ホワイトカラー・エグゼンプションで生産性は向上するか?

昨日の日経新聞によりますと「時間に縛られない働き方を巡る政府内の調整が難航している」そうです。もとより難しい問題ではありますが、しかし報道のとおりだとすると、いつまでそんなズレた議論をしているのか…という思いを禁じえません。まず記事をご紹介しましょう。

 時間に縛られない働き方を巡る政府内の調整が難航している。…意見の隔たりが大きく会議の開催を5月末に延期した。…

 競争力会議側はこの制度が生産性の向上につながると訴える。働いた時間で処遇する今の制度は「同じ仕事を短時間でこなす人より、ダラダラ残業してやる人の方が給与が多くなる仕組み」(経済官庁幹部)。給与と労働時間の関係を断ち切れば、いわゆるホワイトカラーを中心に効率的な働き方が広がるとみる。
 民間議員は3種類の人を適用除外するよう訴えている。第1は外資系の株式ディーラーなど年収1000万円以上の専門職。第2は年収1000万円には満たないが、本社の企画・経理・人事といった部門やプロジェクトのリーダーとして働く社員だ。第3は育児、介護と仕事を両立するため、時間や場所に縛られずに働きたい人だ。
 ただ田村憲久厚労相は「労使の立場は使用者の方が強い。今の規制を幅広く外すことには国民の不安がある」と真っ向から反論。連合も「長時間労働を招く」(神津里季生事務局長)と反対の姿勢を鮮明にした。
 年収1000万円以上の専門職への導入は、厚労省も検討する見通し。厚労省は第1次安倍政権のときに年収900万円以上の人に適用を検討した経緯がある。対象を絞り込めば競争力会議と折り合える余地がある。
 一方、第2の年収1000万円未満の社員に導入することには慎重な立場だ。第3の育児や介護を抱える人にはフレックスタイムの拡大で対応できると主張する。「交渉力が弱い人が対象になれば働き過ぎを助長する」(厚労省幹部)という。
 厚労省はすでに、自由な働き方をある程度認める「裁量労働制」の対象となる職種を広げることを検討している。実現すれば年収1000万円未満の人も対象になるため、そこが落としどころになるとの見方もある。
 ただ民間議員は「一人ひとりの仕事の範囲を明確にして、働く人の同意を前提に導入すればリスクは少ない」と訴える。残業代をあてこんで必要以上に長時間労働する人が減れば、仕事と家庭の両立にも役立ち、少子化対策にもつながるとの見方がある。日本の就労構造がホワイトカラー主体になり、時間給の考え方がそぐわなくなっているのも事実だ。
平成26年5月14日付日本経済新聞朝刊から)

現行制度は「「同じ仕事を短時間でこなす人より、ダラダラ残業してやる人の方が給与が多くなる仕組み」」であり、したがって「給与と労働時間の関係を断ち切れば、…効率的な働き方が広がる」というのは、典型的な残業代ドロボー対策の発想ですが、これを持ち出すから「残業代ゼロ法案」などというプロパガンダが出てくるわけです。それが「生産性の向上につながる」というとき、その生産性とは一義的には単位コスト当たりの出来高ということになり、となると労働時間にかかわらず賃金を一定にした場合、長時間労働したほうが(それにより出来高が増加する限り)生産性は高くなるということになってしまい、またぞろ「過労死促進法案」とかいう話になってしまうわけです。
しかし、実際に提案されているしくみをみると、基本的に残業代ドロボー対策ではない、今ある残業代を取り上げようというものではないということは明確ではないかと思います。つまり、AタイプもBタイプも本人同意を必要としていますので、要するに残業代を取り上げられたくない人は同意しなければ取り上げられることはないという案になっています。もちろん記事中にもあるように労使の力関係がという問題は当然あり、そこは集団的プロセスや高額な年収用件で担保するという案になっているわけです。何度も繰り返していますが、この制度は「私の仕事は時間の切り売りではありません」というハイパフォーマーとその予備軍が「働き過ぎ」にならない範囲で自由に働ける制度であり、城繁幸氏も言うようにローパフォーマーにはなにも関係ない制度だということをはっきりさせるべきでしょう。
「残業代をあてこんで必要以上に長時間労働する人が減れば、仕事と家庭の両立にも役立ち、少子化対策にもつながる」というのも、やはり繰り返しですがいいかげんにしたらと思います。「わが家で仕事と家庭を両立させるにはこれこれの残業代が必要なんです」という実態は太田国交相も党代表当時に指摘していたとおり実際にあるわけで、そういう人に向かって生活残業はやめて早く帰りなさいそれが少子化対策になりますからと言ったところで「いやそのためのカネが必要だから残業しないといけないんです」という話になるでしょう。こういうことを言うものだから田村大臣に「今の規制を幅広く外すことには国民の不安がある」と言われてしまうわけです。現実には過半数労組のある企業のホワイトカラー限定でさらにそこから労使協議や年収要件で範囲を絞るわけですから人数規模も小さなものでしょうし、労働時間や休日について国がガイドラインを示して規制強化もするわけですから、決して「規制を幅広く外す」などというものではないわけなのですが。この部分は誰が言ったとも書いてないので、日経の記者の「見方」なのでしょうが、勘弁してほしいなあ。
それでは、時間生産性、単位労働時間あたりの出来高はどうか、という点ですが、これは労働時間をどのようにカウントするかによるだろうと思います。それでも私は、時間生産性がこれで大きく上がるということはないだろうと考えています。したがって生産性を上げるためにやるんだという議論もやめるべきだということになります。
つまり、時間のことは気にせずに働いていいよ、と言われたときに、「何時間働いても賃金は同じなんだから、バリバリ働いて早く帰ろう」と考える人ももちろんいるでしょうが、いっぽうで「多少遅くなってもいいから、自分のペースで働こう」と考える人もまた多いのではないか、ということです(逆に言えば今日は合コンだから早く仕事を上がりたいと思えば日中バリバリに働いて夕方5時にサヨウナラも可能なわけで、育児介護などのために毎日そうすることも可能ではあります)。
さらに、こうした制度の対象になるのは仕事への興味・関心が高く、能力の向上に意欲的な人が多いでしょうから、時間のことは気にしなくていいのなら、必要はないけど興味があるからこれも調べてみたい、あれも試してみたいと考えることも多いのではないでしょうか。そうした時間も労働時間だと考えれば、その時間は出来高はないわけなので、やはり時間生産性は下がる方向になります。結局のところ、生産性について言えばこの制度はコスト生産性は変わりないので、時間生産性は気にせずに、やり過ぎにならない範囲であれば興味・関心を満足させたり能力の向上に取り組んだりしていいですよというものなのです(もちろんそれを通じて能力が向上したり新技術が生まれたりすることで中長期的には生産性は高まるでしょうが)。
でまあこういう人は意欲が高い分ついついやりすぎてしまうという心配は当然あるわけなので、そこは国がガイドラインを示しつつ労使で在社時間の上限を決めるとか休日の下限を決めるとか、在社時間が一定以上になったら医学的な措置を講じるとかいったことを取り決めていくわけです。
ですから、連合が「長時間労働を招く」と言うのは一応もっともだということにはなりましょうが、しかし制度の対象者にしてみれば「好きにさせてくれ」という話ではないかとも思います。もちろん、好きにした結果ほかの労働者がご迷惑を蒙るということであれば好きにはさせられないぞというのもやはりもっともですが、できれば好きにやりたい人は好きにやれて、かつほかの労働者のご迷惑にもならない方法を考えることが大事なのではないかと思います。そのために集団的プロセスを関与させようとか、当面過半数労組のある企業に限るとか考えられているわけで。
ということで、どちらかというと経済官庁幹部とか民間議員とか日経新聞(笑)とかが妙ちきりんな議論を振り回すせいで話がおかしくなっているという感はひしひしとしますね。厚生労働省としてもそう来られたらこう言わざるを得ないという面があるのではないでしょうか。「意見の隔たりが大きく会議の開催を5月末に延期した」とのことですが、その間にしっかり考え方を整理して議論を噛み合わせてほしいと思います。