間が開いてしまいましたが、前回のエントリ(スローキャリアな限定正社員)に続いて、限定正社員について書いていきたいと思います。
前回はスローキャリアな限定正社員を拡大していくことで日本企業が抱える「中高年社員のポスト不足と、賃金と職務価値の不一致」といった人事管理の課題をかなりの程度解決できるのではないかという趣旨のことを書きました。繰り返しになりますが、ゼネラルマネージャーや執行役員を目指すファストトラックのエリートコースと、課長クラスくらいが目標のノンエリートのコースを設け、前者は従来どおりのメンバーシップ型で「どこでも・なんでも・いくらでも」働く、辞令一枚で地球の裏側に単身赴任もありうべしという働き方、後者は基本的に勤務地・職種・勤務時間限定で転勤もなけれは残業も例外的、人事異動も同一職種内という働き方にするわけです。ただし職種限定だからジョブ型かというとそうでもなく、同一職種内でローテーションして内部育成し、ゆるやかながら初級管理職(係長クラス)、能力と適性によっては課長クラスへの昇進もありうるということで、このあたりはメンバーシップ型の利点を生かしたいところです。かつての国家公務員のI種・II種と少し似ていますが、こちらのスローキャリアはII種に較べてかなり拘束度が低く、またかつての大企業の総合職・一般職にもやや似ていますが、こちらのスローキャリアはかつての一般職よりは昇進の可能性が高く、現在の日本社会の実態(それをそのまま是とするわけではない)においても男性が選択できる可能性があるのではないかと考えるわけです。
さてこうした提案は新しいものでも珍しいものでもなく、たとえば今や古典となった感もただよう2009年の濱口桂一郎『新しい労働社会』においても、かつての一般職的な働き方をデフォルトルールにすべきだと主張されていますし、このブログでも同じくらいの時期に旧日経連の「自社型雇用ポートフォリオ」を引きながら類似の論を展開しています。それでもなお、現在に至るまでそれほど普及・拡大しているわけではないのには、やはりそれなりの理由があるのでしょう。
大きな課題として3つほどあると思われ、中でもおそらく最大の問題点は、当たり前といえば当たり前なのですが、ファストトラックよりスローキャリアのほうがかなりの多数になってしまうというところでしょう。繰り返しになりますが当たり前の話で、現実の企業の大卒ホワイトカラーでゼネラルマネージャーや執行役員まで昇進した人と課長どまりに終わった人の比率を見れば一目瞭然なわけです。かつての国家公務員II種の採用数はI種の3~4倍といったところで、ほかに国税や監督官や教員で霞が関に移る人もいるわけなので、まあファストトラックが2割、スローキャリアが8割という感じになるのでしょうか。もちろんファストトラックも全員がゼネラルマネージャーに昇進できるわけではなく、その中での過酷な仕事を耐え抜いて競争を勝ち抜いた半数なり3分の1なりが勝者となり、残りはまあ課長クラスどまりということになるわけです。スローキャリアの上位1-2割くらいが課長クラスに到達するとすれば、だいたい企業の組織構造に合ってくるのではないでしょうか。まあこのあたりかなり雑駁な概算であり、また産業・企業による違いも大きいでしょうが。
これまで、日本企業では大卒総合職正社員として入社すれば全員が幹部候補生でありエリートであって、全員にゼネラルマネージャーや執行役員のチャンスがあり、4年に1人のチャンピオンが社長になるという、まあ機会均等な人事管理であり、それが日本社会の公平さと受け止められてきたのではないかと思います。逆に言えば大卒であれば(特に男性であれば)エリートでなければならないという意識も強いでしょう。そういう中では、企業組織の成長が止まり、ゼネラルマネージャーや執行役員といったポストにありつける人が減り、その分競争が激しくなっても「みんながエリート」のほうが「5人に1人がエリート」より好ましいと思う人は多いかもしれません。
さらにその「5人に1人のエリート」をどうやって選ぶのかという問題もあり、先日ご紹介した海老原嗣生さんの提案では、とりあえず全員エリート候補として入社させ、十年くらい競争させた結果で決めるということになっていました。これはそれなりに理にかなった選び方ではありますが、ただまあそれだと多数の敗者のモチベーションにかなりの課題が残るわけで、一応ゆるやかながら昇進の道がある限定正社員についてはそれをめぐる競争もあるわけで、生産性の面では好ましいように思われます。このあたり海外でどうやってエリートを選別しているかを見ると、パブリックスクール出身者やグランゼコール出身者が職業キャリアの最初からエリートであり、就職して初職でいきなりマネージャークラスに飛びつくという英仏のような社会がどうやらグローバルスタンダードであるらしく、だから日本では優秀な留学生を日本企業が採用しても、日本人と同じように初歩からの内部育成でやろうとするので「キャリアが見えない」と言って退職していくわけですね。彼ら彼女らはエリートになるために(ノンエリートの仕事をやらなくてすむように)高いカネと多大な労力を費やして留学しているわけなので当然といえば当然かもしれません。もちろんいまの日本社会でも学歴のブランドがものを言う部分はあるでしょうが、しかしたとえば一流大学のMBAを取得すればエリートですというのが日本社会で受け入れられるかどうかはかなり難しいところでしょう。その点でどうも強気にはなれないという話はこれまでも何度か書いたと思います。これが第一の課題。
第2第3の課題については、今日は長くなってきましたので、次回に回したいと思います。