産労総研の「賃金事情」誌に連載している「労働政策・考」の第4回で、2007年11月5日号(No.2530)に掲載されました。以下に転載します。
今年度から、厚生労働省が「70歳まで働ける企業」推進プロジェクトをスタートさせました。昨年5月に発表された再チャレンジ推進会議の中間取りまとめが「誰もが意欲と能力を活かして働ける全員参加型社会の実現を図るため、…「70歳まで働ける企業」の普及促進を進め、最終的には定年制のない「いくつになっても働ける社会」を目指す」としたことを踏まえた政策のようです。
たしかに、多くの人は定年の前日まで就労しており、定年年齢に達したからといって突然働けなくなるわけではありません。素朴に考えれば、一定年齢で退職するという「定年制」は高齢者の雇用促進のためにならないということになるかもしれません。
とはいえ、「定年の前日まで」就労するためには、それまでに労使双方がそれなりに努力を傾けていることを忘れてはなりません。人にもよりますが、一般的には加齢にともなって体力や視力などが低下することは避けられず、50歳過ぎから半ばくらいでそれまでの仕事が体力的に厳しくなることも多いでしょう。これまで、日本企業ではこうした人たちに対し、たとえば設備投資で負担を軽減したり、身体的負担の軽い仕事に配置転換したりするなどして(多くの場合賃金は変えずに)対応してきました。もちろん本人も新しい設備や新しい仕事に適応したり、暮らしの中で健康に注意するなど、労使双方が「なんとか定年までがんばろう」という目標を共有して努力してきたわけです。定年制がなくなったとすると、労使ともにこうした目標を喪失することとなり、結局は体力的に従来の仕事ができなくなった時点で、場合によっては60歳以前でも退職を余儀なくされることになりそうです。それを考えると、定年制がなくなることが本当に高齢者の雇用促進に資するかどうかは疑問があります。
これに加えて、定年制があることによって、働く人は「自分が60歳のとき、一番下の子どもは18歳だから」といった計画的な生活設計が可能となりますし、企業も要員計画の策定が容易になるなどのメリットがあります。また、退職のあり方も、定年制がなくなると「もう働けないんだから、いいかげんにやめてはどうか」と周囲から思われながら寂しく去っていくという形が多くなるのではないでしょうか。それに較べ、定年退職であれば「定年おめでとう」と周囲に言われ、花束と感謝状をもらって、事実はどうあれ「惜しまれて」退職することになります。長年勤続した企業を去るにあたって、どちらが幸福かは言うまでもないでしょう。自分の「引き際」を自分で決めるのは多くの場合非常に難しく、そのときに「年齢」は比較的納得のいきやすい基準なのです。
定年制を年齢差別として禁止すべきとの議論もあります。たしかに、ある時点での年齢はいかに努力しても変えようはありません。しかし、年齢はおカネで買えるものではなく、老若男女、貧富その他を問わず人間だれしも1年に1歳ずつ加齢するという意味できわめて公平であり、同じく生存していれば誰にでも20歳のとき、60歳のときは訪れるという意味ではきわめて機会均等でもあります。客観性にも優れており、定年制などの年齢による人事管理が禁止すべき差別にあたるのかどうかはかなりの議論の余地があるでしょう。
定年制にはメリットも多く、日本の社会にもしっかりと定着しています。いっぽうで、多くの企業が定年後再雇用や継続雇用を制度化しています。高齢者は個人差が大きいことを考えれば、必ずしも現職・現社継続に限らず、幅広く多様な就労を検討する必要もあるでしょう。そう考えると、高齢者の就労拡大には「定年制のない社会」ではなく、平成15年の厚生労働省「今後の高齢者雇用対策に関する研究会」報告にもあるように「定年制を活用しつつ高齢者の雇用機会の確保を図る」ことが望ましいのではないかと思われます。