「企業の社会的責任」ではありましょうが…

きょう、役所の会合で「高齢者雇用対策について」学識をまじえて労使のメンバーでディスカッションしてきました。具体的な政策メニューを議論するという生臭いものではなく、今後の方向性という漠然としたテーマで自由に議論するというものです。
そういう話なので労使でそれほど意見の相違があるわけでもなく、年金支給開始年齢が引き上げられるのにともない、それまでの生計費を維持するために就労を促進する必要があることはもちろん、基本的には定年前と同じ企業、職場、仕事で継続就労することが好ましいということもおそらく共通認識でしょう。
労組の人は、希望すれば必ず年金支給開始まで就労できるよう、継続雇用、できれば定年延長を法的な権利として確保すべきだという意見で、たしかにそれがいちばん安心でしょうから、労組の立場ではそう望むのは当然です。いっぽう、経営サイドにしてみれば、景気や業績の動向によっては定年前の仕事についていけなくなった人まで全員を継続雇用することは困難なことも考えられるということで、必ずしも同一企業ではなく、他企業、あるいは労働市場全体での雇用確保をはかるべく政策対応(教育訓練や移動支援など)をはかるべきだという意見に当然なるわけですが、これもそれほど大きな隔たりということではなさそうです。私個人としては、民間で就労機会が十分確保できない場合には、就労にこだわるのであれば公的部門で雇用機会を提供するということも考えるべきではないかと発言しておきました(就労にこだわらなければ福祉的な金銭給付でもいいわけで、ここは価値観如何の問題です)。実際、高齢者雇用はそれほど長期にわたる必要はないわけで、行政の臨時的な必要に充当するというのは十分考えられる方策ではないかと思うのですが、出席していた行政のメンバーは狐につままれたような表情でしたが…。
それから、労組の人は賃金のこと(継続雇用の賃金が定年前に較べて大きく下がるとか)をあれこれ言っておられましたが、これは経営サイドからみれば分配(賃金論的には配分)の問題に過ぎないので、それほど議論するほどのものではないでしょう。要は「定年前の人への配分を減らして継続雇用への配分を増やす」ということについて組合員の総意でコンセンサスができれば、それを経営が拒むことは比較的考えにくいのではないかと思います
むしろ、労組の人の意見で気になったのは、しばしば「企業の社会的責任として」年金支給開始までの生計費確保(就労)を実現すべきだ、という発言が見られたことです。まあ、企業の社会的責任というものは当然あるのでしょうが、それを労組がこうも持ち出すというのがちょっと…。いっぽう、労組の人は「これから労働力人口が減るのだから高齢者にいい条件を出して働いてもらわざるを得なくなる」とか「18歳から60歳まで働いて貢献した人を、継続雇用制度があるのに60歳で退職させて無収入にすることなんかできない」とも発言していて、これはまことにそのとおりだと思うのです。ですから、各労組はそれぞれ経営者に対してそう言えばいいのではないかと思うわけです。個別労使であれば具体的な課題は見えやすいですから、比較的容易に現実路線で合意を形成することも可能でしょう。そうした成果を積み上げていくことで相場を作り、労働条件の改善を広げていくというのが労働組合の運動論として正論ではないかと思います。もちろん、それはそれでしっかりやっているということかもしれませんし、そもそも余計なお世話だといわれればそのとおりではあるわけですが…。