読者の方から、城繁幸氏がWEBRONZAに寄稿した「公務員給与は国民の望むまま、いくらでも引き下げて構わない」という記事(http://astand.asahi.com/magazine/wrbusiness/2011052600012.html)に対する見解を求められましたので見てみたところ、おもむろに「人事の専門家の立場から」とか書かれていてコーヒーを吹いた件(笑)。ご依頼のメールには「公務員です」とありましたので、アンチ城氏と目される(実は意見が共通する部分もあるのですが)私に批判をしてほしかったのかなあと思ったのですが、それにしても見解を求めるなら全文をコピペして送ってくださいよこんなもんカネ払って読む気にはなりませんから(いや読んでないからこれがどんなもんかわからんのではありますがWEB論座全般について)。
ということで放置していたのですが、城氏のブログを見ていたらこの記事が紹介されていて「以前、ブログに書いたものとほぼ同じ」とあり、実際5月17日には「公務員の賃金をいくら引き下げても構わない理由」というエントリ(http://blog.goo.ne.jp/jyoshige/e/cfe86d13b5103d8cf8e1b72a3e754a0b)も立てられていましたので、これについて見解を述べたいと思います。これでよろしいでしょうか>依頼者の方。読者の方のご要望にはなるべくお応えしたいと思っております、なんてほとんど要望されないから言えるんですが(笑)。
さて城氏がなんと書かれているかというと、まずはWEBRONZAのタダで見られる冒頭部分をご紹介しますと、
公務員給与の10%引き下げが話題となっている。個人的には、20%引き下げをマニフェストにしているのだから、民主党はこの機に20%下げるべきだと思うが、まあとりあえずは評価したい。
ところで、公務員労組の一部や労組より論者の一部から、安易な公務員人件費の引き下げに反対するオピニオンが出ていることが気になる。というわけで、人事の専門家としての立場から、筋を一本通しておきたい。
まず、そもそもの大前提として、自由主義経済である我が国においては「モノの値段はかくあるべし」的な絶対的、普遍的基準のようなものはありえない。これは賃金も同じで、生活給が云々といった議論はすべてなんの根拠もない。
では、どうやって賃金水準が決まるべきか。
細かい話をすれば民主党が公約したのは給与の20%引き下げではなく総人件費の20%減ですし、「安易な公務員人件費の引き下げ」ってこれは安易なんですかとかいった突っ込みも可能ですが、まあ本筋には大きな影響はないでしょう。
「「モノの値段はかくあるべし」的な絶対的、普遍的基準のようなものはありえない」というのはリベラルな私も全力で同意するところですが、ただ生活給云々に「すべてなんの根拠もない」というのは極論で、仕事や働き方によっては生活給を上回る水準を提示しないと人が集まらないだろうとか、値付けにあたって考慮の対象にするのは各企業の勝手でしょう。
さて以降は城氏のブログのエントリです。
お馴染み、国家公務員一般労働組合のサイト“すくらむ”http://news.livedoor.com/article/detail/5557641/がアクセル全開で飛ばしている。
例のごとく長文だが、要約すると実にシンプルだ。
「俺たち公務員の賃金を下げると、消費が下がって景気が悪くなるぜ」
民間の人にはあらためて説明する必要も無い常識ではあるが、人件費の原資というものは有限であって、まずは稼がないといけない。稼げない分際で要求したって無いものは無いので払えない。だから普通の民間人はこういうみっともない要求はしない。
逆に言えば、公務員の労組がこういう要求を臆面も無く出してくるということは、そういったコスト意識が皆無だという裏返しだろう。
ただし、実は彼らの主張にも一部の理はある。
恐らく、彼らが怒っているのは「なんで震災と直接関係ないのに、我々の賃金がカットされなければならないのか」という点だろう。
それは正しい。少なくとも公務員のせいで地震が起きたわけではないし、原発事故も彼らノンキャリとは関係ない。
一部の政党が言うように「財政難なのだから、彼ら公務員の賃金をカットすべきだ」という声もあるだろう。では彼らの賃金が国際的にみて高いかというと、総額でみれば必ずしもそうではない(この点、前半の主張は部分的に正しい)。
というわけで、「なんで(国際的にみて)高くもない賃金を、震災理由でカットされにゃならんのだ」という思いは、実は間違いではない。
http://blog.goo.ne.jp/jyoshige/e/cfe86d13b5103d8cf8e1b72a3e754a0b
「一部の理」というのは「三分の理」か「一理(ある)」でしょうというのにまず突っ込みたくなったので突っ込んでおきます(笑)。まあ意味はわかるので揚げ足取りです。
まず城氏が批判する「国家公務員一般労働組合のサイト“すくらむ”」のエントリはたしかになかなかの代物で私の印象も「ダメだね」というものですが国公一般のやることだから致し方ないのかな(つまり悪いと言いたいわけではない)。これは私には「お馴染み」でもありませんし関心もないのでコメントしません。とりあえず、賃金を下げれば個人消費ひいては景気に悪影響が及ぶというのはいたって常識的な議論でしょう。
さて城氏の文章ですが、「民間の人にはあらためて説明する必要も無い常識ではあるが、人件費の原資というものは有限であって、まずは稼がないといけない。稼げない分際で要求したって無いものは無いので払えない。だから普通の民間人はこういうみっともない要求はしない。」というのはレトリックを利かせすぎな感はあり、稼ぐまでもなく株主の分け前を減らして俺たちによこせという主張をする民間人はけっこういたりします(政治家にもいます)。まあ城氏にしてみればそういう人は「普通の民間人」ではなく、業績低迷化ではベア要求を見送るのが「普通の民間人」の「みっともな」くない要求だということなのでしょう。
あと、一応「総額でみれば」と断っているので、さすがに城氏は国公一般のように総額と単価の区別がつかない人ではないようですが、だったら「実は間違いではない」とか言ってはいけないでしょう。「間違いではないかもしれない」とかしておけば十分以降の議論につながります。
ただし、日本と海外では、一つ重要な違いがある。
海外は職務給という仕事に値札がつくシステムであり、程度の違いはあれ労働市場は流動化しているという点だ。つまり、公務の給料というのも労働市場とリンクしていて、「それ以上引き下げたらみんな転職して業務が成り立たない相場」というのが存在している。
そういう市場の洗礼を受けた上で成立しているのが「GDP比〇%」という数字なわけで、この数字にはきちんとした正当性がある。
一方、日本は職能給という属人給であり、市場価格ではないから、属する組織の格がモノを言う身分制度だ。つまり「公務員という身分に対し、国民がいくら払う価値があると考えるか」が唯一の正統性なのだ。
だから、国民が賃下げしろと言えばするしかないし、公務員賃金半減を掲げる政党が政権をとれば5割カットするしかない。
このあたり、国公一般の「大きな政府か小さな政府か」的な妙な土俵に乗ってしまったせいか、いささか議論が混乱しています。
まず、わが国においては国家公務員の賃金水準は人事院勧告制度によって民間準拠で決まっていますので、一応は労働市場とリンクしているといえます。
「GDP比○%」というのは人件費総額の話ですから、賃金水準とともに公務部門の規模にも依存します。現在議論されているのは賃金水準の話で、免職で人件費をカットしようという話ではとりあえずないはずなので、総額は直接の関係はありません。
また、公務部門の規模も賃金水準も基本的に各国とも法律で決まっているわけで、民主的に選出された国会が決めたのであれば手続的な正統性はあります。「それ以上引き下げたらみんな転職して業務が成り立たない相場」は日本にもあるでしょうし、国会が国家公務員の賃金水準を決める際にはそれも考慮されているのではないかと思います。選挙結果を通じて「国民が賃下げしろと言えばするしかないし、公務員賃金半減を掲げる政党が政権をとれば5割カットするしかないというのは日本も海外も同じ事情であって特段の違いがあるわけではありません。さらにいえば「属する組織の格がモノを言う身分制度」というのも、日本が際立って特徴的というわけではなく、むしろ海外と較べればそうした色彩は薄いというのが現実だろうと思います。まあこのあたりはモノの見方にもよりますし、以降の論旨に大きな影響はありません。というかさすがにWEBRONZAのほうは編集が介入してまともな内容にしていると思います、と思いたい。
本来なら、彼らは労働市場にアクセスし、転職という武器を使って賃金水準を維持するのが筋だ。
でも「派遣の規制と正社員化」というアホな提言を見ても明らかなように、彼らはあくまで身分制度を死守する構えのようだ。
「賃金下げたら景気が〜」などという噴飯モノの言い訳は、「辞めるぞコノヤロー」と言うに言えない窮状から絞り出された屁理屈に過ぎない(屁理屈にすらなっていないが)。
公務員と言う身分を死守し、それに殉じたいという彼らの志を、我々は尊重してあげよう。
というわけで、この未曽有の危機に際して、我々有権者は心おきなく、彼らの賃金カットを要求しようではないか。
イヤなら転職すればいい。転職できないなら、転職できるような社会を作れ。
転職という武器を取る気が無いなら、そう遠くない将来、公務員は絞られるだけ絞られる存在になるはずだ。
もちろん「転職という武器を使って賃金水準を維持するのが筋」というのもそのとおりなのですが、労働条件に不満がある場合の対応としてはexitのほかにvoiceというものがあるということは人事管理や労使関係の常識と思っていいはずで、ですから国公一般がああいう主張をすること自体は大いに筋が通っています(内容が筋が通っているかどうかは別問題です)。たしかに国家公務員は交渉権が制約され争議権が与えられていないので民間に較べるとvoiceに限界があることは事実ですが、それにしてもexitだけが筋であってvoiceは筋が通っていないなどということを「人事の専門家」が主張するのはそれこそ噴飯ものであり、国公一般に笑われますよ?…と思ったら国公一般は国公一般で「公務・民間を問わず、働くものの暮らしのリアルや、日本の貧困問題のリアルを一切見ようとしてない(もしくは眼中に一切無い)城繁幸さんらしい物言いだ」とかいうピンぼけな反応をしていてもうどいつもこいつもこらこらこら。
さて派遣と正社員の格差を指して比喩的に「身分制度」と表現するのはレトリックとしてはありだと思いますし、また実際にあちこちで用いられていますが、派遣の正社員化を主張することをもって「身分制度を死守する構え」と述べるのは人事担当者ではない私には理解できないものがあります。
また、国公一般はとりあえず給与10%カットに対して不満を述べているのであって、なにも「公務員と言う身分を死守し、それに殉じたい」とまでは言っていないように私には思えます。10%カットならおそらくは不満を述べるにとどまり、転職などそれ以上の強硬手段に出る人は少ないでしょう(実際国公連合はこれを受け入れているわけですし。国公労連は徹底抗戦するのかな)。これがたとえば半減とかいう話になれば城氏に言われなくても転職する人が多数出てくるでしょうし、それで行政サービスが滞れば困るのはわれわれ国民です。さすがにそれでもかまわないからジャンジャン公務員の賃下げをやれと要求する有権者は少ないのではないでしょうか。
ですから、まあ城氏のいう「イヤなら転職すればいい」というのはそのとおりで、実際問題あまり絞ればイヤになって転職するでしょうから、エントリタイトルのように「いくら引き下げてもかまわない」というわけには参らなかろうと思います。逆にいえば、逃げ出さない範囲であれば絞っても困らないという話でもあり、それがどの程度なのかはまあわかりません。どの程度なら困ってもいいのかは国民の選択であり、その点WEBRONZAのタイトルの方は「国民の望むまま」となっているので、これはこれで正しい表現ということになるでしょう。なんか城氏のブログは追加のエントリもあるみたいなので明日に続きます。