太田聰一先生

きのうまで週刊東洋経済の「雇用がゆがむ」特集をご紹介してきましたが、当該号の連載コラム「経済を見る眼」では慶応の太田聰一先生が登場され、やはり労働時間規制について論じておられます。

…日本で長時間労働サービス残業が常態化している現状を考えれば、新しい労働時間制度の導入によって、長時間労働による過労や時間当たり給与の切り下げが起こるのではないかという不安を人々が感じるのは当然だ。
 職務範囲が明確に決められていないことの多い日本企業では、一部の人に仕事が集中し、それをこなすために長時間労働が生じている側面もある。報酬と労働時間のリンクを切り離すならば、各企業がどのように適正な業務量を労働者に割り振るか、そしてそれを制度的にどのように担保できるかという論点を無視できないだろう。
 最近の実証研究もそうした懸念が杞憂ではないことを示唆している。山本勲教授(慶応義塾大学)と黒田祥子教授(早稲田大学)の共同論文によると、裁量労働制などにより労働時間規制の適用除外者になることで、当人の労働時間は平均的に数%ほど長くなる傾向があった。もっとも、給与も同程度引き上げられていたので、必ずしも時給が下がるとはいえなかった。
 こうした現象が生じるのは、報酬と労働時間はセットで仕事の魅力度を決めるので、労働時間が長くなった仕事に対して企業は人材確保やモラール維持のために基本給を引き上げるからだと解釈できる。この実証的な知見に基づけば、「残業代がゼロになって生活水準が低下する」という懸念よりも、長時間労働が深刻化する懸念のほうがよりシリアスであるように思える。
 筆者は、日本が国際競争時代に生き残るためには、より柔軟な労働時間制度を持つ必要があるという経営者側の考え方が間違っているとは思っていない。また、労働時間規制になじまない業務への対処は必要だろう。しかし、新しい労働時間制度がもたらす可能性のあるリスクを、あたかも存在しないかのように扱うべきではない。必要なのは、リスクを直視しつつ、そうした事態に対処可能な制度設計を労使の対話の中で練り上げることにほかならない。
週刊東洋経済2014年5月24日号(通巻6526号)「経済を読む眼」

御意。何度も書いてますがどうにも「長く働いても賃金が同じだから効率的に働いて早く帰るようになる」という残業代ドロボー対策的発想から「早く帰れるからワークライフバランス(ry」という議論ばかりが唱えられるので、実証的知見をふまえて議論される太田先生からみれば「リスクをあたかも存在しないかのように扱う」と見えるのでしょう。
前回、2007年のホワイトカラー・エグゼンプションは、その点きちんと考えられていて、年間104日の最低休日規制が罰則付きで設定されていましたし、健康確保措置についても必須とされていました。私自身は年間104日休めと言われたら余計なお世話だと思いますのでこの上限規制はもっと少なくてよい(しかし必要であって、まあ週1日相当=年間52日くらいが適当ではないか)と思っていましたが、最長労働時間規制はともかく、適用除外にするなら最低休日規制は必須だろうとも思います。このあたりも含めて、太田先生が言われるとおり、労使の対話の中で練り上げていってほしいと思います。