成果で評価?

きのうから日経新聞の連載企画「働きかたNext」が再開しています。今シリーズのテーマは「報酬を問う」となっておりますな。初日のきのうのお題は「お花見、その時給は/物差しは「成果」に」ですが、取り上げられているのは花見そのものではなく花見の場所取りです。

 花見の場所取りは仕事なのか。4月上旬の平日の東京・上野公園でシートに座って陣取る会社員に聞いてみた。
 スーツ姿の男性(25)は電機大手のグループ会社に勤める…上司(50)が「花見はうちの伝統」と仕事であることに太鼓判を押した。
 一方、この日の朝一番乗りだった男性(29)は「会社を休んだ」。石油卸会社に勤め、花見は同業他社との交流会だという。「今後の仕事につながる」と思っているからこそ朝5時に好立地を確保したが、会社の出勤簿はあくまで「休み」だ。
…法令や就業規則に照らして精査すれば「白黒」を分けられるのだろうが、働き手の感覚ではどちらの場合も仕事だろう。そしてその価値は「待った時間」ではなく、その後の成果にこそある。
 取引先の接待、帰宅後のメール、人脈を広げる勉強会。特にホワイトカラーは仕事のオンとオフの境目があいまいだ。机上の基準で労働時間を管理するのは限界がある。ならば「時間=報酬」の発想から抜け出し、成果を基準に報酬を決めたほうがよいのではないか。
 「長く働くほど残業代で報酬が増える」という構図にメスを入れた会社がある。建設工事を立案するパシフィックコンサルタンツ(東京)は残業を大きく減らした部署に報奨金を出す。総額500万円を用意し、早く仕事を終えるほど給料が増える仕組みにした。
 測量士の松沢真(31)の毎日の仕事は始業前にほぼ30分単位の綿密な予定を立てることから始まる。「仕事が早く終われば仲間を手伝う」。報奨金を入れてから4年で同社の残業は1割弱減り、売上高は2ケタ伸びた。
 週50時間以上働く日本人は32%。米英の3倍だ。残業当たり前の風潮は「時間=報酬」の原則と無関係ではない。政府は時間ではなく成果に報酬を支払う「脱時間給」の導入を目指すが、対象は年収1075万円以上の専門職に限られる。
 「残業なし」を掲げる電気設備の未来工業。営業部の渡辺真美(31)は以前勤めた自動車販売会社に比べて「時給が倍になった」と感じている。年収も少し増えたが、それ以上に毎日2〜3時間の残業がなくなるなど労働時間が大幅に減ったことが大きな理由だ。
…報酬の物差しを時間から成果に変えて働き方を効率化する。そんな発想の転換が働き手の「時間の価値」を高める。
平成27年4月25日付日本経済新聞朝刊から)

ということで「「時間=報酬」の発想から抜け出し、成果を基準に報酬を決めたほうがよい」「報酬の物差しを時間から成果に変えて働き方を効率化する」ことを訴求しているようです。
続く本日のお題はというと「選挙で年俸720万円/納得できる評価追う」ということで、

…眼鏡専門店のオンデーズ(東京・港)は毎年、エリアマネージャーを全社員の投票で選ぶ「解散総選挙」を開く。…自分の上司は自分で決める。これが選挙の狙いだ。密室人事では「社長のお気に入りだから」とひがみを生む。選ぶ過程を透明にすれば「不満はあっても納得できる」(社長の田中修治、37)。
 同社は報酬もガラス張りだ。当選者の年俸は720万円以上。だが単なる人気取りでは続かない。今年の1位に選ばれた枌原(そぎはら)寛(34)は「緊張感はあるがやる気になる」と話す。
 年功型から成果主義型の賃金に移る日本企業。問題は評価だ。…
 「外に出たらもっと稼げると思っていた」。…中澤洋之(38)は12年、別のソフト会社に転職した…が、給料は転職前と同じ。逆に残業は倍増し1年で復帰した。
 サイボウズの給料は「社外価値と社内価値」で決まる。平均年収は601万円。職歴や仕事内容をもとに転職市場の相場を調べ、上司の「信頼感」を加味して決める。…同社は評価制度をめまぐるしく変えてきたが、どれも社員から不満が出た。今の手法に落ち着いたのは12年。報酬を増やすにはスキルを磨き自分の価値を高めるしかない。
 日本では残業、転勤当たり前の正社員ががむしゃらに働き成長を支えた。そんな時代には仕事の中身より「あいつはよく頑張っている」だけで評価されがちだった。だが仕事の範囲も評価もあいまいなままでは、育児など時間に制約のある社員や外国人の理解は得られない。日本総合研究所の山田久(51)は「最近は仕事内容で評価する流れが目立つ」と指摘する。
 4月に人事制度を刷新したすかいらーく。仕事内容に応じて社員を7段階にランク付けし、それぞれ給与水準を決めた。人に給料を払うというより、仕事内容に払う発想だ。1ランク上がれば月収は数万〜十万円増える。今後は重要な仕事をこなす能力があれば、若手でも抜てきする。
…業種や会社の規模でも千差万別。新たな働き方に見合う報酬の仕組みに正解はない。だが人口減時代には、パートや正社員問わずそれぞれが自らの役割をこなす「プロ人材」にならなければ会社は回らない。いかに多様な働き手の納得感を高めるか。…
平成27年7月26日付日本経済新聞朝刊から)

当初から姿勢が変わらないのは一貫性があるとはいえますがしかしまあ相変わらず社会面だよね(いや実際社会部の記者の方が書いているのかもしれないが)。個々の事例にはたしかに面白いものもありますし、私以上に面白いと思う人もいるかもしれませんが、だからといってそれと並べて書かれた結論まで正しいというわけではない。
最初からコメントしていきますと、花見の場所取りに目を付けたのは面白いとは思います。ただ、花見も「取引先の接待、帰宅後のメール、人脈を広げる勉強会」もたしかに仕事の一環としてあるものでしょうが、しかし花見や接待や勉強会まで賃金の支払われる労働時間だと考える人はほとんどいないでしょう。これらをあげて「「時間=報酬」の発想から抜け出し」と主張するのはさすがに飛躍が大きすぎるように思います。いっぽうで場所取りはたしかにグレーなので面白いとは思いますが、ただまあこれは「仕事やりくりすれば場所とりできますから場所取りしますよ」くらいの話じゃないでしょうかねえ。いかに同業他社との交流=人脈形成という意味があるにしても、常識的に考えて場所取りをしている人が「だから休みをとって朝5時から場所取りするんです」とは思ってないんじゃないかなあ。ただこれについては取材を受けた人は本当にそう思っていたという証拠をつきつけられれば恐れ入る準備はあります。まあ面白い人だなあとは思うかもしれませんが(笑)
ということで、残業代よりもキャリアや「次の仕事」が大事という人については「時間=報酬」は無意味、という趣旨はいいのですが、それが花見の場所取りと言われるとちょっとなあ、というか相当なあ(笑)という感じでありまして、いや正直能力向上やキャリアのためなら時間なんか関係なく働きたいという人にしてみれば花見の場所取りと同じ箱というのも迷惑なんじゃないかなあ。だって考えてみれば花見の場所取りというのはまさにそこで過ごす時間がそのまま場所の確保という成果につながるわけですし、早く来て長く過ごすほどいい場所が確保できるわけなので、まさに「時間=成果」となる「仕事」なわけでしてね。
次の「残業を大きく減らした部署に報奨金を出す」というのは、以前もこのブログでご紹介したSCSKの事例とよく似ていますが、現行法制のもとでは職場単位で残業代が少なかった部署に対して埋め合せ的な報奨金を支給するというのはなかなか合理的な方法なのかもしれません。いずれにしても「「仕事が早く終われば仲間を手伝う」」というのはきわめて日本型メンバーシップ型の発想だということも注目すべきでしょう。
ここまで昨日の第一回についてでしたが、未来工業の例も含めて「時間=報酬」でなくなれば労働時間が短くなるという発想でおしているところがまあ致命的にダメかなという感じです。もちろん絶対そうならないということはありませんし、記事にもあるような相当に不自然なことをやればそうなることもあるでしょうが、しかし普通に考えて「時間=報酬」でなくなれば報酬はいらないから時間をたくさん「働きたい」という人が相当いて、そういう人のためのエグゼンプションなわけですから。
今日(4/26)の記事については、エリアマネージャーをピープルズ・チョイスで決めるというのは、面白い試みだとは思います。もちろんこの手の選抜は知名度の高い人が決定的に有利とか、出身母体別の力争いになりやすいとかいうことはとっくに周知ではあるわけですが、マネージャーの人選に部下みずからがかかわったということで納得性を高めるというのはありうるアイデアでしょう。まあ記事にもあるようにおまえも一票投じてかかわったんだから文句を云うなというのがいいのかどうかというのは、さまざまな選挙投票に共通する問題だろうとは思いますが。
サイボウズの話は非常に面白く(日経の意図した方向で面白いわけではたぶんないのですが(笑))、企業内での中長期的なキャリア形成に対する関心がまったくないのはまあこの業種の特徴なのでしょうが、それでもなお「上司の信頼感」といった名目で企業特殊的熟練が評価されているのがなんといっても目を引きます。結局のところ転職すればこの「上司の信頼感」は剥離するわけで、したがってその分は賃金が下がるという、まあ私に言わせていただければまさに日本の労働市場の特性が現れているようにみえるわけで。
あと一応苦情を申し上げておくと成果、成果と連呼したわりには「最近は仕事内容で評価する流れが目立つ」と(成果ではなく)職務に走っているのが不審なところですが、ああそうかこれはミスター機敏の山田久氏の引用で流行を追ったのだな。ま、筋は違いますが都合よく使うにはご便利なのでしょうねえ。
ということで、まあ山田氏が出てきた段階で私のこの記事に対する信任は大幅ダウンであるわけですが(笑)、それにしても「人口減時代には、パートや正社員問わずそれぞれが自らの役割をこなす「プロ人材」にならなければ」とか書いているのを見るとげんなりせざるを得ないわけではありますな。いや働く人のほとんどは相応に「プロ人材」として働いていただいているというのが(私はもう直接の関係者ではありませんが)労務管理に携わる実務家の見解ではないかと思うわけでしてね。いやもちろん相対的に賃金の高くない仕事、求められる技能の相対的に高くない仕事というのはあるでしょう…しかし、それが「プロ人材」でないかというと、決してそうではないと思うのですが…。