さて残業代ゼロシリーズを書きながらウェブ上をあれこれと渉猟していたところまあ出るわ出るわ(笑)。私もそうなんですがさまざまな論者がいろいろな(とはいっても多くは似たような話なんですが)持論を展開していて正直感心しました。ということでいくつかご紹介してみたいと思います。
まずたいへんにユニークなのが「希望は戦争」の赤木智弘さんのブログです。
http://blogos.com/article/85359/
前半は日本でホワイトカラー・エグゼンプションを導入すると18世紀ヨーロッパの労働に逆戻りする(んなわけないだろ)とかいうことが書いてあってかなり脱力するのですがそれは実はマクラで、こんな議論が続いています。
そんな時代に逆戻りするのは嫌だから、僕は労働時間の規制を削ることには反対するのだけれど、しかし「残業代ゼロ」に反対している人は、本当に「規制なき長時間労働」に対して反対をしているのだろうか? 僕にはまるで「残業代が出なくなること」に対して、反対しているように思える。
残業代が割高なのは、企業に対するペナルティである。しかし一方で残業代が出る労働者からすれば、まるでボーナスのように感じられているのではないだろうか。
残業代が出ることが常態化すれば、当然「残業代を踏まえた水準で生活を営む」ということになってくる。そうした環境に慣れている人からすれば、この問題は「給料が減る問題」としか認識されていないはずだ。
また、「仕事(賃労働)をしている人間は偉い」「働いても稼げない非正規はクズだ」という声が当然のようにささやかれる日本において、残業ということを、労働者はそれほど嫌がっていないのではないだろうか。それはたとえ残業代が出なくても残業を行う、サービス残業が常態化していることからも伺える。
内心嫌だと思いつつ、仕方なくサービス残業をしているならまだマシで、もしかしたらサービス残業を通して会社に尽くしている自分自身に誇りを持つような勘違い労働者も多いのかもしれない。
ならば、残業をなくすためには、残業代ゼロとは言わず、残業をすればするほど会社に残業代というペナルティがあるのと同時に、労働者にもペナルティを負わせる必要があるのではないか。残業によって仕事を専有するのだから、残業時間によって労使に対して「残業税」を課し、それを仕事が無かったり、安い時給で働いている人に分配するなり、年金や国保ではなく、生活保護などの正しい社会保障のために回すといい。
それにより、正社員に労働時間を守ることを促し、賃労働だけではなく、お金にならない家族サービスや地域の仕事にかかわらせることも可能になるだろう。また、その残業が本当に必要な仕事であれば、その分を企業は新しく人を雇い入れるしかないから、雇用の促進にもなる。労働者自身においても、仕事をしない余暇を勉強などに費やせば、今のような自分の会社のことしか考えない視野狭窄労働者から脱することができるかもしれない。
「残業代ゼロではなく、残業税の検討を」http://blogos.com/article/85359/
こういうのもまあネタとしては面白いのでしょうからそれだけでも商品価値はあるのだろうと思います。
いや必ずしもネタだけではないかな。赤木さんは残業代目的に残業するのも仕事が好きでサービス残業するのも含めて残業全般がお嫌いなようなので、残業する労働者に対してもペナルティとして課税したいとのご意向のようですが、そのお気持ちはとりあえず別として、使用者の方に課税するというのは一理あるようにも思えるからです。つまり、時間外労働を減らすために割賃を上げろという主張はかなり存在するわけで、いっぽうでそれが時間外労働へのインセンティブを高めてかえって長時間労働を促進するという懸念も表明されているところ、だったら割賃を上げるのではなく使用者に課税して国庫が召し上げるようにすれば双方の効果が期待できるというのは、あまり現実的ではないようには思いますが、ありえないアイデアではないかもしれません。もちろんこれはサービス残業には通用しにくい、というかうっかりするとサービス残業を大いに助長しかねないリスクはありますが、そこは頼りにならない労働基準監督署に代わって税務署が摘発に乗り出せば実効性が高まるかも知れないということでこらこらこら。まああれかな、しかし本当にそんなことをしたら当然企業は残業を厳しく制限するようになるわけで(労基法違反に加えて脱税まで問われかねないとなれば当然でしょう)、それは仕事を通じて自分の技術力やノウハウを高めたいと思っている人にとってはあまり幸福なことではないようには思います。まあ赤木さんはそういう人もお嫌いなんでしょうから(偏見)それでかまわないんでしょうが。
また、「「残業代ゼロ」に反対している人は、本当に「規制なき長時間労働」に対して反対をしているのだろうか? 僕にはまるで「残業代が出なくなること」に対して、反対しているように思える。…残業代が出ることが常態化すれば、当然「残業代を踏まえた水準で生活を営む」ということになってくる。そうした環境に慣れている人からすれば、この問題は「給料が減る問題」としか認識されていないはずだ」という部分で、これは朝日新聞や東京新聞と共通する発想ですね。前回のホワイトカラー・エグゼンプションの議論の際にも当時の太田公明党代表が「残業代が生活に組み込まれている実態がある」と演説していたことを思い出します。ただ、今回の案で本当に給料が減る人がどれほどいるかというと、過半数労組のある企業で、その過半数労組と合意した上限時間以上に残業して残業代をもらっている人だけなので、さてどれほどいるものでしょうか、という感はあるのですが(もちろんその過半数労組との合意の水準に依存するというのは前々回のエントリで書いたとおりです)。
さてさて続いてはお約束の(笑)城繁幸氏です。
http://jyoshige.livedoor.biz/archives/7225088.html
…現代社会において、同様に「机に座っていた時間に成果が比例する仕事」はどれだけあるだろうか。少なくともデスクワーク主体のホワイトカラーはほとんどが当てはまらないに違いない。というわけで、少なくともそうしたホワイトカラー職は時間管理を外して年俸制のような柔軟なシステムに移行するのが望ましいと筆者も考える。
…
成果が時間に比例しない以上、愚かな同僚がいっぱい残業したからといって、会社が従業員に用意できる人件費が増えるわけではない。無駄な残業に対して支払われる手当は、きっちり定時で仕事を終わらせている人たちの財布からも支払われていることになる。
そういう仕組みの中で自分だけ損をするのを避けるにはどうすればいいか。答えは一つ、自分も負けじといっぱい残業するしかない。そういうカルチャーの中で生きることが、本当に幸せなのだろうか。おそらく、多少手取りが減ったにしても、エンドレスな残業チキンレースはやめて定時で帰れればそれでいいという人の方が多いのではないか。
みんなが「労働時間=賃金」という発想を捨てれば、無駄な残業時間は間違いなく減るはずだから、時間当たりの賃金は上がることになる。…
ただし、筆者は、以前のホワイトカラーエグゼンプション議論の際に出たような「年収500万円程度の普通のサラリーマンにまで一挙に適用開始」という案には賛成ではない。なぜなら、労働時間を管理せず、各人の管理に任せるのであれば、それを可能とするだけの“裁量”が必要であり、現状ではそれを満たしているサラリーマンは少数派だからだ。
…
具体的には、あらかじめ業務範囲を明確に切り分け、責任の所在を明確にしておく必要がある。賃金制度にしても、属人給である職能給から、担当する業務に値札のつく職務給に見直す必要があるだろう。サラリーマンを時間という呪縛から解き放つには、賃金制度の抜本的な見直しという気の遠くなるようなプロセスが必要なのだ。それがいつごろ可能になるかは、筆者にも見当がつかない。
とはいえ、ビジネスは待ったなしだ。実際、筆者の知る人事部長の間でも「とりあえず時給管理を外せば無駄な残業は減らせるし、裁量なんて後から切り分けられるはずだからやってみればいい」という楽観論も多い。そういう意味では、年収一千万円以上か、労組との合意、本人の同意を条件に対象を絞り込んで規制緩和するプランは、落としどころとしてはまずまずではないか。
筆者の知る限り、年収一千万円超のサラリーマン(非管理職)は新聞社やテレビ局といったメディアくらいにしかおらず、その多くも既にみなし労働が適用され、残業代が青天井というわけではない。
「もしブラック企業が御用労組を作って一般社員の残業代をカットしようとしたらどうするんだ」という心配性の人もいるようだが、ホントにそんな強権的な会社があったら、そういうしちめんどくさいことはやらずにさっさと賃金を半分にしていることだろう。
断言するが、99%のサラリーマンは今回の規制緩和とは無関係だ。第三の矢としてなにがしかの成果が欲しい政権のアドバルーンというのが実情だろうが、効果のほどを見極めるには手ごろな落としどころだというのが筆者の意見だ。
「残業チキンレースにそろそろサヨナラしよう!」http://jyoshige.livedoor.biz/archives/7225088.html
例によってツッコミどころは満載で、「デスクワーク主体のホワイトカラーはほとんどが当てはまらない」というのは、まあ「ほとんど」の定義次第ですが、ホワイトカラーでも相当程度労働時間と成果が比例する拘束的な仕事に従事している人は多いのではないかと思います。また、「以前のホワイトカラーエグゼンプション議論の際に出たような「年収500万円程度の普通のサラリーマンにまで一挙に適用開始」という案」というのはそんなん出たっけかと思いますねえ(まあ当時の過熱したデマ報道とかの印象で書いておられるのだとは思いますが)。あと、ブラック企業が御用組合を作って、とのくだりはさすがに暴論で、ブラック企業はそんな面倒なことしないよというのは事実としては大筋当たっているにしても、法制度としてはきちんと対策は必要でしょう。
あと「答えは一つ、自分も負けじといっぱい残業するしかない」というのは、まあ短期的にはそうかもしれませんが、多くのサラリーマンにとってはそれは基本戦略ではないとも思われるところで、(引用では省略してしまいましたが)「子供が私立に入ったから毎月60時間生活残業してます」なんて無能な同僚」とは中長期的には賞与の査定や昇進昇格などで相当の差がついてくるわけで、「まあ残業代はあっちが多いかもしれないけど、昇進するのはこっちが先だもんね」と考える人のほうが多いようには思います。逆にいうと月60時間も生活残業する人というのはキャリアの方はそれなりにギブアップしているだろうと思います。
それから、「あらかじめ業務範囲を明確に切り分け、責任の所在を明確にしておく必要がある」「属人給である職能給から、担当する業務に値札のつく職務給に見直す必要がある」についても、私は文中にある人事部長さんたちと同意見で、この制度を入れるためにそんなことが必要になるとは思えません。実は産業競争力会議に提出されたペーパーにもこの手の人事管理の話があれこれと書き込まれていて話を面倒にしているきらいがあり(それやこれやでこのペーパーはあまり出来がいいとは申せません)、もちろん人事管理は人事管理でよりよいものを目指して各企業で検討試行すればよろしかろうと思いますが、この制度自体は「私の・あなたの仕事は時間の切り売りではありません」という人が、保護に欠けることなく働けるように設計すればいいはずで、特定の人事管理を要件とする必要はまったくないように思います。まあ武田薬品さんはそういうのがいいと思われているのかもしれませんが、そう思わない企業にとっては余計なお世話ではなかろうかと。
「年収一千万円以上か、労組との合意、本人の同意を条件に対象を絞り込んで規制緩和するプランは、落としどころとしてはまずまずではないか。」というのは、まあ「まずまず」の定義次第ですが、私もそれなりに「まずまず」ではないかと思います。ただ、前々回の繰り返しになりますが、集団的合意を要件に加えて年収要件を700万円くらいに設定するオプションはぜひ考えたほうがいいとは思います。
「99%のサラリーマンは今回の規制緩和とは無関係だ」というのは、まあ裁量労働制を適用されている労働者が全体の1.4%なので、もう少し関係ある労働者は多かろうと思いますが、まあレトリックとしてはありかなあ。断言されるとちょっとねえという感じはしますが。「第三の矢としてなにがしかの成果が欲しい政権のアドバルーンというのが実情だろう」というのも、まあ政権としては岩盤規制に穴を開けましたくらいの宣伝という意味はありうるのでしょうか。問題は厚労省がこの程度なら政権に花を持たせるかと思うかどうか、あたりのような気もしますが。
ということで2つご紹介しましたが、まだまだ興味深い議論もありますので、明日に続きます。