ホワイトカラー・エグゼンプションより効率化が重要ではないか

Q.連合は「ホワイトカラーの働き方について、より効率よく、遅くまで残業しなくてもいいようにするにはどうしたらよいかという議論ならいくらでも応じる」と主張しています。そちらのほうが、ホワイトカラー・エグゼンプション(WE)より優先されるべきだと思うのですが。

これはWEとは別の議論として整理することが必要でしょう。たしかに、ホワイトカラーに限らず、効率よく成果をあげる働き方を追求することは大切で、会社はそのために投資をし、働く人も努力したり知恵を出したりして、その果実を労使で分け合うことで企業の発展と雇用の維持安定、労働条件の維持向上がはかられるわけです。さほど専門性や裁量度の高くない仕事に従事し、昇進昇格などへの野心もなく、ほどほどに働いてそこそこの処遇が得られれば残業代もたいしていらない、という考え方の人にとっては、いかに所定労働時間内にうまく(楽に)働いて早く帰るか、ということが大事でしょうから、無駄な仕事は廃止するとか、意思決定ルートの短縮とかいった効率化はとても大切なことだろうと思います。
また、仕事量が多すぎて、家庭生活などに支障をきたすような長時間労働になっている人にとっても、効率化や、あるいは人員を増やして担当業務そのものを減らすことが大切でしょう。これは処遇、労働条件の変更がセットにならざるを得ないわけですが、その最適のバランスを追求することが大切だろうと思います。
こうしたことに取り組むのが労働組合の重要な役割であることには異論はありませんし、経営サイドとしてもその意見・要望を真摯に受け止め、労組・従業員の協力を得ながら改善をはかっていくことが経営の効率化、高度化につながることになるでしょう。
ただし、これはWEの議論とは別物であって、こういう議論が大事だからWEを議論してはいけない、ということにはならないはずです。労働時間は短いほうがいいという人も多いでしょうが、一方には能力向上や高い評価、自己実現のためにもっとたくさん仕事をしたいと思っている人も相当数いるでしょう。こうした人にまで労働組合が「そんなに働くな、もっと短く働け、そのための効率化だ」と求めることはできないのではないかと思います。たしかに、一部に長時間労働をする人がいることで、他の労働者まで長時間労働を余儀なくされる可能性がある、という理屈はあるかもしれません。しかし、だったらその「一部の人」にはWEを適用して「あの人たちは自分の意欲で働いているのだから」という形にして区別をすればいいのです。長時間働きたくない、早く帰りたいという人は、それでも残業しなければならなかったときには割増賃金を受ける。これで筋が通っているでしょう。

  • もちろん、WE適用者にとっても効率化の取り組みは重要ですが、それは賃金は変わらずに労働時間が短くなる、あるいは同じ労働時間でよりよい仕事ができる、能力も伸びるという形で還元されることになります。