福井秀夫・大竹文雄編著『脱格差社会と雇用法制』

「キャリアデザインマガジン」第68号のために書いた書評を転載します。

脱格差社会と雇用法制―法と経済学で考える

脱格差社会と雇用法制―法と経済学で考える

なお、文中の「労働法学者による批判」については、日本労働弁護団の機関誌「季刊労働者の権利」270号(本年7月発行)の特集「解雇規制をあらためて考える」をもとにしています。一般的な特集名がつけられていますが、内容は錚々たる労働法学者を動員して、全面的にこの本に対する反論を展開するというものです。ご関心のある向きはどうぞ。それほどおすすめはしませんが、議論の雰囲気は伝わると思います。
以下転載です。
 この本が昨年末の発刊以来、多くの論争を呼んだことは周知であろう。論争的な本であるだけに興味深い内容を多く含んでいるが、それだけにまことに毀誉褒貶が多い本でもある。
 この本には「法と経済学で考える」という副題がある。近年、わが国では労働法学者と労働経済学者のコミュニケーションを通じた労働分野における法と経済学の展開が本格化しており、その成果としては、たとえば日本労働研究機構(2001)『「雇用をめぐる法と経済」研究報告書』や日本労働研究雑誌491号(2001年6月号)の特集、あるいはそれをもとにした大竹文雄大内伸哉山川隆一編(2002、増補版2004)『解雇法制を考える―法学と経済学の視点』などがある。
 ただし、この本はそうした流れの上に位置づけられるものではなさそうで、むしろ法と経済学の本家・米国流に近い、「経済学の手法による法学の(一方的な)批判」といった色彩が強いように思われる。これはおそらく、編者のひとりである福井秀夫氏の先鋭的な市場主義・自由主義志向が強く反映したものと推測されるが、となると法学者からの反発が強いのも当然であろう。
 さて、この本に対する批判は大別して2つあるようで、ひとつは執筆者が労働問題の専門家でなく、したがってわが国の労使関係や労働市場に関する理解を欠いているというものであり、もうひとつは労働法に関する誤解や知識不足を指摘するものである。前者に関しては、実務家の立場から読むとこの本の著者たちが人事管理や内部労働市場に対して著しく過小評価にしているのはまことに実感にあわない。たしかに、内部労働市場は外部労働市場に較べて効率性の面で劣るところはあるかもしれないが、人材育成などの面で優れている部分も大きい。そうした中でなるべく効率的に人事管理を進めようという実務家の多大な努力が一顧だにされていないに近い扱いを受けていることはなかなか納得できないというのが率直なところだ。まあ、序章から9章までの全10章のうち、労働問題の専門家が執筆しているのは半数に満たない4章しかないのだから、それはそれでこの本の特徴として受け止めるべきものなのかもしれないし、それゆえに興味深い内容も豊富なのだが(たとえば、私には「最終提案択一的手続き」について紹介した太田論文はたいへん勉強になった)。
 いっぽう、後者はといえば、たしかに誤解や知識不足にもとづく議論は好ましいものではないが、この論法が行き過ぎると法学者でなければ法律の議論はできないという閉鎖性に陥りかねない。法学者としては八田論文が「解雇規制はすでに雇われている人の既得権を守るという意義があり」と述べていることに憤懣やるかたないだろうが、一流の経済学者がそう「誤解」しているということは、世間に広くそうした「誤解」があるのだということをきちんと受け止める必要はあるだろう。あるいは、「はじめに」で福井氏が述べているように、法学者が「「正義」や「弱者」といった反証不能な基準」によって経済学を批判するときに、経済学者もまた類似の感情を持っていることも受け止める必要があるのではないか。
 大切なのは、一方による他方の一方的な批判を応酬することではなく、対話を通じて相互理解を進め、互いの専門性を補完しあうことを通じて、「法と経済学」のより実りある議論を深めていくことだろう。この本にはそうしたスタンスがあまり感じられないのが残念なところだが、これはこれとして、法学者と経済学者の対話の気運自体は衰えてはいないだろう。度量と寛容をもって建設的な議論が進むことを期待したいところだ。