(続き)残業が減らないのは家に帰りたくないから!?

 このところまたあれこれ起きていますので、とりあえず大急ぎで仕掛中案件をかたづけてしまいたいと思います。ということで「日経ビジネス」5月16日号所載の標記記事のご紹介と感想、前回の続きです。日本人が家に帰りたくない理由のその2ですが…。

日本人が帰りたくない理由(2)帰ってもろくなことがないから

 ブラック企業のように組織的圧力があるわけでもなく、今日やらねばならぬ仕事があるわけでもないのに今日も無駄な残業に精を出す。そんな社員の中には、出世や収入増にさほど関心がない人もいる。彼らが帰らない理由もまた、身も蓋もない。「帰ってもろくなことがない」だ。
 「自分だけでもいいので、ノー残業デーを水曜以外にしてもらえないか」
 あるメーカーの工場で最近、50代の社員、A氏から人事部にこんな奇妙な相談が舞い込んだ。なぜ水曜だと駄目なのか。聞くと、別の会社に勤める妻がやはり水曜がノー残業デーで、お互い早めに帰宅すると、家で気まずいのだという。
 男性の中には、家事をやりたくないから家に帰りたくない、という人もいまだ多い。「多くの日本人男性は残業のおかげで家事を放棄できていた。残業がなくなるとこの“特権”がなくなる」。千葉商科大の常見専任講師はこう解説する。
…「ろくなことがないから」と家に帰ろうとしない社員は既婚者だけではない。
 印刷メーカーで働くBさんは…「…32歳を過ぎた頃から、自己啓発に励んできた友人たちが結婚や出産でいなくなり、自分も何だか疲れちゃって、だらだらと残業するようになった。変に思われるかもしれないけど、今は難しいことを考えず残業するのが一番、気が楽」。Bさんは自嘲気味にこう話す。
 今、首都圏近郊のベッドタウン近くの居酒屋、ファミリーレストラン、パチンコ店、サウナは毎週水曜、かつてないにぎわいを見せている。ノー残業デーを導入した企業に勤める退社後に行くあてのない社員たちが集まっている、というのだ。
(同、p.51)

まあよく聞く話ではありますし、実際に取材もされてそういう人がいたということですからそれを疑うつもりもありません。とはいえそれがどれほどいるのかというと、とりあえず私の周囲には早く帰りたい人のほうが多いと思うなあ。まあこのあたり記事も「こうした“ノー残業デー難民”があくまで少数派なのか、かなりの割合を占めるのか推測する統計などは、まだない」とエクスキューズしている(p.52)わけではありますが。
家事云々の話もありそうな話ですが、これは多分に帰宅して家事をやるよりは残業して残業代をもらったほうがうれしいという家計の所得選好の話だという気もします。人事担当者をつかまえて「御社で無駄な残業をダラダラやる人ってのはなんででしょうねえ」と訊ねればまあ8〜9割は「そりゃ残業代がほしいからでしょう」と答えそうなもので、残業すると出世するとか言うわりには残業すると残業代がもらえるという話が出てこないのはなぜなんだろう。
いずれにしてもここで日経ビジネスが言っているのは「会社から帰りたくない」ではなく「家に帰りたくない」なので、企業にとっては特段気にするほどのこともないでしょう。とにかく帰ってくれさえすれば、家に帰ろうが居酒屋で呑もうが図書館で勉強しようが山手線や大阪環状線や地下鉄名城線でぐるぐる回っていようが関係ないわけであってね。
なお難民がヘチマとか居場所が滑った転んだというのは多分に住宅事情の影響も大きいんじゃないかなあ。通勤時間が長いので勤務先で長く過ごしたほうが有利ということはあるでしょうし、午後5時に仕事を終わっても帰宅が午後6時半で、しかも自宅に書斎があって落ち着いて読書でも自己啓発でもできるというなら格別、わが国大都市部の住宅事情では居間で子どもがバラエティ番組を見ているのと一緒にいるしかないということも多そうで、まあ家族仲良いのはけっこうなこととしても毎日では大変だろうとも思う。たまにならおおいにけっこうなことだという人も多いと思いますが。
ちなみに記事はこのあと「帰宅難民」ビジネスの話を延々と続けるのですが、まあ今日は早めに切り上げて帰りに一杯行きますかというのはサザエさんの昔からあった話であり、そういう人が増えてくればそれをご商売にしようとする人もまた増えてくるのは当然の話であって別に難民だの居場所だのの問題じゃないと思いますがねえ。
さて記事は最後に「日本で残業の削減が進まない背景には、「家に帰りたくない」という諸外国には見られないだろう理由がある――。この仮説が正しいとすれば、企業はどうすればいいのか」ということであれこれ書くわけですが…。

 まず、「出世には残業が必須」と考えている社員を減らすには、経営層がその事実を明確に否定し、かつ、残業時間と昇進が連動するメカニズムを検証、改善する必要がある。場合によっては、無駄な残業をしている社員の評価を大きく引き下げてもいい(残業と昇進を負の相関関係にする)。
 「パソコンは原則、終業時間にシャットダウン」「会議は立って短時間で終了」。そんな大胆な生産性向上策で知られるキヤノン電子の酒巻久社長は「定時で帰れないのは能力が低い証拠」と断言する。
(pp.52-53)

ずいぶん簡単に書きますが、「無駄な残業」と「無駄でない残業」の区別が難しいわけですよ。何度も書いていますが、技術者が非常に難しいイノベーションにチャレンジして、残業もいっぱいしておカネもたくさん使ってがんばっていいところまで行ったけれど最終的にはダメでした、という話はよくあるわけで、この残業は無駄なのかどうか。現業部門であっても、たとえば設備が故障して復旧に手間取って残業が増えましたというのは、もちろん無駄といえば無駄ですが、しかしだから評価を大きく引き下げていいものかどうか。そして、あからさまに無駄な残業(残業代目当てとかな)が多い社員についてはすでに「残業と昇進を負の相関関係に」なっているんじゃないかなあ。
なおキヤノン電子については威勢のいい経営者を紹介するのもいいけれど本当に残業が少ないのかどうかはウラ取りしたほうがいいと思うなあ。そこらの巨大掲示板やら転職サイトとか、まあそれもどこまで信頼できるかどうかはわかりませんが、しかし見当くらいはつくと思うけどなあ。
さて記事はこのあと「ここまでしても、出世にも収入増にも関心がなく「帰ってもろくなことがない」との理由で残業をやめない社員を突き動かすのは難しい」と述べ、さらにそれを放置することには「コンプライアンス(法令順守)上、問題が発生する可能性が高い」とした上で、こう書いています。

…企業は社員に自発的に帰宅してもらうしかない。そのための数少ない方法がこれだ。
(1)残業を申告制にする
(2)申告の手続きを、「家に帰る苦痛」より、大幅に物理的・心理的苦痛を伴うものとする
 日本の産業界には、この“最終手段”で成果を上げた経営者がいる。元トリンプ・インターナショナル・ジャパン社長で、元祖・残業削減のプロ、吉越浩一郎氏だ。1992年に同社社長に就任後、19期連続増収増益を達成した吉越氏…が導入したのが残業申告制だった。
 「どうしても残業しなければならない場合は許可するが、その代わり、残業した社員には徹底した反省会とリポート提出をしてもらう」。これが仕組みの骨子。申告制自体は既に導入している企業も多いが、トリンプで特徴的だったのは反省会とリポートだ。
 反省会は、残業した翌日から同じ理由で残業が絶対に起きないよう何回でも開かせる。さらに「なぜ、残業をしなければならなかったのか」「どうしたら残業をせずに済むか」について、再発防止策を詳しく書いたリポートの提出も義務付けた。
 リポートは1回書いて終わりではない。繰り返し添削して、内容的に大した問題がなくても何度も突き返した。何度も、何度も、だ。反省会とリポートで業務に支障が出ても、意に介さなかった。
…「残業したらどんな苦難が待ち受けるか身をもって知った社員たちは、定時までに業務を終わらせようと、必死で仕事をするようになった。無駄口をたたく社員は減り、就業時間中のオフィスがすっかり静かになった」。吉越氏はこう振り返る。
 昭和の時代から続く悪しき伝統「無駄な残業」を退治するためには、生半可な対策では不十分だ。
 日本人は皆、家に帰りたくない――。そのぐらい大胆な前提に立って、本気で対策を練らないと残業は減ることなく、日本企業の生産性は永遠に上がらない。
(p.53)

なにこれどういうブラック企業。こっちのがよっぽどコンプライアンス上問題じゃん。組合がよく黙っていたもんだとも思いましたが組合はないのね。
でまあこれもちゃんとウラ取りしてるのかどうかとも思ったところで、口コミサイトとかみてると吉越社長いなくなっていい会社になりましたみたいなのがゴロゴロ転がっているわけですよ。
労働時間や残業の長短もさることながら、従業員の意欲を維持向上できなければ生産性の向上なんて望むべくもないわけなので、まあ本末転倒した倒錯の結論だなあと思ったことでした。くわばら、くわばら。