朝日的社説

夏の全国高校野球佐賀北高校が優勝しましたが、公立校の優勝というところが気に入ったらしく朝日新聞が社説で賞賛しています。お題は「佐賀北優勝 普通の高校生たちの快挙」。

 全国高校野球選手権大会で、参加4081校の頂点には佐賀北が立った。公立高校が深紅の優勝旗を手にしたのは、96年の松山商以来になる。
 超高校級と呼ばれるような選手はいない。地元佐賀の中学から集まった選手ばかりだ。野球特待生の制度は設けていないという。学校側から出る部費も年60万円程度で、バットや球を買えばすぐ終わってしまう。そんなごく普通の高校生による快進撃が新鮮だった。

 高校野球の選手を取り巻く環境は、一般の社会と同じように一様ではない。極端な格差は是正していきたいが、完全な平等は難しい。専用球場や寮を持つような高校もあれば、狭いグラウンドを他の部活動と共用し、用具を買うのもままならないところもある。
 しかし、格差を嘆くよりも、その差を埋める術はまだいくつもある。そんなことを考えさせた大会だった。
 球場に入り、いったんプレーボールがかかれば、私立も公立も伝統校も無名校もない。どのチームにも勝者になる可能性は与えられている。
(平成19年8月23日付朝日新聞社説から)

「狭いグラウンドを他の部活動と共用し、用具を買うのもままならないところもある」とはいいますが、佐賀北高校がそうかといえばそうではないわけで。
むしろ佐賀北はスポーツ強豪校で、バレーボール、バスケットボール、陸上などは全国大会の常連ですし、おカネの面でも同窓会からガッツリ援助が出ているようです。グランドも芝でこそないものの立派な専用のものがあるようですし。
まあ、特待生や野球留学がいない(のだと思う)という点では「ごく普通の高校生」かもしれませんが、ちょっと美化(?)しすぎのような。
それはそれとして、「どのチームにも勝者になる可能性は与えられている。」ってのは実際そのとおりで、野球というのは選手、特に投手のちょっとした調子の良し悪しで大きく内容が変わるため、かつて桑田真澄投手や清原和博選手がいたころのPL学園のようによほどの力の差がないかぎりは「順当」が続くことのない、番狂わせの起きやすいスポーツです。とりわけ高校野球は金属バットですし、しかも一発勝負のトーナメントなので、その時々の「運」や「勢い」といったものが大きく影響しています。たとえば、決勝戦で逆転したイニングで佐賀北は2つの四球を得ていますが、ボールと判定された8球のなかにはかなりきわどいボールもあり、その1球でも「ストライク」と判定されていればこの回は無得点で終わっていました(試合後、負けたチームの監督が判定に苦言を呈するという異例の事態に至ったそうです。http://sportsnavi.yahoo.co.jp/baseball/hs/07summer/column/200708/at00014402.html)。このあたりはもう「運」としかいいようのないところです。
「格差を嘆くよりも、その差を埋める術はまだいくつもある。」と朝日的感動にひたるのも結構ですが、その「術」が運や勢い、「判定」というのもなんだかなあという感はあります。
ちなみに、他の主要全国紙はさすがにこれを社説で取り上げてはいませんが、主要地方紙では地元の西日本新聞が社説にしています。お題は「佐賀北優勝 「あきらめない」を学んだ」。こちらは地元校の快挙を率直に喜ぶ好感の持てるものです。