高校野球の話

この夏はオリンピックイヤーということでスポーツが例年になく盛り上がりを見せているように思います。とりわけリオデジャネイロ五輪では日本代表団がかつてない好成績をあげたということでまことにご同慶です。
さてそうした中で全国高校野球選手権大会、いわゆる「夏の甲子園」も例年通り開催され熱戦が展開されましたが、そのかたわらであれこれと批判が繰り返されたのもまあ例年どおりだったようです。ということで高校野球ネタも1年ぶりになりますが若干の感想を書きたいと思います。例によって印象論のこなみかんですのでそのようにお願いします。
まずは典型的な批判的論調として元毎日新聞の黒岩揺光氏がHuffington Postに寄せた一文をご紹介しましょう。黒岩氏は野球経験者でもあるようです。

…シーズン通してレギュラーとしてプレーし続けたことを示す「規定投球回数」または「規定打席」をメジャーで5シーズン以上、クリアした日本人選手は何人いるでしょう?
 答えはたったの4人。イチローのほかには、野茂英雄松井秀喜、そして黒田博樹
…世界有数の野球人口を誇る日本が、なぜここまで活躍できないのか?私は、原因の一つは、「甲子園」であり、甲子園制度を改革することでしか、日本の野球のレベルアップはありえないと思っている。
…甲子園の最大の問題は、高校スポーツとしては世界でも稀にみる注目度と短期のトーナメント方式にある。高校生のスポーツ大会が、連日全国紙で3−4ページも割かれて報道され、球場に3−4万人の観客を集めるというのは、他の国で聞いたことがない。学校からすれば、甲子園ほど良い宣伝方法はなく、良い指導者、良い施設にお金を投じ、チームに1人良い投手がいれば、絶対勝利主義のもと、その投手を連投させる。
…他の国ではチームの勝利より選手生命が大事にされ、日本では「甲子園」への過度の注目度により、選手生命よりチームの勝利が優先される。
 17歳の若さで無理をしてしまうことに慣れさせては、プロになっても無理をすることを続け、普通の人なら大きなケガになる前に「少し休ませて下さい」と言うところを言えなくなってしまうのではないか。…
 さらに、甲子園は短期決戦のため、一つのミスも許されない状況に置かれ、打撃も守備も型にはめられやすい。リーグ制なら、「今日は思い切ったプレーでエラーや三振して負けたけど、次の二試合ファインプレーで勝って取り戻す」という発想が生まれ、より自分のスタイルを貫きやすい。
…最後に「甲子園」の最大の問題は、大手新聞社が主催しているため、甲子園をメディアが「美化」しようとすることだ。夏は朝日新聞、春は毎日新聞がそれぞれ主催し、NHKが全試合を放送する。
 私は毎日新聞記者1年目に奈良県の予選を担当したが、毎日、「雑感記事」として選手にまつわるお涙頂戴の話を探さなければならなかった。そして、一番よくあるお涙頂戴は選手の「ケガ」にまつわる話。エースだったが、ケガをしてマネージャーになり、選手を影で支えるとか、ケガで前の大会は出られなかったが、今大会で涙の復活とか。ケガを「美化」し、野球部の管理体制に疑問を呈するなんていうことはしなかった。
…8月10日の甲子園で、広島新庄のエースが177球を投じた。無論、それについてメディアは疑問を呈さない。「エースの熱投」だとたたえるだけである。…相手の4番打者を5回敬遠しても選手生命を絶つことはないが、自分のチームのエースに177球投げさせたら、絶つ可能性はある。…
…投手の球数制限や、最低3日の投球間隔を空けるなどの制度改革。そして、甲子園が「短期」でなくてはならない最大の理由である、阪神タイガースの本拠地併用も見直してはどうだろうか。
http://www.huffingtonpost.jp/yoko-kuroiwa/koshien-major_b_11456704.html

繰り返し指摘されている問題であるにもかかわらず、準決勝前日に休養日が設けられた程度であまり改善がみられないのは、おそらくは「甲子園の最大の問題は、高校スポーツとしては世界でも稀にみる注目度と短期のトーナメント方式にある」という、まあそのとおりではあるのでしょうがしかしどうにもならない点に原因を求めているからなのでしょう。
前者については「連日全国紙で3−4ページも割かれて報道され、球場に3−4万人の観客を集める」というのはたしかに弊害もあるのでしょうが、しかし野球競技の振興においても新聞社はじめ関係者のご商売においてもまことにけっこうなことでもあるわけで、投手の酷使を防ぐために注目度を下げましょうともなかなか言えなかろうと思うわけです。後者についても、プロ野球との併用という施設サイドの事情もさることながら、予選ならともかく全国大会ともなると滞在期間が延びるほどに費用もかさむわけであり、また夏休み期間中には終わらなければならないという事情もあってそうそう長期間やるわけにもいかないでしょう。
それではどうするか。私は多くのヒントは社会人野球にあると思っています。
第1に、都道府県代表をやめて、全国数ブロックに分けて複数代表とし、全国大会出場校を32校程度に減らすことです。これにより全国大会の試合数は48試合から31試合と17試合も減りますので、休養日を増やしたり、準々決勝を2日に分けたりするなどの日程緩和ができることになります。より実力を反映した代表選考となって公平性の観点でも望ましく、また激戦区では予選段階から選手が酷使されるという問題への対策にもなるでしょう。すでに春の選抜大会は類似の運用になっていますので、比較的抵抗もないのではないでしょうか。
そうなると予選のやり方を見直す必要がありますが、なんでも硬式野球部のある高校は全国で4,000校以上あるということなので、あるレベルまでは都道府県のトーナメントでやるしかなさそうです。各都道府県に、出場校50校につきブロック代表決定戦進出枠を1割り当ててまず都道府県予選をやるというやり方なら各県高野連の顔も立つでしょうしこらこらこら、5回戦か6回戦で1枠決められるので、夏休み前の週末だけでも運用可能でしょうし、そうなれば3連投4連投という話にもならないでしょう。夏休みに入ったら敗者復活戦付の代表決定トーナメントということで、ざっと計算するとここでさらに1/3に絞らなければならないようですが、まあなんとかやれるような気はします。
次に記事にある「177球」、1試合での投げ過ぎ対策としては、やはり記事にもあるように直截に投球数の上限を規制するというアイデアもありますが、これには好投手相手の試合で「投球数を増やさせて上限到達を狙う」といった批判もあるようです。1試合の投球数が問題になるのはほとんどの場合延長戦と思われますので(記事にある試合も延長12回)、むしろ延長タイブレークの導入が望ましいでしょう。大学や社会人に進めば採用されているルールであり、また高校でも明治神宮大会や国体では採用されています。真夏の甲子園でこそ採用されるべきルールであり、方式も制球力が十分でない高校生は記事にもあるように延長12回でも177球投げてしまうので、10回から1死満塁という明治神宮大会ルールでいいのではないかと思います。さらに進めて、9回同点は引き分けであって決勝戦であればラグビーのように両校優勝とし、準決勝までは次の試合に進むチームを決めるためのコイントスに代えてタイブレーカをやる(したがって公式記録とはならない)という考え方もありうるでしょう。まあ、このあたりは競技の哲学?に触れるところでしょうし、決着つくまでやるのがいいのだ、という人にはご不満でしょうが…。
そして、ぜひとも決断してほしいのが予選敗退校からの補強選手制度の導入です。現状であれば同じ都道府県の予選で敗退した学校から一時的に選手を借りるわけです。高校野球はベンチ入り選手が少ないのであまり多数にはできないと思いますが、投手1人を含む2人を必須とする、くらいのことはやってもいいのではないでしょうか。特に代表校数を減らすのであればその補完措置としても効果があるのではないかと思います。
もちろん相当の抵抗はあるものと思われ、その中には補強を出す側にもいろいろ手数がかかるというもっともな問題もあります。ただまあ想定される反論として「高校野球は学校体育なのだから他校の生徒を入れることはできない」とか「練習も勉学もともにしてきた仲間との結束を大切にしたいから他校の選手は入れたくない」とか「補強選手の失策や不調のために敗退したら自分たちの努力はどうなるのか」といったものがあるわけですが、しかしそれは視点を変えれば得難い教育機会でもあるでしょう。昨日までしのぎを削ってきたライバルを今日からは仲間に迎えてともに共通の目標を目指すというのは、たいへん大きな教育的効果があるのではないかと思うのですが、どうなのでしょうか。少なくとも私には、これまでの仲間内にこだわる狭量さよりは好ましいもののように思えます。これは補強される選手にとっても大きな機会となるものですし、とりわけ無名校に傑出した選手が現れたケースなどでは有効でしょう。さらには、補強選手を輩出する学校にしてみれば一定程度の宣伝効果も期待できるわけです。もちろん、投手1人を必須とすることでチームに全国レベルのエース級投手が1人増えるわけですから、他の投手にとっては大きな負担軽減になることは言うまでもありません。現場の抵抗も相当なものだと思われますので容易ではないでしょうが、しかし私には利点の多いもののように思います。
ほかにも、たとえばソフトボールの再出場制度(リエントリ、スターティングメンバーはいったん試合を退いても1試合1回に限り同一打順・同一守備位置で再出場できる)とか指名打者制度とかいったものは、選手の出場機会を増やすだけではなく、負担軽減という意味でも効果があるでしょう。特に再出場制度があれば投手交代もしやすいでしょうし、交代の際に投手が外野や一塁の守備につく(ことで再登板を可能としておく)といった負担も軽減されるでしょう。

  • ここでほかの論点についてもコメントしておきます。まず「一発勝負だと冒険しにくい」というのはわかるのですが、だから「型にはめられやすい」とまで言えるかどうか。こちらはむしろ高校生に短期間で一定以上の技術水準を達成させるために「型にはめ」やすくなる、という理屈のほうがしっくりくるように思います。
  • もう一点、若いうちに無理をするのに慣れてしまうとその後も無理を繰り返す、というのは、とりわけプロ入り後にはどちらかというとチームのためというよりは自分のため(競争を勝ち抜くため)という側面が大きいように思います。

ということで、やれることはずいぶんたくさんあるのではないかと思うのですが、しかし高校野球にはこういった合理的な思考となじみにくい「文化」のようなものがあることもたぶん事実なのでしょう。昨年の高校野球ネタで選手宣誓を取り上げましたが(http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20150819#p1)、そこにもさまざまな価値観が織り込まれていましたし、それは選手自身の思いとともに、周囲の高校野球に寄せる思いの反映でもあるでしょう。
そもそも、高校野球が盛り上がるのはご同慶ではあるものの率直に申し上げて私などは子どもが金属バット持ってやる野球のどこがそんなに面白いんだなどと思うわけで、結局のところそれは競技そのものだけではなくそれを取り巻く物語も合わせて消費しているのだということでしょうし、だからメディアはそうした個別の物語、黒岩氏のいわゆる「お涙頂戴の話」を供給することになるのでしょう。チームゲームなので一定の自己犠牲があるのはむしろ当然ですし、甲子園大会に出ている選手でも多くは高校で「本気の野球」は終わるわけで、最後の・最高の晴れ舞台では無理もいとわないというのも情においてうなずけるものがあります。
要するに舞台装置はお誂えむきに揃ってしまっているのであり、好き嫌いは分かれますが(そして嫌いな人たちは強く反発するわけですが)この手のものが好きな人がたくさんいて日本の野球文化の一部を支えていることも事実なので、まあ急には変わらないと思うわけです。そうした中で選手の酷使をなくしていくためには、そもそも試合数を減らすとか、無理して続投・連投させるよりは別の投手が投げたほうが有利になるように戦力を整えるとかすることが効果的だろうと思うわけで、代表をブロック制にして数を減らすとか、補強選手制度を導入するとかいう手段がそれと整合的ではないかと思うわけです。
実際問題として、こうした対策を導入したらメディア向けの話題が減るかというと決してそんなことはないと思うのですね。もちろん177球とか4連投とかいう話はなくなるわけですが、たとえば代表決定戦が敗者復活戦付きになれば、単調なトーナメントと較べてずいぶん多くのドラマが生まれるでしょうし、補強選手制度にしても、選ばれた選手が話題を提供するのはもちろんのこと、補強が来たことでベンチから外れた選手などはさぞかし「お涙頂戴の話」を潤沢に提供してくれるのではないでしょうか。高校野球の現実をふまえれば、けがとか酷使とかいったことに代わる物語を提供することが、それらをなくすためには大切なのではないかと思うわけです。