公務員の給与はいくらでも引き下げられる?(続)

さて昨日の続きです。城氏のブログの5月22日のエントリ「訂正:公務員は別に流動化しなくてもいいです」は昨日ご紹介したエントリの続編らしいので、ここでも取り上げてみたいと思います。
http://blog.goo.ne.jp/jyoshige/e/e3ad8b0a11acf9c195d542929f8b86d0
まず財政の状況からみて将来の相当幅の消費増税は不可避であり、その際には国民を納得させるために公務員の賃金が大幅に引き下げられようとするだろうとの予測が述べられます。その上でこう続きます。

 というわけで、今後の中期的なトレンドとしては、公務員の賃金はほっといてもどんどん下げられるはずです。で、唯一の武器は転職市場へのアクセスしかないという話を書いたんですけど、脊髄で反応しちゃう人にはわかんないみたいですね。
 もちろん「もともと終身雇用という特権を持たず、クビになるリスクを織り込んでいる他国の公務員」と比べて云々するのは、まったくもってナンセンスです。
http://blog.goo.ne.jp/jyoshige/e/e3ad8b0a11acf9c195d542929f8b86d0

相変わらず「唯一の武器は転職市場のアクセス」などと言っていて愉快ですが、「「もともと終身雇用という特権を持たず、クビになるリスクを織り込んでいる他国の公務員」と比べて云々するのは、まったくもってナンセンスです。」というのは国公一般が他国との比較で反論したからのようです。で、これはだいたい城氏のいうとおりで、国際比較するのであれば行政サービスのカバーする範囲や質・量と、雇用の安定も含めた総合的な労働条件を考慮する必要があり、私はナンセンスとまでは申し上げませんが相当に難しい仕事であることは間違いありません。

 これから彼らは、終身雇用の本当の恐ろしさを思い知ることになるでしょう。
 担当する仕事は以前と何ら変わらないのに、ある日突然、給料が下がる。それも毎年、下がり続ける。
 合理的な説明もなく、個人の努力で挽回することもできない。
 市場価格を持たない人間は、組織と運命を共にするしかありません。
 終身雇用の不条理さは、色々な人が様々な場で訴えてきたことです。
 自らの身をもって経験することで、彼らも雇用問題を構造的に考えるよい機会になるんじゃないでしょうか。
 まあ一般国民的には、身動きできないように縛りつけといてゴリゴリ削るというのがおトクなわけで。
 僕はどっちでもいいかな。別に公務員じゃないし。

あなた公務員の給与が下がるのがそんなにうれしいんですかという感じですが、まあ長期雇用憎しで凝り固まっている城氏にして喜ばしいことなのでしょう。
で、きのうも書きましたが「市場価格を持たない人間」とは言ってもゼロ円ではないわけで、市場価格より下げれば転職が起こります。一定規模になれば当然ながらこれまで提供されてきた公共サービスが提供されなくなり、必要であれば国民は手前の財布からカネを出して民間サービスを買うなり、自分でなんとかするなり、あきらめるなりするしかない。それでもいいから公務員の給与を下げろ下げろもっと下げろという人も、まあ損得は個人によって異なるでしょうからいることはいるでしょうが、社会の大勢にはなりにくいでしょうね。

追伸:
 一応、日本は自由主義経済なので、世の中のすべてのものは市場価格で決まっている。
 買い手と売り手の折り合う価格という意味だ。これは賃金も同じ。サービスの買い手である国民が値下げしろと言えば下げるしかなく、イヤなら転職するしかない。サービスと価格の折り合ったところに、適正価格が形成されるわけだ。

いや市場価格というのは十分多数の参加者がある市場で形成されるわけで、国民全体と公務員全体という一対一の関係においては市場価格の形成されようがありません。民間において労働力の買い手である使用者が「賃金を下げるぞ、イヤならクビだ」というのが平気でまかりとおる社会というのは、城氏はお好きかもしれませんが大多数の人にとってはいかにもヤバい感じのする姿であり、したがって労働基準法や労働契約法、最低賃金法などのルールが定められています(それがけしからんと城氏が主張されるのはご自由です)。国家公務員の給与は基本的に国民の意思で決まるものではありましょうが、しかし同様にいくら下げてもかまわないというものではなく、下げるぞというのであれば対抗手段として労働基本権の拡大が必要でしょうし、現行はそれはしたくないから人事院勧告で決めるしくみが導入されているわけですね。

 そこに「いくら支払われるべきだ」とおかしな“べき論”をつけた結果、派遣切りという人災が拡大したわけで、いい加減おバカな空論こねてないで現実を直視しなさい。

「おかしな“べき論”」の内容が不明なのでこの部分にはコメントできません。国公一般がそんなことを言っているのかなあ(調べる気がしない)。したがって派遣切りとの関係も不明です。まあ国公一般に向かってそんなこと言ってもなあという感はありますが。
ということで初めに戻って、6月2日のエントリ「朝日のWEBRONZAに「公務員給与は国民の望むまま、いくらでも引き下げて構わない 」を寄稿しました。」のこの記載になります。
http://blog.goo.ne.jp/jyoshige/e/1ecac33e20cb02b1162621092f9d531a

 内容は以前、ブログに書いたものとほぼ同じだが、末尾の重要な部分を抜粋しておこう。

 筆者自身の判断で言えば、公務員の給料は高いとも安いとも言えない。
 筆者は、双方に武器を渡すつもりだ。国民には「民間企業や他国の給与水準と比較するロジックは無意味だ」という武器を、そして公務員労組には「転職市場へのアクセス」という武器を。
 双方が全力で戦い、最後に残るのが適正価格だろう。
 そういう努力をしないまま、そういう努力をした人達と同じだけ貰いを要求するのは、卑しい品性であるとだけ言っておこう。
http://blog.goo.ne.jp/jyoshige/e/1ecac33e20cb02b1162621092f9d531a

ふーむ、どうやら話を国民対公務員のバトルに仕立て上げているようですね。竹原信一ですか。いや城氏は竹原さんが好きかもしれないな。
「他国の給与水準と比較するロジックは無意味」というのは、まあまったく無意味かどうかはともかくさほど重視はできない(中国と比較するわけにはいかんよね)と私も思います。いっぽう、前にも書きましたが民間企業と比較するロジックは労働基本権を制約している以上は不可欠であり、そんなもの渡されても国民は困ると思います。いや城氏がそれは無意味だと主張されるのはもとよりご自由ですが、「人事の専門家」らしい主張とは思えませんが…。
で、転職市場へのアクセスなんて今でもできるわけですから城氏が渡すまでもなく持っているわけで、全力で戦えというなら全力で戦わせないしくみになっている現状を改めろと労組は言うでしょう。私はそれには反論が難しい(できないとは思わないが)と思いますし、そこを議論するのであればまともな議論ではないかと思います。