「成果で評価」をめぐって

読者の方から日本労働弁護団の「エグゼンプションを「成果に応じた賃金制度」と喧伝することに抗議する声明」について見解を求められたので少し書く。普通であれば労働弁護団の声明をとりあげても議論がかみ合わなかろうと思うわけだが、しかし議論の整理のためには有用かと思うところもあり、またほかならぬyoseさんからのおたずねでもあるので書くことにした。
まず議論の前提として、私は今回の「高度プロフェッショナル労働制」についてはとにかくエグゼンプションらしきものが導入され、今後の議論のスタート地点ができることについては一応評価している。最初はおそるおそるでも、やりながら考えて広げられる部分は拡げていけばいいわけだ(もちろんやってみてたたむべきとなった部分はたたむべきだ)。ただその考え方や内容については過去このブログでも繰り返し書いてきたように多分に困るなあと思っており、スタート地点ができるのはいいとしてもその後の議論をまともな方向に修正してのには相当苦労するのではないかと考えている。
そしていくつか問題点があるうちの最大のひとつがこの「成果で評価」であり、ここは大事なところなので強調しておきたいのだが、前回(2005-2006年)ホワイトカラー・エグゼンプションが議論されたときの「今後の労働時間制度に関する研究会」(座長:諏訪康雄法大教授)報告書にはこう書かれているわけだ。

…高付加価値かつ創造的な業務に従事する労働者を中心に、自律的に働き、かつ、労働時間の長短ではなく、成果や能力などにより評価されることがふさわしい労働者も増えており、これらの労働者についてはそのような評価がなされることにより、労働意欲が向上し、その更なる能力発揮が期待できるとともに、労働者自身にとっても、より自律的で満足度の高い働き方が可能になると考えられる。
「今後の労働時間制度に関する研究会」報告書、2006年1月から、強調引用者
http://www.mhlw.go.jp/houdou/2006/01/h0127-1.html

このように、この当時の議論では成果だけではなく能力による評価も念頭におかれており、かつ続く部分をみるとわかるように成果の創出についての言及はなく、能力発揮(まあそれが成果だが)が重視されていることが明らかであり、さらにそれが労働者自身の満足度の向上にもつながると考えられていたわけだ。実は能力の発揮以上に重要なのは能力の向上なのだが、そこは「更なる」に意がこめられているというような話を当時聞いたと思う。
つまりこの制度は、労働時間を計測されて時間外については時間割で割増賃金をもらうことより、成果や能力を評価されて昇進昇格や(高橋伸夫先生の言われるところの)「次の仕事」で報われたいと思っている人たちが、健康に障害のない範囲で、残業代の予算管理や時間外協定の上限時間などを気にせずに働きたいだけ働ける制度と考えられていたのだ。
さらに言えば、研究職や企画職の中には、成果や能力すら超えて(もちろん結果的に成果や能力につながる可能性はあるとしても)、知りたいから、試したいから、面白いからといった興味関心や好奇心のために「働く」ことを求める人もいる。先日のエントリでも取り上げたが、大学の先生方が教育や学務に忙殺されながらも研究のために多くの時間を投入するのはまさにこうした動機によるものだろう(繰り返しになるがそれが能力や成果や評価につながる可能性はあるわけだが)。
ところが今回の労働条件分科会の報告では非常に残念ながら「時間ではなく成果で評価される働き方」と評価対象から「能力」が落ちてしまい(能力の発揮という文言はある)、ここでの最重要ポイントである「仕事を通じて能力を伸ばして「次の仕事」で報われる」という中長期的なキャリアの観点が見失われてしまった。したがって今後の議論にあたってはこの観点を再発見することから始めなければならず、まあ容易ならざる話であろう。


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そこで労働弁護団の声明だが、まず全体を通じて、労働弁護団の高度プロフェッショナル労働制に対する評価は「時間にも成果にも関係なく年1,075万円払えばその労働者を命令どおり無際限に働かせうる制度」だというもののようで、これと異なる説明を国がしていることや、その説明をメディアが無批判に報道していることに対して抗議する、ということらしい。以下見ていこう。まず声明は「1 法律案に関する喧伝」としてこう主張する。

 政府は、2015年4月3日、労働時間規制の適用除外制度(エグゼンプション)の創設を含む労働基準法等の改正法案を閣議決定し国会に上程したが、政府は新たに創設する適用除外制度を「時間ではなく成果に応じて賃金を支払うもの」だと説明している。この政府の誤った説明を受けて、少なくない報道機関が法律案を「時間ではなく成果に応じて賃金を決める制度」であるかのごとく連日報道している。
http://roudou-bengodan.org/proposal/detail/post-80.php、以下同じ

声明の標題も「喧伝」と書いているのだが私には違和感があって、たしかに首相が施政方針演説で「専門性の高い仕事では、時間ではなく成果で評価する新たな労働制度を選択できるようにします」と述べたことが各メディアで報じられたのは私も目にしたが、それ以上に「喧伝」されているのだろうか。あまりていねいに調べたわけではないが、主要新聞各紙のそれ以降の記事をざっと見た限りでは、「成果で評価」を「よきもの」として「喧伝」している報道はほとんど見当たらず、読売新聞が社説で「働いた時間ではなく、成果で評価される「高度プロフェッショナル制度」の導入が柱だ。…企画力や発想力が問われる仕事では、働く時間と成果が必ずしも一致しない。…効率的な働き方の選択肢を提供し、生産性を高める。その狙いは理解できる」と書いているのが目につくくらいだ(平成27年2月15日付読売新聞社説)。あとはおおむね「成果で評価する制度とされています」といった感じのニュートラルな記事がいくつか(2月14日付朝日新聞朝刊(2件)、4月3日付朝日新聞朝刊、4月4日付朝日新聞朝刊・日本経済新聞朝刊)みつかったほか、「日本労働弁護団事務局長の菅俊治弁護士は…「今の法律でも成果で評価する制度導入は可能だし、成果で評価するために時間規制を外す必要性はない…」と話す」(2月14日付東京新聞朝刊)とか「WE制度については「時間ではなく成果で評価される働き方だ、と政府は言いますが、それは皆が定時に帰れたり、働き方を柔軟に選べるようになったりして初めて実現される」…と疑問視する」(3月3日付毎日新聞夕刊)とか、「労働者の権利擁護に取り組む日本労働弁護団は「成果で評価する」点も「今の法律で可能だ」と指摘する」(3月24日付東京新聞朝刊)とかいった批判的に論じた記事のほうが目立っている。
ということで「少なくない報道機関が」「連日」報道して「喧伝」しているという実感は私にはない。ただ想像するにテレビ局がニュースでそういう解説をしたという話はありそうで、テレビの発信力には新聞を相当上回る印象はあるので、それは異なる見解を持つ人からみれば1局の1回の報道でも「喧伝」と感じられるというのもわからなくはない。いずれにしても議論の本筋には関係ない話ではあるのでどうでもいいといえばどうでもいいのだが、しかしどの報道機関のどの報道を問題視しているかというのは明らかにしてほしいとは思った。


さて続いて「2 実際は「時間ではなく成果に応じて賃金を決める制度」ではないこと」ではこう書かれている。

 しかしながら、この法律案は、「時間ではなく成果に応じて賃金を決める制度」など何一つ含んでいない。制度が新たに設けられた労基法第41条の2は、「労働時間等に関する規定の適用除外」との表題が付され、その名のとおり、制度内容も労働時間規制の適用除外が設けられているだけである。使用者に対して何らかの成果型賃金を義務付ける規定もなければ、それを促すような規定すら含まれていない。法律案に先立ち労政審でまとめられた「今後の労働時間法制等の在り方について(報告)」では、「特定高度専門業務・成果型労働制」との表題が付されていたが、法律案ではもはやその文言さえも消えている。
 当弁護団は、この制度を「時間ではなく成果に応じて賃金を決める制度」と評価することが完全な誤導である旨、労働政策審議会での審議段階から繰り返し意見を述べ、制度内容の正しい理解を説明してきた。現時点でも、政府がこのような誤った説明を繰り返し、国民の間に間違った理解を広げていることに、強く抗議する。

まず「この法律案は、「時間ではなく成果に応じて賃金を決める制度」など何一つ含んでいない」というのはそのとおりだろう。また今国会の両院の厚生労働委員会の会議録を読むとこの件については塩崎大臣が「時間ではなく成果で評価」といった説明を複数回行っているので、政府がこうした(誤った説明かどうかはともかく)説明を繰り返しているともいえそうだ。それが国民の間に(間違った理解かどうかはともかく)そうした理解をどれほど拡げているのかはちょっとわからない。以上が事実関係。
ただこの時点で法律案に書かれていることがすべてだという議論にはやや抵抗はあり、たとえば法律案には書かれていないにしても審議会では相当程度そうした議論はされているわけだし、上述の厚生労働委員会での国会審議も、それを通じてこの制度が「成果に応じて賃金を決める」ことを意図しているのだということを立法者意思として明らかにしていくためのプロセスだろうとも思う。さらに仮にこの法案が可決成立したとしてその後にさまざまな細部事項が政省令などで定められていくわけだ(この間また審議会審議もある)。現時点で・今あるものだけでここまで断言できるとは私には思えない。
さて声明はこの制度は「時間ではなく成果に応じて」ではないと述べる。時間に応じてではないことは自明だろうから、声明のいうとおりであれば時間でも成果でもないなにかに応じて賃金を支払うということになる。となると常識的に考えつくのは能力であって、それについては私は上記のように歓迎するところなので今後の国会審議や政省令事項の検討でそのような方向に軌道修正がはかられるのであればたいへん望ましいと思う。いっぽうで労働弁護団がこの制度を時間でも成果でも能力でもないなにかで賃金を決める制度だとお考えなのだとすると、ちょっと私にはどういうものか想像がつかない。
なおベタに実務実態の話をすれば、年間賃金は「月例基本給等(12か月分)+割増賃金(12か月分)+賞与その他」という内訳に、まあ大雑把にはなる(もちろん手当の類などがあるのでこれは非常に大雑把である)。このうち「時間で評価(計算)」されるのは、これもまあ大雑把には割増賃金だけである。月例基本給の決定、具体的には昇給ということになろうが、通常これは能力、職務、成果などといったもの(多くの場合はそれらの組み合わせであり、また主に手当などの部分で生計費がまったく考慮されていないと主張するつもりもない)で決定されているはずであり、労働時間そのもので決めていることはあるまい(もちろん就業形態によっては市場価格で決まることもある)。賞与はさらに成果のウェイトが高く、企業業績によっても大きく左右されよう(多くの日本企業ではこれも従業員の成果のひとつと考えられている)。したがって元実務家としては特段法律になにか書かれなかったとしても、時間で評価する割増賃金の部分を定額で基本給等に織り込めば、まあそれなりに「成果に応じて賃金を決める制度」に、事実上はなるだろうとしか思えないので、声明がこれを「成果に応じて賃金を決定するものではない」といった主張をすることには賛同できない。もちろんそこには能力とか職務とか生計費とかのノイズが入り込む余地はあるのだが、それを報じないからといって労働弁護団がメディアに怒っているわけでもあるまい。


「3 法改正の影響に関する誤った喧伝」に関してはこう書かれている。

 報道の中には、法改正が労働者に与える具体的影響に関して、(1)「成果が適切に評価されて、賃金が上がる」とか、(2)「成果給になれば、仕事を早く終わらせて家に帰れる」(3)「成果をあげればよいのだから、時間に縛られず自由な働き方ができる」などと解説し、あたかもこの制度が労働時間短縮、ワーク・ライフ・バランスの実現や女性の活躍促進に資するかのような誤った印象、幻想を与えるものも目立っている。
(一部機種依存文字を変更した。以下同じ)

結論部分については私もまったく同感するところで、やはりこのブログでも繰り返し書いているように困ったもんだと思っている。
そこで数字が付された各論については「4 成果の評価は義務づけられていないこと」で言及されているので私も少々敷衍したい。まず声明は「4」でこう述べる。

 しかし、上記のとおり、この制度には「成果に応じて賃金を決める制度」は含まれておらず、この制度によって成果給が導入されるわけではないから、(1)「成果が適切に評価されて、賃金が上がる」ことにはならないし、その保障もない。さらに言えば、成果型賃金制度の導入は、現行法のもとでも自由に導入でき、現に多くの企業で導入されているので、この制度により成果型賃金制度が可能となるかのような説明は、現行法の理解としても誤っている。

(1)についてはGoogleのニュース検索などを使ってざっと探してみた限りではこのような解説が行われた例はなかった(が、もちろんどこかにはあったのだろう)。逆に「成果が上がらなければ賃金は上がらない」という批判的な解説は多数みつかった。いずれにしても、たしかに成果が適切に評価された結果はかばかしい評価が得られず賃金も上がらないというケースは十分に想定されるので、賃金が一般的に上がるという報道がなされたのであれば怒ってよいとは思う。
なお「この制度により成果型賃金制度が可能となるかのような説明は、現行法の理解としても誤っている」というのはやや強引な感はあり、なぜかというとこうした説明をする人というのは善悪や当否は別としておそらく「残業代ドロボーを排除しない限り成果型賃金制度にはならない」と考えているのだろうと思われるからだ。もちろん過去繰り返し書いているとおり私はこの制度はそもそも残業代ドロボー対策にはなりえないしそう考えるべきでもないという意見なのでこうした説明には与しないわけだが、しかし「残業代ドロボーを一切許さない成果型賃金制度」が「現行法のもとでも自由に導入でき」るわけではないという主張は「現行法の理解としても誤っている」とまではいえないだろう。
さらに声明は「5」として「無定量な残業命令を拒否できないこと」を述べる。

 また、使用者から命じられる業務を拒否する権利はないから、この制度により時間規制の適用除外となった対象労働者は、無定量な残業命令を拒否することはできなくなる。さらに所定労働時間を自由に設定することすら可能である。例えば、使用者が、成果を上げた労働者に対し、新たな業務を命じて更なる成果を求めることは自由であるし、そうした事態が横行することは容易に想像される。さらに、所定労働時間を例えば1日13時間とすることも規制されなくなる。
 したがって、(2)「成果給になれば、仕事を早く終わらせて家に帰れるようになる」という理解も、(3)「成果をあげれば良いのだから、時間に縛られず自由な働き方ができる」という理解も、全く事態を見誤ったものというほかない。
 上記の通り、この制度は、長時間労働を助長し、無定量な残業命令を拒否できない以上今よりも対象労働者に時間に縛られる不自由な働き方を強いることになり、ワーク・ライフ・バランスの実現や女性の活躍を阻害する制度である事は明らかである。

細かい話が続いて恐縮だが、弁護士さんの団体が言っていることなので法的に間違ってはいないのだろうとは思うがしかし「使用者から命じられる業務を拒否する権利はない」「使用者が、成果を上げた労働者に対し、新たな業務を命じて更なる成果を求めることは自由である」に関しては、そもそも本人同意が必要とされているわけだし、「使用者との間の書面その他の厚生労働省令で定める方法による合意に基づき職務が明確に定められていること」も求められていて労使委員会決議で担保されることになっている(もちろん別途実効性に疑問を呈することは可能であり、経団連もそこが心配なら労使委員会でなく過半数労組との労働協約を条件としてもよいとの譲歩案を示していたはずだ)。
「無定量な残業命令を拒否できない」「所定労働時間を例えば1日13時間とする」については、裁量労働制の場合は専門業務型であれば「遂行の方法を大幅に当該業務に従事する労働者の裁量にゆだねる必要があるため、当該業務の遂行の手段及び時間配分の決定等に関し使用者が具体的な指示をすることが困難」、企画業務型であれば「当該業務の遂行の手段及び時間配分の決定等に関し使用者が具体的な指示をしない」などといった文言が労基法に書かれているところ高度プロフェッショナル労働制については類似の記述がないことから「拒否できない」「規制されなくなる」と書いたものと思われる。その限りにおいてそのとおりだが、前者については無定量すなわち上限を定めないということなので、たとえば「どれだけ時間がかかろうとこれだけの仕事をせよ」といった命令が想定され、つまるところ職務の範囲というか業務量に帰する問題ではあろう(余談だが私は無定量という用語をパチンコ店等以外で見るのはこれが初めてのように思うので意味を取り違えている可能性はある。パチンコもやらないのでパチンコ店で本当に上限なしという意味なのかもあまり自信はない)。また後者については「時間ではなく成果」である以上は仮に所定労働時間を定め、それを下回ったとしても時間割で賃金を減額することは許されないと考えるべきであろう。なお裁量労働制についてはみなし労働時間である以上それを下回っても賃金を減額できないことは当然とされている。
もちろんこれらの懸念についてはおおいに理由のあることであり、こうした指摘がなされるのは有益だし、問題があれば今からでも国会審議などを通じて対処されるべきところであろう。この改正法は省令に相当な部分を委ねているので、政省令のレベルでしっかり整理されていくものと思われる。
いずれにしても、特に検討段階においては(2)「成果給になれば、仕事を早く終わらせて家に帰れるようになる」と主張する論者というのは今回に限らず2005-2006年当時にも相当数いたことは私もたしかに実感してきたところであり、2005年当時は当時の舛添厚労省まで「家族だんらん法案」と称したりしていたわけだ。これには私も過去再三書いてきたように困ったものだとも思っている。ただ、これも繰り返し書いてきたが、それはそもそもこの制度は働きたい人が(健康に支障のない範囲で)思う存分働けるようにするために制度だと思っているので、そういう人が早く帰るわけがないだろうという意味においてだが。(3)「成果をあげれば良いのだから、時間に縛られず自由な働き方ができる」というのも、現実にはおそらく多くの人・企業で実現するのではないかと思っている。もちろん労働弁護団の心配はよくわかるのだが、しかし多数の労働者に年1,075万円渡してひたすら過重労働させたいという企業・使用者も少なかろうとも思うわけだ。もちろん少なければいいというものではないので、ゼロに近づけるべくよりよいやり方を考えていく必要はある。
ということで、ここの結論についていえば、「この制度は、長時間労働を助長し」については「その意欲や動機のある人について」という限定つきでそのとおりであり、「時間に縛られる不自由な働き方を強いる」についても、そういう人が出てくる心配をするのはわかるしそうならないように考えていく必要があるということだと思う。「ワーク・ライフ・バランスの実現や女性の活躍を阻害する制度である事は明らか」については、まあ人それぞれが現実的にどんなワークライフバランスを実現しようとするかによるだろうし、女性の中にもキャリア重視で成果や能力のために時間を気にせず働きたいと考えている人はいるだろうとも思う。
ということで最後に「5 結論」というのがきてこう書いてあるわけだが、

 このように、新たな労働時間制度は、単なるエグゼンプションにすぎず、成果型賃金制度とは全く無関係なのである。にもかかわらず、政府がこの制度を「時間ではなく成果で評価される働き方」であると説明することは、完全なる誤りであり、国民を欺く誤導である。そして、一部の報道機関が、その誤りを見過ごし、国民に制度内容について誤解を与える報道を続けていることは極めて遺憾である。
 日本労働弁護団は、エグゼンプションについて「時間ではなく成果で評価される働き方」であるとの誤った喧伝を続ける政府の姿勢に強く抗議するとともに、報道機関に対して、制度内容の正確な報道を行うよう、強く要望する。

「単なる」というにはずいぶんいろいろな条件が付いていて範囲も限られているなあとは思うわけだが、しかし労働政策的にエグゼンプションであるというのはそのとおりである。塩崎大臣は国会答弁で(質問者がホワイトカラー・エグゼンプションと発言したのに対して)エグゼンプションではなく高度プロフェッショナル労働制と呼んでほしいと述べたそうだが、これも名称の問題であって(ホワイトカラー・エグゼンプションという語にもいろいろな文脈がくっついてしまっているわけで)エグゼンプションではないと述べたわけではないだろう。
いっぽうでエグゼンプションだから成果型賃金制度とは全く無関係との主張は残念ながら私にはついに理解するところとはならなかった。たしかに、残業代の時間割支給がなくなれば残業してもバカバカしいから早く帰るようになって家族だんらんとかいった説明はほぼ「完全なる誤りであり、国民を欺く誤導で」あろうと私も思う(声明ほど断言する度胸はないが)。効率よく働いて生産性向上とかいうのも似たようなもんだとも思う。また、労働弁護団がこの制度が導入されることで過重な長時間労働を余儀なくされる労働者が出てくることを心配するのはよくわかる(あたかもほとんどが必ずそうなると言わんばかりの論調には違和感もあるが)。政府や報道機関が絶対にそのようなことはありませんと喧伝しているのであれば、それに抗議するのは当然だろうし、大いにおやりになればよかろうと思う(なお政府は法案を提出したわけだからそのような弊害には対策がされる・されているとは言うはずである。「喧伝」するかどうかは別として)。
しかし、こと賃金に関しては、エグゼンプションであろうがなかろうが、ここで想定されている対象業務の労働者のほとんどは(割増賃金を除けば)相当程度成果で評価されてポストや賃金が決まっているはずであり、またそちらへの関心のほうがはるかに高いだろう。エグゼンプトであってもなくてもそれは同じことではないだろうか。これらの業務は、成果(や能力や職務)でなくして何で評価されるのだろうか。私には「エグゼンプションだから成果型賃金制度とは全く無関係」「政府がこの制度を「時間ではなく成果で評価される働き方」であると説明することは、完全なる誤りであり、国民を欺く誤導」というのは端的に理解不能である。
ということで初めの方に書いたまとめになるわけで、労働弁護団としては要するにこの制度によって時間にも成果にも無関係に年1,075万円払えばその労働者を命令どおり無際限に働かせうるということが報じられないことが最大の問題であり、なぜ報じられないのかというと国が「時間ではなく成果」などといった説明をしていてメディアもそれをそのまま報じているからだという抗議なのだろうと思うわけだ。ただ繰り返し書いたように仮に過度の長時間労働が求められたとしてもそれと「時間ではなく成果で評価」とは一切排他的ではなく、むしろ親和的(1075万円は最低保証して、さらに新規契約1件毎歩合を10万円払うからさあ頑張れもっと頑張れ、といったものは十分考えられるだろう)なものなので、「成果で評価」ではない、と否定してかかっているのは作戦的に失敗しているようには思う。
報道に関しては、前述したとおり労働弁護団がどこのどの報道に怒っているのがわからないので何とも言えないのだが、さすがにこの制度の導入が過度な長時間労働を招くリスクが一切ないといった解説は見たことがない。もちろん、この制度のもとでは「時間ではなく成果で評価される働き方」になるというのが誤りであれば報道の多くは不正確ということになろうが、しかし私にはそうは思えないので、ここに関してはどちらかというと私は報道機関に同情せざるを得ない。少なくとも私の知る限りの今回の報道に較べれば2006年当時の「残業代ゼロ法案」報道のほうがよほど誤っていたと私は思う。
逆に言えば高度プロフェッショナル労働制に批判的な人からみれば2006年当時の報道機関の目覚ましい(?)活躍を思うと今回は丸め込まれてるなという不満はあるのかもしれない。それは逆に言えば政府の広報が前回の教訓をもとにしっかり仕事をしているということかもしれず、であれば労働弁護団の矛先がこの両者に向かうのもむべなるかなとも思った。


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ということで、私はさすがに清涼感までは感じなかった(笑)ものの、まあ労働弁護団であればこう言うだろうという想定の範囲内であり、作戦的にはやや失敗している感はあるものの過度な長時間労働の抑制などの部分では重要な問題提起も含まれていると思った。私としても冒頭にも書いたように今回の高度プロフェッショナル労働制には一定の不満があり、特に「目先の残業代より将来のキャリアのほうにはるかに関心が高く「私の仕事は時間の切り売りではありません」というハイパフォーマーとその予備軍が働き過ぎにならない範囲で自由に働ける制度」という本筋を外れた・見失った、残業代ドロボー対策的な議論が蔓延しているのは困ったものだと思っている。したがって、効率的に働いて生産性向上して成長戦略とか、早く帰ってワークライフバランスで一家だんらんとか言った論調には否定的であってその点労働弁護団とも通じるものはある。
いっぽうでやはり私は本筋部分はぜひ実現すべきと思っているので、なるべく本筋を外れない、適用すべきでない人が適用されたり過度な長時間労働につながったりすることのないようなよりよいやり方を考えてほしいとも思っている。労使はもちろん、行政や研究者、そして法曹といった専門家にぜひ知恵を絞ってほしいものだと願っている。