吾妻橋氏と高年齢者雇用

 先週の記事なのでかなり旧聞ではあるのですが、9月21日の日経新聞朝刊「大機小機」欄に、常々労働・社会保障問題について鋭く論じる「吾妻橋」氏が登場しておられましたので、ご紹介かたがた感想を書こうと思います。お題は「改革を忘れた高齢者雇用対策」です。

 安倍政権の労働政策は、痛みを伴う制度改革に踏み切るのではなく、首相が経団連に賃上げを求めるなどの市場介入型が目立つ。またひとつ、市場介入型が加わるようだ。企業に対する再雇用義務を、現行の65歳から70歳に引き上げることが報道された。
 年金財政が逼迫するなかでは、年金支給開始を70歳に引き上げることは避けて通れない。労働力の不足が続く以上、高齢者の雇用機会の整備も当然、必要だ。しかし、多くの矛盾を抱える現行の雇用慣行を前提に、更なる高齢者の雇用を企業に義務付けるのは安易すぎる。
 個人の仕事能力の差は年齢とともに拡大する。定年後も現役以上に働ける者がいる半面、意欲に乏しい者も少なくない。そもそも、年齢を理由に一律に解雇する定年制は、多くの先進国では「年齢による差別」として禁止されている。この定年制を放置したまま70歳まで一律に再雇用することは、悪平等主義だ。
 終身雇用のもとでは、大企業に入社すれば定年まで高賃金が保障される。再雇用義務を70歳に延長すれば、中小企業や非正規社員との生涯賃金格差はさらに拡大する。雇用の流動性も損ね、活力の乏しい社会を生み出すだけとなる。
 現行の働き方を企業が改革しようとする場合には、既存の働き方を前提とした退職金優遇税制や、裁判官の恣意性の大きな判例が障害となる。これを多様な働き方に対して中立的な仕組みに改革することが、政府の本来の役割である。
 そのためには、過度に勤続年数に捉われない同一労働同一賃金を徹底し、少なくとも40歳代以降の年功賃金を抑制することが必要だ。また、仕事意欲の乏しい社員を十分な金銭補償によって解雇できるグローバルスタンダードの紛争解決ルールも導入すべきだろう。こうした施策で、企業が定年制を廃止できる環境を整備することが、高齢者雇用を促進する基本である。
 もっぱら企業の負担で高齢者の雇用を維持する政策は労働組合などからの反発も受けず、政権維持には都合がいい。しかし、せっかくの長期安定政権が、高齢化に対応した抜本的な改革につながらないなら残念というほかない。後世「失速したアベノミクス」との烙印を押されないだろうか。

 全体を通じてみると、今回はなぜかきつめの表現が目立つので言い過ぎ感がかなり漂っているのですが、問題提起と方向性は基本的には的確だろうと思います。あとは現実・実態に配慮しながら実際にどう進めていくのかという具体的な方法論が重要でしょう。
 ことの発端は安倍首相が日経新聞のインタビューで「評価・報酬体系の整備を進めて65歳以上への継続雇用年齢の引き上げを検討する」という発言で、それを受けて未来投資会議と経済財政諮問会議で検討する方針が打ち出されたと報じられています。吾妻橋氏も指摘するとおり「年金財政が逼迫するなかでは、年金支給開始を70歳に引き上げることは避けて通れない。労働力の不足が続く以上、高齢者の雇用機会の整備も当然、必要だ」ということになるでしょう。特に年金財政上は現在では給付を受けている60代後半が保険料を負担する方に回るわけで、入りと出の上下で効いてくるのでその効果は大きいものがあります。
 とはいえ、現状の65歳継続雇用義務を単純に70歳まで延長するのはさすがに無理があるとしたものでしょう。現状の定年後5年であればまだしも、10年間も再雇用でつなぐというのは人事管理上も難しいでしょうし、吾妻橋氏も指摘するとおり高年齢者の多様性に適切に対応することもできないでしょう。年功賃金を維持したままでさらに雇用義務を延長するのは無理だというのもご指摘のとおりだと思います。まあ悪平等だというのはやや厳しい表現だとは思いますし、定年制を前提しながら「終身雇用」という語を用いるのは吾妻橋氏にしてはめずらしい誤用ですが(過去何度も書いていますが現行程度の定年がある以上は終身≒死ぬまでではない)、これはまあ編集が介入して人口に膾炙した語に差し替えたのかな。あるいは氏ご自身が空気を読んだのかもしれません。
 いずれにしても、60代後半の多様性に対応するには60歳まで雇われていた企業で雇われ続けるという選択肢だけでは不十分なことは容易に推測され(現状の60代前半でも困難があるという声あり)、それを考えると過度に年功的などの足止め効果のある賃金制度は修正すべきでしょうし、雇用の流動性を損ねることが望ましくないこともご指摘のとおりです。退職金優遇税制も見直しが必要でしょう(まあこれについては経済界はかつて拡充を求め続けてきた経緯があるので自業自得ではあるのですが)。「裁判官の恣意性」に関しては労働事件の個別性・多様性を考えるとかなりの程度はどうしても存在せざるを得ないだろうと私は考えますが、もちろん予見可能性が高いほうがいいという一般論には賛同するところです。まあ現実的には労働審判などのADRを拡充して裁判所に持ち込まれる前に解決できる道筋を増やすのが適切だろうと思います。
 「過度に勤続年数に捉われない同一労働同一賃金を徹底」という一見すると不思議な文もそうした文脈であれば理解できるわけで、要するに今般の働き方改革で提起された日本型の「同一労働同一賃金」、職務給的な均等ではなく均衡、バランスを重視した「同一労働同一賃金」を徹底するという趣旨であれば、なるほど「少なくとも40歳代以降の年功賃金を抑制することが必要」ということになるでしょう。
 続く「仕事意欲の乏しい社員を十分な金銭補償によって解雇できるグローバルスタンダードの紛争解決ルールも導入すべき」というのは、連合などが「手切れ金解雇ガー」と反応しそうなところですが、この文脈であれば十分に理解できるものです。つまり吾妻橋氏は前段で「個人の仕事能力の差は年齢とともに拡大する。定年後も現役以上に働ける者がいる半面、意欲に乏しい者も少なくない」と書いているわけで、高年齢者の多様性に対応するための方法論としては十分考えられるだろうと思うわけです。60代前半の継続雇用を検討する際にも議論がありましたが、企業は必ずしも就労させることを要するとするのではなく、適切な水準のつなぎ年金の支給と言った金銭的な対応も可能としようという話ですね。これはさらに多様性の増す60代後半ではより可能性も大きくなる話であり、実際、人によっては働き続けなければ収入がなくなるよりはつなぎ年金を受けられるほうがありがたいということも十分ありうるでしょう。これも「金銭補償によって解雇できるグローバルスタンダード」とかいうキツい表現をするから反発を招くのではないかなあと余計なお世話を書く私。なお私としては金銭解決についてはまず「解雇不当の場合の解決手段の多様化」だと思っているのですが、経済学的には不当であってもなくても変わりはないということであるらしく、まあそうなのかもしれません。私としては不当か否かは解決金の水準に影響する可能性があると思っているので現実社会ではまた話が違うのではないかなどと思っているわけですが。
 「企業が定年制を廃止できる環境を整備することが、高齢者雇用を促進する基本」というのは、こちらは経済界からの反発がありそうな主張ではありますが、まあ生涯現役社会とか、なるべく高齢まで働き続けることができるとかいう理念としてはそのとおりなのでしょう。ただし具体論としては段階的な取り組みは必須なはずで、私としてはまあまずは65歳定年が第一段階じゃないかなあと思います。現状でもすでに本人が望まない限りは65歳継続雇用が義務化されて5年以上経過しているわけで、それなりに運用も安定してきているでしょう(そういえば「未来投資戦略2018」には定年後継続雇用の処遇の在り方とか書いてあったな)。これができれば定年後5年の再雇用で70歳という道筋も見えてくるわけで、65歳の時と同様にまずは労使による基準制度を活用するなど段階的に進めていくことが望ましいと思います。もちろん、60代前半以上に多様性が大きいことを考慮すればさらに幅広い取り組みが必要であり、企業間移動や雇用によらない働き方による仕事の確保のための施策や、上記のようにつなぎ年金などの雇用以外の方法も検討されるべきだろうと思います。でまあやはり同様に全員70歳継続雇用→70歳定年と進んで、定年制廃止はまあその先の話じゃないかなあ。なおこれについては当然ながら使用者サイドが持ち出す話でもない(まあ労働力不足の問題はあるので持ち出されれば乗り目は大きいと思いますが)ので、まずは労働サイドが精力的に取り組むことを期待したいと思います(いや余計なお世話ですしとっくにやっているという話かもしれませんが)。
 でまあ最後まで「「失速したアベノミクス」との烙印」と手厳しい表現が続くわけですが、まああれかな首相が唐突に市場介入型の方針を打ち出したので若干憤慨されているのかな。まあわからないではない。なお最後に吾妻橋氏とは関係ありませんが一言書いておくと上記のように報道によれば未来投資会議と経済財政諮問会議で検討する方針とのことなのですが、これどちらも労働界の人が入ってないんですよねえいいのかしら(経団連会長はどちらも入っている)。まあ実際の議論はワーキンググループとか作業部会とかを作って労使が加わって詰めていくのだろうとは思いますが、いや本当にいいのかそれで