shuntou/2017/wage_report/wage_report.pdf)をみると部長+課長で約10%程度と思われます。その他に「他役職」が6〜8%いて、これはおそらく大半がスタッフ管理職と考えられますが係長クラスも含んでいると思われ、また裁量労働制等の適用者がダブルカウントされている可能性もあります。加えて産業構造の違いによる差異ももちろん大きいでしょうし、単純比較はもとより不可能ではあるのですが、日本が「世界標準から遅れて」いるかどうかはかなり微妙であるようには思われます。今回の裁量労働拡大削除に対する経済同友会代表幹事談話(https://www.doyukai.or.jp/chairmansmsg/comment/2017/180301_1712.html)でも「多様な働き方の実現や、世界と比して低い生産性の向上が求められている中で、今回の事態は極めて遺憾」とされていてやや脇が甘い感はあります(経団連の会長談話http://www.keidanren.or.jp/speech/comment/2018/0301.htmlには生産性向上の語は出てきません)。
それと関連しますが、ホワイトカラー・エグゼンプションについて「効率化して短時間で仕事を終わらせても別の仕事を押し付けられるから早く帰れない」というようなことを鬼の首を取ったように指摘してドヤ顔になっている(いやなっているかどうかはわかりませんが。失礼しました)向きもあるらしく、これもあえて申し上げれば、ダメ。本来ホワイトカラー・エグゼンプションというのは昨日の【1】で書いたように少数のエリートのためのものであり、そういう人たちは空いた時間に新しい仕事を割り当てられることは基本的に歓迎だと思われるからです。新しい仕事に取り組めば能力や知識の向上が期待できますし、いろいろな仕事がこなせる有能な人物だと評価されることで昇進昇格やマネージャーポストの獲得なども期待できるでしょう。逆にいえば、ホワイトカラー・エグゼンプションはそういう人たちだけに適用されるべき制度であり、そのように運用されるようなしくみが必要だということになろうかと思います。このあたりについてはこれまでも監督体制の強化などについて書いてきましたが、今回の関係でもいろいろ書きたいことがありますので、明日以降さらに敷衍していきたいと思います。