L型大学の話

昨日のエントリに記載したような経緯でしばらくぶりにhamachan先生のブログをつらつらと勉強しました。マタハラ判決に関する私のエントリを好意的にご紹介いただき、ありがとうございます。
さてその中で富山大准教授の大坂洋先生のブログのエントリが紹介されていました。L型大学の話なのですが、かなりの盛り上がりを見せたようですので、これまで書いてきたことの繰り返しが多くなりますが、私も少し感想など書いてみたいと思います。まず大坂先生のエントリですが、

 冨山氏の悪口いう人が多いが、大学の外や学生の平均的な認識はこんなもんなんじゃないだろうか。要するに人文・社会系の大学の職業的意義は自動車学校以下。

ちょっとだけ、冨山さんに注文。…
 あと、こっちのほうがより真剣な注文なんですが、大学の職業的な意義のある教育を企業が評価することなしに、L型大学は成功しない。せめて、経済学部で簿記3級とか、ITパスポートとっている学生をTOEIC650点(ささやかすぎますか?)くらいにはみなしてくれないと。さらにいえば、今の職業的意義のない大学の現状であっても3年後期の成績、できれば、4年前期や卒論の準備もしっかりやっていることをしっかり見て企業が内定を出してくれるような下地がないと、L型への移行も難しくなるんじゃなかろうか。運動部やっているほうが、勉強やっているより評価されるようじゃ学生のほうも安心して勉強できない。そのあたりは、冨山さんがぜひ経団連にはたらきかけてもらわなければならない。
 いずれにしてもL型の教育実績や教育成果、L型学問をちゃんとやった学生が社会や企業にちゃんと評価されないとうまくいかない。冨山さんの議論には、このあたりの危惧を感じている。
http://d.hatena.ne.jp/osakaeco/20141027/p1

これに対して、hamachan先生もこう応答しておられます。

…職業的レリバンスのある教育が存立しうるためには、雇用システムの側がそれを重視するようになっていなければ意味がないわけで、この議論はまさにそういう雇用システムを含めた社会システムの転換を論ずる議論であるのに、そんなの今の世の中で受け入れないよ、と言えば反論したつもりになっているアカデミックな方々の水準は残念なものがありました。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/on-l-e5f1.html

しかし、企業は新卒を採るとしたら学校が送り出した人材を採用するよりない。
ですから、暴論を承知で申し上げれば、職業的レリバンスがそんなにすばらしいなら、企業の都合にはおかまいなく学校がどんどん進めればいいのではないかと思います。実際、それで多数の学生さんに良好な就職を実現している専門学校というのもあるわけですし、大学が専門学校みたいな教育をして絶対に悪いというわけでもないでしょう。。
逆に、専門学校生を採用する企業というのは、卒業生の保有する簿記なりITなりなんなりのプラクティカルなスキルの活用を念頭に採用しているのでしょうから、その質保障が十分なら企業にとっては専門学校卒でも大学卒でも基本的には同じことだということになるのだろうと思います。たとえば埼玉県行田市にあるものつくり大学は、技能工芸学部に製造学科と建築学科があるだけの単科大学ですが、異例に長期のインターンシップを必修とするなど職業的レリバンス重視の教育を実践しており、開学以来一貫して90%を超える内定率を記録しています。
いっぽう、企業が大卒者を採用する場合、多くは幹部候補としての育成を意図しているでしょう。となると、将来的に(採用時に比較して)相当程度高度な能力の獲得・発揮が期待されるわけで、採用時の簿記とかITとか英会話とか運転免許とかいったプラクティカルな能力のウェイトは低くなり、経理部に配属してから簿記の勉強をするということでもかまわないということにもなるわけです。そのほうが、必要な人が必要な勉強をして必要な能力を身につけるということで、トータルでは効率的かもしれません。
ですから、大坂先生は(ご自分でも「自虐的」と書いておられますが)「大学の外や学生の平均的な認識はこんなもんなんじゃないだろうか。要するに人文・社会系の大学の職業的意義は自動車学校以下。」と言われるわけですが、そうでもないのではないかと思います。もちろんこれは職業的意義の定義次第ではあり、仕事にすぐに・目に見えて役に立つプラクティカルなものであければ職業的意義ではない、というのであれば、それはたしかに法律や経済の知識より運転免許ですという話になるでしょうが…。
いっぽう、職業的意義をもっと広くとらえれば、大学の持つ意義はずっと大きくなるように思います。以前、ある経営学者の先生が(私のうろ覚えなので不正確かもしれませんが)、大意こんなことを言っておられたのが印象に残っています。「私はゼミで経営学を教えているが、彼らが就職してその知識がすぐにものの役に立つとは思わない。私は経営学を教えることを通じて、世の中の物事に興味、関心、疑問を持ち、現場を見たり文献を調べたりして学び、それでもわからないことがあれば仮説をたてて自ら調査し検証する、そういう知的好奇心旺盛な人材を育てていると自負している。企業が欲しいのもそういう人材でしょう?」たしかに、企業は多様な人材を求めるわけではありますが、この先生の言われるような人材のニーズは強いかもしれません。
ですから、冨山氏は「自分はビジネススクールマイケル・ポーターを専攻したが、コンサルタントになって一度も使ったことがない」と言っておられるそうですが、しかしその学びの過程で獲得した「モノの考え方」のようなもの、統計数値の読み方や解釈といった調べもののスキルといったジェネリック・スキルはコンサルタントとして有用だったのではないかと思います。
これは経営学の例ですが、たとえば法学を学ぶことで、法律の知識は具体的に役には立たないかもしれませんが、しかしいわゆるリーガル・マインド豊かな人材は、企業のビジネスにおおいに貢献する可能性が高いでしょう。このようなジェネリックスキルの形成には大学教育はおおいに資しているのではないかと思います。それがおそらくは多くの企業が法学部、経済学部などの卒業生を好んで採用する理由であり、内定していても卒業証書を持って来られなければ内定取り消しにする理由であり、1年生に内定を発行するファーストリテイリングがしかし中退させて正式採用まではしない理由ではないかと思います。そこまで教育の職業的意義であると考えれば、大学が自動車学校以下ということはないでしょう。なにもプラクティカルなスキルばかりではなく、リベラルアーツやコモンセンスも相当の職業的を有するのではないでしょうか。
さて冨山氏の問題意識はおそらくはそうした企業の幹部候補生の需要以上に人文・社会系の学士が誕生しているということ、とりわけ人文系の学士には企業の幹部候補としての需要もさほど豊富ではなかろうということにあるのではないかと思います。これはhamachan先生も共有されるところなのだろうと思います。
私はまあ高校の授業で源氏物語に魅了された人が文学部で中世古典文学を学び、学位に投資するのではなく学位を消費するというのもあっていいと思いますし、それを需要するお客様がいるならそれを提供するというのも大学のご商売としてあり得るだろうと思いますし、まあ世間一般からみてなんの役にも立たないような学問分野の研究をお仕事にしているような人もいるのが豊かな社会というものじゃないかとも思いますが、まあ多額の公費が投じられている大学がそれでいいのかという議論はあるのかもしれません。学費が負担できるくらいのおカネ持ちでなければ大学教育に対する国庫支出の恩恵に浴することができないというのはおかしいという意見もあるでしょう(私は特に定見があるわけではありませんが)。
さはさりながらでは需要がこれだけだから供給もそれ相応にしましょうなどという計画経済的発想がうまくいくとも思えず、結局は一種の市場メカニズムでということになるわけでしょうから、やはり最初に戻って職業的レリバンスがすばらしいなら生き延びるはずだという話になってしまうわけですね。
ただ確かに企業の人事管理にも課題はあり、たしかに大卒は全員幹部候補生で同期間のトーナメント競争というのも企業組織の拡大が停滞しポスト詰まり・仕事詰まりが目立つ中では従来ほどにはうまくいかなくなっているわけで、キャリアが停滞し頭打ちになっている人たちへの動機づけはなかなか頭の痛い問題には違いありません。
これに対してだったら最初からキャリア上昇がゆるやかなスロー・キャリアの働き方を増やせばいいのではないかという意見はかなり以前からあり、実際問題として前述したような専門学校卒の採用というのは多分に(大卒採用に較べて)スローキャリアになる制度にしている、あるいは制度的に明示されていなくても実態としてそのように運用している企業というのもかなりあるのではないかと思います。職業的レリバンス的大学の例として示したものつくり大学も、就職後の職場は工程管理とか設備保全とか、現業部門に近い例が多いという話も聞きます。
つまり、現状では多くの企業が大卒、高専卒、専門学校卒、高卒…と学歴別のキャリア管理を実施しているのではないかと思われ、それは非常に明示的で恣意が入りにくいというメリットがあるわけですが、今後は大卒であってもファストキャリアとスローキャリアに分けた人事管理を行う企業が増えてくるかもしれません。そうなると、職業的レリバンス型大学は(高専〜専門学校卒と同様程度の)スローキャリアの供給源として注目される可能性があります。まあ、このあたり労使で相当に議論が必要でしょうし、そうすぐに変化があるかどうかはわかりませんが…。
ということで、国立大学にはやはりリベラルアーツ・コモンセンス型の人材育成で頑張ってほしいなあと思いますし、なにも自虐的になることなくそうした人材を輩出してほしいと思います。応用ミクロの演習にしっかり取り組んだ学生さんは、職業人として活躍する上で有用なジェネリックスキルをそれなりに習得できるはずだと思いますので。