原発再稼働差し止め判決

一昨日、福井地裁が大飯原発の再稼働差し止めを命じましたが、これについて感想を少々。もちろん私にはよくわからない分野なので雑駁な感想以上のものではありません(だから日記タグにした)し、判決の論旨に関する感想であって原子力発電について議論しようというものでもありませんのでそのようにお願いします。
また、判決文を読んだわけでもなく、日経新聞に掲載された判決要旨を読んでの感想ですのでその点もご了承ください、と最初にひたすら逃げを打つ私。
さて判決要旨ですが、

 原発の稼働は法的には電気を生み出す一手段である経済活動の自由に属し、憲法上は人格権の中核部分よりも劣位に置かれるべきだ。自然災害や戦争以外で、この根源的な権利が極めて広範に奪われる事態を招く可能性があるのは、原発事故以外に想定しにくい。具体的危険性が万が一でもあれば、差し止めが認められるのは当然だ。

 地震の際の冷やす機能と閉じ込める構造に欠陥がある。1260ガルを超える地震では冷却システムが崩壊し、メルトダウンに結びつくことは被告も認めている。わが国の地震学会は大規模な地震の発生を一度も予知できていない。頼るべき過去のデータは限られ、大飯原発に1260ガルを超える地震が来ないとの科学的な根拠に基づく想定は本来的に不可能だ。

 過去に原発が基準地震動を超える地震に耐えられたとの事実があっても、今後大飯原発の施設が損傷しないことを根拠づけるものではない。基準地震動の700ガルを下回る地震でも外部電源が断たれたり、ポンプ破損で主給水が断たれたりする恐れがある。

 被告は原発稼働が電力供給の安定性、コストの低減につながると主張するが、多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いという問題を並べて論じるような議論に加わり、議論の当否を判断すること自体、法的には許されない。多額の貿易赤字が出るとしても、豊かな国土に国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失だ。
平成26年5月22日付日本経済新聞朝刊から)

審理の過程では専門家を交えて危険性や対策の評価なども行われたのだろうと思いますし、判決にも一応科学的評価らしき記述もありますが、しかし「具体的危険性が万が一でもあれば、差し止めが認められるのは当然」とした上で「大飯原発に1260ガルを超える地震が来ないとの科学的な根拠に基づく想定は本来的に不可能」だから再稼働は許されないという判旨はもはや科学的検証を超越しているという感があります。いや科学者に「1260ガルを超える地震が科学的に絶対に来ないと言え」と要求してもそう言い切る科学者はいないわけで(というか、そう言い切ったら定義上科学者ではないと思う)。
「被告は原発稼働が電力供給の安定性、コストの低減につながると主張するが、多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いという問題を並べて論じるような議論に加わり、議論の当否を判断すること自体、法的には許されない」との判旨も、「電気代の高い低い」は経済活動や雇用に直結する問題であり、実はこちらのほうがよほど生存そのものに関わりかねないという議論もあるわけで、まあどちらがより正当かというのには裁判所の判断があろうと思いますが、しかし「法的に許されない」とまで言うのはかなり強い姿勢のように思われます。
「多額の貿易赤字が出るとしても、豊かな国土に国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失だ」というのはおそらくは要約の問題があるのだと思うのですが、仮にこのままだとすれば国富という用語をかなり特異な意味で用いていて、ここまで裁判所が特定の価値観を明確に指示するというのはかなり踏み込んでいるように思われます。
こうした私からみればかなり大胆な判断をほぼ憲法生存権だけを根拠に導いているわけで、私のような心のけがれた人間には科学的な根拠では差し止めを命じられないのでこうするしかなかった(それがいいとか悪いとかいうつもりはありません)ようにも見えてしまうので、被告が控訴するのはまあことは当然かなあとは思います。
さて、この訴訟は差し止めを求めたものなので差し止めを命じるという結論になるわけではありますが、この判決の立論からすれば、運転しようがしまいが原発の存在そのものが生存権を侵害していることになるわけで(もちろん稼働非稼働で程度の差は大きいのでしょう(かな?)が判決はそうした発想を否定しています)、原告には原発そのものの廃炉撤去を求める訴訟を提起してみてはどうかと思わなくもありません。まあ、とりあえず再稼働させなければすむ差し止め判決とは異なり、廃炉撤去となるとさまざまな困難性が発生することを裁判所も考慮するかもしれませんが…。
なお最後にもう一度念を押しておきますが上記は原発云々とは基本的にかかわりなく判決の立論構造について素朴かつ素人的な見解を述べたものであり、たとえば原発自衛隊に置き換えてみても基本的な趣旨に変わりはないこと(まあ経済活動と安全保障ではレベルが異なるでしょうが)をご了解いただければと思います。