2015年雇用問題フォーラム・フォロー

書く書くと言って案の定だいぶん遅れておりますが、10月14日のエントリでご紹介したNPO法人人材派遣・請負会社のためのサポートセンター主催「2015年雇用問題フォーラム」の感想をいくつか書いておきたいと思います。
まずは海老原嗣生氏が主張する「35歳までは全員がキャリアをめざして競争、35歳時点で引き続きキャリアを目指すエリートを選別し、選ばれなかった人はそれ以上の昇進・昇給は原則としてないノンエリートとなる。これは敗残者ではなくワークライフバランス可能な欧米型の働き方への転換である」という「日本・欧米のハイブリッド人事管理」について考えてみたいと思います。

  • この海老原説に関する手頃な解説がないものかとしばらくweb上を渉猟してみたのですが残念ながら見当たりませんでした。https://jinjibu.jp/article/detl/keyperson/731/http://www.rieti.go.jp/jp/special/special_report/069.pdfあたりがご参考になろうかとは思いますがやや古く、現時点ではさらに進化しているらしく当日の海老原氏の発言内容には必ずしもこのとおりではないと思われる部分もあったように思います。

さてこれに対しては当日hamachan先生から「35歳以降まで結婚・出産を先送りするライフスタイルが社会的に受け入れられ一般化するかどうかは疑問」という重大な問題提起がなされ、海老原氏はこれに対して「35歳以降から複数の出産も医学的に十分可能であり、長寿化・高学歴化・キャリアの長期化が進む中ではそちらがむしろ合理的」と反論されたことは14日のエントリでご紹介したとおりです。
これはこれでかなり高いハードルのように思われるわけですが、それは別としても私は残念ながら海老原説はうまくいかないように思います。どういうことか、以下述べていきたいと思います。
35歳という数字は仮置きだろうと思いますが、人事制度・人材育成制度の整備された企業(まあ大企業)では35歳といえば課長クラスが出始める年齢ということになるでしょう。競争がはじまってすでに10年以上が経過し、かなりその結果が出てきて「一軍と二軍に分かれている」というのも海老原氏の指摘どおりだろうと思います。
しかし、そこで海老原氏が言うような「エリート」と「ノンエリート」の選別を、将来のキャリアや収入やその他もろもろに決定的な大差がつくような形で、かつ(少なくとも同一企業内では)挽回不可能な形で実施することにはたいへんな疑問というか無理があります。
ポイントはたぶん3つくらいあって、1つめは一軍と二軍に分かれているとはいってもその違いはそれほど明確ではない、ということがあります。35歳くらいの時点であれば、少数の「現時点で同期のトップを切って課長クラスに昇格しても誰も文句を言わないような人」がいるいっぽうで、それに較べれば多数の「いずれ課長クラスくらいには昇格できそうだけれどその先は難しそうだ」という人、といったくらいの差ははっきりしてくるでしょう。残る大半の人たちは「現時点ではこんなものでも、まだまだ今後の展開次第」という感じではないかと思います。そういう状態でどのようにエリートとノンエリートを選別するのでしょうか。
それはその「現時点で同期のトップを切って課長クラスに昇格しても誰も文句を言わないような人」をエリートに、それ以外の人をノンエリートにすればいい、というのは残念ながら表面的な発想でしょう。「現時点で誰も文句を言わない」のがなぜかといえば、将来的には二番手三番手くらいの人であれば現時点のトップを逆転する可能性が確保されていてかつ少なからずそれが実現しているから、つまり差はつけるがそれほどの大差ではないからだということには十分注意する必要があります。それが海老原説のように二番手三番手は先のないノンエリートだという大差となると、誰も文句を言わないどころか文句が噴出するでしょう。大差をつけるのであればその判断基準は明確であることが望ましく、判断基準が明確でないならそれでつく差は小さいものにするのが賢明だというのはおそらく大方の経済学者の先生方であれば同意されると思われ、それがあの場に経済学者がいなくて残念だったと私が考えるおもな理由です。でまあ善し悪しは別としてもそういう明確な基準がないのが日本的雇用管理の特徴だと言われてきたわけですから、まあ海老原説がうまくいくわけがなかろうと思うわけです。

  • 余談になりますが、こうした明確性が求められる判断にあたってきわめて有力なのが、公平・機会均等かつ客観的な基準となる「年齢」です。海老原説が「35歳」という年齢で区切っているところにもその反映をみることができるでしょう。そういう意味では同じくやはり基準として明確(公平その他は別問題として)なのが「性別」で、昇進昇格など差のつく選抜にあたっては、昨今の諸情勢も考えれば「性別は関係ない」というよりむしろ「女性だから昇進させる(ポジティブ・アクション)」と言い切ってしまったほうが(善し悪しは別として)、しぶしぶながらの納得は得られやすいのではないかという話も以前書いたと思います。

第2のポイントは第1のポイントとも関係しますがエリートの必要数と適格者数のアンバランスという問題です。35歳で人生が決まるような選抜がなされるとしたら、そこに至るまでの競争はこれまで以上に熾烈・過酷なものとなるでしょう。そもそも人事制度・人材育成制度がきちんと整備された企業であればその社員も入社試験の段階ですでにかなり「選ばれた」人材が揃っているはずであり、それが従来以上に厳しい競争で鍛えられるわけですから、35歳時点ではこれまで以上に優れた人材が多数育成されることになるでしょう(まあ競争を通じて育成しようとしているのだから当然だ)。
となると、エリートの必要数<<<<<エリートの適格者数となることはまあ明々白々であり、それをどうやって選ぶのか、というのが第1のポイントだったわけです。さらにこれは人事管理としてもおよそ合理的とは思えず、エリートの資格十分な人であってもエリートの椅子が足りなくてそれにありつけなければノンエリートの仕事と処遇に甘んじせしめるというわけですから、まあ能力と人材投資の壮大な無駄づかいであることは間違いないでしょう。海老原氏は賃金相応なんだからそれでいいじゃないかというお考えかもしれませんが、しかし従業員の持てる能力の発揮を考えない企業が優れた人材を確保できるのか、というとまあなかなかそうは申し上げられないのではないかと思います。まあこれにしても海老原氏としてみれば企業がすべてそうなれば働く人もそんなもんだと受け入れるから問題ないということかもしれませんが…。
それと関連して、第3のポイントとして再チャレンジをどう考えるのか、という問題があります。海老原説ではノンエリートに着地した人たちは「ワークライフバランス可能な欧米型の働き方に転換した」ということで納得してその後は結婚・出産・育児にいそしむのだから再チャレンジのことなど考えなくてもいいという話のようなのですがそんなわけねえだろう
まあもちろんそういう人もいるかもしれませんが(そして私が思っているより多いのかもしれませんが)、しかし普通に考えればそれまで必死に自己投資してきたものが無に帰すわけでもあり、ここまで決定的な差をつけられたらやはり相当割合の人は転職して再チャレンジということを考えるはずで、それは資源の有効活用という側面から社会的にも望ましいことでしょう。考えてみれば、35歳というのは転職市場でそれなりに競争力のある手頃な年齢、むしろギリギリの年齢なのかもしれません。
しかし海老原説の徹底した日本においてはこうした人たちが相応の企業に転職して再チャレンジをはかろうとしてもわが社はもうエリート選抜済であなたの入る余地はありませんという話になってしまいかねません。もちろん賢明な企業は転職の受け入れも念頭においてエリート選抜を行うだろうという考え方もあるでしょうが、しかしそれは社内に向かってはただでさえ限られたエリート選抜枠をさらに縮小するという話でもあり、だったら身内に配分してやれよという気はします。やはり内部で調達できないから外部から採ろうというのが普通だろうと思うわけで。
まあ海老原氏としてみればそのくらい徹底すべきだというご意見なのでしょうし、それとは別に、大企業で35歳まで熾烈な競争を戦ってきた人であれば中堅企業や中小企業にとっては貴重な人材であり、そちらでの活躍を目指せばよいという話も可能かもしれませんが…。
もっともこれは現状も多分にそうであって、40歳45歳で先がないということになって転職に活路を見出そうとしてもなかなか難しいのが実態です。つまりいずれにしても再チャレンジのことを考えるのであれば、より早期から・多段階の選抜が望ましいということになり、35歳で諦めさせる海老原説はその点においてはむしろ親切だともいえるでしょう(行き場はないわけですが)。実際問題、OJTを中心とした人材育成においては能力向上やキャリア形成に資する有意義な仕事にありつけるかどうかが決定的に重要であり、しかもそれは自分で決める余地がきわめて限られています。35歳時点でついている差というのも、かなりの部分はそういったある意味「運・不運」(もちろん能力の高い人がそういう仕事を割り当てられるという側面もあるでしょうが)で決まっているところもあるでしょう。近年、「成長できる仕事を与えられない」という理由で比較的早期に転職する若年者が増えているように思われるのもその反映でしょう。

  • なおhamachan先生ご指摘の家族的側面についても、私もやはり難しかろうと思っており、要するに35歳前の結果の出ていない人と、35歳で結果の出た人のどちらが魅力的かという話です。35歳でエリート入りできた人はしかるのちにおもむろに一回り下の専業主夫・婦を探したり、やはりエリートのパートナーを見つけて家事育児はアウトソーシングということも可能でしょうが、ノンエリートに着地した人は…まあ、ノンエリートの限られたマーケットからパートナー探しをするのでしょうか。そう考えると、結果が出たノンエリートより結果の出ていない人のほうが競争力が高いわけで、結果が出るまで待つことのリスクを考えれば、その前の可能性が残された状態で結婚してしまったほうが有利だと考える人がかなりいるのではないかと思われます。35歳までの苛酷な競争を戦うにあたっては専業主夫・婦がいたほうが有利だろうという事情もその傾向を強めるでしょう。逆にいえば自分にはエリートと結婚するほどの競争力がないと思っている人も結果の出る前の人に賭けようという誘因が働くはずであり、まあなかなか海老原氏の想定するような状況にはならないのではないでしょうか。

ということで、海老原氏は非常に熱心に調査もされ取材もされ、hamachan先生も絶賛されるとおりわが国労働市場・人事管理の実態を踏まえて構造問題を正しくとらえて議論されていると思うわけですが、一方で人事管理をした経験もされた経験も豊富でない人の議論かなという印象も禁じえません。たとえば、海老原氏の取材経験としてこんな文章が上で紹介した「RIETI Special Report 日本型雇用の綻びをエグゼンプションで補う試案」(http://www.rieti.go.jp/jp/special/special_report/069.pdf)にこんな記述があります。

…昨夏の終わりに、日本能率協会主催の研修講師を承る機会があった。RIETI でもご一緒する一橋大学の守島基博教授がメインファシリテータを務める大手企業の人事向け研修に招かれた時のことだ。
そこには、経団連傘下の大手企業20社の人事部課長の面々が生徒として参加されていた。…
…長らく人事管理を取材し続けてきた身として、感慨深いものがあった。旧来日本の象徴とも言える歴史の長い大手企業でも、現在は50歳で管理職(クラス:引用者注)となれない人たちが、かなりの数に上っているということが、改めて確認できた…
…多くの企業で3−4割程度出現している50歳でも管理職(クラス:引用者注)になれない人たちについて、詳しく聞いた…非管理職であれば定期昇給は維持されるから、彼らの月給はレンジ上限に貼り付くことになる。しかも、成果給は課長以上にしか適用されない企業がこれまた大多数のため、基本的に、月給部分については下への変動が起きない。さらに、役職者でなければ組合員のため、残業代も支給される…ため、普通に査定をすると、年収は課長職以上とそれほど差がつかなくなる。…多くの企業は、非管理職滞留者に対して、相当悪い査定をつけ、それにより賞与を下げ、ようやく、課長以上と年収差をつけている。…係長やヒラ社員として、与えられた仕事をきちんとこなしているにもかかわらず、彼らは恐ろしく悪い査定評価をくだされる。ただでさえ、昇進が止まって辛い思いをしているのに、考課のたびに心を砕かれることになる。…期せずして3つのテーブルから同じような悲鳴があがった。
「正直、低位者のモチベーション維持に苦慮しています。どうしたらいいでしょう」と。
能力別にその到達点がわかれても、それぞれが納得行く職業人生を送れるような新しい人事制度が必要なのだろう。そう痛感した。
http://www.rieti.go.jp/jp/special/special_report/069.pdf

上記引用の中で「管理職」というのは注記したとおり「管理職クラス」を指しています(引用していない部分でその旨明記されています)。
さてこの文章を読むと、「50歳でも管理職クラスになれない人たち」は、その能力がないからなれないのだ、というのが議論の前提になっていることがわかります。もちろん企業によってはそういう実態なのかもしれませんし、実際能力不足で昇格できなかった人もいるに違いありません。しかし、とりあえず「経団連傘下の大手企業」であれば、相当割合の人は管理職となる能力を有しながらも管理職枠・昇格枠が不足していたり、あるいは他のなんらかの事情で、明確な基準もなくなんらの説明もないままに昇格を逸した人たちではないかと考えるのが妥当ではないかと思います。であれば、上で縷々書いたとおり大きな差をつけようとするのが間違いであり、それでモチベーションが低下するのは当たり前です。
そもそも「能力別にその到達点がわかれても、それぞれが納得行く職業人生を送れるような」なんてあらためて言われるまでもなく当ったり前の話であり、それにどう近づけていくかの苦心が営々と重ねられてきたわけです。具体的には、たとえば課長ポストが不足しているせいでそれにはつけなくても、その能力がある人であれば課長クラスには昇格させ、ポスト課長と同等の、あるいは(大抵の場合は)同等ほどではないにしてもそれなりに難しい・価値のある仕事にスタッフ職として従事してもらう、そして大抵の人はいつかはキャリアアップの階段を外れて「運がよければもう一段階くらいは望めなくもないけれど、もうこれ以上は昇格も昇進も期待できない」という状況、いわゆる引き込み線に入る」けれど、賃金などは下がることもなくそれほど大きな差はつかないということで、それなりの納得を得て意欲を維持させてきたわけですね。たしかに、昨今では経済成長の一段の鈍化や企業業績の低迷といった事情があり、こうしたやり方が維持しにくくなってきた企業が増えていることも事実なのでしょう。しかし、だからといって能力のある人に向かってその活用機会を提供できないからしたがって能力もないと強弁することが何かの解決になるとも思えませんし、それで大差をつけられたら納得もできないし意欲も低下するという、繰り返しになりますが当たり前の話でしょう。
結局のところ、日本型のOJTを中心とした内部育成・内部昇進の「遅い昇進」は、人材育成において非常に優れた仕組みであり、かつての熟練工不足・管理職不足の時代にはきわめてうまく機能してきたけれど、今日のように組織の拡大が停滞してむしろポスト詰まり・仕事詰まりが顕在化している中では、人材育成が効率的すぎて必要以上に人材を育成してしまうところが問題なのだ、といういつもの話になるわけです。
したがって、海老原説は残念ながらうまくいかないだろうと私も思うわけですが、マネジメントの階層を上がっていくエリート候補が多すぎて、ノンエリートのプロフェッショナルが不足している、という海老原氏の問題意識は依然として有効であり、いかにして人材育成のオーバーシュートを調整するのかという問題が残るわけです。
これについては正直私も明快な回答を持ち合わせているわけではありませんが、このところ考えているのは最近たびたび書いているようにスローキャリアの限定正社員というのがひとつのソリューションになるのではないかということです。ごく早い段階、2年ないし5年を試用期間的に位置づけてその段階でファストトラックとスローキャリアに選別する方法と、入社時点からファストトラックとスローキャリアに分ける方法が考えられ、まあ一長一短ではないかと思いますが、現時点では後者のほうが制度的に明快でよさそうな気がしています。つまり、ファストトラック組については現行のメンバーシップ型の人事管理を基本的に踏襲し、ただし規模を小さくすることで引き込み線に入る比率を減らし、時期も遅らせていくいっぽうで、スローキャリア組については、ジョブ型で職務限定・勤務地限定・労働時間の拘束も弱い形態とする一方で、緩やかではあっても人材育成も昇給も昇進もあって、最終的には課長クラスにまで昇進してエリート層の仲間入りする人も一定比率で出てくるような形態にするわけです。入口ですべて決まってしまうというのがまずいというのであれば、現実には運用がかなり難しいかもしれませんがコースチェンジの制度もできればいいだろうと思います。まあどこまで行ってもファストトラックを望む人が多いということであれば、結局は不本意なキャリア選択を余儀なくされる人が出てくるには違いありませんが、より多くの人に、より長い間、キャリアや処遇が改善される道が開かれているほうがいいのではないかと思うわけです。
そういう意味ではこれはhamachan先生が言われた「マミートラックこそがノーマルトラック」という考え方に近いわけで、たしかに私もマミートラックの問題点はそれが女性に固定される点であってスローキャリアだという点ではないと考えていますので、正直政府が特定の働き方をノーマルとかデフォルトとか決めることには抵抗があるものの、それに積極的な価値を与えて拡大していくことは望ましいと思います。
ただまあこれはやはり最終的には国民の選択という面があると思われ、国民、特に男性がそうした生き方働き方をどれほどよしとしていただけるかという点にかかってはくるわけです。だいぶ意識が変わっているのではないかと期待はしているのですが、しかし依然として「努力した人が報われることが望ましい」「才能の不足を努力で克服する、非凡な人が8時間働くなら平凡な私は16時間働いて上回ってみせる」といった価値観を是とする人が多いのであれば、まあどうしようもねえなと苦笑するよりないだろうと思うわけです。あちこちで言っているのですがどうも私この点強気になれません。
さて他の論点でも感想がいろいろあったのですが今日はこれだけ書いたらさすがに疲れました。ということで他の論点はできれば後日に書きたいと思います…と一応は言いますが今度こそ次はない可能性が高そうです。